3章 ビー

1 渡されたもの

「お前の場合は、猛禽類だな」


 十岐ときが言った。

 何のことだか、さっぱり分からなかった。




 まだ湿っている山間やまあいの獣道を、赤鬼と私は、木々を縫いながら歩いていた。

 一週間近く降り続いた雨も今日は上がり、空は久々に青く広がっている。

 少しは気も楽な日曜日。今朝は、川に魚をとりに行く。と言うか、正確には赤鬼が素手で取るところを、見に行く。


 十岐の命を受けて、食べられる山野草も採ってくることになっている。

 収穫したものを入れるために渡されたのは、昔話でおじいさんがよく背負っているような、馬鹿デカい竹カゴだった。私が入っても余りあるほどの大きさだ。抵抗してみたものの「これより丈夫で軽く、たくさん入るものはない」と一蹴され、無理やり背負わされた。

 入学したての小学生がランドセルを背負っている姿より、今の私はひどい有様だろう。

 こんなときにも、小さくなった自分に違和感を抱く。大人のままの姿だったら……と、事あるごとに思わずにはいられない。


 いつもならついて行くと言って聞かない妖怪たち、はらだしとサトリと十兵衛じゅうべえちゃんは、今日はどこか遊びにでも出かけたようだ。川に興味はないらしい。

 いや、サトリだけは、ついてくるつもりのところを私が拒否して、そのショックで飛び出して行ったのだけれど。

 悪いとは思ったが、清々しい山道でいちいち心の中を言われるなんてのは、うっとうしいに決まっている。


 デカくてごつい赤鬼が一緒なら大丈夫と踏んだのか、おぼろは縁側で久し振りの日向ぼっこ。

 青行燈あおあんどんは、十岐と熱い茶でもすすっているだろう。


 当然のことながら、ほとんどの人生を街中で暮らしてきたと記憶している私には、何が食べられる植物で、何が毒を含んでいるのかなんて分からない。だから、川へ着くまでの道すがら赤鬼に教えてもらい、帰りは覚えたそれらを採ってくるということになった。

