その12 美空らいか
胡散臭いくらいに雲一つない青空を眺めながら、合原光久はぶらぶらと“社”の回りを歩いていた。
朝の爽やかな空気を肺一杯に吸い込みながら、独りごちる。
「……暇だなァ」
緑深き異世界の風景を楽しむのも、そろそろ飽き飽きしていた。
今はただ、故郷の排気ガスに汚染された空気が愛おしい。
なにせ、ここには光久が愛する娯楽類が、ことごとく存在しないのだ。
オギャアと産まれて十七年、ネットと古本集めを趣味にして生きてきたが。
……ここにきて、新たな生きがいを開拓する必要に迫られていた。
最近は、簡単な手記をつけ始めている。
これは思ったよりも面白く、良い暇つぶしになっていた。
――だがなぁ。
ため息交じりに、これまでの手記を読み返してみる。
――これを元の世界に持ち帰ったとしても、ガキの戯言だと思われておしまいだろうな。
「ハァ……」
後ろの方向へ折れ曲がった妄想を抱えて、ぼんやりと原っぱに座り込んだ。
ふと西の空を見上げると、大空を悠々と羽ばたく生き物が見える。
――“銀竜”か。
昨日見かけたのは、まだ幼年期の竜だったらしい。
遠目に見える“銀竜”の体長は、翼を広げた状態で、十メートルほど。
――ああいう生き物に、突然襲われたら。
想像するだけで身震いがする。
手記は恐らく、『ジュラシック・パーク』の様相を呈するだろう。
あの映画は一応、『Ⅲ』まで観ている。真っ先に殺されるのは、自分のように平和ボケしたヤツだということはよく知っていた。
「はぁ……」
――喰われて死ぬのはなぁ。嫌だなぁ。さすがに。
……と。
そんな風に、つらつらと空を眺めているだけの時間が過ぎていく。
だが、そこでふと、
「――?」
空を不規則に飛ぶ、点のようなものが視界に入った。
飛竜……、ではない。
しばらく目を凝らしていると、その飛行物が人間であることに気がつく。
それは、ド派手なデザインの衣装を纏った少女であった。
彼女は、箒にまたがっているらしい。
年の瀬は中学生くらいだろうか。
何より目を引いたのはその、どギツいピンク色の髪の毛であった。
――カツラ……か?
いいや、と、光久は考え直す。
――こんな世界じゃ、どういう人間がいてもおかしくないよな。
”超能力者”がいる。”ロボット”もいる。
ならば、女児向けアニメに出てきそうな”魔法少女”が現れても、少しも異常ではない。
少女は光久の目の前で箒を操り、すたんと着地した。
「ういーっす。ドモドモー」
フランクに片手を上げ、挨拶。
ものすごいアニメ声だ。
「……あ、どもっす」
どういう態度がふさわしいかわからず、大して仲良くもない部活の先輩に接するように応える。
「はじめまして」
言って、うふふふふふふ、うふ、と、少女が笑った。
「どちら様?」
合原光久は、気持ち半歩ほど退きながら、少女に尋ねる。
「“魔女”デス。名は、美空らいかと申します」
「はあ」
少し迷った末、光久は応えた。
「合原光久です」
らいかはニヘラと笑って、軽く光久の腰に手を回した。
「こんにちは、アイハラくん」
むぎゅっと、少女が身体を押しつける。
――ハグ。
外国人がよくするともっぱら評判の挨拶法。
女性に対する免疫のなさ故か、光久はほとんど反射的にたじろぐ。
「う、うおおっ」
すると同時に、らいかの左足が絡んだ。
「うふふふふー」
そのまま、二人揃って草原の上にひっくり返ってしまう。
「お、おおおおおお! ちょ、ちょっと!」
「アハ、アハ、アハハ……」
何がおかしいのか、らいかはけらけらと笑っていた。
胸が。
少女の乳が。
これでもかと、きつく押し当てられている。
「う、うわぁ……」
これはいけない。
――赤ちゃんができてしまう。
少し錯乱していた。
