12 奴隷と信頼
監禁場所に選んだのは、今はもう使われてないという小規模な砦だ。
魔王軍に占拠されてからは打ち捨てられ、戦争が終わった今でもろくに手入れはされず放置されていたらしい。
今にも崩れそうなボロボロの防壁を見れば、相当激しい戦闘があったことが分かる。魔王、意外と強かったんだね……。
当然中には魔物が住み着いていたが、事前に掃除済みだ。
砦の内部には兵士達が寝泊りしていたのであろう、簡素な寝具が置かれた部屋があった。その部屋の扉を軽くノックする。
「様子はどうだ?」
部屋の中に入った俺が問うと、半獣人娘を監視していたリゼリィがため息をつきながら首を横に振る。
「全然ダメ。聞く耳を持たないってこういう事を言うのね」
そういえば俺が休憩している間にも騒がしい声が響いていたな。
急に静かになったから奇妙に思って様子を見に来たが、リゼリィが半獣人娘の拘束具に
しかし、この状況は考えるまでもなくまずい気がする。分かっててやったとはいえ、女の子を拘束して監禁って完璧に犯罪者じゃないか。
このままじゃ説得なんて到底無理だろう。まずは話だけでも大人しく聞いてもらいたい所だが、超睨んでくるよこの子……。
「危害を加えるつもりはない。話したくない事があるなら無理に言わなくてもいいから、こっちの話くらい聞け」
俺の言葉に対し、半獣人娘は信用できないと言わんばかりの
「今からその口の布だけ外してやるから、噛みついたりするなよ?」
半獣人娘は少し悩んだような仕草で、渋々といった感じで頷く。
「アタシを殺すならさっさと殺せば? ヒカリ様の足手まといになるくらいなら死んだ方がマシ」
リゼリィが半獣人娘の口枷を外した途端、開口一番に言い放った。
「とりあえずちょっと落ち着けって」
興奮気味な半獣人娘を
「拷問には慣れてる。アンタ達には絶対何も話さないし、話を聞く気もない」
話してるし聞いてるじゃないか。なんて普段の俺なら突っ込みをいれる所だが、今はそんな気分にはなれなかった。
拷問には慣れてる。そんな事を平然と言えるこの娘は一体どんな経験をしてきたのだろうか。
残念な事に、奴隷というものはほとんどの世界で存在している。
そこに公認、非公認の違いはあれど、俺達の世界も例外ではない。日本ではあまり身近には感じられない、ただそれだけの事なのだ。
背景にはその世界なりの経済事情などもあるため、安易に無関係な人間が踏み込んでいける問題ではない。
俺も他の世界で、違法であるにも関わらず奴隷商人から購入を勧められた経験もある。そいつはぶん殴ってやったが、そんなものは何の解決にもならなかった。
一口に奴隷といっても様々な形があるが、この娘の場合は売られた経緯からして、労働力として買われたわけではないんだろう。
では何が目的で奴隷を買うのか。そんな事は考えるまでもない。
相手より優位な立場に立ちたいという欲求を満たすため。支配したいという願望を叶えるため。全員がそうとは言わないが、大半はそんなものだ。
ヒカリの性格からして、善意でこの子を助けたなんて俺にはどうしても思えなかった。あいつの根本にあるのは善意などではないんだろう。だからこそ、システィエの話に違和感を覚えた。
そんな関係に、果たして信頼関係など生まれるのだろうか?
もし俺が奴隷の立場だとしたら、そんな奴は信用出来ない。少なくとも、自分を買ってくれたからと言って無条件でその相手の事を心酔したりはせず、逆に怖いとすら思う。
もしかしたら服従しているフリをしている可能性だって十分にある。いわゆる
だが、俺がヒカリを罵倒した時のこの娘の怒りは本物だとも俺には思えた。
この娘はヒカリに心酔するしか生きる道はなかったのかもしれない。ヒカリの圧倒的な力の前に絶望し、暴力によって洗脳される。
恐怖を与え、上下関係を明確にさせ、無力感を与え、従う事が善だと刷り込み安心させる。そんな事を繰り返せば、心なんてたやすく壊れてしまう。
だが、この子にはまだ自分で考えられる意思が残っている。根拠はないがそう感じた。
確信があるわけではなく、全ては俺の推測に過ぎない。だから、どうしても確認しておく必要があった。リゼリィが市場で見たという表情が本物ならば、まだ可能性はある。
逆に言えばヒカリが本当にこの娘には優しくて、信頼関係が生まれた可能性も当然あるわけだが……。いや、ないよね?
