その21 魔女の社

 飛竜による旅路は、思ったよりも快適だった。

 何ごとも慣れである。

 目的地に着く頃には、タコの吸盤になんの抵抗も感じなくなっていた。


「着いたぞ」


 前をのぞき見て、思わず息を呑む。


――これまで、結構な量のばかげたものを見てきたつもりけど。


 まだ十分ではなかったらしい。

 それだけ、その建物の外観は常軌を逸していて、ヘンテコな形をしていた。

 単純に、見たままを表現するならば。


――小洒落たイタリアン・レストラン。

――それを逆さ吊りにして、空中に浮かせたもの。


 “魔女”より連想されるものからずいぶんかけ離れたを見て、光久はぽかんと口を開ける。


「なんだ、これ」

「あれが“魔女”たちの“社”だ」

「それはわかるんだけど。どういう理由で、あんな珍妙な形をしてるんだ?」

「……ああ。そりゃ、《SEP効果》のためだろう」

「なんだって?」

「《他人ごと効果Somebady Else's Probrem》。原始的なナンセンス・フィールドだな。ヒトの脳みその盲点を利用することで、その存在を気付かれにくくするんだ。ふだん“魔女”どもは他者と交流を持たないから、今は己れたち用にフィールドを開いてくれているんだろう」

「へえ……」


 なんとなく納得して見せる。言葉の意味は半分も理解できていなかった。

 飛竜が大きく羽ばたき、ゆっくりとレストランの上に降り立つ。

 逆さ吊りのレストランの天辺は、殺風景な真っ平らで、大雑把に白いコンクリートが塗りつけてあるだけだった。

 見回すと、中央のあたりに、出入り口と思しき小さな開き戸がある。ご丁寧に、矢印つきで「IN!」という文字も。


 シキナを先頭に、一行は順番にレストランへと入っていく。

 外見的に、さぞかし立派なウェイターに出迎えられるのだろうと思っていたが、そうでもなかった。建物の中はがらんとしていて、さながら閉店間際のようだ。

 飾られている各種ワインのボトルを眺めつつ、光久たちは、レストランの中を進む。

 ぜんたい、ごちゃごちゃとした印象を受ける店であった。だが、不思議と見慣れない感じはしない。


 とかげのしっぽとか。

 こうもりの羽だとか。

 毒々しい色の各種薬品だとか。

 “魔女”から連想されるその手のモノは、一つも見当たらなかった。


 ただ、店の看板には、『ビチグソ井戸に投げ込み大臣のおみせ』と在る。


「びちぐそを、井戸に……?」


 これまで培ってきた美的感覚を冒涜された気がして、少し凹む。


「ナンセンスの一環だな。あまり気にすると、こっちの頭までおかしくなるぞ」


 タコの怪人が注意する。こう見えて、後輩の面倒見は良い方らしい。

 光久はうなずき、マン=タイプOの背中を追う。

 奥へ進むと、窓際の席に三人の少女達が座っているのが見えた。

 テーブルの上では、紅茶が湯気を立てている。ずいぶん甘い香りのするお茶だ。


 “魔女”たちはどれも、見覚えのない顔だった。昨日出会った、ピンク髪の“魔女”、――美空らいかの姿は見えない。

 どうやら、彼女は欠席らしかった。


「……しばらくぶりだな」


 シキナが挨拶をすると、


「ですねー♪」


 “魔女”の中の一人が、謳うような口調で応える。

 機能性よりもデザイン重視、といった感じの制服を纏った“魔女”たちの髪色は、いずれも色彩豊かだ。

 白髪、青髪、金髪。

 わかりやすく色分けされた“魔女”たちは、それぞれ全く別の表情で、光久たちを見上げる。

 白髪の“魔女”は、笑いながら。

 青髪の“魔女”は、怒りながら。

 金髪の“魔女”は、悲しみながら。


「おはようございます、シキナさん♪ ……それと、皆さん。今日は急にお呼び立てしてしまって、大変申し訳ございません♪」


 話しているのは、白髪の“魔女”だ。


「あなたが、合原光久さん?」

「ええ、……まあ」

「私、七色はくやと申します♪ よろしくね」


 と名乗った少女が、微笑みながら握手を求める。光久たちは、素直にそれに応じた。


「そういえば、あのピンク髪の子が見えませんけど」


 便所か何かですか? と、続く言葉に、はくやが穏やかに応える。


「彼女は、首をはねられました」

「クビ……?」


 一瞬、言葉の意味を計りかね、聞き返す。


「ええ♪ 、皆さんを呼んだのです」

「……ええと。つまり、あの娘は?」


 我ながら酷い愚問だった。

 生き物が首をはねられた場合、どうなるか? さすがに想像するまでもない。


