1.魔殺しのシリアルキラー

 世界に十数個存在する『都』と呼ばれる大都市。

 そのうちの一つで、ここ数年、ある事件が人々に恐怖を与えていた。

 それは――『魔人』や『魔女』だけを殺す殺人鬼。

 世界に一定数いる、神の『叡智』を手にした元人間だけを狙うシリアルキラー。

 現場は警察関係者さえ顔をしかめるほど陰惨で、犯人が魔人や魔女にとてつもなく深い憎しみや恨みを抱えているのは、素人でも痛いくらいにわかる状態だった。

 第一発見者となった者の中には、それにより精神を病んだ者さえいる有様である。

 忘れかけた頃に起こる事件。

 人々は恐れていた。未だ手がかりらしいもの一つ見つからない犯人に。同時に、犯人をそれほどの凶行に至らせた存在に。元より恐れられた存在には、畏怖と憎悪が向けられている。

 事件は主に夜間に発生しているのだが、昼過ぎという時間帯にも関わらず通りに地元民らしき格好の通行人は少ない。旅人も異様な気配を察知したのか、皆宿に引きこもっている。


 そんな、重く暗い空気に満ちた都の一角にある、人もまばらな喫茶店。

 コーヒーを飲む金髪の少年と、紅茶を飲む黒髪の少女がいた。

 少女は小柄で華奢で、加えて無表情。

 年齢は十代半ばといったところで、体つきは全体的にスレンダー。

 同年代なら多少は出ていてもおかしくはない部位も、かすかに膨らんでいる程度。

 闇で染め上げたようなセミロングの黒髪に、月のような淡い金色の瞳。肌の色は血の気が通っていないかのように白く、丈の短いワンピースタイプの衣服に描かれた黒い模様が映える。

 一方の少年も、どちらかというと小柄な部類で体格も痩せている。

 しかし感情が伺えない少女とは対照的に、彼は愉悦の笑みを浮かべていた。

 少し長い金髪は少女の瞳より色に深みがあって、緩く癖があり柔らかそうに見える。瞳は息を呑むほどの真紅で、彼らの知人の中には宝石にたとえる者がいるほどだ。

 全体的に冷たそうな印象のある少女と、一見すると暖かそうに見える少年。

 二人が並んでいると、妙な組み合わせに見える。

 共通点といえばその服装の色だろうか。少年もまた白と黒で構成された衣服を纏い、灰色のシンプルなコートを羽織っている。全体的にサイズが大きいのか、袖やすそはダボダボだ。

 それでいて、足元は皮のゴツいブーツ。

 布か合皮で出来た少女の黒いブーツと比べると、だいぶ頑丈そうだ。

 足元以外は動きにくそうな格好の少年は、ミルクや砂糖を入れたわけでもないのに、銀色のスプーンを突っ込んでクルクルとかき混ぜている。時折、カップにぶつかっていい音がした。


「セドリック」

「ん?」

「魔人や魔女は、そんなにも多いのですか?」

 少年の向かい側に座る少女は、淡々とした様子で口を開く。


「殺人鬼と呼ばれるからには、それ相応の被害者が出ているはずですから。ですが、わたしのイメージと知識では、決して多くないはずです。なので、疑問というか……解せません」

「あぁ、それか……」

 問われた少年はスプーンをなめ、答える。


「それはねカティ。そういわれているのはただ単に、現場に残った紙切れにそう書かれていたからってだけの話なんだよ。確かに犯人の狙いは魔人や魔女だけど、実際の被害者は違う」

「それは……つまり」

「一人目以外は、ごく普通の一般人。彼らは愚かではないから、最初の事件を聞くなりさっさとこの町を脱出しているよ。町どころか別大陸まで行った、なんて魔女もいたね、確か」