「アンタ、こんな事をして一体何がしたいの?」
俺が押し黙ってしまったのを妙だと思ったのか、半獣人娘は少し苛立ったように視線を向けてくる。
「何言ってるんだ、さっきも言っただろ?」
だが半獣人娘には思い当たる節がないようで、はてな? と首を傾げる。
「ヒカリを倒すために手を組もう」
半獣人娘はハッと馬鹿にしたように笑う。
「アンタなんかがヒカリ様に勝てる訳ないじゃない」
「確かに俺だけじゃ無理かもな。だからお前の力を貸して欲しい」
「絶対イヤ!」
半獣人娘は子供のようにぷいっと顔を横に背ける。うーむ、このままじゃ
「お前、本当にヒカリの事が好きなのか?」
「当たり前でしょ! ヒカリ様はアタシを救ってくれた勇者なのよ!」
「なら、今すぐ死んだ方がいい。俺はお前を人質にしてヒカリをおびき出すつもりだからな。情報ならあの侍女から貰うし」
「……え?」
この子が強気でいられるのは、自分に利用価値があると思っているからだ。殺す気ならわざわざこんな面倒な事する必要がないからな。
「本当にヒカリが大事なら、舌を噛み切るくらい出来るよな。足手まといになるくらいなら死んだ方がましなんだろ?」
「それは……!」
本当に自殺しちゃったらどうしよう。心なしか胃がキリキリと痛んでいるような気がする。くっ! 胃薬が欲しい!
だが、半獣人娘はそれきり黙ったまま動かない。まあここで命を投げ捨ててしまうようならば、説得の余地などなかっただろうが。
だがあんまり追い詰めすぎるのも危険だな。別のアプローチも試してみよう。
「その首輪はヒカリが付けた物か?」
「……」
俺の問いに目の前の少女は何も答えない。俯くように俺から視線を逸らす。
この娘についている首輪。これは俺達が付けたものではない。
「悪い、ちょっと触らせてもらうぞ」
「や、やめて!」
「暴れると余計に危ないわよ?」
暴れだそうとする半獣人娘をリゼリィががっちりと抑える。……すごい悪い事してる気分。
刺激を与えないよう、そっと首輪を触る。やはり魔力を帯びた物らしい。
大体予想はついていたが、この反応を見る限り無理やり外そうとすると何か仕掛けが作動するんだろう。分かります。
「この首輪がどんな物なのか知ってるか?」
「……」
半獣人娘は答えない。
「……無理やり外しちゃおうかな」
俺の脅しに半獣人娘は怯えた様に身体を震わせ、ぼそぼそと話し出す。
「ど、毒の首輪って聞いた……。無理に外そうとしたり、ヒカリ様の魔力で作動させると中の毒針が飛び出す。その針に刺されると肉が腐り落ちてく」
うわぁ、悪趣味。ヒカリの取り巻きのジジイの趣味かな?
あのジジイは死霊魔法の使い手だっけか。こうやって殺した人間や魔物でスケルトンやゾンビを作ったりするのかな。
自分の生死が他人に握られているというのはどんな気分なのだろうか。俺には想像もつかない。
もしヒカリの機嫌を損ねたら。何かミスをしてしまったら。いや、何もしなくてもヒカリの気まぐれ一つで死んでしまうかもしれないのだ。
「お前、本当にこのままでいいのか? こんな首輪をつけられて生きていく事を本当に望んでるのか?」
「もう、やめて……」
半獣人娘が
「正直勝てる保証なんてどこにもない。それでも何とかしようと、命を懸けて戦おうとしてる奴らはいる。お前は……」
「もうやめてよ!」
俺の言葉を遮り、半獣人娘の怒号が部屋に響く。
「ようやく諦められたと思ったのに、どうして邪魔をするの? アンタ達はアイツの強さを知らないからそんな事が言えるの! 希望を持たせるような事、もう言わないで!」
半獣人娘は涙を流しながら、手足についている枷を引きちぎりそうな程の勢いで激しく身体を揺らし始めた。
「アタシはどうしたらよかったの? アイツの命令通りに色々やってきた……。今更遅いのよ! あんな化け物みたいな奴に、誰も勝てる訳ないじゃない……」
今まで抑えていた感情が
「なあ、名前はなんて言うんだ?」
半獣人娘が泣き止むまでしばらく待った後、極力優しい声を意識して聞いてみた。
「……まずは自分から名乗ったら?」
ぐっ……この野郎。この状況でこんなに強気なら心配する必要はなかったか。
