20 聖女
馬車が停止する衝撃で目が覚める。どうやら教会にたどり着いたようだ。
「でかいな……」
思わずそう呟いてしまうほど教会は大きかった。システィエの教会とは比べ物にならない規模だ。
アデリアはこれから準備が出来次第、和睦交渉に向かう。
教会の関係者を装ってそのまま国境を通過する予定なのだが、時間を掛ければ掛けるだけ警戒されてしまうだろう。時間の猶予はあまりない。
俺も同行するべきか少し迷ったが、ついていった所で出来る事は護衛くらいだ。この世界に詳しくない俺がうろちょろするのも得策ではないし、大人しく待つことにした。
案内役だと思われる男がこちらへ近づいてきて、アデリアに声を掛ける。
「王女様はこちらへ」
「あ、ちょっと待って」
アデリアがこちらへトコトコと歩いてきて、俺にこそっと耳打ちしようとする。頑張って背伸びしているが、身長差があるせいで届かない。なので少し屈んでみる。
「どうしたんだ?」
「えっとね、教会の実態って実は私達もよく知らないの。気を付けてね」
今更言われても遅い気もする。元より油断している訳じゃないが、とりあえず気を引き締めておこう。
「それなら俺の事より自分の事を心配した方がいい」
「今私を殺したり引き渡したりしても、教会は何も得しないよ。その気ならとっくにやってると思うし」
「確かにそうかもしれないけど、何が起こるかわからないからな」
この子には既に大勢の人達の命運がかかっている。余計なプレッシャーはかけたくないが、気が緩みすぎるのも危険だ。
「うん。分かってる」
アデリアは力強く頷き、決意に満ちた表情を浮かべている。
……そうだよな。そんな事俺なんかに言われるまでもなく、本人が一番分かってるよな。
「まあ注意はしておくよ。それだけか?」
「後もう一つ! これ、持っていって!」
アデリアは自分の首に掛けている、透明な宝石がついたペンダントを外して俺に手渡す。手に持った瞬間、宝石から強いマナを感じた。これだけ強力ならそのマナを引き出して魔力へ変換する事も可能だろう。
「お守りみたいな物だよ。ユウセイなら有効に使えるかと思って」
「君が持っておいた方がいいんじゃないか? これってかなり貴重な物だろ」
突き返そうとしたが、先程から待たされている案内役の男が物凄い形相でこちらを睨みつけている。アデリアも受け取る気がないらしく、渋々諦める。
「……じゃあありがたく使わせてもらうよ。気を付けてな」
「うん。行ってくるね!」
その
アデリアを見送ってから教会の中へ入る。高い天井に描かれた模様は、様々な色で彩られていてとても奇麗だ。広い空間には、木製の長椅子が規則的に並べられている。
なんといっても目を引くのは正面に飾られている大きな絵だ。美しい女性が、跪いたり倒れている人々に向けて光り輝く手をかざしている。
「あれが聖女様ですよ、ユウセイさん」
声のする方向へ振り向くと、システィエが立っていた。
法衣のせいだろうか。いつもとは違う高貴な雰囲気を感じさせ、普段より大人びて見える。
「ってその首輪、もしかしてヒカリにつけられたんですか⁉」
「気にするな。既に対処済みだ」
ミルシャの首輪で試した時に要領はつかんだので特に問題はない。そんな事より気になる事があった。
もう一度絵の方を見る。描かれている聖女とシスティエの服装が、とてもよく似ていた。
「それよりその恰好、あの絵と同じ物なのか?」
「……やっぱり気になりますか?」
「気になるというより、意外だな。聖女って呼ばれるのは嫌なのかと思ってたから」
システィエは何か言いたそうに口を開きかけたが、結局何も言わず口を閉ざす。
「探しましたよ、システィエ様。……おや? そちらが例の異世界の方ですか?」
見知らぬ男が近づいてきて、俺達に声を掛ける。恰好から察するに、この教会の神父か何かだろう。
「あなたには関係ありません」
俺が答える前に、システィエがピシャリと言った。
だが男は動じる様子も見せず、まるで値踏みするようにじろじろと俺を観察する。
正直あまりいい気分はしない。が、ここで揉めると面倒な事になりそうなのでじっと耐える。
男は満足したのか薄ら笑いを浮かべ、すれ違いざまに俺の肩をぽんと叩く。
「感謝していますよ。あなたのお陰で、システィエ様がこうして戻ってこられたのですから」
「俺のお陰?」
「なっ……⁉ 話が違うじゃないですか!」
すごい剣幕で睨みつけるシスティエをまるで意に介さず、男は立ち去って行った。
「……さっきの奴が言ってたのってどういう意味だ? 話が違うって何の事だよ」
別に怒っている訳ではないが、つい口調が強くなってしまっている事に気付く。
以前に話したくない事を無理に聞く気はないと言ったが、俺が関わっているのなら話は別だろう。
