その6 ショートケーキ
合原光久は、じっと天井を見つめている。
ほとんど一晩中、そうしているつもりだった。
――眠れる訳がない。
そんな風に考えていたが、気付かぬうちに深く寝入っていたらしい。
いつの間にか、空が白んできていた。
どうやら、思っていたよりも心労の極地にいたようだ。
現実を噛みしめるように、ゆっくりと身体を起こした。
窓を開き、早朝の澄んだ空気を、肺一杯に吸い込む。
……と。
山向こうに、寝ぼけ眼の太陽が見えた。
「ぐへえ……」
昨晩から何度目になるかわからない、ため息混じりのうめき声。
――学校をサボると、ろくなことにならないな。
心の底から、そう思う。
▼
魔衣と名乗った少女の話によると、この世界には“社”と呼ばれる専用の宿が点在しているらしい。
異世界からの来訪者。――“かんなり”たちは、基本的にそこを拠点にして活動するのだという。
光久がいるのは、そんな“社”の一つだそうだ。
暫くの間は、やることもなくぼうっとしていた。
どうやら、早く起きすぎたらしい。
すっかり時間を持て余していたが、二度寝する気にはなれなかった。
そこでふと、どこかから、こーん、こーん、という、規則正しい音が聞こえてくるのに気づく。
光久は、なんとなく音に導かれ、玄関へと足を向けた。
頭の中では、昨日の言葉を反芻している。
――諦めた方が良いと思う。
上水流魔衣と名乗った少女は、確かにそう言った。
これは、元の世界への帰還が、それだけ困難であることを意味している。
もっとも、困難だからといって、不可能であるとは限らない。
諦めるにはまだ早いし、諦めるつもりもない。
……だが。
こうなってしまった以上は、覚悟を固める必要があった。
異世界で生きていくための覚悟を。
――考えようによっては、悪くないこともあるさ。
光久は、気持ちを無理に前へ向かせる。
朝食は、魔衣が作ってくれると約束してくれたのだ。
――美少女の手料理か。なんか、アニメみたいだな。
この状況下において、少しだけ口元が緩む。
ここんとこ、朝はコーンフレークが続いていたのだ。
こーん、こーん、こぉーん。
その間も、音は計ったかのような等間隔で続いている。
好奇心に惹かれるまま、ゆったりと音の出所へ近づくと、
「――ん?」
不可解なものが目に入った。
銀色の甲冑を身にまとった男である。
男は、黙々と斧を振り下ろし、薪を作っているようだ。
――あれも“かんなり”の一人だろうか。
声をかけようと近づいて、足が止まる。
――違う。こいつ……。
人間ではない。
合原光久は、こういう形をしたモノがどう呼ばれるか知っていた。
主に、SF映画なんかで登場する……。
――ロボット。人型の。
そう理解すると同時に、何か根源的な恐怖がわき上がる。
見知らぬ男性に話しかける覚悟は固めていたが、見知らぬ男性型ロボットに話しかける覚悟は固まっていなかったのだ。
このままUターンして、もう一度ベッドに潜り込むか。
あるいは、なけなしの社交力を発揮するか。
逡巡の末、光久は蚊の鳴くような声を発した。
「……どうも、っす」
ロボットの身長は、優に220センチは超えているだろう。プロレスラーのようにがっしりとした体格で、手足は丸太のように太い。
彼(?)は、作業を一切止めずに首を120度ほど回転させて、
『愛について考えていたのです』
と、言った。
「はあ?」
『愛ですよ。ほら、人間のみなさんが、ときどき大仰にして取り上げる議題です』
「……ああ。そう、だったんだ」
早くも、話しかけたことを後悔し始めている。
『あなたは、どう思われます?』
「どうって?」
『人が人を愛する行為について』
唐突に深遠な話題をふっかけられて、戸惑う。
慌てて何ごとか答えを用意しようと思ったが、ロボットは勝手に続けた。
『私は、』
こーん、と、斧を振り下ろす。
『ぴかぴかに磨かれた銀製品を愛しています。純白の雪景色も。月夜に舞う飛竜を愛しています。ですが、それは人間の口にする“愛”とは、異なるものなのでしょう?』
ひゅうううううううううううう、と。
夏の日の早朝に、心地よい風が吹き抜けた。
光久はというと、この金属製の男が口にした言葉の意味を計りかねて、口をぱくぱくさせることしかできない。
恐らく何か、洒落た台詞を言うべきだと思われた。
愛。――それは、立ちこめる霧に包まれた、ただ一つの星……とか。
そんなの。
しばらく考え込むが、どうしてもこの場にふさわしい言葉が思いつかない。
ギブアップのつもりで、言う。
「……なんだって急に、そんな話をするんだ?」
するとロボットは、木片を割る手を休めて、
