その23 ”勇者”との戦い
――何故、自分はここに立っているのだろう。
そう自問して始めて、自分の軽率さに呆れる。
てっきり、自分は畳の上で死ぬモノと思っていた。
それがここにきて、もっと劇的な死に方をするかもしれない訳で。
勉強に疲れたときにする妄想にしては悪くないが、現実問題としてそれに直面した場合の気の滅入りようといったらない。
――暴力。
――刃物。
――殺し合い。
まったく、冗談ではなかった。
嘆息しつつ、自身の手のひらを眺める。
これまで、本を読んだり、文字を書いたりするためだけに使ってきた手を。
人を殴るために使ったのは、中二のとき以来だろうか。
――うまくやれるか?
考えてみる。答えは出ない。
ただ、最善を尽くせば報われるという確信があった。
何せ、こっちにはスーパーヒロインがついているのだ。
軽く準備運動を済ませて待っていると、……まるで、そうあることが必然であるかのように、見たことのある顔が現れる。
ふらり、と。
どこかおぼつかない足取りで“木人”の住む村へと歩く旅人。
その顔には、はっきりと見覚えがあった。
――“勇者”。
――彼女は、首をはねられました。
――首を。
――はねられました。
思考がフラッシュバックする。
腹部に手を遣る。
――大丈夫。穴は開いていない。
男とも女ともつかない、金髪碧眼の顔。
相変わらずその表情には、どのような感情も読み取れなかった。
さて。
――どういう風に喧嘩をふっかければ、雑魚キャラっぽく見えないだろうか。
そんなことを、頭の隅で考える。
数秒ほど時間をかけてみたが、結論は出なかった。
準備運動で、少しだけ乱れていた息を整える。
“勇者”は、光久の手前十メートルほどに達しても、足を止めようとしなかった。
どうやら、光久の存在など路傍の石ほどにも捉えていないらしい。
少しだけ、自尊心を傷つけられていた。
――俺は昨日、お前に殺されかけたんだぞ。
“勇者”は、殺意のこもった視線に目を合わせようともしない。
ただ、目を伏せたまま、よたよたと歩を進めるだけだ。
その歩調には、長旅の疲れが滲んでいる。
あるいは、昨日からずっと歩き続けなのかもしれない。
むろん、合原光久の知ったことではなかった。
“勇者”の姿が、目と鼻の先まで近づく。
手先が震えた。この期に及んで勇気が出ない。
光久の背後には、“木人”の街がある。
動悸が早くなる。深呼吸。
“勇者”は、光久を避け、真っ直ぐに街へと向かう。
すぐ隣を、“勇者”が歩いて行く。
同時に、人さし指を、きつく噛んだ。
自身を奮起させるために。
「――おい」
ぼそりと、呟く。
「――………………………」
すると、“勇者”の歩みが止まった。
相手の顔を見てはいけない。
見てしまうと、躊躇が生まれるから。
闘争が始まったのは、その次の瞬間であった。
振り向きざま、光久は全身全霊の力を込めた右拳を、“勇者”の頭部目掛けて振り抜く。
それが、“勇者”の左頬に直撃した。
同時に、
ぐきり。
と、拳から嫌な音がする。
どうやら、殴った方の拳が折れたらしい。
当然の現象。鉄で鉄を叩けばどうなる? 両方共傷つく。そういうことだ。
一拍遅れて、“勇者”がぐらりと地に倒れ伏す。
「――ッ!」
同時に、光久の右手、中指に激痛が走った。
もっとも、問題はない。代わりに、野郎の頬骨を砕いてやった。ダメージは向こうの方が大きいはず。
素早く、“勇者”の手が、腰に差した剣に伸びる。
大したもので、かなりのダメージを受けてなお、まだ反撃する気力があるらしい。
抜かれたら形勢逆転だ。それはわかる。が、光久はそれを、意識的に無視した。
――奴の武器はあたしが抑える。光久は、取り押さえることに集中して。
事前に打ち合わせした通り。
