その15 彼の者の名は

*        *        *


 道中の話題は、他愛のないものがほとんどだった。


 天気の話とか、好きな雲の形についてとか、嫌いな動植物に関する話題とか。

 お互い、しばらく行動を共にすると決めた以上、何らかの共通項を見つける必要がある。そう感じたからかもしれない。会話は思ったよりもはずんだ。


 ちなみに、魔衣はゴキブリが大の苦手らしい。

 可愛いところあるじゃないかと思ってよくよく話を聞いてみたところ、――彼女の居たセカイのゴキブリは、小さいものでも二十センチほどのやつがほとんどだったそうで。

 そりゃ苦手にもなるわな。




 ここでトリビア。

 馬車で移動中に書き物をすると、すげえ酔うので止めたほうがいい。


 ……あ、ダメだこれいったん、――(ここから先はミミズがのたくったような線になっていて読めない)


(2015年2月4日 記)


*        *        *


「……それ、具体的にどうやってんだ?」


 ふと、運転席に座る魔衣に尋ねる。


「ん?」


 急に話をふられて、魔衣が首を傾げた。

 やがて、光久の視線に気付いて、


「……ああ、これね」


 目の前でふわふわと浮かんでいる手綱を見る。


「うーん。どうやってる、って言われても。ちょっと答えづらいわ」


 そして、人さし指で中空に八の字を描いた。

 すると、手綱もそれに合わせてふわりと回転する。


――“念動力”、か。


 魔衣は、その力をそういう風に呼んでいた。

 そこに、種も仕掛けもないことは、今さら疑いようもない。

 “造物主”サマのお創りになったこの宇宙は、わりかしフレキシブルな物理法則で成り立っているらしい。


「やっぱ、わかるように説明するのは難しいと思う。ナメクジに二足歩行を教えるようなものよ」

「なるほど。俺はナメクジだったのか」


 この数時間で、言葉の綾に文句を垂れられる程度の関係は構築してきたつもりだ。


「あはは。そーいうつもりじゃなくて。そんだけ感覚がかけ離れてるって意味」


 そこで魔衣は、しばらく考え込む。


「強いて言えば、……そうね。頭の中に、指が無限にある手が、もう一本ある感じ?」

「……指が……無限に?」

「うん」


 なんとか想像してみようと試みるが、すぐに不可能だとわかった。


「老若男女問わず、そういう力が扱えるセカイか。……何をするにも、便利そうだ」


 何とはなしに、少女の故郷を褒めると、

「そうでもないわ」

 魔衣は、少しだけ寂しそうに笑った。


「扱える“神力”は人それぞれで、平等じゃないからね。力による差別・区別があたりまえのところだった……」


 何となく、触れてはいけない話題に触れた気がする。

 こういうことはわりと気が回る方だ。

 光久はそれとなく話題の本筋を逸らす。


「“神力”って?」

「君たちのいう、“超能力”のこと。あたしのいたセカイでは、そう呼んでたの」

「へー」


 確かに、そういう力が当たり前のセカイで、“超”能力というのは、少しヘンだ。

 宙に浮く手綱をぼんやりと眺めながら、光久は呟く。


「……それ、練習すれば俺にもできるようになるかな」


 覚えれば、何かと便利そうだ。


「たぶん、無理だと思う。セカイには、それぞれルールがあるわ。それは、“かんなり”も例外じゃない。あたしがどれだけ頑張っても魔法を扱えないのと同じよ」

「魔法……ね」


 魔法と超能力。そこにどういう差があるのか、光久には検討もつかない。


「ちなみにあたしたち、その魔法使いが管理してる“社”に向かってるところ」


 へえ。

 そのレミュエルとかいう”かんなり”は、魔法を使うのか。


「ちなみに、どういう魔法なんだ?」


 やっぱり、RPGに出てくるみたいな、火を放ったり雷を操ったりする類のものだろうか。


「見たことがないのでよく知らないけど、“死人と対話”できるらしいわ。もっとも本人は、魔法は片手間で覚えた程度で、本業は医者だって言ってたけど」


 光久は鼻を鳴らす。


――片手間で。

――死者との対話を。


 凄いセカイもあるものだ。

 何となく、テレビで見かける霊能者系タレントの顔を思い浮かべてみたり。


「で、そこに行った後は、どうする?」

「いろいろ。……あっ、光久の着替えも手に入れなくちゃね。さすがにずっと着の身着のままじゃ、マズいでしょ?」

「そうだな……」


 光久は、もうすでに土埃でくすみつつある学校指定のズボンを眺める。


――せめて、夏服で来たら良かった。


「それに、今朝言ったとおり、情報収集もね。君だって、少しでも早く帰りたいんじゃない?」

