2 五十七回目の転移

 日本に無事帰還してから二週間が過ぎようとしていた。

 今日は日曜日。せっかくの休みだし、無駄に昼まで寝てみたり、徹夜で積みゲー消化したり、何もせずにだらだら過ごしたりするかなー、なんて予定を立てていたのだが。

 ……なんで早朝からジョギングしてるんだろ、俺。

 現在午前六時。どんよりとした曇り空が広がる。いい天気とは言えなかったが、たまに吹き付ける風が火照った体を冷ましてくれて心地よい。

 まったく習慣というものは恐ろしい。いつ召喚されてもいいように体力作りが日課になってるとはいえ、少しは体を動かさないと落ち着かないようになってしまっているとは。 

 魔法なんてものが存在する異世界でも、やはり基礎となる体力と筋力は重要なのだ。

「ただいま」

 俺の帰りを廊下で寝そべりながら待ちわびていた愛犬に声を掛けるが、無視される。

 拾ったのは俺のはずなのだが、何故かこの雑種犬は何をしても俺に全く懐かない。

 犬も好きだけど、どちらかというと猫派だというのがばれてるんだろうか。

「おかえり、悠誠。朝食出来てるわよ」

 愛想のない犬の代わりに返事をしてくれた母親が、騒がしく外へ出ていく。

「ああ、母さんも仕事頑張って」

 返事の代わりにぐっと親指を立てる母親。

 そんな母の姿を見ていると、迷惑ばかりかけている自分が情けなくなってくる。

 異世界の存在が周知の事実となって十年。地球は、驚くほど何も変わらなかった。

 現在でもこちらから干渉する方法が確立されていないし、あちらから干渉してくることもほとんどないので、無理もない。

 今でもその存在すら半信半疑の人が圧倒的に多いのだ。

 それでも母は何も責めず、何も問わずに俺の話を信じてくれている。

 これ以上迷惑を掛けたくないとは思うが、自分ではどうすることもできない。

 魔法がこの世界でも使えれば召喚魔法にも対策は取れるのだが、そう簡単にはいかない事情がある。こちらには魔力の源となる『マナ』が存在しない上に、魔法を使おうとする行為自体にかなりの制限がかかるからだ。

