その20 エルマーの見た光景

 ノックの音がした。


 として、ベッドから身を起こす。

 一瞬前まで、泥のように眠っていた気がした。


 合原光久は、決して眠りの浅い方ではない。

 むしろ、一度寝始めるとこんこんと眠り続けるタイプである。

 だが、この世界に訪れてからどうだ。

 控えめなノックの音で、蜂に刺されたみたいに目を覚ます始末である。


 なんとなく、腹部を撫でる。

 予期せず腹に刃物を突き立てられてからというもの、時折こうして確認しないと気が済まないのだ。

 もちろん、そこに穴は空いていない。


 鏡で確認したところ、うっすらとした傷痕が残っていたが、それだけだ。

 レミュエル爺さんの話によると、その傷さえも、二、三日中には消えるらしい。この世界の薬は、光久のいた世界の薬よりもよっぽど効き目があるらしい。


 もう一度、ノックの音がする。


 光久が寝ていたのは、元はこの船の乗務員が使っていたと思しき小部屋であった。

 この、一艘の船の形をした“社”には、この手の部屋が大量にあって、客を泊めるのに困ることはほとんどないらしい。


「どうぞ」


 光久が応えると、扉が開かれた。

 立っていたのは、西部劇から抜け出してきたかのような格好をしたブロンドの女性。

 その顔には見覚えがあった。昨晩出会った、――たしか、名はシキナと言ったか。


「ハロー、セップク・マン」


 光久は苦笑いで応える。


「どうも、シキナさん」

「うむ」


 シキナは重々しくうなずいた。


「朝っぱらからでスマンが、少し付き合ってくれるか」

「構いませんが。……なんです?」

「“魔女”から呼び出しがあってな。連中の“社”まで来て欲しいらしい。……“魔女”のことは知っているんだったな?」

「ええ……」


 思わず、表情が曇る。

 昨日一日で、二度も死ぬような思いをした。

 そのうち一回は、他ならぬ“魔女”を自称する少女が原因なのだ。


「呼び出してきたのってひょっとして、ピンク髪のやつですか?」

「わからん。ただ、上水流魔衣と、合原光久を指名しているな」


 光久は首を捻った。呼び出されるにしても、心当たりがない。


「でも、なぜなんです?」

「どうも、“勇者”絡みらしい」

「は?」


 光久は眉をひそめた。


「夕べ、君の腹を刺したヤツのことだ」


 ああ、と、納得する。


「あいつ、……“ユウシャ”って言うんですか?」

「らしいな」

「変わった名前ですね」

「いや。どうやら、元いた世界の通称らしいな」

「……通称って。本名はわからないんですか?」

「別に珍しいことじゃないぞ。“役割”を名前の代わりにするセカイは少なくない。特に、その“役割”が唯一無二のものであればあるほど、それが名前の代わりになる」

「そういうモンですか」


 光久は顔をしかめる。


「……でも、野郎のどこらへんが、“勇者”なんでしょう」


 光久が知る限り、“勇者”とはヒーローの代名詞だ。

 通りがかりの男子高校生の腹部に剣を突き刺すような輩がつけられていい称号ではない。


「知らん。異世界の価値観は様々だからな……」


 深くため息をついた後、――光久は立ち上がる。


「“魔女”の“社”は、遠いんですか?」

「そうでもない。三十分ほどで着く」


 シキナはそれだけ言って、背を向けた。壁に掛けていた上着を引っ掴み、光久もそれに続く。

 しばらく”社”の中を進むと、廊下の奥から、にょろにゅるにょろにゅるとタコの怪物が現れた。その後ろには、寝ぼけ眼の魔衣の姿も見える。


「そうそう。セップク・マンにこれをプレゼントしよう」


 ふいに、シキナが一着の革のジャケットを放った。


「着ておきなさい」

「……ん?」


 ジャケットは、見たところ冬物だ。


「はあ。……ありがとうございます」


 一応、礼を言っておく。

 昼間の暑気から想像するに、これが必要になるのは当分先に思えるが。


「それと、これも」


 続いて手渡されたのは、鷲の目のような形をした、ずいぶんゴツいゴーグルだ。


「あとこれ。のどが乾いたら飲みなさい」


 ずいぶん頑丈そうな、金属製の水筒。

 見ると、魔衣も、同じものをもらっている。

 少女は、ぶかぶかのジャケットを羽織りながら、


「おはよー……」


 ふにゃあ、と、猫のような欠伸をした。

 昨日も思ったが、彼女、あまり朝が強い方ではないらしい。

 扉を開けて、朝露に湿った朝の空気を吸い込む。


 そこから少し歩いた後、ふいに、ピーッと、二度、シキナが高く指笛を吹いた。

 視線を空へ向ける……と、森の向こうで、二匹の竜が、巨大な羽を羽ばたかせているのが見える。

 この世界に来て四日目。

 そろそろ、こういう光景にも慣れつつあった。


 黄緑色の鱗をした飛竜の背中には、鞍のようなものが取り付けられている。

