5 謎は増える

 いつもなら、昼休みには男子たちに混じってドッジボールやサッカーをして遊ぶ。

 でも、今日は誘いを断った。

 体を動かせば、少しは気分も晴れるかもしれない。そう思わないでもなかったけど、私にはもっと効果的な精神安定剤がある。

 図書館。

 いや、学校だから図書室。


 この学校の図書室に足を踏み入れるのは、今日が初めてだった。

 思ったより広いスペースに敷かれた、淡い色彩のブロック模様の絨毯は、最近貼りかえられたように見える。上履きを脱いで上がるようになっているからか、きれいなままだ。

 棚も、思ったより整理されていた。


「はぁ……」


 やっぱり落ち着く。

 昔から、本に囲まれていると、大抵のことは乗り越えられた。


 他に生徒が誰もいなかったことも、今の私には救いだった。

 天気予報では、関東は今週末から梅雨に入るらしい。残り少ない晴れの日を逃すまいとしているのだろうか、グラウンドにはきっと、子どもたちが溢れかえっているはずだ。

 賑やかな声が微かに届く。


 とりあえず、どんな本があるか見て回った。

 絵本、図鑑、世界の名作、子ども向けの本の数々。

 自分が本当に小学生だった頃を思い出して、懐かしくなる。

 しかし、今日こうしてここに来たのは、気持ちを落ち着けるためだけではなかった。いろいろ読みたい気持ちを抑えて、目的のものを探しにかかる。

 小学校の図書室であることは、かえって都合がいいんじゃないだろうか。子どもというのは、不思議が大好きだ。その要求に応えるものが、置かれているはず……


「あった」


 それほど迷わず、簡単に見つかった。

 妖怪事典。

 どうにも不可解な居候たちを、調べてやろうと思っていた。

 いや、間違っても興味がある訳じゃない。ただ、凝り固まった大人の頭のままの私としては、ちょっとでも知識を得て対応したかった。急に妙な動きをされても、びっくりして心臓が止まらないように。


「あった、青行燈」


 五十音順で、まず見つけた。

 挿絵は、白装束に長い黒髪、二本の角。

 そこはいいが、どうも顔が怖すぎる。まるで鬼婆だなと思っていたら、説明を読むと本当に鬼婆や女の鬼とあった。


 どういうことだ?

 家にいるのは、声も容姿も、どう考えても明らかに、男。整った顔立ちは例えるなら……江戸時代の役者、か?

 まあ、私の勝手なイメージではあるが。


「全然、違うじゃない」


 思わずつぶやいた。

 だったら、他の妖怪たちは?

 ページを探して気持ちが逸る。もしも全員が違っていたら――


「よかった」


 大きく違っていたのは青行燈だけだった。

 大別すると、人を楽しませてくれたり助けてくれたりと、基本的に害のないのが、はらだしと山男。人を脅かしたり襲ったりしてちょっと怖いのが、猫又とサトリと、青行燈だ。


 猫又、はらだし、山男、サトリの四人(?)が大体、書かれている通りと言うことは、つまりは多くの人もそう認識しているということ。だったら、私が特別変な目に遭っている訳じゃない。

 そんな理論で、自分を安心へと導いていく。

 問題は、青行燈だ。


「何なんだ、あいつ……」


 それからまた、妖怪についての本を読み漁った。

 私は本を読み始めると集中し過ぎる癖があって、他のことに全く意識が向かなくなってしまう。人から声をかけられても気づかないし、電車を乗り過ごすことは数知れず。読みたい本が溜まっていれば、徹夜が続くことも珍しくなかった。ちょっとやそっとの事では、現実には戻ってこない。

 でも、ふと何か妙な感じがして、顔を上げた。


「…………あ!」


 昼休みの終わりを告げるチャイムは、すでに鳴り終わったあとだった。違和感のその正体は、子どもたちの遊ぶ声が消えた静けさだったのだ。

 部屋を飛び出し、走った。


 図書室は二階の東にあり、教室は三階の西端。

 壁に張られた「走ってはいけません」のポスターを通り過ぎる。そんなこと、今は守っていられない。とにかく今日は、これ以上妙なことになるのはごめんだった。


 幸いなことに、廊下は音を吸収する素材が使われているようで、あまり足音が響かない。

 大丈夫、きっと間に合う。

 階段を一足飛びに駆け上がり、この角を曲がれば、四年一組の教室――


 ドンっ!

 勢いよく曲がった先の何かに、体ごと突っ込んだ。

 自分の体が軽いことを思い知る。簡単に弾かれ、倒れた。

 と、思った。


「大丈夫? ごめんね、忘れ物しちゃって、急いで戻るところだったんだ。怪我はない?」


 澄んだ声が、耳に心地いい。

 長い睫毛と、色白の透明な肌。少しウエーブした栗色の髪。ほっそりとした、しなやかそうな体。

 両腕に私を抱き止めたのは、こんな人がいていいのかと思うほどの美々しさの、これぞまさしく王子様だった。


 これは……絶世の美女の十兵衛ちゃんと、並んで歩かせたい。

 でも、十兵衛ちゃんは和風、王子は洋風で合わないか。

 いや、それが逆にいいかもしれない。妖怪と人間というギャップもいい。

 二人一緒に頭の中のフレームに入れてみたら、美男美女なんて言葉では、まったく足りなかった。


「もしかして、頭でも打ったのかなー? 痛いところはない? 吐き気はする?」


 そこで私は、ようやく気づいた。質問にも答えず、不躾なくらいまじまじと王子の顔を見ていたことに。


「すっ、すみません! 大丈夫です!」

「そっか、よかった。あれ? 君、転校生の子だねー。三雲寧ちゃん。初めまして、僕は隣の四年二組の担任、槙田まきた阿尊あそんです」


 何だか嬉しそうに自己紹介をされた。

 その様子が、あまりにも屈託がなさ過ぎて、私は何を言っていいのか分からなくなる。


「あ、はい……えー……」


 以後お見知りおきを、じゃないな。

 どうも、じゃ失礼か。

 よろしくお願いします……って、隣のクラスじゃ、あんまり関わりがないかもしれない。


「ふふっ。面白いねー、寧ちゃんは。うん、いいな」

「え?」


 何? 何が面白くて、何がいい?

 まさか……この人も妖怪の類で、私の考えを読んでいるとか…………


 いきなり発せられた脈絡のない言葉に、私は疑心暗鬼になった。自分の今の環境を思えば、学校の先生が未知の生き物なんていうことも、有り得ない話じゃない。


 知りたい。

 いや、知りたくない。

 やっぱり、知りた……くない。


「何をやっているんですか!」


 複雑な思いに揺れていたそのとき、槙田先生の後ろから鋭い声が飛んできた。

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