その19 幕間劇『勇者』

 六十二匹目の竜を斬り捨てると、ようやく森が静かになる。


 旅人が中空に剣を振るうと、びしゃりと音を立て、足下にどす黒い血が撥ねた。

 ゆっくりと剣を鞘に収め、一体、飛竜の死骸を掴む。


「――……」


 そこでは、……旅人の理解を越えた事態が発生していた。


――死んだ魔物の肉体は、魂と共に消滅するはず。


 そして、その跡には、何らかのアイテム、あるいは金貨ゴールドが残る。

 それが、世界のことわりのはずだ。

 だが、ここではそういう当たり前のことさえ起こらない。


 少しだけ、頭が混乱している。

 こんなふうに、いつまでも死骸が残るのであれば。


――…世界はいずれ、魔物の死骸で埋め尽くされてしまうのではないか?


 だが、せっかく生まれ出たはずの疑問も、次の瞬間には失っている。

 そういうことが、この数十年間、ずっと続いているのだ。

 長く、……気が遠くなるほどに長く、生きすぎたせいである。


 本来の自分の名前を、忘れてしまうほどに。


 “勇者”。


 今もその呼称が、他ならぬ自分を指すということだけは覚えている。

 百年に一度だけ復活する、魔王を封印する。

 それが“勇者”の使命であり、ただ一つの、生きる意味であるはずだった。


 しかし。

 この奇妙な世界に訪れてから、どうだろう。

 旅人はすでに、一年以上こうしてあちこちを放浪している。が、未だ、理解の及ばない事象が、数多く起こっている始末だった。


――辛い。


 とは、思わない。

 そういう感情は、長い旅の途中、どこかに遠くへ捨ててきた。

 旅人はまた、本能の赴くまま歩き続ける。


 そうすることで、何かしらの事態イベントが進行するはず。


 これまで、ずっとそうであった。

 これかもそうであるに違いない。

 ふと、空を見上げる。

 すると。


 虹色の輝きとともに、一人の少女が現れた。


 その顔には、……かろうじて、見覚えがある。

 以前、“魔女”と名乗った娘だ。 


「ドーモ、オコンバンワ」


 “魔女”はにっこりと笑いながら、“勇者”の目の前に着地する。

 そして、馴れ馴れしく歩み寄ってきた。


「以前、ご依頼していた件、……果たしてもらいにきました」


 その手が、”勇者”の胸元に伸びる、――

 次の一瞬。


 “勇者”の得物、……“雷鳴の剣”が一閃、“魔女”の首元を斬りつけた。

 手応えがない。

 瞬間、数歩ほど飛び退く。

 ほぼ同時に、…… “勇者”の胸元から、どばっと血液が流れ出た。


――強い。


 恐らく、これまで戦ってきた何人かの魔王と肩を並べる程度には。

 おかしな話である。

 世に魔王を越える力を持つ生き物は、“勇者”を除き、存在してはならないはずだ。


 だが、この者は。


 “魔女”は奇術師のように嗤う。


「貴方は強い。力だけなら、“造物主”様に及ぶホドに」


 彼女は、心底から感心しているように見えた。


「ナレバコソ。……ワタシの、最期の餌になって頂きマス」


 言葉の意味は、よくわからない。

 “魔女”も、理解を求めて言葉を発している訳ではないらしい。


 どこか遠くで、けものの慟哭が聞こえた。

 血の臭いは、竜を引き寄せる。

 このままでは、かろうじて勝てたとしても、竜の群れに追われるだろう。


 旅人の口元に、薄く笑みが浮かんだ。

 長く生きすぎたせいで、感情を記憶のどこかにおいてきてしまったが。

 この時ばかりは、血が踊るのがわかる。


 魔物を殺せば殺すほど、新たな経験となる。

 そして、それらの経験は、旅人の力となるのだ。


 この危難を乗り越えれば、またひとつ、前へ進めるレベルが上がるだろう。


 世界は、少しずつ善くなっていくはずだ。

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