4 謎は変わる
数日が、風のように過ぎた。季節はもうそろそろ、雨の降り続く頃へと移り変わっていく。
しかし、大人の心というのは順応力に乏しい。私はいまだに二十五歳の気持ちのまま、体だけが幼いという状態に馴染めないでいた。
それだけでも手一杯なのに、家には妖怪までいる。許容量オーバーだ。どうやって受け入れられるというのだろう。
赤鬼は大人しいし、青行燈は我関せずの
思い
「はあ……」
「どうしたの?」
前の席からプリントを回すと同時に、クラスメイトの女の子が聞いた。
ええと、名前は……分からない。男子とは外でよく遊ぶので、半分以上は分かるようになったけれど、女子はまだあまり覚えられていなかった。
「ごめん。何でもないよ」
いけない、授業中だ。切り替えなければ。
今は三時間目、国語の時間。
配られたプリントに目を移すと、何冊かの本の題名と、文章の一部が抜粋して書かれていた。純文学から、少し前に流行った外国の物語や、詩集なんかも載っている。
本の虫である私は、全部読んでいた。中には気に入って何度か読み返したものもある。
「今日は、先生のおすすめの本を紹介します。もうすぐ梅雨に入って外で遊ぶ機会も少なくなるし、夏休みには読書感想文の宿題も出るから、参考にしてみて。大人向けの本もあるけど、頑張ってみようと思う人は挑戦してね」
教卓で、
読書感想文。
ああ、何て懐かしい響き。
また書くことになろうとは、一ヶ月前の私には想像のつきようもなかった。
「みんなにより多くの興味を持ってもらえるよう、少しずつ文章を抜き出したから、今からそれを音読してもらおうと思います。難しい漢字には、振り仮名を書いて読めるようにしたからね。うーん、どうしようかな。じゃあ、みんなで一緒に読もうか。最初の題名のところからね。さん、ハイ!」
クラス全員で、声を合わせて読み始める。懐かしいと感じるフレーズもあって、もう一度、本を手に取りたくなった。
「蹲っていた……え?」
私の声だけが響き渡った。
さして大きな声で読んでいた訳ではない。一斉に、クラス中が静まり返ったのだ。
何が起こったのか分からなかった。思わぬところで急に目立ち、心臓がドクンと波打つ。
「おおー! すげえ! これ、うずくまってって読むのかあ。こんなの分かるなんてすげえじゃん、
隣の男の子が、目をクリクリさせて私の肩を叩く。
それでやっと気づいた。ほかの難漢字にはちゃんとあった振り仮名が、そこだけ抜けている。
「ごめんね、先生のミスね。そう、うずくまるって読むのよ。三雲さん、何でこんな難しい漢字を知っているの」
俄かに賑やかになった教室で、宇田川先生が私に聞いてきた。
少しトーンが低いように感じたのは、気のせいか。正体がバレてはいけないと、私が必要以上にビクビクしているからだろうか。
「いえあの、読書が好きで、この本も読んだことがあったので」
「そ、そう。えらいわね、三雲さん」
あたふたと言い訳をしたが、全部本当のことだ。先生は一応、笑顔で褒めてくれた。
何とかなった、のかな。
でも気をつけないと、秘密って、こういう些細なことからバレていくのだろう。
次は算数の授業で、初めに計算の小テストが行われた。
私は、あまり数字が好きではない。かと言って弱い訳ではないので、小学生の算数が解けない理由はない。
どこか間違った方がいいのか迷った挙句、結局は全部正解を答えることにした。数字を変えただけで同じ計算式を使ったものだけだったし、ひっかけ問題もなさそうだったから。
書き終わったあと、ふと顔を上げて何気なく見渡すと、宇田川先生と目が合った。
すぐに伏せたが、どうも気まずい。時間を持て余した私は、顔を上げることもできず、机とにらめっこ状態でいた。
何か、今もずっと見られているような――
「はい、やめ。前に回してください」
やっと終わりの声がかかり、ホっと息をついた。
裏向きのテスト用紙が、順番に後ろから前へ、一番前の席の子たちから先生の手へと渡される。
教卓で、テストの端を揃える音がした。
「先生は残念です。先ほどのテスト中に、カンニングをしている人がいました」
「えー、カンニング?」
小さなざわめき。
「テストは、今の自分がどれだけできているかを確認するためのものです。人の答えを写したって、何の意味もないのよ」
そう言いながら、あちこちの生徒を見ていた先生の視線が、私で止まった。
「見ている人は、ちゃんといるのよ」
「!」
もしかして、疑われている、のか?
こっちを見ていた時間は、五秒もなかっただろう。私の微妙な表情をどう受け取ったのか、先生は微笑みながらクラス全員に続けた。
「本人も反省しているようですし、これでこの話は終わりにしましょう。みんなも、犯人探しみたいなことはやめてね。先生は、そんなことは好きではありません」
今ここで、潔白だと言うべきなのか?
でも、自分から言うのは変じゃないか?
もやもやとした感情でいっぱいだった。
私が疑われている確証はない。はっきりと名指しをされなければ、やっていないという否定もできない。
こういうのも、生殺しって言うんだろうか。
授業は、何事もなかったかのように進んでいった。
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