11 地か地獄か -落ちた

 もうすぐ……

 もうすぐ、分かる。

 表で車の音がして――


「阿尊……?」

「お帰りなさーい」


 家に入ってきた銀ちゃんの目が、笑顔の阿尊くんを見て点になった。


「何だ。何で、お前がいるんだ」

「寧を運んでくれた。礼を言いな」

「寧を……運ぶ……?」


 十岐に言われ、視線が動く。

 その目が、腕ごと体に巻きつけてある白い包帯を捉えるのが、はっきりと分かった。


「何だ、その怪我は」

「脱臼だ。飛んで行って揺すったりするなよ。後々、面倒だからな」


 脱臼は、癖になることがある。

 しかし、銀ちゃんが初歩的な怪我の知識を欠いているはずはない。

 十岐は、わざわざ釘を刺した、と、感じた。


「俺は……そんな報告、受けてないぞ」


 その目は、包帯を見たまま。


「うん、言ってないよ。結ちゃんが言わないで欲しそうだったし。あ、寧ちゃんが隠してたからか。でもまー、宇田川うだがわ先生、職員室にも見当たらなかったから、僕も探す時間がもったいないと思ったしね。あ、一組の子たちは見てたから、知ってるよ」

「……ふざけてんのか、阿尊……」


 まだ、見ている。


「ふざけてないよ。銀ちゃんに報告、寧ちゃんは、白石杏子しらいしきょうこちゃんを落とさないようにつかんで、肩の骨が外れました。それ――」

「阿尊くん!」


 私は声を張り上げた。

 わざわざ、余計な報告なんかしなくていい。

 それに何より……真っ先に、聞かなければならないことがある。


「銀ちゃんが、伝えに来たことを…………知りたい」


 沈黙が下りる。

 私の真剣な眼差しを受けとめ、銀ちゃんが口を開いた。


「白石は、右腕の骨折と打撲で済んだ。脳波にも異常は見つからなかった。もう目を覚まして、会話もできる。……元気だよ。大丈夫だ、寧」


 自分の体の何ひとつ、動かなかった。

 銀ちゃんの言葉が、ちゃんと私の中に浸透するまで、随分と時間がかかった。

 意味を理解できたときには、溢れ出てくる涙を止めるため、必死で歯を食いしばらなければならなかった。


 私が下を向いてそうしている間、誰も……妖怪たちですら、黙って待っていてくれた。


「全部、話せ。嘘は無しだ。庇うのもな。言っておくが、俺はお前の靴が捨てられているのを見つけてある。ただ捨ててあっただけじゃない、ボロボロにされていた。ただし、ちゃんとついていたがな」


 ようやく少し落ち着いたあと、切り出された言葉。

 声が出なかった。

 銀ちゃんを、甘く見すぎていたのだ。どうしていつも、すぐに忘れてしまうのだろう。だんに……里の組織に、いたことを。


「お前が言わなければ、他から聞くぞ。さすがに今回は話してくれるはずだ。完全な真実をな。どっちがいいか、選べ」


 他。完全な真実。

 十岐に、聞く気だ。


「分かった。……話す」


 グループに分かれて、クラスに溝ができていること。

 勝負の話を、白石さんに聞かれていたこと。

 彼女が靴を捨てたこと。

 バカにされたと思わせたことが、判断を狂わせ、階段を踏み外す結果にまで繋がったこと。

 全部、話した。


 ただ、噂の件は言わなかった。

 これは、言わなくてもいいはずだ。直接、関係はないんだから。

 そう、思った。


「そうか」


 そう言って銀ちゃんは黙った。

 今度は、阿尊くんを見る。


「で、続きは何だ、阿尊」

「え? 続き? 何のこと……あー、自分で肩をはめたってこと?」


 あ。


「ほう……で、何で『送った』じゃなく『運んだ』なんだよ」

「気絶しちゃってたから。痛みで」


 止める間もなかった。

 再びこっちに向けられた顔からは、感情が読み取れない。

 冷や汗が出てくる。


「寧。脱臼は、何回目だ」

「は、初めて……」

「誰かの骨を、はめたことがあるのか」


 声が低くなっていく。


「……な、いです……」


 ごまかす言葉が、出ない。


「やり方は、どうやって知った」

「あ……の、ネット……で……」


 切れた。


「バカやろう! ネットなんざ、間違った情報も、山ほど流れてるんだぞ! 鵜呑みにするわ、経験もないのにやっちまうわじゃ、後遺症が残ってもおかしくねえ! 隠してただと……? 痛みで気絶しただと……? お前は何回、心配させれば………………いい加減にしやがれ!」


 私はぎゅっと目を瞑って、体を丸めた。


「……ペナルティだ。来月の分もキャンセル。明日は……無理なら休め。ばあ様、あとは頼んだ」

「そ、そんな! 待っ――」


 向けられた背中に、追いつきたかった。

 固定されていることが、頭から抜け落ちていた。

 立つのに両手をつこうとして、左側が空を切り――――肩から落ちた。

 痛さで、動けない。声も出ない。


「寧ちゃん! 大変だ、起きとくれ……あれま、こうかい?」

「っ…………っ!」

「おれ、やる」


 隣にいた十兵衛ちゃんに引っ張られ、かえって体勢が悪化し、悶絶。

 十兵衛ちゃんの向こうにいた赤鬼に起こされなければ、きっと私の魂は抜けていた。


「ひどいじゃないのさ、銀治! 寧ちゃんは、心配をかけたくないだけなんだよ! それがいつも裏目に出るだけさ! 滅法めっぽう下手くそなだけさ!」


 いつも裏目。滅法下手くそ。

 フォローどころか、けなされている。

 肩も、心も痛すぎる。


「そんなこと、お前に言われなくても……」


 さっきより近くに立つ銀ちゃんの、その声も表情も苦しそうで、私の気持ちはもっとしぼんだ。


「帰る。阿尊、お前も長居はするなよ」

「ん? …………ああ! ふふっ、そうだねー。優しいなー、銀ちゃん」


 阿尊くんの言葉が終わらないうちに、銀ちゃんは出て行った。


「ケっ、かっこつけやがって」


 サトリが小さく言った。

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