魔衣の“念動力”が働いているのだろう。“勇者”の剣は、ぷるぷると不安定に震えるだけで、鞘に固定されたままだ。
意識を切り替える。魔衣が稼いでいられる時間は無限ではない。
狙うのは、後頭部。
脳を揺らして、意識を奪う。
――ふと。
中学二年の頃まで、近所の空手道場に通っていたことを思い出した。
親に言われて、嫌々ながら通っていた道場だったが、そこで学んだ大切なことが、二つほどある。
一つ。下手に殴り合うくらいなら、逃げた方が良い結果をもたらすことが多いこと。
二つ。後頭部に衝撃を与えると、割と簡単に人間の意識を奪えること。
何度か、タチの悪い先輩に実験台にされたことがある。
それ故、やり方だけはよく知っていた。
――思いっきりぐーぱんを叩き付けてやれば良い。
それで万事解決だ。
痛む右手で勇者の髪を引っ掴み、残った左手を振り上げる。
と、その時。
光久の腹部に、何かが触れた。
同時に、昨日の出来事が鮮明に蘇る。
喉の奥からあふれ出る血の味まで思い出された気がして、
「ひっ!」
反射的に飛び退いた。
よろめくように、数歩。
視線を向けると、たまたま、剣の鞘が触れただけらしい。
恐れるまでもないことだった。
――はっ、と。
光久はもう一度、意識を戦闘に集中させる。
“勇者”は、罠から辛うじて抜け出したウサギのような歩調で距離を取り、剣に手を遣っていた。
「光久っ!」
草むらから、魔衣の悲鳴が上がる。
「急いで! もう持たない……ッ!」
魔衣の“念動力”は、万能の力ではない。
特に、“剣を鞘に固定する”というような繊細な力加減を必要とする場合、それは顕著だ。
――多く見積もっても、抑えられるのは十秒くらいかしら。
息を呑む。
もう一度、組み伏せている時間はなかった。
反射的に手を伸ばしたのは、……昨日、マン=タイプOから借りたままの《抗重力装具》。
光久は、そのダイヤルを、目一杯、ひねる。
《装具》が唸った。鬼が威嚇するような駆動音がする。
「おおオオオオオオオオオオッ!」
満身の力を込めて、地面を蹴る。
同時に、“勇者”の鞘が閃いた。……剣を抜いたのだ。
その瞬間、魔衣の作戦は失敗に終わったことがわかる。
だが。
もはや、光久にも自身の身体を止めることはできそうにもない。
――やるしかない。
これで仕留める。
満身の力を込めた左拳を突き出しつつ、
「……お返しだッ!」
後々思い返しても、わりと格好良く叫べた気がする。
――拳が見事に空を切り、頭からぶつかっていったことを差し引いても。
そこそこ、サマになっていたはずだった。
* * *
「ある種の“
あの時、魔衣は確か、そう言っていた。
「これは推測なんだけど、“勇者”の故郷って、“善”と“悪”がかなりはっきりと区分けされたセカイだったんじゃないかしら?」
「そういうセカイ出身の“かんなり”は、総じて、普段の力を抑えて生活しているの。“善”なるモノを傷つけず、“悪”なるモノのみを選んで仕留められるように」
「シキナもそうね。あと、……光久はまだ会ってないけど、イヌガミくんって子がいて。その人とも少し似てるわ。“戦闘態勢”を取ることで、力を発揮するタイプ」
「奴は自分の身体を、――何か、“魔法”のような力で強化していたように見えたわ」
「剣をね、こう、鞘に収めたの。そうしたら、その力は消滅していた」
「よーするに。“戦闘態勢”を取る前、剣を鞘に収めている状態なら、“勇者”は怖くないってこと。……簡単でしょ?」
それから少しだけ間を置いて、俺の質問。
――その話、“魔女”たちにはしなかったよな? と。
魔衣は悪戯っぽく笑って、
「せっかくだし。手柄を取られたくなかっただけよ」
そんなふうに応えた。
(2015年2月7日 記)
* * *
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