『それが私の“試練”でして』
「“シレン”?」
『ええ』
「なんだ、それ」
『……おや。“試練”をご存じない?』
うなずいて、
「どうやら俺、説明不足でこっちに送られてきたみたいなんだ」
苦笑交じりに説明した。
『お気の毒に。それでは、ずいぶん混乱されたでしょう』
「……まあ」
強がっても仕方ない。光久は正直に応える。
『我々“かんなり”には、それぞれクリアせねばならない“試練”と呼ばれるものがあるのです。その“試練”を終えるたびに、“かんなり”次の段階に進むことができるのです』
「次の……段階?」
『我々は単純に、”レベルが上がる”なんて表現したりしますがね』
はあ。
レベル、ねえ。
『とにかく、レベルが上がった”かんなり”は、その度に”造物主”より新たな力を賜ると聞きます。それを繰り返していき、――いずれは、“造物主”に到る、と……』
「へえ」
ほとんど他人ごとのように感心して、うなずく。
『ちなみに、私の“試練”は「愛する人の最期を看取ること」だそうで。ここ最近ずっと、愛について考えているのです』
「そうか」
光久は苦笑する。
「“試練”って、具体的にどういうものなんだ?」
『人によります。……でも、理不尽なものが多いようですね』
「理不尽?」
『“一年間、豆と水だけを食べて暮らせ”とか。“北の山に住むドラゴンの逆鱗を手に入れろ”とか。ものによっては、何十年かかっても終わらないような、難度の高い“試練”もあると聞きます』
「そうなのか」
光久の表情がひくつく。何十年も。この世界で。
一瞬、思考が暗闇のどん底にまで沈み込んでいくような錯覚がした。
慌てて考えを振り払う。
意味も無く立ち止まるような間抜けにだけはなりたくない。
『申し遅れました。私、“ショートケーキ”と呼ばれています』
「……変わった名前だな」
『あだ名ですよ。お菓子作りが趣味なもので。なんでしたら、正式名称をお教えしましょうか? 96%の確率で舌を噛むことを保証しますが』
「いや、……遠慮しとくよ」
光久はやんわりと断った。
――ヘンテコなやつだな。
そう思う一方で、このロボットについて、もっと知りたいと感じている。
うまく言えないが。
親友が生まれる瞬間というのは、そういうものだろう。
少し話しただけでわかる。きっと、自分とこいつは、うまくやるだろう、と。
「ところで、“ショートケーキ”。……たぶん俺たち、初対面じゃないよな?」
ロボットの声には、聞き覚えがあった。
思い切って訊ねると、”ショートケーキ”は突然、棒を呑んだように立ち、がくん、と直角に頭を下げる。
人形劇で踊る操り人形のように、唐突で、こっけいな仕草だった。
『先日は大変な失礼を。申し訳ございません』
「やっぱりか」
昨日、魔衣と始めて会った時、背後からスタンガンのようなものを押し当てた男がいた。
その男が“ショートケーキ”ではないかと踏んでみたが、どうやら当たりらしい。
「別に良いさ。なんか、いろいろ事情が複雑みたいだし」
光久は寛大な気持ちで許した。
むしろ、あの太い両腕で骨を折られたり、斧で首をばっさりやられなかっただけ運が良かったと思えるくらいである。
『そう言っていただけると助かります。場合によっては、自死を命ぜられる覚悟でおりました』
「大げさだな」
光久は、早くもこの人型ロボットを好きになり始めていた。
フランケンシュタインの怪物のような外見をしている癖に、妙に愛嬌のあるやつである。
「……いつも、こんなに早くから仕事をしているのか?」
『早くから、と、申しますか。基本的に作業は、一晩中行っております』
「休みなしで? すごいな」
『私、あまり休みをとる必要がありませんもので』
「寝る必要もないってことか?」
『はい』
日頃から睡眠不足に悩まされている身の上からすると、少し羨ましい。
そう言ってやるとロボットは、『一人の夜は、存外寂しく感じるものです』と、応えた。
* * *
出会って数分後には、奴のことを名前で呼んでいた。
出会って数十分後には、野郎のことを“お前”と呼んでいた。
出会って一時間後には、あいつのことを、無二の親友だと思うようになっていた。
“ショートケーキ”は、人にそうさせる才気を持ったロボットだ。
いつもへりくだっている気がするが、皮肉屋でもある。
いつも他人を一番に考えるくせに、言葉に毒を含ませる。
そして、こちらが必要としていない時は、沈黙を守ることもできるのだ。
(2015年2月5日 記)
* * *
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます