その17 魔法使いの老人

 ごぽ、ごぽ、と。


 何かが沸騰する音で目を覚ます。

 覚醒と同時に、オロロロロ、と、胃の中のものを全て吐き出した。


 そして、恐る恐る腹部に手をやる。

 少なくとも、穴は空いていない。


 全ては白昼夢であったかのように、――痛みも、異物感もなかった。


 周囲を見回す。

 そこはまるで、ファンタジー映画のセットのような部屋だった。

 むろん、見覚えはない。ハリー・ポッターの映画に出てくる校長先生の部屋がこんな感じだったな、という、朧気な印象があるだけだ。

 壁は革張りの立派な本で埋まっていて、何種類かの世界地図が、額入りで飾られている。


 どうやら、助かったらしい。

 あるいは、ここが天国か。

 そのどちらかだ。


――次に“造物主”と会うことがあったら、労災を申請してやろう。


 心の中で固く誓って、半身を起こす。


 と、

「おはよう」

 一人の老人が、タオル片手に現れた。


「ほら。これで拭きなさい」


 言われるがままそれを受け取り、口元を拭う。

 礼を言うと、老人はくしゃりと紙を丸めたように笑った。

 光久は、しばらく口をぱくぱくした後、


「俺は……?」


 ようやく、それだけ言う。


「安心しなさい。ちょっと死にかけていただけだ。なあに、


 老人はひょうひょうとして応えた。


「……あなたは?」

「医者だ」


 言いながら、不自由らしい足を引きずって、沸騰中のビーカーに向かう。

 ふと、その首に、金色の首輪が巻かれているのが見えた。


――“かんなり”だ。


  “かんなり”とされる者は全員、金色の首輪を装着させられているという。かくいう光久の首にも、同じものが巻かれている。装着感がほとんどないので、魔衣に指摘されるまで気がつかなかったが。

 老人は、沸騰したビーカーから赤黒い液体を一匙すくって、白湯に溶かす。


「飲みなさい。薬だ」


 言われるがまま、光久はカップを口に運んだ。

 少しだけ生臭い匂いがして、泥のように粘性がある。

 独特の風味に思わず吐き出しそうになるが、薬液とは元来、そういうものだと無理に納得する。


「……くっ……ごほっ」


 鼻をつまんで一気に飲み干すと、苦くもあり、少し辛くもあり。奇妙な味だった。


「……これ、どういう薬なんです?」

「北の方角に、黒い鱗を持つ巨大な竜がいる。そいつらの体内に、炎を作り出す袋状の器官があってな。それを煎じたものだ」


――起き抜けにわけのわからんもんを飲ませるんじゃねえ。


 もう少しだけ気力があったなら、そう言っていたかもしれない。


「効能は、美容、健康、活力の快復に怪我の治癒。ハラキリの傷も、すぐに良くなる」


 光久は苦笑する。

 いくらなんでも、今の一服で怪我が全快するわけがない。

 先ほど受けた怪我は、素人目に見ても致命傷だった。

 薬だけではない。

 きっと何か、――得体の知れない術が使われている。

 そういう確信があった。


「いちおう確認しときますけど。……ここ、天国とか、なんかそういう感じの場所じゃないっすよね?」


 老人は、少しだけ目を見開いた後、笑った。


「そこまで快適じゃない。それだけは保証するよ」

「そうですか。じゃあ、魔衣は?」

「まだ近くにいるんじゃないかな。行って、安心させてあげなさい。何せ、あんなに焦っている彼女を見たのは初めてだからね。土手っ腹に穴を空けた君を背負って、『すぐに治して!』ってさ。顔面蒼白だったよ」


 どうやら、今日だけで二度も彼女に命を救われたらしい。


「彼女は……、必死でしたか」

「うん。仲が良いんだな、君たちは」

「昨日、会ったばかりですけどね」

「時間は関係ないさ」


 ふいに、光久の中に暖かいものが流れ込む。


――ちょっと腹を刺されたくらいなんだ。大したことはない。


 少なくともその瞬間だけは、そう思えた。


「それと、……俺を刺したヤツは?」


――あの、金髪碧眼の旅人。


 何故襲われたのかも含めて、わからないことだらけだった。


「どこかに消えたらしい。厄介ものでね。我々も、目下のところ奴を捜索中だ」


 なるほど。

 光久は納得して、ベッドから起き上がった。

 自分でも驚くほどに身体が軽い。前より健康体になったのではないかと思えるほどだ。


「世話になりました。……ええと」


 光久が老人の顔を覗き込むと、


「レミュエルだ」


 取り立てて重要な事柄でもないように、老人は名乗った。


――レミュエル。


 その名前には聞き覚えがある。

 確か光久たちは、そういう名前の“かんなり”に会うために旅に出たはずだった。

 どうやら、意識を失っているうちに、目的地に到着していたらしい。



 レミュエルの部屋を出ると、手狭な廊下に出る。

 そこを抜けて下の階層に出ると、無理矢理当てはめたような扉が見えた。

 どうやら、そこが出入り口らしい。

 外に出て、建物を振り返ってみて、驚く。


 それは、一艘の巨大な帆船の形をしていた。


 小高い丘陵の上に、船。

 まるで、何かのコラージュ写真のような風景だ。

 これが、レミュエルの住む“社”らしい。

 船は、奇跡的なバランスで地面と平行になっている。

 船体の中ほどから船底にかけて、綺麗に地面に埋まっていた。


 どうすればこのような建物ができあがるのか、どういう理由でこんな造りにしたのか。

 光久には見当もつかない。


 最も、驚いてばかりもいられなかった。

 上水流魔衣を探さなければならない。

 今日だけで、一生使っても返しきれないような借りを作った気がしていた。

 光久は、特別に当てがあるわけでもなく、人影を追って巨大な船の周囲を歩く。

 そうしてみて初めてわかったのは、どうやら複数の”かんなり”が、この船を棲家にしているということだった。

 船のあちこちから光が漏れているし、マストを見上げると、何人分かの洗濯物が夜風に吹かれているのが見える。


 この世界に来てから見てきた、様々なものと同じく、――それは、奇妙な光景だった。


 “社”を一回りしたころだろうか。

 光久は、一人のカウボーイ・ハットを被った白人女性とすれ違った。


「――待ちなさい」


 呼び止められ、振り向くと、ランタンで顔を照らし出された。

 白人女性の胸についた金色の星形バッヂが、鈍く輝く。


「見慣れん顔だ。何者かね?」


 初めましての挨拶にしては、ずいぶん不躾な質問だ。不審者だと思われているらしい。


「合原光久と言います」


 光久は、なるべく丁重に聞こえるように、自己紹介をした。


「ほう。君が噂のセップク・マンか」


 どうやら、早くも妙なあだ名が付いているらしい。


「まあ、そんなとこです」


 女性は態度を軟化させて、微笑む。


「私はシキナ。この”社”の警ら担当だ。よろしく」


 そして、光久の右手を掴み、ぶんぶんと上下にシェイク。


「ところで……魔衣を見ませんでしたか」

「あの娘に会うのか?」


 シキナは、少しだけ妙な顔をして、首を傾げる。


「ええ」

「それなら、準備が必要だな」


 言って、シキナは、ヒュッ、と、小さく指笛を吹いた。

 すると、暗闇の中から、すうっと、奇怪な生命体が現れる。


「……ンだよ」


 生き物が口をきく。男の声だ。

 光久は、その生き物の外見的特徴を、もっとも端的に説明する言葉を知っている。


――タコ型の宇宙人。


 フィクションの世界ではもっぱら火星に住んでいて、しょっちゅう地球を侵略しに来るタイプのやつ。

 顔面の硬直が最小限度で済んでいるのは、我ながらめざましい成長だと思った。


「彼に、《抗重力装具》を貸してあげなさい」

「はあ? なんでれが」

「人の恋路を邪魔するな。馬に蹴られて即死だぞ」

「……チッ」


 タコ型の彼はどう見ても不服そうだったが、目の前の白人女性には逆らえないらしい。

 しぶしぶとベルト型の機械を取り出して、光久の方に触手を伸ばす。

 それを受け取る際、少しだけ彼の手に触れた。

 ちょっとだけ、ヌメッとしていた。


 ――おお、神よ。


 そろそろ、同年代の男友達とか紹介して下さい。

 恋の悩みとか、気軽に相談できるタイプの。


「彼のいた世界では、重力を制御する技術が進んでいるらしくてな。……これがあれば、普通の人間でも猿のように飛び回れる」

「へえ」


 簡単にその器具の操作法を説明するシキナ。

 光久は、さっそく《抗重力装具》を腰部に装着する。

 ひみつ道具を借りたのび太くんの気持ちであった。

 少しだけ、――わくわくしている。


「それで、魔衣はどこに?」


 訊ねると、シキナは無言で月の方向を指さした。

 首を傾げつつ、そちらに視線を向ける。


 そして、

「あっ……」

 と、小さく声を上げた。


 月明かりに照らされた、周囲よりも一際背の高い一本杉。

 そのてっぺんに、うっすら人影が見えたのだ。


「あれが魔衣だ。……どうだ、その道具が必要だろう?」


 シキナが微笑む。

 その時には光久も、目の前にいる三白眼の女性が見た目ほどキツい性格ではないことを発見していた。

 深々と頭を下げる。


「ありがとうございます。――そっちにいる、火星人の彼も」


 心の底から感謝の言葉を述べたつもりが、少し口が滑る。

 タコの怪物は、不服そうに応えた。


「……れは火星人じゃねえ。れっきとした地球人だ、猿の子孫のガキめ」

「ああ、ごめん……」


 素直に謝ると、シキナが呵々として笑う。


「なに、良くある勘違いさ」

「どうして、どいつもこいつも……」


 憎々しげに呟くタコを、シキナが励ますのだった。


「そう怒るなよ。H.G.ウェルズの仕事は、どの世界においても偉大だということさ」

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