その37 “天球”

「ちょ、ちょちょちょ、待て!」


 狼狽しながら、光久は訊ねた。


「俺たちはいったい、どこに向かっているんだ?」

「言ったでしょう? らいかちゃんのところです♪」


 七色はくやは、しれっとしている。


「“らいかのところ”って。……具体的に、どこにあるんだ、そこは」


 遠くに引っ越した知り合いと、ちょっとした顔合わせしに行く程度の覚悟でいた。

 あるいは、――美空らいかの死を、心の何処かで受け入れていない自分がいたか。


(冷静になれ。……俺達は、つもりでいるんだぞ。それがどういう意味なのか、ろくに考えもせずに) 


「あれ? 聞いてないんですか? レミュエルおじいさんからも?」

「……あの人はただ、『行けばわかる』とだけ」

「どおりで、やることなすこと、いちいち驚いていたわけです♪」

「まあな」

「でも、“かんなり”の逝く場所については、以前もお話しましたよ♪」

「すまん。改めて教えてくれ」


 光久の率直な態度が気に入ったのか、はくやは喜色満面に、


「死んだ“かんなり”は、“天球”に逝くんです♪」

「……てんきゅう?」

「私たちが向かっているのは、ですよ」

「ええと?」


 首を傾げる。

 言われてみれば、”天球”というワードには聞き覚えが合った。

 前に聞いたときは、天国の同意語、程度に思っていたが。


「“天球”。……わかるでしょう? 太陽のこと♪」


 ふと、レストランの窓から太陽の顔をのぞき見る。

 視線が合った。

 ウインクもされた。


「そうか。……あれが……」


 ふむふむと一応納得して、深いため息をつく。

 いつの間にか、喉がからからになっている自分を発見していた。

 突発的にアイスコーヒーを一気飲みして、おかわりして、それもまた飲み干す。


「このレストランは……宇宙船だったのか」

「元々は、よくある木造の“社”よ♪ 私たちはそれに、ちょっと手を加えただけ♪」


(なるほど、ね)


 その程度のノリで、建物が宇宙旅行したりするのか。彼女の常識では。

 ひどいカルチャーギャップを受けて、めまいがする。


「生きて帰れるんだろうな、俺たち……」


 ことここに到って、光久の心配はその一点に集約された。

 なんとなく、理不尽に窒息死させられる未来が脳裏に浮かんだためである。


「そんな些細なこと、気にしたってしょうがないじゃないですか♪」

「君からみると些細なことかも知れないがな。自分の命というのは、わりと特別な思い入れがあるものだぜ」

「まあ、その辺、前向きに考えていきましょ♪ うふふふふふ」


 ずっと気になっていたことがある。

 この、はくやという女の子、口調だけはいつも明るいのだが、眼が笑っていないのだ。


 薄ら寒い想いで、


(くそっ。俺は国に税金を納めて、計画的に生きていきたいだけなのに……)


 光久は頭を掻きむしった。


(厄介なことは考えるな。……自分をハリー・ポッターだと信じるんだ)


