その5 神のきまぐれ
なぜ、こんなことに。
半ば以上絶望しながら、空を見上げる。
ひどい結末の映画を観た後のような気分だった。
自分の中に、それを受け入れる手段がないのである。
「大声を上げて手を振ると、ときどきウインクを返してくるけど。……試してみる?」
「嫌だ。怖い。やめてくれ」
光久の真剣な口調がよほど滑稽に見えたのだろう。魔衣はくすりと笑った。
「俺は……どうかしちまったのか」
言いながら、磔にされたように太陽の顔面から目を逸らすことができない。
――自分は果たして、正気なのか?
その後、幾度となく自問することになる疑問が、頭の中をぐるぐるとリピートする。
「ここは、“はじまりの世界”。――“造物主”が、最初に創ったとされる世界よ。ちょっと幼稚なところがあるのは、きっとそのせいね」
記憶が蘇る。
“造物主”。
白い着物の女の子。
子猫の群れ。
冬の海。
そして、……濃霧。
「あたしたちは、数多ある異世界からの来訪者なの。ここでは、“かんなり”って呼ばれてる」
「かん、――なり?」
耳慣れない単語だ。
「うん。あのね、セカイってのはさ、一つだけじゃなくて、すっごくいっぱいあるらしいの。あたしらは、そのセカイから、ただ一人だけ選ばれた、“造物主”候補ってわけ」
「一つじゃない、……って。ひょっとしてあれか。パラレルワールドってやつか?」
平行世界とか、多次元宇宙論とか。
そういうワードが鍵になっているSFアニメを、いくつか観たことがある。
「それそれ。なんだ、知ってるじゃない。ひょっとして君、頭良い人?」
どうやらお世辞を言ってくれたらしいが、残念ながらなんの慰めにもならなかった。
「なんという……」
それ以上は、言葉にならなかった。
ただただ、ひどい目眩がしている。
どうやら、すべて夢ではなかったらしい。
「ええと。ここが俺の知らない世界だってことは、とりあえず納得しとこう」
「うん♪」
わかり合えて嬉しいわ、とばかりに、笑みを浮かべる魔衣。
対する光久は、ただひたすらに深刻だった。
ゆっくりと味わうように息を呑み、――ようやく、本題を切り出す。
「それで、その。……俺は、元の世界に戻れるのか?」
魔衣は、少し考え込んだ後、あっさりと応えた。
「諦めた方が良いと思う。少なくとも、しばらくの間はね」
* * *
ここに、一冊のノートがある。
かつて、俺が数学の授業用に使っていたノートだ。
その、まばらに数式が書き留められたページをめくっていく。
すると、とあるページの中央に、
――マジでありえん マジで
とだけ書かれたページが見つかるだろう。
これが、我が異世界旅行記における、記念すべき一行目である。
“はじまりの世界”に訪れた、最初の夜。
藁を掴むような思いでペンを手に取ったことを覚えている。
そして、半狂乱で文字を書き殴った。
“マジでありえん”、と。
いやはや。
まさしく当時の俺の心境を、的確に表した一言であると言えよう。
そこからさらにページをめくると、ずいぶん稚拙な太陽の絵と一緒に、“サザエさんのオープニングじゃねーんだぞ”という一文がある。
何か、……きっと恐らく、面白いことを書こうとしたらしい。
そうすることで、自分の正気を保とうとしたのだと思われる。
そう考えると、ずいぶん涙ぐましい努力だ。
このジョークが面白いかどうかは別としてな。
また一枚、ページをめくってみることにする。
そこには、
――幼女と話してたら、いきなり異世界に飛ばされた件(泣)。
と、書かれており、米印と一緒に“なんかラノベのタイトルみたい(笑)”とある。
そこそこまとまった文章が登場し始めるのは、その後になってからだ。
その次には、1ページ分ぎっしり、つらつらと被害妄想じみたことが書かれている。
ひどく乱雑な文章で、ここでもう一度書き出すのもはばかれるような内容だ。
だが、あえて一カ所、当時としては必死の思いで書き残した疑問について、抜粋してみよう。
――なにかの陰謀じゃないのか?
なるほど。
そう思う気持ちは痛いほどわかる。
今の俺なら、この問いに答えることができるだろう。
おお、一月前の俺よ。
これは、何者の陰謀でもない。
単なる神のきまぐれにすぎないのだ。
(2015年3月5日 記)
* * *
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