18 責任
「さて、後はお前一人だが……」
「た、助けてくれ! 命だけは!」
「おいおい。さっきまでの威勢はどうしたんだよ」
腰が抜けて尻餅をついて後ずさりする髭面男に、ヒカリが一歩ずつ距離を詰める。
ヒカリは髭面男を見下ろす位置まで来ると、思い切り彼の右足に剣を突き立てた。
絶叫が周囲に響き渡る。ヒカリは構わずに左足、左手、右手と順番に剣を突き立てていく。
「た、頼む……。助けてくれ……」
「まだ生きてるか。案外しぶといな」
ヒカリは相手の懇願を完全に無視し、こちらを振り返る。
「おい腰抜け。お前が殺せ」
……何だって?
ヒカリの突然の命令につい、顔がこわばってしまった。
「なんだその顔は。お前は人にだけ手を汚させておいて、自分は何もしないつもりか?」
ヒカリの言葉が胸に突き刺さる。あいつの言っている事が、そう間違っていなかったから。
この状況は自分が招いた、紛れもなく俺の責任なのだから。
こういう事態になる事は予測出来ていた。むしろ両者が殺しあう事を望んですらいた。
盗賊達を狩ると決めたのはヒカリだが、そのきっかけを作ったのは俺だ。そして原因である俺は、ただ傍観して逃げていただけ。
時間稼ぎになるから。自分達が疑われないために。ただそれだけの理由で、俺は盗賊達を身代わりにした。例えそれが殺されても自業自得だと言えるくらいの悪人だったとしても、決して許される事ではないだろう。
殺されてしまった騎士だって、こんな所へ連れて来られなければ命を落とす事はなかったのに。
確証はなかったが、あの女が怪しい事に気付いた時点で止めに入ることだって出来たのに、俺は何の罪もないあの騎士を結果的に見殺しにした。
でも、だからこそここで演じ切らねば、全てが無意味になってしまう。
「……俺には人を殺すなんて、出来ません。勘弁してください」
「そうか。なら代わりにお前が死ぬか?」
「そんな!」
「嫌なら早くこいつを殺せ。後一分だけ待ってやる」
俺はゆっくりと髭面男の元へと近づく。
「お願いだ! 助けてくれ……」
髭面男を見下ろす位置まで来てから、腰に佩いた剣を抜いた。
「後二十秒」
ヒカリは冷酷に、そして楽しそうにカウントダウンする。
俺は剣を持つ手をガタガタと震わせ、髭面男の急所に狙いを定めた。
「あと十秒だ」
「……うあああああ!」
雄たけびを上げ、そのまま剣を突き立てる。嫌な感触と共に返り血を浴び、髭面男は短い悲鳴を上げて事切れた。
俺は口を押さえるフリをして、ヒカリにばれないよう素早く自分の喉の奥を人差し指で突く。
「ハハッ! よくやった。これでお前も立派な戦士だ!」
その場でへたり込んでえずく俺を見て、ヒカリが満足そうに俺の肩をポンと叩く。
「今日からお前も人殺しだ。どうだ、気分は?」
ヒカリの高笑いが辺りに響く。
……全く、何が面白いんだか。俺にはこれっぽっちも理解できない。そもそもこんな事をするのは、人殺しが罪だという事を多少なりとも自覚している証拠だ。
そういう意味では、ヒカリはまだマシな部類と言えなくもない。世の中にはもっと恐ろしい奴がごまんといる。
実際俺よりも年齢は下なんだろうけど、どうもこいつは行動や言動が幼稚だ。
そのせいか、ヒカリの能力は脅威に感じても、ヒカリという人間自体にはまるで恐怖を感じない。戦って勝てるかどうかは別の話だが。
ある意味、ヒカリよりも異常なのは俺の方なのかもしれない。さっきまでの余計な感情は既に消え失せている。
そしてそんな風に割り切れるようになってしまった自分が、たまらなく嫌だった。
「よし、生き残ってる奴に住処を吐かせろ。金目のものを根こそぎ奪いとるぞ」
「了解しました。……あの、もし奴らに捕まっている人達がいたらどうしますか?」
「放っておけ」
ヒカリは騎士達にそう言って、まだ息のある盗賊達を拷問し始めた。ミルシャの表情が険しいものへと変化している事にも気付かずに。
「……さすがに疲れたな」
城に戻り、自分の部屋でベッドに倒れこんだ途端に全身から力が抜ける。精神的にも肉体的にも、自分が思っていた以上に疲労していたらしい。
このまま眠りに落ちたいという欲求を何とか抑えて身体を起こし、言語の勉強でもする事にした。
朝まで時間が潰せれば何でも良い。初めて人を殺したショックでろくに寝付けなかったという所をヒカリに見せる。その為だけに起きておく事にした。
ふと、自分が本当に初めて他者の命を奪ってしまった時の事を思い出す。あの時は演技などではなく、まともに寝られない日々が続いた。
今でも鮮明に思い出せるあの時の感情は、きっと一生忘れる事は出来ないのだろう。
……何だよ。ヒカリの嫌がらせ、効果抜群じゃないか。覚悟はしてたつもりだったんだけどな。
頭によぎる雑念を振り払い、小さな燭台に火をともして本に没頭する。
……いかん。全然わからん。寝てしまいそうだ。
その強烈な眠気は、不意にノックされた扉の音で唐突に吹き飛んだ。
懐に忍ばせている短剣に手を伸ばし、警戒を強める。
「……起きてたの?」
扉を開けると、目の前に現れたのはミルシャだった。
返事をする前に、まず何か魔法を掛けられていないか確認する。
周囲に人の気配は感じない。部屋の中は城に戻ってから真っ先に確認した。問題ない。ミルシャ自身にも特に何かを仕掛けられたような形跡はない。
「何で来た。もしヒカリにばれたらどうなるか分かってるのか?」
「……アンタ、そんな怖い顔も出来るんだ。大丈夫、ヒカリの命令だから。アンタの様子を探ってこいって」
そういう事か。なら俺の取るべき対応は決まっている。
「今度はお前かよ……。さっさと帰れ。ヒカリに関係を疑われるようになると面倒だ」
「そうやってアイツから贈られた物や女を全部突き返してるんだって?」
いわゆるアメとムチというやつなのか。ヒカリの野郎、何が『戦士になった記念に褒美をやる、喜べ』だよ。そもそも、俺を懐柔しても何の得にもならないだろうに。
どうもアイツは俺の反応や戸惑いを見て楽しんでる節がある。うっとうしい事この上ない。
「いいから出てけ。勝手に入ってくんな」
部屋に入ろうとするミルシャを押しとどめ、部屋の外へと追い返す。
「ヒカリに怪しまれずに話せる絶好の機会なのにいいの? 少しくらいなら大丈夫なはず」
……言われてみれば確かにそうかもしれない。どうも余裕がなくなっていたらしい。
「分かった、入ってくれ。ここで話してるのを誰かに見られるのが一番まずい」
ミルシャを部屋に招き入れ、木製の椅子に座らせる。
よく見るとミルシャはいつもの動きやすそうな服装ではなく、肌が露出した白いワンピースのような物を着ている。普段の気丈な印象とのギャップもあり、どうにも煽情的だ。
「……もしかしてお前いつも——」
こんな事をさせられているのか、と聞こうとして慌てて口をつぐむ。詮索する意味もない上、無神経すぎる。馬鹿か俺は。
だがミルシャは俺が言いかけた事を察したらしく、少し表情を曇らせる。
「今はほとんどしてない」
今はほとんど、か……。やっぱり聞くべきじゃなかった。
「変な事聞いて悪かった。許してくれ」
「許さない。貸し五つ」
また増えた。帰るまでに返しきれるんだろうか。
「ひどかったのはヒカリより前の主人。アイツに比べれば、ヒカリなんてまだマシな方」
「……そうなのか」
一応ヒカリや王女の護衛を任されるくらいだし、待遇的にはそこそこ良いのか。ヒカリには半獣人に対する偏見はあまりないのだろう。
「ただ働かされるだけならまだ良かったかもしれない。でもアタシみたいな半獣人を高いお金を出してまで買うような奴らは、そんな目的じゃない」