 自分を、物語の主人公だと思い込むこと。

 そうすれば、少なくとも自分の命の行く先について思い悩む必要はなくなる。


 ごうん

              ごうん

                          ごうん


 太陽が近づくにつれ、……何か、巨大なローラーめいたものが駆動している音が聞こえてきていた。

 その、巨大な顔面が、ゆっくりと表情を変えていく。

 どうやらローラー音は、太陽の顔が動くときに鳴るらしい。

 間近で見る“太陽”は、生き物のようでもあり、機械のようでもあった。


「…………」


 魔衣も、光久も。

 さすがに言葉が出ない。


 目の前にあるモノが、あまりにも巨大すぎて。

 それに対する自分自身が、ひどくちっぽけな存在に思えてしまうのだった。


 “社”は、さらに太陽へと近づいていく。

 もはや、顔の表情は見えない。

 間近で見る太陽の皮膚(と、表現していいのかどうかはわからないが)は、でこぼこで、ヒビが多く、どちらかというと、月面を思わせた。


 やはり、光久のいた世界の太陽とは、根本的なところで違っているらしい。


 やがて、太陽の表面に、小さな鉄扉が備え付けられているのが見えてきた。

 “社”は、扉のすぐ隣に音もなく着地する。


「着きました。あれが、“死者の門”です♪」

「中で迷ったりしなければいいが」

「心配いりませんよ♪ 門の中では、会うべき人以外とは、会えない仕組みになっていますので♪」

「帰りは?」

「なんとかなりますよ、きっと♪」

「なんとかって……」

「少なくとも、帰れなくなることはないかと♪ さすがに、”造物主”様もそのへん、空気読むでしょ♪」

「……頼りになるのか、あの娘」

「五分五分ですね」


(“造物主”としてどうなんだ。その信頼度は)


 光久は、嫌いなピーマンをやっつけてしまうくらいの気持ちで、


「じゃあ、さっさと済ませよう」

「ちょっと待って♪ そのまま行くと、空気がなくなって窒息するわ♪」

「ああ。……そこは普通なんだ」


 もう、どの部分に常識が通用するかもわからない。

 ここまで現実味のない光景が続くと、宇宙に空気があってもおかしくないように思えるが。

 はくやが、厨房の方でしばらくごそごそしていたかと思うと、


「被って♪」


 そう言って、金魚鉢を思わせる、ガラス製のヘルメットを手渡した。


「これが、……宇宙服の替わりってか?」

「短時間なら、これでも大丈夫♪」

「……そうか」


 もはや疑う気にもならない。

 言われた通り、すぽっとヘルメットを被る。

 すると、首輪と反応して、ヘルメットはピッタリと頭部を覆った。


「……ん?」


 装着感がほとんどないため、身体を洗う時以外は忘れているが、――“かんなり”とされる者は皆、金の首輪を巻いている。

 ヘルメットが、それに反応した、ということは……。


「まさかこの首輪って、にあるのか?」

「いいえ。たまたま都合が良かったので、首輪に合わせて作っただけ♪」

「そうか……」


(ほんとに大丈夫なのか? こんなんで?)


 そういう疑問はあったが、もはや引き返すことはできそうになく。


「それじゃ、こっから先は、俺たち(光久と魔衣、それに“勇者”)だけで進む。……“モンちゃん”を預けるから、レミュエルの“社”にいる、月華って女の子に返してあげてくれ」

「お任せあれ♪」


 白髪の“魔女”は、手乗りサイズの小猿を、大事そうに抱えた。

 丸い二つの目が、名残惜しそうに光久たちを見る。


「ぢい、……ぢい……」


 小憎らしいほどあざとい可愛さであった。

 光久は、“モンちゃん”の頭を人差し指で軽くなでてやってから、


「それじゃあ、……行こうか」


 そう宣言した。

 光久、“勇者”、魔衣の順番でレストラン下部にある出入り口へ向かう。


「ところで、……外に出る時、減圧とかそういうことはしなくていいのか?」

「ゲンアツ? 何かの呪文ですか?」

「ああ、うん。問題ないみたいだし、やっぱりいいや」

「はあ……」


 首を傾げるはくや。

 彼女に背を向けて、レストランのドアノブをひねる。

 すると、


「うわ……と、と、と……」


 すぽーん、という感じで、三人は“社”の扉から吐き出されるように飛び出した。

 おぼつかない足取りで、太陽の表面に着地。

 その表面は、クッションのように柔らかく、発泡スチロールのように脆い。


 不思議な感覚だった。驚くほどに実感がない。

 生身を晒している部分は刺すような冷たさを感じるのに、足下からただようぽかぽかした陽気が、むしろ全身を温めていく。


(これが……太陽か)


 考えてみれば、妙な話だ。

 地表を明るく照らすほどの光を発しているのなら、表面は高熱になっているはず。

 こうして近づくことなど、ままならぬはずなのに。

 むしろ光久は、ここでこうしていることが心地いいほどだった。


(何にせよ、長居は無用だな)


 手早く、鉄扉の取っ手に手をかける。


 ばかん、と、土煙を上げながら、“死者の国”に通ずる扉が開いた。

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