 バカだねぇ、と笑って、彼はコーヒーを飲み干した。

 その表情からは、味が良かったのか悪かったのか読み取ることは出来ない。

「しかしセドリック」

 と、カティは無表情の中に心配の色を混じらせて続ける。


「ならば、この町に『魔人』が来るのは、危険があるのではないですか?」


 彼女の主であるセドリック・フラーチェ――目の前に座っている少年は、件の殺人鬼が狙っている存在である『魔人』だった。見た目は若いが、これでも数百年ほど生きている。

 基本、自宅から出たがらない『ひきこもり』である彼の、久しぶりの外出宣言。目的地で起きている事件を知るまでは、カティもそれなりに楽しみにしていた『旅行』だった。

 何に一番驚愕させられたかというと、セドリックが事件を承知だったことだ。

 何もかも知った上で、彼はこの町にやってきたのだ。

 そんな場所に行こうと言い出した主を、カティは褪めた目で睨む。

 確かに彼には戦うための力がある。だが相手にそれが通じるかは未知だ。警察関係者が被害者に何人も含まれている辺り、ほとんど戦ったことがないはずの彼の勝ち目は薄いだろう。

 そして、それがわからないほどセドリックは愚かではない。

 ゆえにカティは、主に言う。


「セドリック、なぜ自ら危険に飛び込むのか、わたしには理解できません」

「いやぁ、直球でそんな風に言われると、何だかしびれちゃうね」

「……セドリック」

「まぁ、そう怒らないで。どうしてもと頼まれたんだよ、知り合いに。互いに恩をやり取りしている関係でね、そういう事情もあって断れない。ボクは恩を仇で返す趣味などないからさ」


 仕方ないよねとセドリックは、にっこりと笑っている。

 またそれか、と心の中でカティはため息を零した。

 普段、自宅から一歩も出ないし、これという友人も少ないセドリック。しかし、それでいてわずかな縁は大事にする。顧客と呼べる相手からの要望は、多少無茶でも受け入れるし。

 多少の危険も、時には躊躇いなく許容してきた。

 まぁ、それなりの見返りもあるのだが、カティからすると心配でたまらない。いつか、それらが積み重なって命取りになりはしないかと。怖くて、恐ろしくて、考えると苦しくなる。

 そんなドールの気持ちを他所に、当の本人は至って明るい。

 まるでそれで死ぬのも悪くないとでも言うようで、カティのココロが悲鳴を上げる。

 不安そうに黙っていると、彼の指がそっと頬を撫でてきた。

 赤い瞳に、優しい光が浮かんでいる。


「大丈夫だって。ボクを誰だと思っているんだい?」


 聞きすぎて口先だけにしか思えない言葉を並べ、セドリックは笑っている。

 繰り返されたその言葉で、カティが――彼を案ずるドールのココロが、安らぐわけがないとわかっているくせに。カティのココロが何にどう動くのか、そのすべてを知っているくせに。

 それでも彼は、繰り返すのだ。

 大丈夫だと、軽く、明るく笑いながら。


「カティはただ、ボクの隣で眺めていればいいよ。物語の顛末をね」

「そんな簡単に……」

「だって、本当に簡単なんだからね」


 立ち上がったセドリックは、どこかに向かって歩き出す。その手には伝票。どうやら移動するらしい。……カティは、まだ紅茶をほとんど飲んでいないのだが、仕方がない。

 ぐっと飲めるだけ飲んで、彼女は主を追いかけた。



   ■  □  ■



 夕暮れも通り過ぎた夜。

 入り組んだ路地に、彼は立っていた。

 魔人セドリック・フラーチェ。人形師にして調律師。ことドールのコアに関して、左右に並ぶものがいないとされる、若くしてその座に至った稀代の魔人。

 彼が従えるのは、彼が手塩にかけて調律してきたドール――カティ・ベルウェット。

 二人は、いかにも何かが出そうな道に、背中合わせに立っていた。


「こないねぇ……せっかく、事前に噂を流しておいたのに」

「噂?」

「あぁ。金髪に赤い瞳の魔人が、町に来た――とね。だから、結構目立つ場所をうろうろしたつもりなんだけど。ほら、ジロジロ見られたりしなかったかい?」

「……そういえば」


 てっきり、あれは自分たちの行動が目立っていると、カティは思っていた。むしろ、普通に考えればそうとしか思えない。思わせぶりに腰を抱いてきたり、頬に唇を寄せたり。

 何と言うか、頭に花が咲き誇った言動ばかり、された。

 久しぶりの外出で、いい感じに壊れたのかと思ったのだが、作戦だったらしい。

 ここに噂の魔人がいるんだという、アピール。


 ――無駄にドキドキして、損をしました。


「いった……っ」

 思わず足を蹴り上げてしまう。しゃがんで足を押さえるセドリックを、カティは見えないことにした。乙女心を弄ぶ罪を、その程度で勘弁するのだからありがたいと思ってもらいたい。