「死にました」


 がつん、と、頭を拳骨で叩かれた気がした。

 決して、彼女に好感を抱いていた訳ではない。だが、それでも、最近話したばかりの人間の死に触れるのは、あまり気分の良いモノではなかった。


「何か……」


 勢い、言葉が出る。なるべく黙っていようと思っていたのだが。


「何か、彼女にしてあげられることは?」

「何か、ですって?」

「お墓に花を供えたりとか。葬式をするなら、香典とか……」


 すると、三人の“魔女”たちの口元に、――よくよく気をつけなければ見逃してしまうほど僅かな――笑みが生まれた。


「“魔女”は、お墓を作りません♪ 原則、お葬式もしないのです」

「そうなんですか……」


 言いながら、少しだけ頬が紅潮する。

 どうやら自分は、彼女たちの常識からは外れた質問をしたらしい。


「悲しむ必要はありません。一般的に、“かんなり”の魂は、天球に昇るとされています。美空らいかちゃんの魂は、在り方が変わっただけで、まだ、ちゃんと存在しているのですよ♪」


 果たしてそうだろうか?

 魂云々の話はよくわからないが、少なくとも、死者を弔うことに理由は必要ない気がした。


「……下手人は、“勇者”ですか?」


 シキナが言葉を挟む。それ以外にない、とでも言わんばかりの口調だ。


「ええ、恐らく」

「恐らく?」

「私たちにも、詳しいことはよくわかっていないのです。――ただ、彼女の部屋に残された手帳によると……」


 言いながら、謎の軟体動物っぽいキャラクターがプリントされた手帳をめくる。


「彼女が、最後に会う予定を立てていたのが、――“勇者”という“かんなり”と……」


 “魔女”たち三人の視線が、光久に集まった。


「合原光久くん♪ 貴方でした」

「……俺?」

「ええ♪ 手帳には、“この前のお詫び”、とだけ。……心当たりは?」


 瞬間、光久の脳裏に、あの日の屈辱が蘇る。


 だが。


――……お詫び、か。


「ええと、まあ。……あるっちゃあ、あります」


 ああ見えて、そういう殊勝な一面もあったのだろうか。

 場が、感傷的な空気で、しんと静まりかえる。

 なんと言えば良いか、見当もつかなかった。

 金髪の“魔女”が、テーブルに突っ伏してしくしくと泣き始める。


「しかし。……あのピンク髪は、良き仲間ではなかった。そうだろう?」


 シキナが無感情に言う。


「ええ♪ ……らいかちゃんは、確かに危険思想の持ち主でした♪」


 笑みを浮かべたまま、はくやは、仲間の非を認める。


「危険思想?」

「はい♪ 気に入らない“かんなり”には片っ端から喧嘩をふっかけたり、他にもまあ、なんやかやで生き物を殺してみたり。……とにかく、週一で殺しをしないと満足しないような人でしたね♪」


――なんてやつだ。


 さすがに閉口する。


「……で? あんたたちの望みはなにかね? “勇者”の首をはねて、ここまで持ってこいっていうのか?」

「アハ、アハ、アハ♪ それも一つのユーモアですね」


 が軽快に笑う。


「不義理に思われるかも知れませんが、私たちは復讐を望みません。それをあなた方に依頼することもしません」

「ふむ……」

「しかし。……“魔女”を殺すような力を持つ“かんなり”を放置しておくわけにもいきません。ご存じの通り、この世界は一片の夢のようなもの。“亀を起こす”ようなマネは、なるべく避けられるべきなのです」


 なるほど。亀を起こす、か。

 合原光久は、それが何かの比喩でないことを知っている。


 嘘か真か、この世界は昼寝中の亀の背中に乗っかってできているらしいのだ。


「それで? 君たちは、“勇者”を見つけて、どうする?」

「少なくとも、殺しは私の主義ではありません♪ “悪役ヴィラン”は屈服させるものです」

「それはまた。……殺すよりもよっぽど難しい」

「とにかく、牙を折る必要はある、とは感じています。本日、皆さんから“勇者”の情報を手に入れたいのは、そういうことでして……」

「なるほどな」


 シキナは納得したらしい。光久も概ね事態を了解した。

 魔衣だけが、少しだけ難しそうな表情をしている。


「減るモノじゃなし、あたしは構わないけど。その代わりに一つ、条件を出しても構わないかしら?」

「なんなりと♪」

「美空らいかの血が欲しいの。ほんの数滴でいいわ」


 それを聞いて、光久は少し首を傾げる。


――血? いま、血と言ったのか?


