その38 死者の門にて。

 地獄へと通ずる門には、

――この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ。

 という銘文が記されている。


 ……と、そんな話をどこかで読んだことがあるが。


 “はじまりの世界”における死者の門には、

――番号札を取ってお待ち下さい。

 という張り紙が在った。



「………………」


 門を通った先で、合原光久は完全に言葉を失っている。

 ”死者の世界”という言葉から連想するものとは程遠い、その空間の雰囲気に。


(なんつーか、田舎にある、寂れた役所みたいなとこな……)


 少し進むと、クーラーの効いた空間に出て、何脚かの長いすが並べられている。

 その手前に、型の古い番号札の発券機が置かれていた。


(番号札を取ってお待ち下さい、か……)


 光久は札を一枚ちぎって、長いすの隅に座る。

 札の番号は「44番」。


(まさかこれ、“死”を暗示してるとか、そういうくだらないことじゃないよな……)


 ふと、口にしかけたシニカルなジョークを、意識的に打ち消す。

 すぐ目の前の壁に、「私語は控えて下さい」という立て札があるのを見かけたためだ。


 光久たちのいる、待合室(と思しき場所)は、総じてあちこちが使い込まれていて、あまり清潔なところではなかった。

 クッション用の綿が少しはみ出ている長椅子にはすでに、二人ほどの先客がいる。

 二人とも、光久のと同じ番号札を持っていた。


――42番の方、どうぞ。


 事務的な口調で、アナウンスがある。

 すると、長いすに座るもののうち、一人が霧のようにかき消えた。


(なるほど。そういう仕組みか)


 よくわからないなりにそう理解していると、魔衣が、光久の手をぎゅっと握る。

 心細さを紛らわせるように。


「光久。……あたし、怖い」


 らしくない発言だった。


「ここ……、なんだか、ものすごく不吉な感じがするの」

「そうか?」

「きっと、まともな生者が来ていい場所じゃないんだよ」


(別段、俺がどうとも感じていないのは、鈍いからなのか)


 苦笑しながら、光久はただ、少女の手を握り返している。


*        *        *


 この待合室で起こったことは、これまで俺が体験してきた諸々の出来事と比べても、かなり珍妙な部類に入ると思う。


 ここに来たとき、確かに魔衣は、俺のすぐそばにいた(もちろん、“勇者”も)。

 俺たちみんな、同じ場所にいたはず……だというのに、それぞれが見ていた光景は、まったく別のものであったという。


 「その者がもつ”死後”の漠然としたイメージが投影されているのだろう」……ってのは、レミュエルの解釈だが。


 後々になって魔衣から話を聞いてみたところ、彼女が見ていた”死者の世界”は、もっとステレオタイプな地獄絵図であった。


 白塗りの壁は、埋め立てられた人骨として。

 空調が吐き出す冷気は、死者による怨嗟の声として。

 古びた観葉植物は、じっとこちらを見つめたまま動かない、痩せた老婆の姿なんかに見えていたそうだ。


 そういう状況下にいて、あんまりにも俺が堂々としていたものだから、魔衣はその時、よほど肝が据わった男だと感心していたらしい。


 ……立場が逆じゃなくて、本当に良かった。

(2015年2月10日 記)


*        *        *


「おたく、ひょっとして、生者の方……?」


 ふと気がつくと、長いすの反対側から、サラリーマン風の男がこちらを見ている。


「ええ、まあ……」

「いやはや。いやはやいやはや……」


 すると、「いやはや」を連発しつつ、男が近づいてきた。


「生きている方と話すのは珍しい」

「そうなんですか?」

「生者の方には、ここは遠すぎますので……」

「まあ、確かに」

「僕、こう見えて死に神をしています」


 そして、名刺を渡された。

 それにはただ、「死に神」とだけ書かれている。連絡先はない。

 どういう意味がある名刺なのか、検討もつかなかった。


「……ええと、死に神さんは、よくここに?」

「今日はたまたまです。休日なんですが、やることもないのでね。友達に会いに来たんですよ」

「友達?」

「ええ。……ずいぶん旧いタイプの人間だが、気の良いやつですよ。恩人を裏切って、殺害したりしたんですけどね」

「ふうん」


 死に神流のジョークだろうか。光久には見当もつかない。


「おたくらも、死者に会いに?」


 光久はうなずいた。


「良ければ、事前に知っておくべきことなど、教えてほしいんですけど。心がけとか」


 すると、死に神は人懐っこい笑みを浮かべて、


「そうですね。『とにかく舐められるな』……とだけ申しておきましょうか」

「舐められるな、ですか」

「あとは、眼力ですね。『調子乗ってるとテメー、ぶっ飛ばすぞ』、と。そういう気持ちを忘れずに。ぜんたい、死人はすぐにつけあがりますので」

「へえ……」

「あなた、ホラー映画はお得意?」

「……どうでしょう。“ゾンビもの”なら、いくらか」

「できれば、よく予習しておくことです。血まみれの女とか。真っ白い化粧をした子供だとか。人形だとか、ピエロだとか。……メジャーものはよく真似をされますね。連中、隙あらばパクりでうまいことやろうってんだから、困った話です」