「カティって、時々ひどいことをするよね」

「自業自得という言葉の意味を、百回ほど紙に書き写す作業はいかがですか?」

「……ほら、そういうところがひどい」

 嘘じゃないのにさぁ、とセドリックはため息を零す。

 カティは、家に帰ったら早速書き写すお仕置きをしよう、と誓った。何度も冗談と本気をぼかしながら同じことを言われると、もう全部一括で冗談だととらざるを得ない。

 それがよくわかるように、自分が彼を『調律』しなければ。

 心の中で、こぶしを握りながら誓っていると。


「――来たね」


 右耳につけたイヤリングをはずし、セドリックがつぶやく。

 青い宝石で作られたそれは、彼の手の中で次第に大きくなった。

 現れたのは、知り合いの『魔人』が作り上げた特注の拳銃。これという戦闘技能を持たない彼が持つ唯一の武器で、普通の人間が扱う銃とは姿かたちが似ているだけの別物だ。

 弾丸も特別仕様で、時々試行錯誤しながら自作している。

 セドリックは道の奥、闇にかすかに見える人影に、その銃口を向けた。


「ようこそ殺人鬼、『魔人』がキミの相手をしてあげるよ」


 ためらわずに引き金を引く。空気を震わす轟音が響き、カティの肌に伝わった。その間に彼は左耳のイヤリングも銃の形に戻し、右を打ち終わると左を構えなおした。

 だが。

「ちっ……動きが早い」

 セドリックが悔しげに舌打ちするのを、カティは確かに聞いた。

 闇から飛び出してきたのは、黒い外套に身を包んだ――おそらくは青年だった。顔が見えないので年齢は定かではなかったが、背丈や体つきは、セドリックより大人でたくましい。

 何やら特別な道具でも用いているのか、その動きは明らかに異常だった。

 セドリックの狙いは正確で、普通なら確実に相手のどこかに命中しているはず。

 だが弾が相手に届く前に、向こうがその場から動いてしまう。どうやら動きをある程度先読みして狙いを定めているようだが、それでも軽々とよけられてしまって当たらない。

 確か、どこかの魔女が身体能力を上げる衣類、というのを作っていた。

 普通の服と比べて割高だが、手に入らないというわけではない。

 もしかすると、相手はそういうものを用いているのか。ならば警察が犯人を捕まえられないのもわかる。その手の中には姿を消したり、姿を変えたりするものもあるからだ。

 これは想像以上に、まずい相手らしい。

 仮に今が昼間だったとしても、はたしてその動きを目視できたかどうか。


「セドリック……っ」


 弾が切れたタイミングで、殺人鬼が二人に迫る。

 カティはとっさに前に出て、その刃から主を守ろうと腕を広げる。

 幸いにも、この身体は所詮無機物だ。

 人間の身体よりは、ずっと頑丈。

 さらにコアさえ無事ならば『死』というものも存在しない。そしてコアは――手間がかかるが複製できるので、セドリックさえ無事ならば、カティはある意味で『不死』だった。

 互いに腕が届く距離まで接近され、背後からなじるような声がして。

 ぎゅう、と後ろからだ抱きしめられた瞬間。


「……っ」


 二人の頭上を、黒い影が一つ、飛び越えていった。

 かつ、かつ、とリズムよく遠ざかっていく足音。それが聞こえなくなって、カティはやっと自分たちが――というより、自分の主が助かったということを認識した。後ろから回された腕は、確かに力がこもっているし、背中に接する彼の身体は温かい。彼は間違いなく無事だ。