「……別に。そこまで急いでるってわけでもないけど」


 目をそらしながら、努めてそっけなく言う。頭には今朝の失態が浮かんでいた。


「またまたぁ。強がっちゃって」


 横っ腹を肘で突かれる。


「うるせえ」


 憮然として言うと、魔衣は心底おかしそうに笑った。



 それから数時間。単調な道のりが続いた。

 森。平原。時々、小さな人里。

 頭の上で、太陽が微笑んでいることにも慣れつつある。


 ぜんたい、気楽で、愉快な旅だと言えた。

 それはもちろん、魔衣といるのが楽しかったからに他ならない。


 灰色の男子校生活を送っていた身にしてみれば、この状況は、神様が与えてくれたプレゼントのように思えた。


 軽くまどろみつつ、ゆっくりと流れゆく風景を眺めていると、

「……んん?」

 隣に座る少女が、小さく唸った。


「着いたのか?」


 はっとして当たりを見回す。

 が、建物らしきものは見当たらない。

 どうかしたのかと思っていると、馬車を止めた理由がわかった。

 針葉樹に挟まれた進路上で、竜の群れが数十匹、跳ねているのだ。

 昨日も見かけた、“銀竜”の幼体である。

 キイ、キイと、ガラスに爪を立てているような鳴き声が、ここからでもよく聞こえる。


 身を乗り出し、目を凝らす。

“銀龍”は、何かを取り囲んでいるようだった。


「……んん?」


 自然、魔衣とまったく同様の唸り声が出る。

 取り囲まれているのは、どうやら一人の人間らしい。

 恐らく、光久たちと同じ、旅人だろう。


「……まずいんじゃないか、あれ」


 魔衣は応えない。

 ただ、黙って状況を見守っているだけだ。

 見知らぬ旅人は、刃渡り一メートル半ほどの長剣を振り回し、竜に応戦しているようだった。

 光久が見ている前で、迂闊に跳ねた“銀竜”の一匹が、胴体から両断される。


「ギェアアアアアアア……ッ!」


 竜の断末魔が耳を突く。あまり耳障りの良い音ではない。

 ぶしゃ、と鮮血が噴き出し、旅人のマントが紅く染まった。


「げ……ッ」


 思わず、うめき声が出る。

 それが明確に害意のある動物だとしても、殺生を目の当たりにするのはさすがに気分が良くなかった。


 続けざま、旅人が剣を振るう。

 断末魔と、血。

 “銀竜”の囃し立てるような鳴き声が、徐々に大きく、凶暴に広がっていく。


「……どうする?」


 魔衣は、少しだけ悩んだ後、


「迂回しましょう」


 決断する。


「出自のわからない“かんなり”と接触するのは危険だわ」

「なるほど」


 光久は納得する。


「……ってか、あいつも“かんなり”なのか」

「うん。この界隈で“木人”じゃない知的生命体を見つけたら、十中八九、異世界出身だと思っていいわ」


 そういうものか。

 腕を組んで、考え込む。


「なあ、魔衣。少しあの人と話してきてもいいか?」


 魔衣は、呆れたように言った。


「話、聞いてた?」

「ああ。……けど、見たとこ、多勢に無勢だし。手伝えることがあるかもしれない」


 言いながら、ひょいと馬車から飛び降りる。


「ちょ、ちょっと!」


 背後から、非難の声が上がった。


「軽い人助けだ。迷惑はかけないよ」

「もうかかってる! 迷惑っ」


 ぷんすか怒る魔衣を尻目に、光久は足早に竜の群れへと向かう。

 特別、強い動機に突き動かされているわけではない。

 ただ、次にこの道を通りがかった時、あの旅人の骸を発見する羽目になったとしたら、きっと後悔することになる。そう思えたからだった。


 大きく息を吸い込み、


「おおいっ!」


 声を張り上げる。

 竜の群れに対して、威嚇に聞こえるように。


「おーいッ! おおい!」


 竜の群れは、こちらに振り向きもしない。思ったより肝が据わっているらしい。

 さて、どうしたものか。

 思いを巡らせていると、


『――ライトニング』


 ぼそり、と。

 旅人が、男とも女ともつかない、中性的な声で呟いた。


 竜の群れに囲まれて、血塗れのマントをなびかせて。

 空高く、剣を掲げていた。


 びし、と、金色の光が、剣の先端に走る。


「……あ」


――ピクシブでみたことあるな、こういう感じの絵。


 ぼんやりとそんな風に考えていると、頭上にクレヨンで塗ったような黒煙が広がっていることに気づいた。


――何か、起こるぞ。


 半ば以上確信して、慌ててその場を離れる。


 予感が的中するのは、その次の瞬間であった。

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