その22 未来視
逆さ吊りのレストランを出ると、ずっと待機していたらしい二匹の飛竜が、嬉しそうに唸り声を上げた。
対する光久たちは、
――あんまり仲良くなかった同級生の葬式、みたいな。
いわば、そういう雰囲気に包まれている。
「今から戻っても、朝食は片付けてあるな……」
シキナが物憂げに言い、
「食べて帰るか」
と、決断した。
光久は、足下にあるレストランに視線を送る。
「ここで?」
すると、シキナが「くっくっく」と、軽く笑みをこぼした。
どうやら、また無知故の失敗をやらかしたらしい。
「それは止めたほうがいい。“魔女”と食事を共にすると、後悔することになるぞ」
「……どういう意味です?」
「連中、なんでか甘いものしか食べないんだ。身体がそういう仕組みになっているらしい」
一瞬、からかわれているのかと訝る。だが、シキナの口調は真剣だ。
「前にごちそうになったことがあるが、しばらく胸ヤケが止まらなくなった」
「それじゃあ、どこか行くあてでも?」
「もちろん」
シキナは微笑む。
「良い店を知ってる。そうじゃないと、こんなことは言い出さないさ」
* * *
“木人”とちゃんと顔を合わせたのは、あの時が始めてだったな。
なんと言ったか、……街の名前は失念したが、そこの酒場では、美味いハンバーガーとポテト・チップスを出すらしくて。
ちなみに、“木人”というのは“造物主”が最初に作ったとされる知的生命体だ。
そのせいか知らんが、連中、少しばかり個性に欠けるところがある気がする。
うまく説明できんが……、RPGに例えるなら、典型的な”村人”のイメージ?
こういうこと言うと失礼かもしれないが、みんなちょっとモブキャラっぽいっていうか、そんな感じがするんだよな。
この世界は、『イワンのばか』に出てくるみたいな理想的な共産主義社会って感じの文明が築かれていて、そこに住む人々も、奪わず、争わず、晴れた日には畑を耕し、雨の日には詩を詠んだり、音楽を奏でたりして過ごしているようだ。
そんな“木人”たちの寿命は、およそ五十年前後。
十代前半に親の紹介で結婚し、二十歳になるころには、子供を二、三人、必ず産むという。
彼らは総じて、植物のように静かで、穏やかな人生を送ることを信条としていた。
これといって体系化した宗教がないのも特徴で、ただ、“かんなり”を見かけると、手を合わせて拝む決まりがあるらしい。
どうやら、幸運を呼び込むウサギの一種とでも思われてるみたいだ。
(2015年2月7日 記)
* * *
丘陵に建つその街並みは、でたらめにクレヨンで塗ったような色合いをしていた。
飛竜が、ゆっくりとその街の入り口へと舞い降りていく。
そこは、これまで光久が見た中でも一番大きい”木人”の集落だった。
“木人”たちの生活レベルは、近場に住む“かんなり”の影響を受けることがままあるという。
それでいうと、ここはずいぶん発展しているように思えた。
これは、レミュエルたちが“木人”に協力的であることを意味しているらしい。
「……よし、ありがとう。もう戻って良いぞ」
シキナが顔をぽんぽんと叩くと、二匹の飛竜が鳴き、再び大空へ向かって飛翔を始めた。
すると、“木人”たちが光久の回りへと集まってくる。
老人が三人。
若者が一人。
好奇心旺盛な子供が、――十人弱ほど。
みな皮膚が浅黒く、緑髪だった。
「やー、やー。ごくろうさん」
シキナが満面の作り笑顔で、彼らに挨拶する。
すると、枯れ枝のような老人たちが、ずいぶんありがたそうに手を擦り合わせた。
「ようこそ……ようこそ……“かんなり”さま……」
それはどこか、念仏を唱えているかのようだ。
「あーっと。その。……お疲れ様です」
光久は決まり悪く、会釈をする。
すると、“木人”の老婆は、さもありがたそうに深々と頭を下げた。
少し面食らって、
「ひょっとして俺たちって、なんか信仰の対象だったりするのか」
「ええっと」
魔衣が、人さし指を口元に当てる。
「人にも寄るけど。そういう一面もなくはないわ。だってほら。あたしたちって、一応“造物主”サマに選ばれた存在なわけだし」
複雑な気分になった。
選ばれたと言っても、光久の場合、自分の才覚を買われたわけではない。
誰かにありがたがられる云われはないのだ。
「”かんなり”さま……お手を……」
かなりの高齢らしい”木人”が、よろよろと光久の前まで現れて、そっと手を差し伸べる。
どうやら、握手を求められているらしい。
光久はぎこちなくそれに応えた。
くしゃくしゃの顔が、にんまりとした笑みに変わっていく。
「ありがとう……ありがとう……」
「ほら、光久。スマイルスマイル」
魔衣に後押されて、
「ははははは……」
引きつった笑みを浮かべた。威厳に満ちていたかどうかは自信がない。
「それじゃ、二人とも……いくぞ」
ひとしきり挨拶を済ませたシキナが、先導するように前を進む。
光久は、大喜びでそれに続いた。
いいかげん、尻のあたりがむずむずし始めていたのである。
「ちょっと待って」
だが、そこで、魔衣が光久の腕を引っ張った。
「ねえ、シキナ。あたしたち、少し寄り道して行くわ」
「……ん?」
首を傾げる。
――今、食事を摂る以上に大切なことなど、この世に存在するだろうか?