「いい加減なんとかしないとまずいよなぁ、ほんと」

 いくら考えても八方塞がり、というのが現状だった。

 俺は頭を掻きながら、朝食を取るべくリビングに向かう。

「やっぱりお母様の料理は格別ね。……もう一杯おかわりしようかしら」

 吸血鬼が茶碗を持っておかわりを悩んでいるってなんかシュールだな。

「……ご飯粒、ほっぺたについてんぞ」

「っ! お、おかえりなさい。帰ってたのね」

 リゼリィの頬が、白米とは対照的に赤く染まっていた。

 そこまで動揺しなくていいだろう、と思いながら自分の分のご飯を茶碗に盛るべく、炊飯器の蓋を開ける。

 いつも四合炊いているはずなのだが、半分くらいになっていた。

「焼き魚、卵、漬物、みそ汁、納豆。これで食が進まない方がおかしいと思わない?」

「いや、何も言ってないんだけど……」

 どうやら開き直る方向で行くことに決めたようだ。

 まあ納豆とかは軽く三杯くらいいけちゃう時あるよな。ちなみに、自分が食べてる時は気にならないけど、他人が食べてる時の臭いは許せない。

 俺がそんな納豆あるあるを考えながら席に着くと、リゼリィが俺を責めるような目つきで睨む。

「それはそうと悠誠。出かけるなら私も一緒に行くと、何度も言ってるはずなのだけど? また一人で召喚されたらどうするつもり?」

「それを言ったら、四六時中一緒にいないといけなくなるだろうが」

「それで何か問題があるの?」

 リゼリィは本当に分からないと言わんばかりに、首をかしげている。

 召喚される際に身に着けているものや手で触れている物等は、限度はあるが一緒に転移する。その為リゼリィに触れていれば一緒に転移可能だ。

 前回は一緒に転移出来なかったので、召喚魔法に必要な魔力を確保して呼び出したのだった。

 だが、俺だって健全な高校二年生なのだ。一人になりたい時だってあるし、一緒にいると意識してしまう事だってある。

「俺は一人でも戦える。今までだってそういう状況はあっただろ」

「それはそうだけど……何も出来ずにただ待っているというのは、やっぱり不安なのよ」

 リゼリィはそう言ってうつむいてしまった。

 外見や口調は大人びているし、頭もいい。だが俺と出会うまでのリゼリィは、生まれてからすぐに封印を施されて身動き一つ取れず、そして忘れ去られていた。

 外の世界にまともに触れられたのは、俺がその封印を解いてからの時間だけということになる。精神的にはまだ子供のようなものだ。

 多分、怖いのだろう。誰にも必要とされず、忌み嫌われ、忘れ去られる事が。

 そのせいか特に俺に対しては、少し依存しているような感じがある。

 俺はリゼリィの親代わりを出来るほど立派な人間ではないが、それでも見守っていく覚悟はとうに出来ている。それが封印を解いた俺の責任だろう。

「心配かけたのは悪いと思ってる。けどトイレや風呂にまで付いてこようとすんな!」

「善処するわ」

 こいつ、改善する気ないな……。

 俺はため息をつきながら、少し冷めてしまったご飯に手を伸ばす。

 その瞬間、体中に強烈な電撃を浴びせられたかのような鋭い痛みが走る。

「ぐっ……来たか」

 何度も経験した事のあるこの感覚は、間違いない。

「悠誠!」

 リゼリィが俺に手を伸ばしているのが、見える。

 俺はその手を握り、叫んだ。

「くそっ! まだ飯もほとんど食ってないし、シャワーも浴びてないのに! せめてジャージから着替えとくんだった!」

「怒りのポイント、そこなのね……」

 相変わらず空気の読めない召喚者を恨みながら、俺とリゼリィの体は召喚魔法の光に包まれていった——。

 

「……ここは?」

 俺は目の前に現れた光景に思わず驚愕する。

「牢屋のようね」

 とても頑丈そうな鉄格子に阻まれ、簡素なトイレやベッドだけが置かれた、薄暗く狭い部屋。その内側に俺達は立っていた。

 見た感じはどこかの地下牢だろうか。照明と呼べるものは、壁に付いているランプ一つだけだ。

 まあ牢屋に入れられるのは初めてじゃないんだけど、何度経験してもいい気分じゃないな。

 少し暗さに目が慣れてきたところで、気付く。

 床に書かれた魔方陣は俺を呼び出すための物だろう。そして俺の後方、壁際に目を向けた瞬間。

「うわっ! 人がいたのか」

 部屋の隅で、誰かが倒れているのが見えた。薄暗くて判別しにくいが、髪の長い女性のように見える。

 だが様子がおかしい。倒れたままぴくりとも動いていない。

「おい、大丈夫か?」

 声を掛けてから倒れている人におそるおそる近づき、顔を覗き込む。こんなかび臭い牢屋には似つかわしくない、上品そうなドレスと顔立ちの美人だった。

 しかし、俺の呼びかけにも反応する様子は全くない。

「だめね、もう死んでいるわ。呼吸していないし、心臓も止まってる。体内のマナも霧散しはじめているみたい」

 リゼリィはいつもと変わらない調子で告げる。

「嘘……だろ?」

「貴方も気付いているでしょう? この状況はあきらかに異常よ」

 そう、リゼリィの言う通り異常なのだ。

 おそらくこの倒れていた女性が召喚者なのだろう。しかし通常なら、熟練した魔術師を何人も集め、召喚に必要なその莫大な魔力を確保する。

 だが、この狭い牢屋にはどう見てもそんな者達は存在しない。代わりになるような物も見当たらなかった。

「まさか、生命力を魔力に変換してまで俺達を召喚した?」

「そう考えるのが妥当でしょうね」

 高位の魔術師ならそういった芸当も可能だというのは、聞いたことがある。

 自らの命を犠牲にしてまで、俺達に頼るしかないような状況なのだろうか。

 ともかく召喚者が既に亡くなっている以上、ここに留まっていても何も分かりそうにない。

「すぐにここから出たほうがよさそうだな。何故か見張りがいないのは気になるけど、好都合だ」

「ちょっと待って。少ししか残っていないけど、マナを頂いておくわ」

 そう言うとリゼリィは魔力で短剣を生成し、ゆっくりと女性の死体に突き刺す。すると女性の身体はみるみるうちにミイラのようになってしまった。

 リゼリィは自らの魔力で生成した武器で、他の生物の血液を吸収して魔力の源であるマナへ変換したり、マナそのものを奪ったりする事が出来る。リゼリィが吸血鬼と呼ばれ、恐れられる所以ゆえんだ。

 地球での吸血鬼のイメージとはかなりかけ離れているが、リゼリィいわく『牙で直接吸うなんて非効率的だし、近づくリスクもある。何より不味い』らしい。

「ごめんなさい。後で絶対供養しますので、祟らないでください!」

 今は戦力を少しでも増強させておくのが先決だ。俺は召喚者だと思われる女性に手を合わせ、祈る。

 どんな事情があったかは分からないが、命を懸けてまで俺達を召喚したのだ。それに応える前に死ぬことの方がよっぽど不義理だろう、と心の中で言い訳しておく。

「準備完了よ。少し離れてて」

 そんな俺の心情を露知らず、リゼリィは着々と脱出する準備を整えつつあった。頼りになりすぎて困る。

 リゼリィは集中し、マナを魔力に変換。その魔力で巨大な斧を生成する。先程の短剣とは比較にならない程の破壊力を持ってそうなそれを、慣れた動作で振りかぶる。

「あ、大きな音出すのはまず……」

 言い終わる前に、物凄く大きな音を立てながらばらばらになる鉄格子。

「え、何か言った?」

「いや、もういいです」

 まあ、他にいい案がある訳でもなかったんだけど。

 やはり人が来る気配はない。代わりに別のものが来たようだが。



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