2.取引
「何とも、お見苦しいものを見せてしまいましたね」
適当に買ってきた衣服を着替えたマルグリットは、深々と頭を下げる。とても、少し前まで死んでいたようには思えない。切られた腕も、裂かれた腹も、すっかり元通りになっている。
ただし服だけは、切り裂かれているし血塗れだしで、どうにもならなかった。
幸いにも近くに小さな店があり、そこで適当なものを購入できたが。
本人の希望で長袖にハイネックという、露出のロの字もない地味なものだ。
だが、それがやけに、マルグリットには似合うとカティは思う。
セドリックと同じくらいの身長で、カティより頭半分か一つほど背が高い。
露出の低い、修道女のような黒いドレスに包まれた身体は、女性としてこれでもかと魅力的な形をしている。肩につく程度で切りそろえられた髪は、色素が薄く儚げだった。
礼儀作法は完璧で、料理も得意。裁縫の腕もなかなかのもので、その気になれば自分で服も作れるそうだ。まさに、大概のことは自分でやってしまえる万能の女性。
カティからすると、姉のような存在だろうか。もちろん実の姉ではなく、近所にいる年上のお姉さんという感じだ。実際、料理や裁縫を教わるなど、カティは彼女を慕っている。
だから余計に、見つけた死体が彼女だったことは驚いた。
大丈夫だとわかっていても、ショックだった。
こうして三人並んで歩いている間も、つい様子を伺ってしまう。
本当に大丈夫なのか、身体などは何ともないのか。
これなら、着替えを手伝って身体を確かめておけばよかったと思う。
「それにしても、お久しぶりですわね」
「前に尋ねた時は、マルグリットには会えなかったと記憶しています」
「そう……でしたか?」
「顔はおろか、声すら聞かせてもらえなかったね。何があったのか知らないけど、キミはいろんな意味で徹底的に貪られ、抱き潰されていて、どうも死んだように眠ってたらしいから」
「……あら」
そんなことが、とマルグリットは緑色の瞳を細める。
どうやら二人の来訪そのものを、彼女は知らされていなかったらしい。一応、彼の屋敷のあれこれを管理する身であるからには、そういうのを隠されることは怒るべきと思われるが。
「もう、アルヴェールったら……」
どこかうれしそうに、恥ずかしそうに頬が赤く染まっていた。来客の存在を隠されたり、物理的に貪られる行為のどこに頬を染める要素があるのか、カティにはわからない。
不思議そうに彼女を眺めていると、セドリックが意味深に笑う。
「カティも、大人になればわかると思うよ」
大人になる――成長するのは望むところだとカティは思う。だが、彼女のようになりたいかといわれたら、ちょっと遠慮したいところだ。あんな風になる自分が、少しも想像できない。
普段のマルグリットは、ヒトとしてとてもすばらしい女性だとカティは思う。
だけど同時に、結構な変わり者だとも思う。
まぁ、彼女がというよりも、彼女の『主』がというべきかもしれないが。
「しかしアルのヤツ、よくキミを外に出したね。しかも、魔人と魔女狙いの殺人鬼が住み着いていると有名なこの町に行かせるなんて。意外を通り越して、少し心配になるんだけど」
「彼、どうしてもこの町にいる友人を訪ねなければいけなくなったのですけど、タイミングの悪いことにちょっと手を離せない仕事が入ってしまいましたの。ちゃんと食料は置いてきましたから大丈夫ですわ。少々お見苦しい肌を晒すことになりますけど、ご了承くださいまし」
言いながら、マルグリットは袖を少しだけ捲くる。
長袖の下には、きつく巻かれた包帯があった。髪に隠れて見えにくいが、包帯は首にも巻きつけられているらしい。これはハデにやられたなね、とセドリックは苦笑する。
カティも知っている彼女の主。
悪食王とも呼ばれる、魔人アルヴェール・リータ。
彼はその二つ名の通りに、この上なく悪食だ。普段はごく普通の食事とるが、それ以上に趣味の悪いものを食物として摂取することを好んでいる。まるで、時々食べる珍味のように。
