その16 レベル上げ

*        *        *


 あの旅人が“勇者”と呼ばれる“かんなり”だと知ったのは、それから少し後になってからのことだ。

 “かんなり”はそれぞれ、自分の生きてきた世界のルールを基準に行動する。

 あの時の“勇者”は、“レベル上げ”と呼ばれている異常行動に耽溺していた。


 フィールドを歩き回り、魔物とエンカウント。

 経験を積んで、体力がなくなったら回復。

 ゲームを嗜む身の上ならば、誰もが通る道の一つだ。

 そんな単純作業に、気付けば異常に集中していて、――回りの出来事が耳に入らなくなることがある。


 今になって思うのだが。


 あの時に俺が受けた仕打ちは、つまるところ、の延長線上にあったのかもしれない。


(2015年2月6日 記)


*        *        *


 掲げられた剣に、一閃。

 天を裂くような稲光が、当たりを駆け巡る。

 旅人が、ここぞとばかりに剣を振るうと、黒雲が、果てしなく巨大な一個の生命体であるかように唸った。

 そこから先は、ほとんど瞬きをする余裕もない。

 雲から降り注いだ雷光が、四方八方に跳ね回り、竜の群れを撫でる。

 耳を塞ぎたくなるような断末魔の絶叫が、周囲に満ちていった。


「うわっ」


 光の鞭は、光久の足下にまで及ぶ。

 瞬く間に地面が炭化していくのを目の当たりにし、背筋が凍った。


――そうだった。


 ここでは、誰かのウッカリで命を落としても、少しも不思議でないのだ。

 遺されたのは、黒焼きになった飛竜の死骸だけ。


――動物虐待。


 自然とそういう言葉が頭に浮かぶ。

 もっとも、やらなければ、やられていたのは旅人の方だったかもしれない。

 こんな世の中だ。何が正しいのかは検討もつかなかった。

 そこで始めて、旅人と目が合う。


「あーっ……」

「……………………」


 彼(彼女?)は、一言も口を利かなかった。

 気まずい沈黙。

 気付けば、助っ人の役目を完全に奪われ、――自分が何をしに来たかも見失っている有様である。

 少なくとも、これで馬車を迂回させる必要はなくなったわけだが……。

 息の詰まる沈黙の後、光久は、こう言って切り出した。


「やあ。怪我はない?」

「……」


 返答はなかった。

 金髪碧眼の旅人は、怜悧な視線で、ただ、光久を見つめている。

 こういう手合いは苦手だ。


――そっちから話題を提供しろ。


 そう命ぜられている気がした。


「あのぉ……」


 少し悩んだ後、言葉を紡ぎ出す。


「ほっぺた。……返り血で濡れてるぜ。ハンカチ、貸そうか?」


 精一杯の厚意を口にして、ポケットをまさぐる。

 が。


――ずぶ、と。


 まったく予期せぬタイミングで、腹部に違和感を覚えた。


「んん?」


 光久はそれを、半ば、他人事のように見る。


 剣。

 先ほどまで旅人が振り回していた、刃渡り一.五メートルほどの長剣が。

 ロールプレイング・ゲームの設定資料集でしか見たことのないようなデザインのそれが。


 自分の腹部に、深々と突き刺さっているのだ。


「な……っ?」


 あまりの出来事に、そう言うのが精一杯だった。

 光久の中にある、もっとも根本的な部分から力が抜けていくのがわかる。


――ハンカチを貸そうとした。

――その返事とばかりに、旅人は剣を投げた。

――それが腹に刺さった。


 起こった出来事を端的に説明するならば、そうなる。

 がくん、と、足下から崩れ落ち、仰向けに倒れる。

 太陽が、どこか心配そうな表情でこちらを見ていた。


 気味が悪いほどに痛みはない。

 ただ、異物感だけがあった。

 首をゆっくりと動かすと、金髪碧眼の彼(あるいは彼女)が、虫けらでも踏みつぶしたかのような表情で、剣の柄を握り、


――ああ、頼む、やめてくれやめてくれ。


 ずぅ、と、嫌な音を立てて、


――それをされちまうと、俺は。


 それを引き抜いた。


「…………ごふっ」


 肉が抉れ。

 血液が噴き出す。


――なんか、気に障るようなことでもしたかな。


 考えてみるが、思考は指の間から滑り落ちるようにまとまらない。


「きゃあああああああああああああああッ!」


 魔衣が、光久のいた世界の普通の女の子のような悲鳴を上げているのが聞こえた。


 この状況。

 ドラクエに例えるなら。


――ラダドームを探索後、最初のお使いさえままならず、最初の戦闘でスライムに殺される、……とか。


 そんな感じだろうか。

 どうやらそれが、合原光久という男の限界らしかった。

 のど元に、マグマのように熱い何かがこみ上げる。


 せり上がる血反吐。


 この時ばかりは、生来の臆病さが役に立った。

 その恐ろしい何かをはっきりと認識する前に、意識を消失させることに成功する。


――でもナンカ、スグ死にそうデスね、アナタ。


 耳元で、あの“魔女”の言葉が聞こえた気がした。

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