システィエは目を逸らすばかりで何も答えようとはしない。逃げ出す素振りはないのでそれ以上追及はせず、ただじっと待つ。
やがてシスティエは俯いた顔を上げ、にっこりと笑顔を作る。
「話は手当てをしてからにしましょう。傷だらけじゃないですか」
「……そうだな。じゃあ頼むよ」
光り輝く手をかざし俺を癒すシスティエの姿は、まさしく絵の中の聖女の様だった。
「立ち話も何ですから私の部屋に行きましょうか。ついて来てください」
え? 部屋に入っていいの? なんか緊張してきた。
案内されたのは何の変哲もなく、特に飾り気のない部屋だった。なのに女の子の部屋特有のいい匂いがする。
「そちらへどうぞ」
システィエに促されるまま、椅子に腰を掛ける。
目の前の机に温かい飲み物が入ったカップが置かれると、甘い香りが漂ってきた。
システィエは俺の対面に座るが、その表情は不自然な程明るい。
「さっきの話、真に受けないでくださいねー? あの人、ああいう冗談が好きなんですよー」
「いや、それはさすがに無理があるだろ……」
いくら何でもそんな嘘には騙されない。しかし、あははーと笑ってごまかすシスティエを見ていると、これ以上追及する事が正しい事なのかどうか分からなくなってきた。
「ユウセイさんのせいじゃないって事だけは本当ですよ。信じて下さい」
「……さっきはああ言ったけど、お前がどうしても話したくないのならそれでもいい。けど、話してくれるなら何か力になれるかもしれない」
システィエが何かを隠しているのは間違いないだろう。だが、誰にだって言いたくない事くらいある。俺にだってある。
「……私は弱い人間です。あなたに話す事で、楽になろうとしています」
「それのどこが悪いんだ? 俺は構わないぞ。普段は聞く方の立場なんだろうし、たまには良いんじゃないか?」
システィエは目を見開いて俺を見る。少し逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。
「……教会とは前に色々とあったので、戻るつもりはなかったんですが」
「だろうな。見れば分かる」
「それでも私は、どうしてもヒカリを倒したいんです。例えどんな手を使ってでも」
「第一王女の復讐をする為に、か? 確か親友なんだっけ」
市場でヒカリがそんな事を言っていたような気がする。
「はい。私のたった一人の友達で、恩人です。あの子が死んだって聞いても、まだ信じられないんですよ。全然実感がわかなくて……」
システィエの気持ちはよく分かる。目が覚めたら全部夢で、いつもの元気な姿を見せてくれるんじゃないか、なんて思ってしまうのだ。
だけど死んだ者は帰っては来ない。例え異世界だろうがそれは変わらない。
「私はあの子に救ってもらったのに、何も返せませんでした。それに私がヒカリを助けなければ、こんな事には……」
「それは違うだろ。結果的にそうなっただけだ」
魔王がどうにもならないからヒカリが呼ばれた。もしヒカリが負けていれば、もっとひどい状況になっていたかもしれない。
だがシスティエは首を横に振り、否定する。
「ヒカリを助けたのは自分の為なんです」
「……どういう事だ?」
「売られたんですよ、私」
「売られた?」
システィエはこくりと頷き、続きを話す。
「私を売り、教会の人間から笑顔でお金を受け取っている光景。それが私が覚えている両親の最後の姿です。それ以来、家族とは会っていません」
「前に言ってた、治癒魔法の使い手を強引な方法で集めるってやつか」
「私の場合は実力行使じゃなかったので、まだマシだったのかもしれませんけどね」
予想以上にやばい所だな。アデリアは本当に大丈夫なんだろうか。
「自分で言うのも何ですが、私は他の子と比べて特に治癒の力が強かったみたいで……外出する事も許されず、その力を教会の為に使うよう教育されました」
「その結果が聖女様、か」
「信念もなく、大事なものもない。教会に言われるがまま奉仕し、抜け殻のようにただ生きているだけ……そんな空っぽだった私を救ってくれたのが王女様なんです」
彼女にとって聖女なんて称号に何の価値もないのだろう。異世界に召喚され、突然勇者などと呼ばれて利用されるのと、大して変わりはないのかもしれない。
「魔族との戦争が激化してヒカリが召喚された後、教会は私がヒカリに同行する事を渋々命令しました。国からの要請を拒否できる状況ではありませんでしたから」
「まあ、自分達が攻められたら元も子もないもんな……」
「久しぶりに外へ出ると、少しずつ生きているという実感がわいてきました。教会に戻りたくなかった。だから本当は迷わずヒカリを助けたんです……ヒカリの危険性に気付いていながら、自分の為に」
もしヒカリが死ねば、否応なく教会に戻ることになるかもしれない。だが戦争が続く限りはその心配はなかったという事か。
「戦争が終わってから、よく今まで無事だったな」