その食材には、名前があった。
――マルグリット・リータという名前が。
「どの程度おいてきたんだい?」
包帯の巻かれた腕を見て、セドリックが尋ねる。
マルグリットは少し考えるように沈黙し、笑顔で答えた。
「腕と足を十本ほどですわ。あと皮も少々……それから特にお好みのこれを」
言いながら、マルグリットは自分の胸に手を当てる。
カティと違って確かなふくらみのある、その部位。
見ただけではわからないが、どうやらよく出来た詰め物のようだ。
彼女の答えにセドリックは、ふぅん、と答えるだけだった。質問しておきながら、それほど興味があったわけではないらしい。……いや、彼女が残してきた食料の量から、彼女がここにいられる時間を計算していたのだろうか。ある程度『節約』はするだろうが、限度がある。
あの悪食の魔人に、我慢などできないと、カティは知っている。
出来ないから、普段は出来るだけ家から出そうとしない。
反対に、自分が出かける先には、必ず連れて行く。出不精のセドリックと違って社交界にも顔が広い彼の隣には、常に美しく着飾ったマルグリットがいるという話だ。
いつでもどこでも彼女を味わえるように。
愛のない欲で身体を喰らい、愛のない技術で元に戻す。
彼女の身体は先ほどのように『くっつけるだけ』でも元に戻るが、特別な作業を行うと植物が芽吹くように『生やす』ことも出来るという。それなりに時間はかかるという話だが。
それは、無機物の身体しか持たないカティには分からない、激痛を伴うという。その処置だけで気が完全に狂ってしまったものもいた、と昔アルヴェール本人から聞いたことがある。
その口調は、どことなく自慢げだったようにカティは思った。
まるで、その痛みに耐えているマルグリットを、褒め称えるかのように。
そんな彼に付き従うマルグリットは、どう思っているのだろう。
モルモットを兼ねた奴隷という、己が置かれた立場に。
三桁を超える命を犠牲にした『実験』も、彼女を繰り返し『再利用』する技術を確かなものにするためのもの。どれだけ貪っても、時間が経ち老いても、すぐに元通りになるように。
そこに愛などないのだろう。少なくとも、カティの目には何も見えない。例えるなら、使い勝手のいい道具を修理するのと同じような感じだろうか。そこに愛も感情もない。
マルグリットは、魔人アルヴェールの奴隷。
同時に悪食である彼の食料であり、時に欲をぶつける愛玩動物。
だが、もっと簡単に彼女について語るなら。
――アルヴェールの元妻にして、魔女に至れなかった『不死人』。
そんな簡潔な説明に、終わるだろう。
■ □ ■
さぁて、とセドリックはソファーに腰掛けると、足を組んだ。
ここはセドリックの知人が、彼のためにとってくれたホテルの客室。一応、二人で行くと伝えていたらしく、二人が泊まれる部屋になっている。そこそこお高い部屋のようで、二つの部屋で構成された客室だった。もちろん、うち一つは寝室である。ちなみに風呂の類もある。
ただ、その時に何やら余計な一言を付け足していたようで、その寝室にあるのは大きめのベッドが一つだけ。見た瞬間、カティの中に主への、怒りのようなざわめきが生まれた。
現在のカティの身体は、ほとんど人間と同じである。
食物を摂取し、味覚もあり、睡眠をとることで休息となる。
構成している組織と、細々した要素以外、ほとんど人間と同じことが可能だ。
ゆえに、カティにはこのベッドで、セドリックとともに眠るしかない。そのつもりで彼は余計な一言を付け足したのだろうし、あるいはこうなるよう仕向けるトークをしたのだろう。
そんな彼女の心中など手に取るようにわかっているのに、何も知らない素振りを見せるセドリックは、マルグリットを前にいつも以上に不敵な笑みを浮かべていた。
「結局のところ、どうしてキミが来たんだい?」
「アルヴェールは研究が忙しいので、わたくしが代わりに来ただけですわ」
