第22話 誰かわからなくても

 京子に連れられてたどり着いたのは、駅のそばの雑居ビル。ここの3階に目指す店があると彼女は言った。古めかしいエレベーターに乗って、ドキドキしながら待つ。

「今日何人来てるの?」

「ぜんぶで四人」

 エレベーターのドアが開いて、騒音が流れ込んでくる。

「ずいぶん活気ある店だね」

「ここのオーナー、田渕くんよ」

 久々の騒音に目が回りそうになる。酒も飲んでないのに、足元がもつれた。みかねて京子がぼくの手を引く。彼女が若いバイトの女と何か話していた。奥の個室へ案内される。空間を隔てる衝立を見て、安心した。良かった、部屋取っておいてくれたんだ。

「待ったー?」

「おせーよ」

 座敷に座っていたのは、登と、見慣れない女。

「誰、あれ」

 ヒールを脱ぐ京子に耳打ちすると、

「吉澤沙穂」

 と声がした。名前に覚えがなかった。困惑しながらスニーカーを脱ぎ靴箱へ入れる。ついでに京子のパンプスを軽く揃えてしまった自分が少し気持ち悪くなる。

 振り向くと京子は沙穂と談笑しながらコートを脱いでいた。ぼくも登の隣に座る。聞くと食事の注文は通っているから、飲み物だけ頼めばいいという。京子がウーロン茶を頼んだ。ぼくも、と言いかけて、結局ハイボールにした。

「ここ、たぶっちゃんの店なんだって?」

 おしぼりを開けながら言った。田渕は小学生の頃からふくよかで、気の優しい男だった。それが、給食の時間になると豹変して、お代わりを目指すハイエナのようになる。食への執着は、職業として昇華されたようだ。

「ずいぶん流行ってんね」

「デブは伊達じゃねぇよなぁ」

「恰幅が良いと言うのよ。あんたいい加減言葉覚えたら?

 素直で褒められるのは幼児だけなんだからね」

 京子と登はときどき連絡を取っていたようで、親しげだ。嫉妬に似た感情をまさか、と打ち消すために、もうひとりの女を見る。

 吉澤沙穂、と聞かされた女は、ぼくたちのやり取りを微笑ましげに見ていた。ぼくは失礼じゃない程度に彼女の顔をまじまじと見た。さっぱり見覚えはなかった。もしかすると登の彼女か何かかもしれない。

 飲み物と一緒に、料理が運ばれてきた。胡瓜の酢の物、鳥の唐揚げ、おからのサラダ。

「うーっす」

 バイトの女の子の後ろから、顔を出したのは脂で鼻先をテカらせた田渕信彦。相変わらず、というかますます肥っていたが、目の奥の優しさは当時と変わらない。

「ひっさしぶりだなー、元気か?」

 田渕がぼくの肩を叩いた。

「そっちこそ。すごいじゃん、自営だ」

 ぼくがぎこちなく言うと、田渕が大きな口を開けてがははと笑う。

「これ、サービス。ゆっくりしてってよ」

 彼はテーブルの上にタコの唐揚げを置いて行った。親しみやすい笑顔と体型は相変わらずだ。みんなそれぞれ、立派にやってるんだ。

「じゃあ、とりあえず、乾杯と行きますか」

 ウーロン茶を掲げて、京子が言った。

「京ちゃん飲まないんだ。絶対酒豪になると思ってたのに」

「車、ありますから」

「じょーしきじん」

 不思議なことに、京子には軽口もいくらでも叩ける。まるで小学生の頃に戻ったみたいだ。よく、みんなで連れ立って神社や海岸で遊んだっけ。登は昔っから悪ガキで、京子は登のストッパー。でもときどき羽目を外す。そんなときはぼくが止めに入って、それから、えっと、

「あ、吉澤さんって」

 思わず大きめの声が漏れた。四年の頃引っ越してきて、いつも控えめに僕たちの後ろを付いてきてた、あの、

「今頃かよ」

「ううん、いいの、私、地味だし」

 よく覚えてないって言われる。吉澤沙穂は自虐気味に言った。

「でも沙穂ちゃん保育士なんだよー、子供の面倒見るのすっごい上手なの。

 うちの子もすっごい懐いててぇー」

「そんなことないよっ、まだまだ」

「褒め言葉は素直に受け取っとくもんだよー」

 京子はウーロン茶しか飲んでないのに酔っ払いのテンションだ。変わらないな、地が酔っ払ったおっさんなのだ。ぼくは苦笑いしながらハイボールを口にした。

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