「俺は悠誠。こっちがリゼリィだ」
「……ミルシャ」
ミルシャと名乗った少女は諦めた様にため息をついた。
簡潔に自己紹介を済ませると、張り詰めた空気が少し和らいだような気がした。
「ミルシャ、その首輪をもう一度よく見せてくれ。もしかしたら何とかできるかもしれない」
俺が右手を伸ばすと、ミルシャは一瞬びくっと身体を震わせたが、今度は暴れるような真似はしなかった。
「どう? 外せそう?」
「無理だな」
リゼリィの問いにきっぱりと断言する。下手に外そうとすれば作動する可能性がある以上、何かを試すにはリスクが高い。
ミルシャが冷たい視線で俺を見つめていた。どうやら少し期待していたらしい。
「ま、まあ待て。外せないとは言ったが、他に手はある。ただ、成功する確率は高いと思うが、予想外の事が起こる可能性もないわけじゃない……それでも試してみるか?」
ミルシャは沈黙する。自分の命が掛かっていて、それも無残な死に方をするかもしれない。何より、目の前の
ミルシャが答えを出すまでゆっくりと待つ。聞こえてくる音はミルシャの荒い息遣いだけだ。
「……やって」
しばらくした後、ぽつりと漏れ出たのはそんな一言だった。
「いいんだな?」
決意を確認する為、再度問う。
「何をするつもりなのか知らないけど、嫌だって言った所でどうせ抵抗も出来ない」
うーむ、拒否されても試すつもりだったというのが見抜かれていたらしい。
「その代わりお願い。もし作動したら、その剣でアタシを殺して。腐って死んでいくなんて絶対嫌だから……」
「……分かった」
覚悟は受け取った。次は俺が応える番だ。
右手で首輪にそっと触れ、目を閉じる。緊張で手に汗をかいている気がする。余計なことは考えるな。冷静に、正確に術式を組み立てる。それだけに集中しろ。
たった数十秒の作業のはずなのに、とても長く感じる。
「よし、これでいい」
リゼリィとミルシャがほっと安堵のため息を漏らす。俺も同様だった。
「……何か変わったようには見えないけど」
睨むのやめろっての。その目怖いんだよ。
「ああ。無理に外そうとすれば作動するのは変わらない。ただ、魔力で作動する時はヒカリの魔力とは別に、俺の魔力も必要になるよう付け加えた」
これを外すとなるとミルシャに首輪をつけた張本人か、解除魔法に特化した専門家にでも頼まないと難しい。
ならば逆に作動条件を付け加える。これならば解除するよりはるかに簡単で、リスクも少ない。
仕掛け自体は単純なものだったのは幸いだが、所詮その場しのぎの手段でしかない。細工に気付かれれば簡単に解除出来てしまうだろう。
「もういいでしょ? アンタ達に協力するからさっさとこれを外して」
ミルシャが枷の嵌められた手足を突き出してくる。
「そうだな。リゼリィ、外してやってくれるか」
リゼリィが頷き、ミルシャについている枷を外す。
「アンタ達、馬鹿みたいにお人好しね!」
枷を外した途端、ミルシャが扉の前に立っている俺に向かって飛び掛かってきた。
「ああ、その首輪の事で一つ言い忘れてた事があるんだけど」
ミルシャはピタリと動きを止め、勢いを失った拳が空を切る。
「な、何なの?」
「ヒカリが作動させる場合は俺の魔力が必要だけど、俺が作動させる場合は別にヒカリの魔力は必要ない。どういう意味か分かるよな?」
ミルシャの顔がみるみるうちに青ざめていく。
「騙したのね!」
「お互いさまだろうが。そもそも助けてやるなんて一言も言ってないし」
まあ嘘だけど。さすがにそこまでの細工は出来ない。
この状況で俺とミルシャに信頼関係が生まれる事なんて、それこそありえないだろう。だが、これで簡単には裏切れない。
「じゃあリゼリィ、後は頼む。システィエ達の様子を見てくる」
「分かったわ」
システィエには別の部屋で侍女を監視してもらっている。あちらからも色々情報を聞き出さなければならない。
「ちょっと待ちなさいよ!」
ぐぬぬと歯ぎしりをするミルシャをよそに部屋を出る。それにしても元気だなぁ、あの子。
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