1 何の変哲もない日常

「おお、異世界君。久しぶりだな」

 教室のドアを開けると、幼馴染の成瀬亮介なるせりょうすけが、俺を見つけるなり手を振りながら叫んだ。

「なんて嫌なあだ名だ……ストレートすぎるだろ」

 正直な所、日本にいる間くらいは異世界の事は考えたくないので、そんなださいあだ名はまっぴらごめんだ。

 良い思い出がない訳ではないのだが、嫌な思い出の方が圧倒的に多い。

「その顔見ると今回も大変だったみたいだな」

「ああ、思い出したくもない」

 俺が苦い顔をしながら答えると、亮介もそれ以上深く聞こうとはしてこない。

 あの礼儀正しい女王がとんでもない腹黒で世界の覇権を握ろうとしてたとか、世界を滅ぼそうとする変な宗教団体に邪神復活の生贄にされかけたとか、その他諸々を記憶の隅に追いやりながら亮介の後ろ、教室最後方の窓際の席に座る。

 六月に入り、もう梅雨時だというのに珍しく晴天だ。窓から差す日光が心地よく、ついまどろんでしまう。

 ホームルームまではまだ時間がある事だし、軽く眠るのもいいかもしれない。

「おい。寝る前にやる事あんだろ?」

 既に机に突っ伏して寝る準備は万端だったが、にやりと笑う亮介に阻まれる。

「ほれ、お前が休んでた間の授業ノートな」

 山積みとまではいかないが、結構な数のノートが俺の机にどさっと置かれる。

「お前、俺を追い詰めるのが趣味なの? ドSなの? この鬼め!」

 見た目茶髪のチャラ男で勉強なんて大嫌いのように見えるのに、こういう所は変に真面目なんだよなぁ、なんて思いつつ親友の心遣いに密かに感謝する。もしこいつが女だったら惚れていたかもしれない。そこは可愛い女の子のポジションだろ、普通。

「留年するよりましだろうが。というか、よく進級できたよなぁ……」

「来年の今頃はお前の後輩になってるかもな」

「いや、笑えねぇから。それ」

 思いっきり引かれていた。

 実際、出席日数が足りていなかったので補習を受けなければならなかった。進級できたのは奇跡的と言えるかもしれない。

 そんな他愛もない会話を続けていると、今回も無事に帰ってこれたんだなぁという実感が急に湧いてくる。

 今までは思いもしなかった、この平凡な日常が何より嬉しいと思う反面、召喚される生活に慣れてしまっている自分が怖い。

 最初は泣いて帰還を喜んでくれた母さんも最近では『ああ、また異世界行くの? おみやげよろしくね』とか言い出す始末。もはやコンビニに行くのと同レベルくらいの扱い。

 とはいえ、それは俺が絶対に異世界で起こった事を詳しく話さないようにしているのが原因なのだが。

 いくら親しい人だと言っても、言いたくない事はある。

 親しいからこそ、言えないこともある。

 だから、こうしてギャグのように消化してくれたほうが正直助かる。

「そうだ、合コンやろう」

「いや……そんな京都にいこう、みたいなノリで言われても」

 亮介は真剣な表情で俺の肩をポンと叩く。

「俺がお前にしてやれる事は気晴らしくらいだからな。話したくない事を無理に聞き出すつもりはねぇけど、もうちょい気ぃ抜けよ」

 いつもと変わらないように振る舞っていたつもりなのだが、何か表情に出てたのだろうか。

 小さい頃から兄弟のように育ってきたせいか、亮介にはいつも見透かされてしまう。

 とはいえ、その方法が合コンである必要性が感じられないのだが、まあ理由は大体予想がついている。

「という訳で、他のメンバーは用意しておくから……リゼリィちゃん、誘っといてくれよ?」

 亮介は周りを警戒するようにひそひそと耳打ちしてくる。

 言われて、俺は同年代というには少し大人びた外見をしている少女を、ちらりと見る。

 この世のものではないのではないか、と思わせる程——実際この世界の人間ではないのだが——端正な顔立ちをした自分の相棒パートナーを。

 そのすらっとした長身や、肩までかかる美しい銀髪も、そんな印象を抱かせるのに一役買っているのだろう。

 どうやらクラスメイトとは仲良くやれているようだ。女子達と楽しそうに談笑している。

 親しい友人が亮介しかいない俺よりよっぽど馴染んでるな……。

「前にも言っただろ。無理だ」

 リゼリィとは最初に召喚された世界で出会って以来、色々な世界で相棒として共に戦ってきた信頼できる仲間だ。ただ、それ以上の関係はない。

 無理だと断言する理由は別にある。

「あいつは、異世界の吸血鬼なんだぞ?」

「それでもいい。むしろ吸われたい!」

 だめだこいつ……もう手遅れだ。

 だが、これ以上変態になる前に目を覚まさせてやるのが親友というものだろう。

「よく聞け亮介。あいつは長年封印されてたんだ。つまり……分かるな? その割に結構子供っぽいとこもあるし、大食いだ。他にも……スタイルいいし美人だし頼りになるしあんな相棒パートナーを持って幸せだなー」

「へぇ。なかなか面白い話をしているわね、二人共?」

 途中、後ろから殺気のようなものを感じたのは気のせいではなかったらしい。

 振り向くと、先程まで廊下側の席にいたはずのリゼリィが腕を組んで俺達を見下ろしていた。優しげな微笑みが恐ろしい。

 あの距離から気付かれずに背後を取れるとか忍者か何かですかね……もしくはどこぞの星で瞬間移動でも体得してきたんだろうか。

「ま、まぁまぁ落ち着いてリゼリィちゃん。こいつも照れてるだけだって」

 亮介がすかさずフォローに入るが、時既に遅し。

「ちなみに、合コン話の辺りから聞こえていたから。どちらかというと、怒っているのは亮介、貴方に対してよ? 正直言って、気持ち悪い」

「全部聞かれてた⁉ 完全に嫌われた……」

 相変わらずストレートな物言いだなぁ。気持ち悪いのは同意する。

「……まあ悠誠も貴方と話している時はリラックス出来ている様だし……そこだけは、感謝しているわ」

 俺の知らない間に、ツンデレ要素までマスターしつつあった。

 その言葉で、KO状態だった亮介ががばっと起き上がる。

「よし、じゃあ放課後いつものファミレスに集合つーことで!」

「立ち直りはえーよ! というか、まだ行くなんて一言も言ってない」

「でも、息抜きは必要よ。合コンっていうのはよく知らないのだけど、行きましょうよ」

 意外なことにリゼリィは乗り気のようだ。絶対断ると思ってたのに。

「決まりだな。じゃ、そういうことで!」

 亮介はいそいそとメールを打ち始めた。多分、他のメンバーとやらに連絡を取っているのだろう。

「……さっきは悪かったな。諦めさせる為とは言え、言い過ぎた」

 亮介に聞かれないよう、小声でリゼリィに話しかける。後半部分も本心ではあるのだが、そこは恥ずかしいので言わない。

「あの程度で悪口のつもりだったの? まあ事実だし、別に怒ってるわけじゃないわ。それに」

 リゼリィは一呼吸置いてから、真剣な表情で呟く。

「例え悠誠に嫌われたとしても、付いていくって決めてるから」

 そう言って立ち去ろうとするリゼリィに、何と答えればいいのか、一瞬悩む。

「……俺をそんなに、信用するなよ」

 そう呟いた俺の一言は、ホームルームの開始を告げるチャイムにかき消された。

 

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