「それはないな。アイツがキミを外に出すわけがない。自分が出られないような用事を、わざわざ請け負うようなバカでもないしね。キミが――『不死人』がこの世界で、どういう扱いをされるのか、ボクはアイツほど身に染みてわかっているヤツは、いないと思っているよ」
不死人とは、文字通り不死の人。
高みにある『叡智』にたどり着けずに終わったものが、行き着く先。いうなら、魔人や魔女になりそこなった元人間だ。高嶺の花に選ばれなかった人間。その成れの果て。
彼らは決して死ぬことはない。
何をしても、どうやっても――死ぬことが出来ない。
それでいて時間は人間と同じように流れ、魔人などと異なり置いていく。
マルグリットが今も若々しいのは、すべてアルヴェールの努力と処置や技術の賜物だ。
十年おきに、その身体は元の若い形に作りかえられている。
いかなる処置と実験を施しても、その身体は決して命を失えない。
ゆえに、彼らは時に――霊薬の一種として求められた。
曰く、その血肉を喰らえば、永遠の恩恵にありつけるという。金持ちの中には、才能が適度にある孤児を引き取って『叡智』を目指させ、失敗した不死人を喰らうという輩もいた。
一番恐ろしいのは、それが迷信ではなく――実際に効果があることだろう。
事実、彼らの身体を材料にした薬が、闇に出回っているとカティは聞いたことがあった。
おそらくは、アルヴェールが彼女に執着するのも、そこにあるのだろう。しかし彼女にそれなりの人権などを認めているだけ、彼は『優しい』部類に入るのかもしれない。
「あの独占欲を筆頭とした、ありとあらゆる欲の塊がね。それを全部注ぐことが出来て、その行為を心の底から喜んでくれるキミを、こんな場所に一人で行かせるわけがないんだよ」
「……さすが、ですね」
マルグリットは苦笑し、そしてすべてを語りだした。
彼女が尋ねようとしていた相手は、この町に住んでいたある魔人だった。それは、今回の一件で最初に殺された魔人で、アルヴェールはそのことにとてもショックを受けていたという。
どうしてあいつがそうならねばいけなかった、と日々その死を悼んだと。
敵討ちに行く、と言い出しはしないかと、マルグリットは不安だったそうだ。
しかし、カティは知っている。
アルヴェールは見た目こそ長身で、戦えばさぞや絵になる姿といった風貌。社交界に出れば引く手数多の美形で、それなりの格好をさせればどこの貴族か、騎士か、という感じだ。
天は時に、いくつもの才を人の子に与える。
だが、それにも限度があるわけで。
「あぁ……アイツ、死ぬほど運動オンチっていうか、極めきったドジだからなぁ」
「武器など持たせたら、本人を含めて死人が出るのではないかとわたしは思います。しかも犯人だけがピンピンしている、という謎仕様です。……えぇ、絶対そうに決まっています」
己の主に対するひどい言い様に、マルグリットは苦笑しか返せない。
その笑みに言葉を当てるなら、ですわよね、になるだろう。
それくらいに、アルヴェールという魔人の運動神経は、どうにもならないものだった。
何もないところで転ぶのは日常茶飯事。カティも何度か目撃している。一日に十回ほど階段から転げ落ちた時、彼は二階を全面改装して、全部を客間と倉庫にしてしまったそうだ。
これで転がり落ちはしない、と宣言した直後に地下に転がった話は記憶に新しい。
以来、地下にある荷物をとりに行くのは、マルグリットの仕事になった。
そこまでのドジを晒しながらも、なぜかマルグリットが傍にいれば大丈夫だった。その理由などは不明だが、セドリックはどうも幾つか可能性が浮かんでいるらしい。
カティは前に尋ねたのだが、意味深な笑みではぐらかされた。
まぁ、ともかくアルヴェールはありとあらゆる意味で、マルグリット無しにはどうにもならない魔人である。彼女に何かあれば、あの魔人は数日で死ぬのではないかとさえ思うほど。
仮に敵討ちに出発したところで、おそらくは返り討ちになればいい方だ。
町にたどり着けるかも怪しい、とカティはぼんやりと思う。
