7 また祈った

「その子は、オオタカの子さ。ビーの親は五つの卵を産み、最初に生まれたのはメスで、最後に孵ったのがオスのビーだ。先に生まれたヒナは、あとに生まれたものを突ついて殺すことがある。そのこと自体は珍しくないんだが、ビーの姉は大きさも強さも、気の荒さも桁違いだったのさ。生まれてくる兄弟を、次々に殺してしまった。そして、最後に残ったのがビーだ。親は、さすがに居たたまれなくなったんだろうね。このまま巣の中にいても死んでしまう命ならばと、お前のカゴの中に落とした。何とか助けたかったんだよ」


 何て過酷な世界だ。まだ綿毛の頃から、兄弟で殺し合うなんて。助けるためとは言え、親がボロボロの我が子を巣から落とすなんて。


「おれ、頼まれた。寧に渡すよう」


 突然、無口な赤鬼が割って入ってびっくりした。

 赤鬼は嘘をつかない。多分、つけない。

 だけど私には、そんなオオタカの声は何も聞こえなかった。


「本当? 本当に言ってたの?」

「動物、喋らない。でも、何となく分かる」


 そんなことを言われても、喋らないのにどうやって分かるというのか。


「お前、山から帰るときに、木の上のオオタカと目が合ったのを覚えているかい」


 十岐が聞いてきた。


「え? う、うん」

「あれがビーの母親だ」

「あの鳥が!?」


 遠目でも分かるほど、大きくて立派なオオタカ。

 あれがビーの母親だったのか。とても、きれいな目をしていた――


「!」


 ああ、今、分かった。あの澄んだ瞳の訳を。

 育たなかったヒナたちのこと。ビーを渡すしかなかったこと。悲しみを含みながらも、感情を超越した目だったのだ。

 赤鬼の言う通りだ。あの目は言っていた。預けるでも頼むでもなく、渡すと。


 死にかけのビーを落として、最後に生きるチャンスを作った。

 その後ビーが死のうが生きようが、母鳥がやることは残ったメスのヒナを育てるだけ。それが揺らぐことはない。

 厳しい自然の中で生きるとは、そういうことなんだ。

 元気になったビーを巣に戻しても、彼女はもう育てないだろう。多分……いや、間違いなく。


「お前は鈍いから、あの母親もひと苦労だな」


 返す言葉もなかった。鋭敏な野生の生き物の前で、私の鈍さが浮き彫りになる。

 一体、いつからこんなことになってしまったんだ。


「それだけではないぞ。この家に来てから、見られているように感じたことがあっただろう」

「あ、ああ……うん。初めて二階に上がったとき、だよね。でもあれは、ここにいる妖怪のみんなが見てたのかなって、あとから勝手に思ってたんだけど……違うの?」

「あたい達は、お十岐に寄るなって言われてたから、寧ちゃんが目を覚ました頃は、この家が見える場所になんかいなかったよ。もし近づくのがばれたら、散々怒られた上で、追い払われるのは目に見えていたからね」


 見渡したあと、十岐に視線を戻したが、答えたのは十兵衛ちゃん。

 サトリが胸を張って、横を見る。


「オレたちは、そんなバカじゃないぞ。な、赤鬼?」

「はらだし、近づこうとしてた。おれ、止めた」

「あら、バラしちゃうなんてひどいですよぅ、赤鬼さん。ほほほほほ。でも、ちょっとお山が見えるってくらいの距離でしたよ。そりゃあ遠いですよ。寧さんなんて、これっぽっちも見えませんでしたね。見たかったですけどねぇ」


 三人のやり取りに、青行燈がフンと鼻を鳴らした。


「うつけめ。小娘、お前も大うつけだ。山があれほど騒がしいことに、一向気づきもせぬとは。どうせ、のん気に景色でも楽しんでいたのであろう」


 図星。

 でも、騒がしいって一体――?


「お前がここに現れてから、山の生き物たちはお前に注目しておった。動物たちは、わしがちょいと他の人間と違うことを感じ取っているから、わしと同じような人間がもうひとり来たことも分かったのさ。興味津々だったよ、山がざわつくほどにな。中でも特にお前に惹かれたものたちが、時折、近くに姿を現しておった。お前と波長が合うとでも言うべきかね。それが、鷹やフクロウなんかの猛禽類なんだよ」


 言われて思い出す。


「それ! この前、言ってたこと」

「そうだ。波長が合うものは、遅かれ早かれ関わり合うことになる。例えば、わしと朧のようにな」

「おばばと朧が?」

「お前が猛禽類なら、わしはさしずめ猛獣と波長が合うんだろう。狼や熊、猪なども、わしの前によく現れた。色んなやつがいたよ」

「……そうなんだ」


 それって、何か、すごい。


「お前もビーだけではなく、他の鳥たちともこれから関わることがあるだろう。言っておくぞ。助けが必要なものであっても、今回のように必要以上の力を与えるでない。妖怪にさせたくないならな」

「えっ!? どういうこと!?」


 一瞬にして緊張が走り、体が前のめりになった。

 取り返しのつかない失敗をしたあとのような恐怖が、せり上がる。


「わしのそばにいて、わしから出ている力を取り込み続けた朧が妖怪化したんだ。溢れるほど大量の力を一気に注ぎ込まれたビーが、この先化けない可能性は低いだろうね。絶対とは言わんが。まあ、これからよく見ていることだ。お守りは朧もやる。お前じゃビーが餓えちまうから、餌は赤鬼が獲ってくる。あとはしっかりやりな」


 ちょ、ちょっと待って。ポンポン話を進められても、頭がついてこない。こんな小さいビーが、妖怪化……?

 否定しようと、目を凝らしてビーを見直した私の背筋が寒くなっていく。


「あれ? この子、もうちょっと小さくなかったっけ……?」


 改めて見ると、連れてきたときよりも大きくなっている気がする。

 あのときは、ぐったりしていたから小さく見えたんだろうか。それとも、ヒナは成長が早いんだろうか。


「さあて」


 十岐は、空とぼけてお茶をすすった。


 嘘だ……

 妖怪化するなんて信じない。信じてしまったら、私は必要もない力を与えた上に、ムダ死にしかけたバカってことになる。

 お願い、ビー、妖怪にはならないで……!


 ヒナを両手に包み、私はまたもや必死で祈っていた。

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