「はな……、離れてくれ。これ以上はいかん。何か悪いことが起こる気がする」
ぎりぎりのところで理性を取り戻し、ようやくそれだけ言う。
らいかはそれを無視して、
「うーん。あったかぁい……」
と、甘い声を出した。
「心臓の音がきこえる。皮膚の下で、……血液が流れているのがわかりマス。どく、どく、……って」
意味不明の台詞を言いながら、少女はうっとりと目をつぶる。
光久にはそれが、妙にイヤらしく感じられた。
「やめ……やめなさい……っ。きみ、自分を大切にしたまえ」
男として、この手の露骨な誘惑に負けるわけにはいかない。
――この世に色んな女がいるが。尻軽女だけはいかん。
結婚しても、幸せな家庭を築けない気がするためだ。
そこで光久は、らいかの肩を掴み、がばっと引き離す。
「……用件は?」
寝転んだままの体勢だが、彼女の目を見て尋ねた。
少女は片目をこすりながら、「むにゃ?」と応える。
「はあ。……そうデスね。……なんでしたっけ?」
「しっかりしてくれ」
酔っ払いか、こいつは。
「なんだかもう、何もかもどうでもイイ気分なんデスけど」
光久は、そんな少女の頬をむにっとひっぱる。
「痛くしたら目を覚ますか?」
「別に。痛みには慣れておりマス」
脅したつもりが、“魔女”は、これっぽっちも応えない。
……こいつ。
「用がないなら帰るぜ」
言うと、ふいに、らいかが眼を見開いた。
「ああ……ソーデシタ。大切な……お仕事が、あるのデシタ」
「仕事?」
らいかは、打って変わって面倒くさげに、
「アンケートにご協力下さい」
と言いながら、得体の知れない軟体動物の絵が表紙に描かれた手帳を取り出す。
「なんだそれ」
「新たに出会った“かんなり”は、力を見定める必要があるのデス」
「はあ……」
よくわからんが。
彼女の言葉には、有無を言わさぬ何かがある気がした。
▼
その後、“魔女”が話した言い分は、こうだ。
異世界からの来訪者である”かんなり”には、危険な力を持つものも少なくない。
らいかを始めとする“魔女”たちは、その手の“かんなり”を見つけて、保護、あるいは排除することを目的としているらしい。
「へえ」
光久は少しだけ感心した。
「つまり君たちは、……この世界の秩序を守ってるってことか」
「チツジョ?」
一瞬、“魔女”は困惑に眉を寄せる。
「まあ、前向きに捉えれば、そういう感じカモ」
なんだ、“前向きに”って。
「ワタシにしてみれば、付き合いでやっているコトデスので」
「付き合い?」
「馬鹿が暴れて、せっかくのセカイがぶちこわしになったら。……お茶会も開けないじゃないデスか。それは少し困りマス」
あくまで、自分のためだと言い張りたいらしい。
結果的に人助けになるのなら、別に言い直さなくても良い気がするが。
「……まあ、アンケートに答えるくらい、別に構わないけど」
「アリガトウゴザイマス」
らいかはニッコリと微笑む。
「デハ、始めマスヨ」
「……了解」
自分の無害さに関しては自信があった。
何せ“造物主”のお墨付きだ。
「嘘偽りない返答を期待しマス」
「心がけるよ」
苦笑交じりに首肯する。
「第一問。アナタの居たセカイでは、地動説と天動説、ドチラが一般的だったデショウ?」
「……ええと。学校で習ったのは、地動説だけど」
「ふむふむ。では次。アナタのいたセカイに、竜族の生き物はいマシタか?」
「いない。……ああ、いや。いた。でも大昔に絶滅してるな。恐竜っていって……」
続けようとした言葉を、“魔女”が遮る。
細かいところはあまり興味がないらしい。
「親類に、鬼、あるいは妖怪関係者はいらっしゃいマス?」
「鬼も妖怪も、昔話の中にしかいない」
「ホイホイ。……アナタのいたセカイでは、食事は日に何度デシタ?」
「三度。朝昼晩」