「……つまり、アルが敵討ちを言い出す前に、先回りで潰すつもりなんだね」
「その通りですわ」
にっこり笑顔のマルグリットは、とてもかわいらしい。
人間だった頃の年齢は二十代前半だと聞くが、こうして笑っていると十代に見える。
けれど、その口から飛び出す言葉は、かわいいかどうか怪しいものが多い。普段、セドリックがカティ以外を容易く切り捨てるように、彼女にとってはアルヴェールがすべてだった。
「そこでお願いがありますの。これも何かの縁ですし、手伝ってくださいませ」
「手伝い……ね」
「えぇ。この町には金髪に赤い瞳の魔人、あるいは魔女がいるという噂があります。ご存知だとは思いますけど。これを利用させてもらいますの。セドリック様がまさに金髪赤目ですし」
「つまりこのボクを囮に使おう、というわけだね」
「そういうことになりますわ」
どうやら彼女は、一人で何とかするつもりだったらしい。けれどこれといって何も出来ないまま倒され、気づいたらセドリックらが傍にいた、という状態だったという。
軽く手傷は負わせたのですけど、という彼女を見て、セドリックが少しだけ不機嫌そうな目つきになっている。自分の攻撃が通用しなかったことを思い出して、苛立っているのだろう。
挙句、囮になれといわれたら……まぁ、いい気分はしない。
だがそれ以外に妙案があるか、といわれると、特にないのである。
「……まぁ、元からそのつもりだったからいいけどさ」
いざ言われると複雑だ、とつぶやくセドリック。
「もちろん見返りも、ちゃんと用意しますわ。わたくしからアルヴェールに、セドリック様の要望をこれでもかと反映させたボディを作るように説得しましょう。お二方にはそう見えないし思えないでしょうけど、あれでわたくしの『おねだり』は結構聞いてくれるんですよ?」
「……ふ、ボクがそんなエサにつられるとでも?」
セドリックはにやりと笑い。
「ボクは安くないよ。覚悟したまえ」
「……つられるんですか、結局」
「だってカティのためだからね、仕方ないよ」
「それ、わたしのためではなくセドリックのためですよね、絶対に」
「愛されていますわね、カティ様」
にこやかな二人に挟まれ、カティはため息を零す。
何とも、重苦しい『愛』があるものだ。
「とはえい、ボクにも事情があってね。キミの望みを、そのまま叶えるわけには行かない可能性もあることを覚悟して欲しい。ボクが了承できるのは、ボクを囮にするところまでだ」
「もちろんそれくらいはわかっていますわ、ただ」
マルグリットは、寂しそうに微笑む。
ただ――の続きを、言うつもりはないようだ。あるいは、何をどういうべきか、彼女自身にもわからないのかもしれない。ドールだといくつか言葉が浮かぶが、人間はあいまいだ。
「まぁ、そこら辺は正直どうでもいい。ボクの仕事は『魔人や魔女を狙うと言いながら一般市民を殺戮している殺人鬼』を、何とかするだけだからね。確保も殺すも、ボクの自由さ」
つまり、この町から殺人鬼がきえればいい、というだけの話。
殺人鬼が死んでもいいし、どこかに去るのでもいい。
セドリックは、この一件については部外者、傍観者であることを選んだようだ。
頼まれごとが達成する限り、直接手は出さないつもりらしい。
まぁ、殺人鬼がどうなろうとも、セドリックには関係ないことだ。町から殺戮が消えれば彼の仕事は終わる。それなりの見返りをもらい、恩を返し、そしてまた自宅での日々に帰る。
突き放すような言葉も、マルグリットには満足だったのだろう。
「ありがとうございます」
震える声で、彼女は感謝を口にした。
それを見たセドリックは、少しだけ悲しそうな目をする。マルグリットを、まるで哀れむような目だ。カティには、どうして彼がそんな目をするのかわからない。
だけど――きっと彼女にはわかっている。
ありがとうございます、という、消えそうなほど小さな声が、聞こえたから。
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