「そうなんですか」

「元ネタさえわかっときゃ、こっちは『あー、それ◯◯の真似だろ』って言ってやるだけで済みます。やっこさん、みっともなくなっちゃうんでしょうな」

「ははは……」


 苦笑が漏れる。

 だが、残念ながら、あまり参考にはならない気がしていた。

 そこで、


――43番の方。どうぞ。


 というアナウンスが聞こえて、話が中断になる。


「おや。……43番は私だ」


 ここにきて、光久は少し慌てた。

 ひょっとするとこの人は、自分にとってとてつもなく有力な情報をもたらしてくれる存在なのではないか。……ふと、そういう疑念に駆られたのだ。

 何せ光久はこれまで、死に神を自称する男と知り合ったことがない。


「あの。……すいません、あなた、死に神なんですよね?」

「いかにも」

「俺、死にたくないんです。……それに、周りの誰にも、死んで欲しくない」

「ほう」

「うまくやれるでしょうか?」


 すると、壮年の男は、「しししししし」と笑った。

 後々思い返してみたところ、それは「死」とかけた爆笑ギャグなのだとわかったが、その時は気づきもしない。


「残念ながら、今日は非番なのでね。なんとも言えない」

「そうですか……」


 ダメだとわかっていたテストの答案が、想定通りの赤点で返ってきた時の気持ちだった。


「だが、君と、その友達が死ぬのは、今日ではないと思いますよ」

「何か根拠が?」

「いやあ、特にないですね。僕の勘です」

「勘ですか……」


 光久は、地の底まで落胆する。


――43番の方。


 再度、事務的なアナウンス。


「わかった、わかってる。今、若者の相談に乗ってあげているところなんだから。少しくらい待ってくれたっていいだろう?」


 死に神はどこか、上の方へ向かって返事をしていた。

 どうやら、光久のために移動するのを止めてくれているらしい。


「でもね。自分の死に様に関しては、あまり知らない方が良いですよ」

「どうしてです?」


 訊ねながらも、心の底ではもっともだと気づいている。


「死は、どれだけ逃げようとも、必ず追いついてくるものですから」

「まあ、そうですよね」

「……ほら。さっき話した私の友人、“マクベス”っていう奴なんですがね。彼、『女の股から生まれた者には殺されない』みたいな予言を受けたんです。それで調子乗ってあれこれヤンチャしてたら、帝王切開で生まれた人に殺されたりして」


 なんだか、どこかで聞いたことがあるような話だ。


「とかく、運命ってのは皮肉なものなんですよ」

「……そうですか」

「そこで効くのが、おまじないです。当たるも八卦、当たらぬも八卦。だのに、人を前向きにしてくれる。大切なのは、そこです。。あなたたち生者の時間には、限りがあるのですから」


 そして死に神は、懐から金貨を取り出した。

 それを親指で弾き、手の甲で受け止める。


「我が友、マクベス君の横顔が刻印されていたら、表だ。表なら、君は生き長らえる」


 そして、光久にコインを見せた。

 王冠を被り、ヒゲを生やした立派な男が刻印されている。


「ほら。君は生き残る」


 光久は黙って、ただ、頭を下げた。

 これが彼なりの厚意であることは、よくわかっている。

 男の親切心が、素直に嬉しかった。


(あの“造物主”を名乗るガキのお陰で、”神”って連中を見損なっていたが。……一応、こういうのもいるんだな)


「では、これは君に進呈しよう」


 そして死に神は、“マクベス”の金貨を光久に渡す。


「いいんですか?」

「レアものだよ。彼が王座に居たのは、ごくごく短い期間だったからね……」


 同時に、アナウンスの声。


――43番。さっさとしろ。調子乗ってるとテメー。ぶっ飛ばすぞ。


「ししししししし」


 そして、死に神は霧のようにかき消えた。

 しばらく、……光久は、もらった金貨を眺めている。


(『マクベス』か)


 たしか、シェークスピアの悲劇で、そういう題名のやつがあった記憶があるが……。


(……ん? これって)


 そこで始めて気がついたのだが。

 金貨は、よく見ると両面が表であった。


「……まったく」


 死に神流の諧謔に、自然、口元に笑みが浮かぶ。


 それから数分もせずに、


――44番の方。どうぞ。


 アナウンスが聞こえた。

 同時に、ぼうっと……意識が遠くなって……。

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