 実は吸血鬼だった、とか、そういう設定?


 はくやにしても、これは想定外の質問であったらしい。

 ふーむ……と、“魔女”が小さく唸る。


「ごめんなさい。らいかちゃんの身体は、故郷の風習に従って、焼いてしまったわ」

「ああ、――そうか。間に合わなかったのね……」


 と、あからさまに落胆する魔衣。


「どうしても、らいかちゃんの血でないとダメ?」

「うーん。どうかしら。それについては、私も、あんまり詳しい訳じゃないのよ」

「答えたくなければ、答えなくていいけれど♪ ひょっとして、“試練”関係かしら♪」


 魔衣は、浮かない顔でうなずく。


「私の“試練”、……“ホムンクルスの精製”だってさ。あんまりにも非科学的過ぎて、材料を調べるだけで、ずいぶん時間がかかったけれど」

「ああ♪ なるほど♪」


 それで合点がいった、とばかりに、白髪の”魔女”は両手を合わせる。


「“フラスコの中の小人”ですね♪ 私も小学生のころ、夏休みの自由研究で作りました。懐かしいなあ」


 “魔女”にしてみれば、子供の工作レベルの“試練”というわけか。


「他の材料なら、いくらでも揃えられるけれど。うーん。らいかちゃんの血、かぁ……」

「あの娘の血というか。……要するに、“罪人の血”ね」


 魔衣は少し悩んでから、言葉を付け加える。


「たまたまあたしの持ってる情報で、条件に合いそうなのが、あの、らいかって娘だったの。だから、あの娘とはしばらく、追いかけっこをする関係だったわ」

「そりゃあ、大変だったでしょう♪」


 はくやは笑った。


「らいかちゃんって、自分の血を見るのが、何よりも嫌いでしたから♪」

「確かにね……」


 魔衣の表情は暗い。

 過去に舐めさせられた苦渋を思い出しているかのようだ。


「――なんにせよ。ここで、“罪人の血”を、手に入れるのは難しいです♪ ホムンクルスの材料になりえるほどの人材は、わたしたちのセカイでも保護されていたくらいですし♪」

「へえ、そうなんだ」

「はい♪ ホム作りの秘訣は、想像を絶するくらいクソッたれた外道の血を使うことにありますから♪ ……あ、それと、精水はなるべく新鮮なものを入れてあげてね♪ そのへん、出してくれる男の子に当てはあるの?」


 “魔女”の意味深な視線を受けて、光久の表情が少し曇る。


――せいすい? 聖なる水ということか?


 しかし、“出してくれる男の子”とは、どういう意味だろう。


「うひゃあっ!」


 すると、なぜだか魔衣は、顔を真っ赤に染めて、大仰に両手をばたばたさせた。


「その辺は……その。こっちのタイミングで言うから! ご心配には及ばないわ!」

「あら、そう♪」


 いたずらっぽく笑う“魔女”。


「あああ。えっと! それよりっ! なんか他に、コツとか、教えてもらえると助かるんだけど」


 魔衣が、いささか強引に話題を変えた。

 それから、二、三、専門的なやり取りがあった後、やはり“罪人の血”が一番の障害らしいことがわかる。


「……その、漫然とした、“罪人”っていうの。どこらへんが基準なの?」

「死んだ子供の肉をシチューにして、その親に食べさせるくらいかしら♪」

「ううぅっ……」

「ここいらでその手の“罪人”を見つけるのは、少し骨が折れるでしょうね♪ ”木人”は、びっくりするくらい善人揃いだし♪」

「やっぱ、そうかぁ……」

「ごめんなさい♪ お役に立てなくて」


 魔衣も、そこまで強く期待していた訳ではなかったのだろう。少し項垂れただけで、態度を持ち直す。


「やれやれ。また振り出しかぁ」


 その後、お互いに必要な情報を交換し終えたのは、一時間ほど経ったころだろうか。


 軽い談笑の末、三杯目のお茶のおかわりを飲み干したあたりで、……ようやく一行は、“魔女”たちから解放される。


――思ったより、”魔女”って話がわかる連中だな。


 それが、光久の最終的な印象であった。

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