その13 空のお散歩

 強烈な風の音が鼓膜を叩いていた。


 後方に流れてゆく景色を視界に納めながら、光久は自らの死を直感する。

 全身が糸の切れた操り人形のように暴れて、思考が滅茶苦茶に混乱していた。


――何故、こんなことに?


 軽い背負い投げを受けただけのはずだ。


 美空らいか。


――“魔女”。


 風に紛れて、少女の嗤い声が聞こえた気がする。

 徐々に、地面が近づいてきていた。

 三半規管がレッド・アラートを鳴らす。


 合原光久には、……為す術がない。


 いっそ、意識を消失させてしまった方が、どれだけ楽だったか。

 秒ごとに近づく地面から、目が離せない。

 着地と同時に死ぬ。

 ぐしゃぐしゃになる。

 全身の骨を強かに打って、二度と立ち上がれなくなる。


 単純に、恐れがあった。

 じたばたと空中で身を躍らせていると、すぐ隣に、箒にまたがった美空らいかの姿が見える。


「調子はいかが?」

「――スッ! ……タス! ……スッ!」

「え? なーにー?」


――タスケテ。


 らいかは、珍獣の曲芸でも眺めているような表情だ。

 どうやら、光久の必死の思いは、毛の先ほども伝わっていないらしい。


「――ッ!」


 瞬間、神に祈った。

 あの、ちんちくりんの幼女に、ではない。

 もっとフワフワモヤモヤしたイメージの、誰もが崇め奉りたくなる感じの何かに、だ。


 やがて、――光久はきつく両目を閉じる。

 自身の肉体がタンパク質の塊になる瞬間、ほとんどの凡人がそうするように。


「――――――?」


 だが。

 終焉は、いつまで経っても訪れなかった。


「……ああ、もうッ!」


 頭の上から、悩ましげな声。

 見上げると魔衣の顔があった。

 彼女の細腕が、光久の胸部に巻き付いている。

 つぶれたトマトと成り果てる直前、彼女に受け止められたらしい。

 昨日見かけた、“念動力”というやつの一種だろうか、二人は地面から数メートルほどの高さでなんとか浮遊しているようだ。


「……それがアンタのやり口って訳ッ?」


 上水流魔衣の表情は蒼白だった。

 その口調は震えている。少し怯えているようにも見えた。


「あらあらあらあら。ないすきゃっち、デス」

「この……、外道ッ」


 魔衣は吐き捨てた。

 光久はというと、少しでも早く地面に降りたいと、一心に願っている。

 もちろん、なるべくそっと。


「そう怒らないで。軽いお戯れじゃないデスかぁ」


 “魔女”は、無邪気に微笑む。

 さっきじゃれついていた時と全く同じ笑みだ。


「でもまあ、ちょっぴりやりすぎマシタ。まさか、アナタが相棒に選ぶ人が、ここまでな方だとは思わなくって……」


 この場合の“無害”が、決して前向きな意味でないことくらい、光久にも理解できる。


「……能力より、人徳を重視する主義なの」


 中小企業の社長のようなことを言いながら、魔衣は顔を背けた。

 二人は、ゆっくりと地面に降りる。

 同時に、光久は自身の足腰が完全に役立たずになっていることに気付いた。

 どうやら腰を抜かしたらしい。


「……くそッ」


 毒づきながら、芝生の上に転がる。

 心臓が早鐘のように鳴っていた。


「アハ、アハ、アハハ。“恐怖”だとか、“死”だとか。そういうのとは縁遠いセカイからやってきたご様子デ」


 言いながら、“魔女”は光久に手を差し伸べる。

 光久はそれをはねのけた。

 こんな自分でも、人並みのプライドはある。


 なんとか自力で立ち上がると、

「うふ、うふふふ。嫌われてしまいマシタ」

 “魔女”は、特別傷ついた風でもなく、言った。


「嫌われものだから“魔女”と呼ばれるんでしょう? あたしのいた世界ではそうだったわ」

「酷いなア」

「用件が済んだなら、……さっさと消えなさい」


 魔衣が睨むと、ピンク髪の少女は少し大げさに驚いて見せた。


「……アレ? 今日は噛みついてこないのデ?」


 どうやらこの二人、以前からの知り合いらしい。

 ただ、少なくとも友人関係、という訳ではなさそうだった。


「消えなさい。……今日は、これっきりにしてあげる」

「ひょっとして、慌てて飛び出してきたから、“造物主”の賜り物ミスリルナイフ”を忘れてきた、とか?」

「だったらどうする? “社”まで取りに行くから、それまで待ってくれるのかしら?」


 “魔女”は失笑した。


「まさか。トンズラぶっこきマス」

「ふん」


 魔衣は、あからさまに不機嫌な様子で踵を返す。

 光久も、まだどこかフワフワしている足腰に活を入れつつ、彼女に続いた。

 少し歩いてから、念のため振り返る。


「――!?」


 目を離していたのは一瞬だけだったが、“魔女”はいつの間にか姿を消していた。


――まるで、狐に化かされたみたいだ。


 光久は大きく嘆息する。

 そして、


「……すまん。助かった」


 命を救ってくれた少女に頭を下げた。


「気にしないで。”相棒”でしょ」


 魔衣は優しい言葉をかけてくれたが、内心では不甲斐ない気持ちでいっぱいである。


「あいつ、……何者なんだ?」

「――ワルモノよ」


 魔衣は簡潔に応える。


「ここより少し北に、“四人の魔女”って呼ばれてる“かんなり”の“社”があってね。アイツはそん中でも一番危ないヤツ。へらへら笑いながら人を殺すから、気をつけて」


 そんな輩と、ついさっきまで密着してたのか。

 無知であるが故の行動とはいえ、背筋が凍る思いだ。


――この“はじまりの世界”で、まともな仲間を得るのが、どれだけ難しいか……。


 遅ればせながら、昨日の魔衣の言葉の真意を知る。


「……ああいうのとは、なるべく関わりたくねえな……」


 思わず本音を呟くと、

「ところが、そういう訳にもいかないのよ……」

 少女は、少し疲れたように微笑んだ。


*        *        *


 ロボット工学が盛んなセカイがある。

 超常の力を操る人々のセカイがある。


 それとは別に、――“魔女”と呼ばれる人々が、日夜怪物と戦いを繰り広げるセカイがあるという。

 あのピンク髪の娘は、セカイからの来訪者だ。


 奇妙なことに。

 この“はじまりの世界”には、似たような境遇・似たような能力の“かんなり”が四人も存在するらしい。


 それぞれ、生まれも育ちも違うセカイからの来訪者であるが、彼女たちは、どこか一様に似た性質を持つと言う。


 一つ。特殊なコスチュームを身にまとうことで、不思議な力を身につけること。

 二つ。感情の爆発力が、物理的な戦闘力に影響を与えること。

 三つ。十歳から十五歳までの女の子の容姿であること。


 全部で四人居るという“魔女”たち。

 自身のセカイで半神の如く奉られてきた彼女らは、皆、他者への共感能力に欠き、我儘で、生命を尊重する考え方を持たないらしい。

 元の世界では、それぞれ別の呼称をもっていたらしいが、――“はじまりの世界”において、彼女たちは、同じ“魔女”という呼び名を用いているという。

(2015年2月6日 記)


*        *        *

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