「魔王を倒した報酬として国から庇護を受けることを望んだんですよ。魔王を倒した事で私の顔が知れ渡った事もあって、民衆の不信を買うような真似は避けたんでしょう。それに無理やり連れ戻しても、私が力を使う気にならなければ無意味ですから」
システィエは諦めたように深くため息をつく。
「だからこそ、私が教会に戻る事を条件に協力を得られました。その事をユウセイさん達に言わないように口止めしておいたんですが、無駄でしたね」
「ちょっと待て。ヒカリを敵に回す事になるかもしれないのに、その危険を冒してでもシスティエが必要だった。それだけの価値がお前にはあるって事だよな」
「そうですね。教会の目的の為には私が必要なんです。私の力を利用し、原初の聖女を蘇らせる。それが教会の目的です」
原初の聖女とはシスティエの事ではなく、あの絵に描かれていた人物の事か。
「そんな事が出来るとは思えないけどな」
「ええ、無理ですよ。ですが、私のような強い治癒の力を持つ人間を集め、長い時間をかけて一点……つまりその聖女様の身体にその魔力を蓄積させていけばどうなると思いますか?」
「……分からないな。そんな事、考えたこともない」
教会の人間は昔話の聖女を、つまり人を蘇らせる力を信じているという事だ。本気でそんな事を考えても不思議ではない。
「そう、分からないから試すんですよ。幸い教会には、命を捧げる事すら
「……馬鹿げてる」
元々マナを持たない俺とは違い、異世界人にとってマナは命の源だ。完全に失えば死んでしまう事だってある。そして人が生み出せるマナは無限ではない。
特に治癒魔法は、自身の持つマナを治癒の性質を持つ魔力へと変化させて他者へ大量に取り込ませる。いわば自らの命を削る様な魔法だ。そんな力を行使し続けば、術者の命をも脅かす。当然システィエならそんな事くらい知っているだろう。
「なんでその事を俺達に隠す必要があったんだ?」
「言えませんよ。なんだかんだ言いながら、見知らぬ他人の為に命を懸けて戦うような、お人好しな人達には……」
システィエは俯いた顔を上げると、今度は無邪気な笑みを作る。
「なんて、全部作り話ですよー。騙されました? 結構上手く出来てましたよね?」
果たしてどこまでが本当で、どこまでが嘘なのだろうか。まだ全てを話した訳ではないかもしれない。だがそれを判別することは俺には出来なかった。
「……ヒカリを倒したら、俺達の世界へ来るか? お前がそれを望むならだけど」
「……え?」
ミルシャの時と反応が一緒だな。まあ大抵の奴が驚くんだけど。
実は俺達の世界にも異世界人が来ることが増えていたりする。向こうではマナを魔力に変換する事が何故か出来ない。つまり魔法が使えないので元の世界へ戻る手段が存在しない為、その人達を異世界難民などと呼んでいる。
俺のように異世界に召喚される人間も急増しているらしく、社会問題になっているくらいだ。つい最近でも、集団で転移する事件が話題になっていた。そこで異世界難民達から情報を集め、対処法を練っているというのが現状である。
異世界から無事に帰ってくる人間は稀らしく、俺も色々情報提供をしたりしている。もしその世界の知識があれば、突然飛ばされた人間も多少は対処出来るだろうという事らしい。
という事で一人や二人連れて帰った所で、俺が物凄く怒られて長時間説教を食らった後、受け入れてもらうだけだ。
「ああ、お返しの冗談ですね。そんな真面目な顔で言うと誤解しちゃいますよ?」
「俺は本気だ」
さすがの俺でもそんな冗談は言わない。多分。
「本気……なんですか?」
システィエは何かを確かめるように、真っすぐ俺の眼を見つめる。
「その代わり俺に言われたから行くってのはナシだ。おそらく二度とこの世界には戻って来れない。しっかり自分で考えて、自分の意思で決めてほしい」
無理に連れ出すつもりはない。向こうへ行ってから後悔されても責任取れないし。
リゼリィから俺達の世界の事を興味深そうに色々聞いていたらしいが、それでもすぐに答えが出せるような事でもないだろう。じっくり考えてもらうとしよう。
「……私は」
システィエの言葉は遮られ、何者かが扉をノックする音が部屋に響く。扉が開かれると、黒いローブを着た女性が姿を現した。
「失礼します、システィエ様。礼拝のお時間です」
「……分かりました。すぐに準備します。話は通してありますので、ユウセイさんはゆっくり休んでください」
「分かった。飲み物美味かったよ、ごちそうさん」
どうやらこれ以上会話する時間はないようだ。俺は椅子から立ち上がり、部屋の出口へと向かう。
さて、あんな事言っておいてヒカリを倒せなかったらお笑いだな。どうしよう。
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