そう思えたからだ。
「なんだ。君ら、物陰で接吻でもする気か?」
「そんなとこ」
同時に、文句を言いかけた光久の口が停止する。
「えっ?」
「……なぬっ?」
光久とシキナの表情が一致した。
二人揃って、顔に”驚愕”の二文字が浮かんでいる。
「ホホーウ、ナルホドナルホドォー。それじゃ、先に言っておこう。……ええとその。あんまり長引かせないようにな。……あっ。いや別に、長かったら長かったで、きみたちの自由だけど」
「シキナ。己れたち、どうやら邪魔者みたいだぜ。さっさと行こう」
タコ型の“かんなり”が気を利かせた。
「う……ウム……あっ。一応、ポテト・チップスは先に頼んでおくから。これがウマいんだ。ほんと。私が考案した作り方を実践していてな、……」
「ほら。シキナ、行こうぜ」
二人はすぐそばの酒場へと消えていく。
「これでよし、ね」
それを見送ってから、魔衣はつかつかと歩き出した。
光久の手は、しっかりと握られたままである。
――な。なんだ、この急展開は。
呆然として、彼女の唇に目をやった。
ぷっくりしたピンク色で、とても柔らかそうに見える。
心臓は、早鐘のような音を立てていた。
――どうしよう。どうすればいい?
こういうとき、なんと言うのが正解なのだろうか。
男子校生活が長い光久には、キスの経験がなかったのである。
――最初から舌を入れたりするのは、やはりルール違反なのだろうか?
わからない。見当もつかない。
ただ、子供は少なくとも二人は作ろうと思った。
あと犬を飼おう。
「急いで」
少女が早口に言った。
どうやら、ずいぶんことを急いているらしい。
ちなみに、おおよそ光久も同様の気持ちである。
二人は“木人”の街はずれに在る森の奥まで歩いて、周囲の視線から身を隠すように屈み込んだ。
「光久。……落ち着いて聞いてくれる?」
「何を隠そう、」
光久はそこで言葉を切った。重々しく。
「いまこの宇宙で、俺より落ち着いている人間は他にいない」
「……そう。なら、安心した」
安堵の吐息の後、魔衣は目と鼻の先にある道を指さし、
「今から、――“勇者”がそこを通るわ」
「なに?」
「“
一瞬、光久はぽかんと口を開けた。
その後、取り繕うように「ああ、……そのパターンのやつね」と呟く。
「ええと。……“未来視”か?」
精一杯想像力を働かせて、訊ねる。
「うん」
当然のように、少女はうなずいた。
「それでね。“勇者”はこの道を、ずーっと歩いて行って、ちょうどシキナたちが居る店に入るの」
「それで?」
「戦闘になる。……だけど、シキナは負けるわ。胴をけさがけに斬られて死ぬ」
実際に見てきたかのように言う魔衣。
――いや。
彼女は、その出来事を一度、“実際目にして”いるのだ。
普通の女の子が口にした言葉なら、何かの妄言だと一笑に付していたかもしれない。
だが、あいにく魔衣は“普通の女の子”ではない。
思考が混乱する。
つい今し方まで目の前にあったごちそうを、突如として現れた闖入者に火炎放射機で黒焦げにされたかのような。……言わば、そんな気分だ。
「シキナさんが……死ぬって?」
魔衣はうなずく。
「それって……」
続く言葉を見失う。
哀しい、とは違う気がした。
シキナと過ごした時間は長くない。
少し面倒見のいい、年上の女性だという印象しかない。
そういう人が、魔衣の話す未来では、……虫けらのように命を散らすという。
「そんなの、納得できん」
ようやく見つけ出したその言葉に、魔衣も同意した。
「ええ。だから、あたしたちはここに来た。……“未来視”は、現状、もっとも“そうなる”可能性の高い未来を覗きこむ能力なの。あたしが見た未来では、あたしたちはシキナと食事をしていた。ここに来た時点で、すでに少し未来は変わっているはずよ」
「待てよ。……その前に、本人に危機が迫っていることを伝えてやったほうが良かったんじゃないか?」
「止めた方がいいと思う。あの人は、自分の身が危険にさらされるからって、この街の“木人”を見捨てるような人じゃない」
たしかに、と、光久は顔をしかめる。
――ヤツは殺人鬼だ。何をしでかすかわからない。
何せ、ハンカチを貸そうとしただけなのに、腹を刺されたのである。
片っ端から虐殺される“木人”の姿が、容易に目に浮かんだ。
……と、なると。
光久は、消去法で導き出された答えに、愕然とする。
「俺たちが止める他にない、と?」
魔衣がやろうとしていることを、ここにきてようやく理解した。
「あたしたち、ヤツには借りがあるわ。……違う?」
光久の口元に引きつった笑みが浮かぶ。
――借りがあるとか、ないとか。
そういう少年漫画的な価値観と目の前にある問題は、まったく別次元に思えたからだ。
すぐそこに、人殺しが迫っている。
――ならば、警察に通報すべきだ。それが常識だ。
だというのに。
少女の話では、最も原始的、かつ暴力的な手段で事態を解決させるのだという。
――冗談ではない。
そう思った。
……だが。
「勝算は?」
気付けば、そんなふうに訊ねている。
「なければ、最初からこんな話はしないわ」
「よし、……やろう」
我ながら、まったく正気の沙汰ではなかったが。
“正気”や“常識”が、この世界で生き抜く助けになるとも思えなかったのだ。
空を見上げると、太陽が満面の笑みでこちらを見下ろしていた。
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