 無事なのは明らかだが、セドリックはカティの身体を、なぜか離そうとしない。

 カティは知っている。

 こういう場合、セドリックは不機嫌であることが多いと。

 そしてドールゆえの優れた記憶力は、原因が己にあると彼女に告げた。


「セドリック、ケガは?」

「ないよ。ぜんぜん。ただ心がすごく痛い。後で治して」

「……わたしは、医術の心得など」

「そんなの要らないよ」


 じゃあどうしろと、この魔人は言うのだろう。カティにはわからない。彼は相変わらず不機嫌そうに、カティを抱きしめて離さない。首筋に息がかかって、少しだけくすぐったかった。

 というか、追いかけなくていいのだろうか。

 一応、殺人鬼を何とかしてほしい、という頼みを聞いてここまできた。うまい具合にその相手と遭遇して、しかも無事な状態だというのに、よくわからないけれどこんな状態で。


「セドリック……あの、そろそろ」


 離してほしい、と告げようとすると、ふっと腕の力が緩んだ。

 やっと開放されたと思うより先に、硬い表情のセドリックが歩き出す。彼はどこからか小型のランプを取り出すと、それで路上を照らした。カティは、彼の表情の理由を知る。

 殺人鬼がやってきた方角から転々と、赤いものが残されていた。

 これは、つまり。


「一仕事を終えた後だったから、放置したわけかな」

「じゃあ、この向こうに被害者が?」

「いるだろうね。……一応、探して連絡を入れておくかな」


 ある程度犯人像も絞れたし、とセドリックは笑う。

 先ほどまであらわにしていた不機嫌さは、どこに行ってしまったのか。まぁ、カティからするとあのままだと非常に困るので、不機嫌の行き先はあえて気にしないことにする。

 笑っているのは、機嫌がいいからということにした。

 再び歩き出すセドリックに、ついて歩く。

 小型ゆえにランプの明かりは小さく、けれどただ歩くだけならさほど不便はない。

 ぽたぽた、と残された血痕をたどりしばらく進んだところで。


「腕だね」

「腕ですね」


 二人の前に、ぽつん、と転がったヒトの腕が現れた。一緒に切られたらしい袖から見て、腕の持ち主は女性。指のつき具合からして、右腕だろうと思われた。

「……で、この死体はどうしようかな」

 傍に転がっているのは、女性の死体。金髪は乱れ、右腕は身体から切り離されている。腹部からは多種多様の中身が溢れて、誰が見ても彼女がすでに召されているのは明らかだ。

 セドリックは面倒くさそうに金髪を掴み、うつむいた状態の頭を上に向かせて。


「――え?」


 ずるり、と金髪が抜ける感覚に、目を見開いた。

 彼の手に絡みつく毛に隠されていたのは、色素が薄い茶髪。


「……ん」


 どこからか、寝起きのような声がする。

 付け毛を手から振り払い、セドリックは愛用の銃を構えた。

 銃口の先にあるのは、確かに死んでいた女が、ゆっくりと動き出す光景だった。左手で腹から溢れたものを押し込んで、撫でる。だんだんとその穴が、ふさがっていくのが見えた。

 まるで――時間が遡っていくようだとカティは思う。

 よろり、と立ち上がった女は、銃を構えたセドリックをじっと見ていた。

 生気のないうつろな瞳が、だんだんと光を取り戻していく。

 彼女は左手で右手を拾うと、切断面をくっつけた。しばらくすると繋がったのか、その指先がぴくりと動く。だが完全に回復するのには時間がかかるらしく、その動きはぎこちない。

 右手を顔の高さまで上げて、何度か握ったり広げたりして動きを確認し。

 その瞳がようやく、手の向こう側にいる、カティとセドリックに向けられ。


「あら、セドリック様にカティ様……なぜここに?」


 不思議そうに首をかしげる、彼女の名前はマルグリット。

 カティの記憶と認識が正しければ、こんな場所で出会うはずのない存在だ。ましてや、件の殺人鬼に殺された状態で遭遇するなんて、予想はもちろん想像、空想さえしない。

 けれど確かに彼女はそこにいて、さっきまで死んでいて。

 今、こちらにニコニコと、何事もなかったかのように微笑んでいた。

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