「……もういい。分かった」
その先はもう聞く必要がない。彼女の境遇を考えれば、言われなくても容易に想像がつく。
だがミルシャは俺の制止を聞かず、淡々と話し続ける。
「生きる為なら何でもやった。とにかく主人の機嫌を損ねないように、従順な奴隷を演じ続けて……ある日、ようやくそいつを殺した。やっと自由になれるって、そう思ってた」
「……どこにも居場所がなかったんだな?」
瞳からこぼれ落ちる涙を拭いながら、ミルシャが頷く。
「人間はアタシを蔑んだ目で見る。魔族も受け入れてくれない。結局アタシはまた捕まって……ヒカリに買われた」
「そういえばヒカリは何でお前を側近にしてるんだ? 他に適任はいくらでもいそうだけどな」
「……男に四六時中つきまとわれるのが嫌だったみたい。だからアタシは、護衛役として付いていけるようになるまで徹底的に鍛えられた」
「そんな理由かよ!」
まあ不気味な爺さんとかむさいおっさんより可愛い女の子の方がいいよな。そこは共感できる。
「ヒカリには色々やらされたけど、命令に逆らわない限りは安全だった。その内人間達もアタシには逆らえなくなって、気分が良かった。だから……もうこれでいいって思ってたのに……!」
ミルシャはこちらを睨みつけ、抑えきれなくなった感情を俺にぶつける。
「ヒカリが倒されたらアタシだって無事じゃ済まない。例え解放されたとしても、その後どうやって生きていけばいいのか分からない。アタシが行く所なんてどこにもない!」
「……お前の家族や仲間はどうなったんだ?」
泣きじゃくるミルシャを落ち着かせながら問う。これ以上声が大きくなるとまずい。
「多分もう死んでるか、アタシみたいに売られたかのどっちかだと思う」
「そうか……。なら、もしヒカリを倒せたら俺達の世界に来るか?」
「……え?」
よほど予想外の言葉だったのか、ミルシャはきょとんとした目で俺を見る。
「まあ色々大変な事はあると思うけど、居場所くらいは作ってやれる。少なくともお前にとって、この世界よりはマシだと思う。それとも売られた仲間を探すって言うなら手伝うぞ?」
「なんでアンタがそこまでするワケ?」
今度は疑惑の眼差しを向けてくる。まあ疑うのは当然か。
「それがお前に関わった、俺の責任だからだ。それにお前だって俺を盗賊から助けてくれただろ」
ミルシャと戦った時や捕まえた後の俺への怒りも、自分の居場所がまた奪われるかもしれないという恐怖心や不安から来ていたのかもしれない。
俺はミルシャにヒカリを倒すことを強要している。ならその後の事も当然俺の責任だろう。そのくらいの覚悟は出来ている。
「どうせ無駄。……アンタは確かに強い。アタシと戦った時も本気じゃなかったんでしょ?」
「いや、結構大変だったんだぞ……」
実際ミルシャは相当強い部類に入る。粗削りな戦い方がもっと洗練されれば苦戦するはずだ。
「それでもヒカリには勝てない。それとも何か手があるっていうの?」
「あの力は確かに厄介だけど、どうにもならないって訳じゃないと思う。多分」
「なんか不安な言い方……」
まだ具体的な作戦は思い浮かんでないんだから仕方がない。
「またお前の力が必要になる時があるかもしれないから、その時は頼む。そろそろ戻った方がいい。あ、そのひどい顔は何とかしてから戻れよ?」
「……うるさい」
ミルシャは不愉快そうに眉をひそめて部屋の外へ向かうが、扉の前で立ち止まりこちらを振り向く。
「こんな事、誰にも話せなかったからちょっとすっきりした。……ありがと」
ミルシャは少しだけ微笑んでから部屋を出て行く。
俺は椅子に腰かけて再び本に没頭しようとするが、その内容は全然頭に入ってはこなかった。
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