その14 亀

『今朝はさんざんでしたね』


 “ショートケーキ”は、同情とミルクをたっぷりカップに注いで、テーブルに置く。

 朝食のサンドウィッチに噛みつきながら、光久は深く嘆息した。


「……こういうことって、多いのか、ここ」

『こういうこと、とは?』

「出会ったばかりの年下の女の子に、数百メートルほどぶん投げられたり、だ」


 ロボットは、少し言いにくそうに肩をすくめる。


『……そうですね。たまに、ですが』

「そうか」


 がつんと額を打って、光久はテーブルに突っ伏した。


「“かんなり”は、持っている力も、常識も、――根本的なところでばらばらなのです。そういった認識の差異が、大きな事故を生み出すことは少なくありません」


 目眩がする。

 一秒でも早く、元の世界に戻らなければ。

誰かのついうっかりで死ぬ羽目になってもおかしくない。


 一人、懊悩していると、

「オハヨー」

 腫れぼったい目を擦りながら、魔衣が現れた。


 彼女とはついさっき会ったばかりだが、この場合、「おはよう」という挨拶は間違っていない。“魔女”が去ったあと、魔衣は二度寝を決め込むと言って自分の部屋に戻っていったのだ。

 光久の命を救ったことなど、朝飯前の些事だと言わんばかりに。

 朝食の用意を進めるロボットの友人を片手で制し、魔衣は、テーブルの上に大きめの紙を広げた。


「朝ご飯の前に、今後の予定を発表するわ」


 少し使い込まれたそれは、地図のように見える。

 思考を切り替え、テーブルに広げられた古紙を注視。


――いいや。これ、よく見ると……。


 確かにそれは、地図に見えないこともない。

 だが同時に、一枚の絵にも見えた。


「……亀か、これ?」


 光久は、全体に描かれている生き物を指して、訊ねる。


「うん。この世界って、すっごく大きな亀の背中に乗っかってできているらしいの」


 魔衣が、至極当然のように言ってのけた。


「……はあ? それ、マジ?」

「大マジ」


 まあ、太陽に顔がある世界だ。

 今さら彼女の言葉を疑う気にはなれない。が、それでも苦笑いは漏れる。


「それでね。今日は、レミュエルの“社”に向かうつもりよ」


 そういって、魔衣は地図の一点をコツンと叩いた。

 山の頂上付近にある×印。

 そこには、綺麗な手書きのカタカナで、“レミュエル”とあった。


「前に会ったことあるけど、イイヤツよ」


 魔衣は、“レミュエル”について簡潔に説明する。


『……と、なると。しばらく、ここを空けるおつもりで?』

「ええ。世話になったわ、“ショートケーキ”」

『どういたしまして』


 光久が口を挟む。


「……ん? お前は来ないのか?」

『ええ。麓の村から、原始農耕の手伝いを頼まれているもので』

「そうか……」


 せっかくできた友人と離れるのは、少しだけ名残惜しい。


『しかし、急な話ですね』

「あの爺さんなら、元のセカイに戻る方法、知っててもおかしくないから」


 どうやら、気を遣われているらしい。

 深い嘆息混じりに思う。


――こりゃあ、もし帰還の方法がはっきりしたとしても、借りを返してからじゃないと帰れないな。


 今朝方に晒した間抜けが、多少なりとも光久の自尊心を傷つけていた。


「じゃ、そんな感じで。さっそくごはんにしましょ」


 魔衣が地図をしまうと、すかさずサンドウィッチの乗った食器が並べられた。



「……ふう」


 準備を終えて、一息吐く。

 旅支度は長くかからなかった。

 そもそも、手持ちのものが少ないのだ。

 電池切れの携帯。筆箱、ポケットサイズの辞書、学生証に、各教科のノート。

 それでも一応、鞄の中身を確認してから“社”を出ると、すぐそこに一両の馬車が止まっている。


「うわ。こんなの映画でしかみたことないぞ」

『少し前に、行商の“木人”からいただいたものです。古いですが、頑丈ですよ』


 馬車の座席を見て、苦く笑う。

 あまり広くはなかった。

 これでは、魔衣と身体を密着した状態で旅をするハメになるではないか。


 ……いや、まてよ?

 ………………密着、するのか。

 うん。悪くない。


『この世界では、馬車での移動が一般的です。早い内に慣れた方がよろしいですよ』


 倉庫に残っていた食料品を荷台に積みながら、“ショートケーキ”は言う。


『何人かの“かんなり”様に共通する感想を申し上げますと。“とにかく尻が痛い”そうで。光久様も、どうかお気を付けいただきたく』

「それ、どうやって気をつければいいんだ?」

『振動に合わせて、うまく腰を浮かしてみる、とか』

「……参考にするよ」


 犬のように馬車の周りをぐるぐる回っていると、魔衣が足早に現れて、ひらりと座席に乗り込んだ。


「夕方には着くわ。行きましょうか」


 時刻は朝の九時。着くのは夕方。

 少なくとも、六時間以上の道のりというわけだ。腰が痛くなるのも無理はなかった。


――鬼が出るか。蛇が出るか。


 念じながら、馬車に乗り込む。

 魔衣と、二の腕のあたりがぎゅっと触れ合った。

 するとどうだろう。

 不思議と、何ごとが起こっても、さほど悪いことでもないような気がしている。


「そんじゃ、行くわね」


 魔衣が、指揮者のように指先を振るった。

 すると、ふわりと手綱が浮き上がり、それ自体が意志を持つようにしなる。


「またな」


 機械仕掛けの友人に挨拶すると、

『お困りのことがあれば、いつでもお呼び付け下さい』

 彼は恭しく頭を下げた。


「はいよーッ、……とね」


 馬に鞭が入る。

 同時に、馬車が緩やかな速度で走り出した。

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