「ホッホォーウ。ところでアナタ、食人の経験は?」
「しょくじんって?」
「人間を食べたことあるかどうかって意味デス」
「……な。ないに決まってる」
「なるなる。……えーっと、従軍した経験は?」
「ない」
「人殺しは得意?」
「いいや。試してみたこともない」
「歳はおいくつ? それと、アナタのセカイでは、一般的に何歳くらいで亡くなることが多いのカシラ?」
「歳は十七だけど。……ええと、どうだろう。平均寿命はたしか、八十歳くらいだったと思う」
「宇宙人に会ったことは?」
「ない」
「未来人には?」
「……ないね」
「現実に存在する肉体と、今、ここにある精神。この二つはいつも同じ所にありマシタ?」
「……よくわからんが。そうなんじゃないか」
「“一番強い武器”。……これで思い浮かぶ、実在する武器の名前は?」
「核兵器」
「それは、いま、持ち歩いてる?」
光久は、深く嘆息する。
「いいや。とてもじゃないが持ち歩けるようなモンじゃない。……もう、いいか?」
「OKデス。だいたいわかりマシタ。ご協力、感謝感激」
「それで? ……アンケートの結果は?」
らいかはにへらっと笑みを作って、
「良好デス」
と、言った。
「ズイブンと優しいセカイ出身の方とお見受けしマシタ」
「そうか」
「でもナンカ、スグ死にそうデスね、アナタ」
これは、質の悪い冗談だと解釈しておく。
「……他に何か?」
念のため訊ねると、
「最後に、も一つだけ」
そして、少女は箒と帽子を、芝生の上に投げた。
「軽く手合わせをば」
「手合わせ、……って」
すると、らいかが軽く右手を振る。ジャブのつもりらしい。
「多少、運動能力も把握しておきたいノデ」
「……もっと他に方法があるだろ」
「ワタシのいた世界では、こういうやり方が一般的なのデス」
「冗談じゃないぞ……」
「しゅ、っしゅ! ぱんちぱんち、きっくっ。よーし、いっちょう始めマショウ!」
自分より頭一つ分は背の低い少女を前にして、光久は苦く笑う。
「そんな、急に言われても。無理だよ」
「何故デス?」
「喧嘩は得意じゃないし、……それに、君をひっぱたく理由がない」
「デスから、喧嘩ではなく手合わせデス」
そこまでして積極的に殴られたいのか、この娘は。マゾなのか。
「俺のいた世界では、……あんまり、年下の女の子を殴る習慣がないんだ」
「それはイケマセンね。早死にしたくなければその習慣、ナルハヤで矯正しておくことをオススメしマス」
言いながら、すたすたと距離を縮めるらいか。対する光久は、なるべく等間隔になるように後退る。が、やがて、逃げ道が塞がれた。
振り向くと、“社”の壁だ。
「おいおい、かんべんしてくれ」
両手を挙げて、降参のポーズ。
「言っときますケド。”魔女”相手にここまで無防備な人、アナタが初めてデスよ」
「ふーん……」
ぼんやりつぶやきながら、今更になって嫌なことを思い出している。
三日前。
上水流魔衣と出会った時。
彼女は、“誰”と間違えて、光久に襲いかかったのであったか?
――“魔女”。
そういうワードに、不吉な聞き覚えはなかったか?
「ええとその」
ひょっとすると、今。
自分は、とてつもなく危険な相手を目の前にしているのではないか、と。
そう思い始めた瞬間であった。
らいかの手が、光久の襟元を引っ掴む。
「ちょっと、まっ」
「では失礼」
反射的に身構える、――暇もなかった。
「ヨッコイショ」
囁くようなかけ声。
その、次の瞬間。
「―――――――――――――――――――――――――――はあッ!?」
合原光久の肉体は、地上から数十メートル上空に投げ出されていた。
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