第21話 嵐のような

「あっ」

 ドアを開けて驚いた。そこに立っていたのは篠崎ではなかった。どこか見覚えのある女性。ぼくの顔を見るなりにんまりと笑う。この顔は、ずっと前に、どこかで。


 ぼくは無意識にこめかみを押さえながら、

「待って、もうちょいで思い出せそう…えっと」

 女はますますにんまりしてぼくの顔を見る。この不躾な態度、不敵な笑みは、

「京ちゃん!」

 京子だ。年月を経て女狐っぷりに磨きがかかっている。

「顔面、上手く取り繕ったねぇ…」

 ぼくが言うと京子は手の甲をぎゅっとつねった。


「行こうか」

 そのままぼくの手首をぐいっと引っ張る。家の前には赤いコンパクトカーが停まっていた。後部座席にチャイルドシートが見える。子供が、いるんだ。

 彼女はつかつかと運転席に歩み寄って乱暴にドアを開けた。一瞬だけ迷って、ぼくも助手席のドアを開ける。

「子供いくつ?」

「今5歳」

「学生結婚?」

「相手五個上だから」

「ああ、そう」

 それ以上会話が続かない。正直少し、ショックだった。9歳の時から、大学生になるまで。彼女のことが、ほんのり好きだったから。

「どう?帰ってきて」

「あー、なんかまだ、落ち着かないわ」

「そのうち慣れるって。私もそうだったし」

 運転している彼女の横顔を盗み見る。日本人の割に、高くて先の細い鼻。小学生の時と同じだ。

「何?なんかおかしい?」

 思わず嬉しくて笑ってしまったのを見咎められてどきっとした。ぼくはこの顔が好きだったのだ。メイクで印象は変わっても、鼻筋や骨格は変わらない。

「中学、公立行ってたらどうなってたかなって」

 思わず話題をそらした僕の動揺を知ってか知らずか、京ちゃんは鼻で笑った。

「なんも言わずに私立行っちゃった人がよく言うよね」

「おれも受かると思ってなかったし」

「みんな寂しがってたよ、一ヶ月くらいは」

「切り替え早っ」

 ダッシュボードのプーさんのぬいぐるみとか、ぼくの足元のウエットティッシュとか。ドリンクホルダーが複数あるのを、家族がいるんだな、としみじみと眺める。

「旦那さん優しい?」

「ふふっ、まあね」

 思わず漏れた笑いが幸せを象徴している気がした。意思の力とは裏腹に、胸がずきんと痛む。

「京ちゃんがこんなまともになってるとは思わなかった」

「ちょっと、どういう意味?」

「おれの予想では、もっとメンヘラ臭ただよう女になってる予定」

「ばっかじゃね」

 鋭くそう言った後、まあ、旦那と子供のお陰かな、と小さく呟いた京子の顔が、小学生の頃の、寂しそうな彼女と重なる。彼女はもともと気の強い性格で、もっぱら男子と喧嘩ばかりしていた。とにかく口がよく回って、大人みたいな意見をぽんぽん口に出せた。そのくせ寂しがりやで、ときどき疲れたような、子供にあるまじき憂いを帯びた顔で窓の外を眺めては溜息ばかりついていた。

「良かった。今が幸せそうで」

 心の底からそう思った。誰かが彼女を幸せにしてくれて、本当に良かった。

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