 働かざるもの、食うべからず。


「これ、シオデ」


 ポンと、草を手の平に乗せる。


「へえ、アスパラみたいだね」

「ああ。これ、山椒の実」

「わっ」


 バラバラバラっと、小さい粒が手の上から散らばった。


「これ、葛」

「葛ってこんな葉っぱなんだ。って、ちょ、ちょっと待って」


 赤鬼は縦横無尽に藪や茂みも突っ切り、どんどん進んで、ちょっとずつ摘んだものを次から次へと私に寄越してくる。

 覚えるどころか、ついていくのに必死だ。


「クコ」

「ヤマゼリ」

「スイカズラ」

「ウスバサイシン」


 見る間に、私の両手がいっぱいになっていく。


「桔梗」

「えっ! 桔梗って食べられるの?」

「漢方になる。これ、アケビ」

「アケビって、果物の?」


 渡されたのは、明らかに葉っぱだった。


「ああ、実は秋。今は、若芽」

「待って! もう持てないよ! これ、カゴに入れないと」


 さらに次の植物を探しにかかろうとする赤鬼を止めた。さすがに、もう無理だ。


「ごめん」


 ちょっとシュンとなったらしき様子で分かった。どうやら赤鬼は、私に何かを教えるということが嬉しくて、はしゃいでいたようなのだ。

 どんな時もごつい顔は表情が変わらないので、非常に分かりづらいが。


「いいよ。ありがと」


 せっかく喜んで教えてくれていたのだ。笑顔で言った。

 でも、これで少しは私のペースを考えてもらえるかもと、ホっとひと息ついたのだった。


 獣道を抜けると、少し開けた所に出てきた。その先にある背の高い木々が見渡せる、気持ちのいい場所だ。

 私に気を使いすぎて反対に遅いくらいになった赤鬼が、ふと前方の上空を見据えたまま動かなくなった。


「どうしたの?」


 何か異変が起こったのかと思った。

 しかし、見上げた赤鬼の顔は、何の警戒心もなく静かに凪いでいる。

 私は、ただ待つことにした。


 それほど、かかりはしなかった。

 私と上空とを行き来する赤鬼の視線。最後に、私の顔をじっと見る。


「な、何?」

「柔らかい草、たくさん」

「は?」


 ポカンとする私を尻目に、赤鬼はどんどん進んでいった。

 大量の草が、手で薙ぐように刈り取られていく。

 その速さたるや、尋常ではない。人間では、到底有り得ないものだ。

 ここが川だったらと思うと、草が魚に見えてくる。


 しかし、おかしい。

 赤鬼は、どう見たって歩いている。

 なのに、何でこんなに速いんだ。追いつかない。

 小走りから、私はとうとう走り出した。


「ああ、もうっ! 邪魔!」


 大きく揺れる竹カゴが気になってしょうがない。

 もっと肩紐をきつく引っ張らなきゃ――

 ドンっ!


「ぶ!」


 いきなり止まった赤鬼に、思い切りぶつかった。カゴに気を取られすぎていた。


「つー……急に何」


 そこは、太い幹を持った大木のすぐ側だった。

 いつの間にか私たちは、高い木々の合間に入り込んでいた。


ねい、これ」


 赤鬼が抱えた山盛りの草は、ふわふわで柔らかそうだった。あんなに早業だったのに、潰れてもいなければ、棘の有りそうなものも見当たらない。

 大きな体は力と速さを備え、意外にも器用らしかった。


「カゴ」

「え? あ、うん」


 背中を向ける。

 でもそう言えば、草は帰り道で採るんじゃなかったのか?

 まあ、そんなに重いものじゃないから、別に問題はないんだけど。


「もうちょっと、後ろ」

「後ろ? って何?」


 カゴごと引っ張られた。

 振り向くと、木を見上げている赤鬼が目に入る。


「うん、ここ」

「ここ?」


 私も上を見ようとしたときだった。

 ボスンっ!!

 衝撃を受け、瞬間的にカゴの紐が肩に食い込む。

 身構えることもできず、後ろに持っていかれそうになったところを、赤鬼に支えられた。


「なっ、何!?」


 屈んでカゴを地面に置き、急いで肩紐から腕を抜いて中を見た。

 草に埋もれていたものは――


「これって、鳥……のヒナ?」


 草で全部は見えないが、茶色い中に混じった白く柔らかそうな羽毛が、まだ子どもなんじゃないかと思わせた。

 でも、ヒナというには何か大きいような……


「あっ」


 掻き分けて現れた、無数の赤い色。

 あちこち無残に禿げた羽毛。

 ぐったりと横たわったまま、動かない。


 もしかして、もう……


 無意識に、ヒナに手を伸ばしていた。

 何かできると思った訳ではない。でも、私の手は私とは別の生き物のように、小さな命を包んでいた。


「生きてる!」


 確かな体温。

 手の平が脈打つように、肌を通して伝わる鼓動。

 生きているという証。


 赤鬼が頷いた。竹カゴを肩にかけて私を抱きかかえると、風を切って走り出す。

 景色が、飛び去っていく。

 野生の獣のような、これが妖怪の力。

 でも、それだけのスピードを出しながらも、私とヒナを包む腕は優しかった。


 遠ざかっていく中、赤鬼の肩越しに振り返る。

 なぜ、後ろを見ようと思ったのか。

 分からないまま私の視線は、ヒナが落ちてきた高い木の、遥か天辺に釘付けになった。


 遠くても分かる、大きくて立派な鳥。その目が、まっすぐ私に注がれていた。

 深く澄んで、全てを受け入れたような、何とも言えない目。

 やがて木々に阻まれて見えなくなるなるまで、私はその鳥の姿を瞳に映し続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る