 二人乗りができるらしく、座る場所は二つ。

 シキナが、素早く飛竜の一匹に飛び乗った。

 それに続いて、もう一匹の飛竜には、タコの怪物がにゅるりと乗る。


「さあ。後ろに乗りなさい」


 少し、魔衣と目を合わせる。

 視線だけで「どうぞお先に」と言っているのがわかった。


 一瞬だけ迷った末、――タコが乗っている方の飛竜を選ぶ。


 修学旅行の時、一度だけ馬に乗ったことがあったが。

 竜の背中は、それよりも二回りほど大きい。

 少し身体を揺さぶってみても、身動ぎ一つしなかった。

 このような巨体が空を飛ぶ、などと。

 とてもではないが、信じられない。

 光久の知る物理法則に反していると思う。


「……意外だな」


 ふと、シキナが呟く。


「何がです?」

「健全な男子なら、私の方を選ぶと思っていたよ」


 言って、シキナはシニカルな笑みを浮かべた。


「こういうときは、気を遣うように教育されてきたんです」


 言いながら、早くも忍び寄ってきた「後悔」の二文字を打ち払う。

 光久の目の前では、タコ型の化け物の触手がうごめいていた。

 見たところ、他に掴まれるような場所はない。

 どうやら、これからしばらく、彼の身体とぴったりくっつく必要があるらしい。


「……魔衣、君の彼氏は、デカい乳には関心がないようだな」


 シキナは、好意を持っている女の子に聞かせるものとしては最悪の部類に入るジョークを口にして、飛竜に鞭を打った。


「へー。そうなの?」


 魔衣のあどけない視線が痛々しい。

 応える間もなく、光久が乗る飛竜にも鞭が入った。

 どす、どす、と、音を立てながら、視界が前へと進んでいく。


「舌を噛むなよ」


 タコの怪物が、ぶっきらぼうに気遣う言葉を口にして。


 ――ざっ!


 風を切る音。

 二匹の飛竜は、ほぼ同時に飛翔を始める。


「おおッ!」


 思わず声が上がった。

 注意されたにもかかわらず、危うく舌を噛みそうになる。


「うおおおおおおおッ! すげえッ!」


 ふいに。

 小学生の頃、『エルマーとりゅう』という本が好きだったことを思い出した。

 竜に乗って空を旅する少年の物語だ。

 想像していたよりも、頬に当たる風が痛かったが。


――俺は、この光景に憧れていたのか……。


 万感の思いで、朝焼けに染まる“はじまりの世界”を眺める。

 後ろを振り返ると、あれだけ大きかった帆船が、ちっぽけなミニチュアに見えた。


 タコの化け物に抱きついていることを差し引いても、なかなかどうして、悪くない気分だ。

 もらったばかりのジャケットの前を締め、ゴーグルをかける。

 数分もせずに、喉がからからになった。

 常に突風に身をさらしているからだろう。

 

――なるほど、だからか。


 納得して、先ほどシキナから与えられた水筒の中身をぐいっと飲む。


「グボッホォッ!」


 すぐさま、空に向けて中身を吹き出した。


「うわ、もったいねえ」


 タコが冷静に呟く。


「これ、酒だぞ、おい!」

「少量のエチルアルコールが含まれているだけだ。なんだお前。呑めんのか」

「……俺の世界では、お酒は二十歳になってからっていう決まりがあってだな……」

「ははっ!」


 タコの怪物が吹き出す。


「それがマジなら、さっさと慣れた方がいい。ウチの“社”の連中は、どいつもこいつも、蟒蛇だからな……」

「なんだ、ウワバミって」


 新しい種類の怪物の名前だろうか。


「大酒飲みってことさ」


 マン=タイプOは、笑いながら応えた。


*        *        *


 八本の赤銅色の触手に、まん丸の頭。ギョロ目が二つに、頭の上には毛が三本。

 野郎の名前は、マン=タイプオー

 自称、“超文明人”。

 自分以外の“かんなり”のセカイ全てを“原始社会”と評するタコ野郎だ。


 ヤツの居たセカイでは、ありとあらゆる人類社会の存続に必要な業務は完全に機械化されているらしい。そこでは、人類はその人生の93%を“ギム教育”と呼ばれる、哲学的な人生の探求によって過ごしているのだという。


 マンは、そういう社会の中で作り出された、子守用のロボットだ。

 本来、もう少し感情移入しやすいヒト型ヒューマノイドであった、……というのは、本人の談。

 現在、藤子・F・不二雄がキャラデザしたみたいな外見をしているのは、“造物主”による“試練”の一環らしい。

 “その身体で五年間、面白おかしく生きてごらんなさい”というのがその内容だ。


 “はじまりの世界”に来た当初のマンは、もう少し陽気な性格だったらしいが、タコとして日々を過ごすうち、すっかりやさぐれた性格になってしまったのだという。

(2015年2月7日 記)


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