3.嫉妬心
休憩でーす、という声と共に、緩む場の空気。
演技について話し合う輪の中に、ミュイルはいた。
異例の抜擢からひと月。ミュイルは他の役者に混じって、もうすぐやってくる舞台に向けて練習を続けていた。セリフはもうほとんど覚えたし、演技だってミスなくこなせている。
最初は、素人がという反応が多かった役者たちだったが、今ではミュイルを認めてくれたらしく相談しあう仲となった。一部の役者に、自分の夢を話していたのも功を奏しただろう。
やっと夢が叶ったのね、と彼らは実に好意的で、ミュイルの励みになった。
ティルの指導は容赦なかったが、おかげでミュイルの演技力はぐっと高まった。今まで知識でしかなかったものが、経験という花になる。周りはもちろん、本人が一番楽しかった。
主役――ミュイルが演じるのは、ごく普通の女の子だった。小さな雑貨屋を営む、地域の人々との交流が盛んな店主。物語は彼女が関わる、いろんな人々の人間模様を描くもの。
傍観者や相談相手として、主役の少女は常に一歩引いたところにいるのだけれど、物語も中盤を超えると彼女が『主役』となる日が唐突にやってくる。
今までは、ポンポンと問題を回避し、解決するアドバイスを思いついたのに、自分のことになると少しも浮かばず、少女は次第に焦ったり、落ち込んだり。
それを助けてくれるのは、今まで彼女が相談に乗ったりしてきたお客たちだった。
「そして主人公は幸せになる――か」
台本を勝手に読んだセドリックは、それをミュイルに返しながら笑う。他の役者はそれぞれ休憩に入っていて、舞台に立っているのはミュイルとセドリックの二人だけ。
「感想は?」
「よくできた、本当によくできたお話だ……ってところかな。こういう話は悪くないと思うんだけれど、正直に言えばボクの好みじゃないね。どうにもまっすぐすぎて、気持ち悪い」
「……あぁ、そう」
好みじゃないを通り越して、気持ち悪い、とまで言い切るか。
何となくわかっていたが、どうもこういう大団円はお気に召さないらしい。そう長くはない交流でもわかる程度にひねくれ者だから、たぶんそうだろうなぁ、とミュイルは思ったが。
彼は、もう一ひねり加えた話の方が好みだろう。
最初のプロットではそっちも考えていたとティルは言ったが、尺などの問題から今のシンプルな形に整えたらしい。ミュイルとしては、完成した方が好みだった。
ハッピーエンドはわかりやすい方が、うれしくなるから。
「しかし、キミを抜擢した彼の気持ちはわかった。これはミュイル、キミのための役だ」
「そう……なのかな」
「純粋でお人よし、優しく甘い。実にキミにぴったりじゃないか」
「……あんまり、褒められた気がしないんだけど」
「ボクとしては憧れすらあるね。こうも、人を無条件に信じられることが。夢にすべてを捧げきることが。ボクには、それができなかったから。できないし、もうしないだろうからね」
どこか『それをしていた頃の自分』を、バカにしたような口調で語るセドリック。口元にはうっすらと笑みが浮かんでいて、そこには明確な嘲りの色が滲んでいた。
まるで、ミュイルのような生き方をしていた頃は、間違いだったと言わんばかりに。
どこか自分自身を否定されたようで、ミュイルは彼から視線をはずす。けれどセドリックは薄く笑みを浮かべたまま、静かにミュイルを見ているようだった。
「やっぱりボクは、キミがあまり好きじゃないな」
「……は?」
「キミがというより、キミと比べたボク自身が、とした方が正しいかもしれないね。夢に向かうキミを見るほどに知るほどに、昔のボクを思って、ひどく情けない気持ちになるんだよ」
「情け……ない?」
「あぁ。ボクは逃げ出したから。夢を求めることから、逃げた。だからキミの、そのあり方がひどくうらやましくて、まぶしくて……そして同時に妬ましく思っている。滑稽だろう?」
自分で諦めたくせにね、とセドリックは苦笑する。
その姿は、どこか泣いているようだった。
その姿に何も言えず、ミュイルは床を見つめた。ぴかぴかに磨かれた、ずっと立ちたかった舞台の一部。彼もまたここに、彼にとっての夢の舞台に立っていたのだろう、きっと。
けれど何かがあって、諦めて逃げてしまった。
それが、彼が若くして旅をしている理由なのだろうか。
なぜ旅をしているのか、どこから来たのか。それらを語らない彼の過去に、どんなものが眠っているのかミュイルはしらない。語られないものを、根掘り葉掘り尋ねる趣味もない。
だから、きっとそんな風に笑うような、何かがあったのだろう、と考える。
しばらくの沈黙をはさみ、ミュイルは話題を変えた。
「ところで、セドリック」
「何?」
「私、いつまであそこにいなきゃ、いけないのかしら」
そろそろ寮に帰りたいけど、とミュイルはため息を零す。
毎朝見上げる天井は、若干とは言いがたい程度に汚れている。ベッドは真新しいシーツなどを使って清潔そうなのだが、全体的に古びた、というかくたびれた感じがする場所だ。
そこは町の住民にも、ひときわ安いと評判の宿の一室。
もっと言うと、セドリックの部屋だった。
現在、ミュイルはある事情により、彼が宿に取っている部屋に居候している。
そこはさすが安いだけあって、いろいろとアレな感じだった。
「宿代だって高いんだから、文句は言わない。それとも違う宿に移ったら、宿代を半分ぐらいは払ってくれるわけ? 羽ばたき練習中の雛鳥女優――別名を、無職のお嬢さん?」
「う……」
そう言われてしまうと、ミュイルは黙るしかない。劇場勤務のままでは練習する時間が取れないので、すでに職場には辞表を提出してしまっている。つまり、現在ミュイルは無職だ。
一応貯金はあるにはあるのだが、すずめの涙にもたとえられないような金額で、そんなものでもできれば今度のためにとっておきたい。とんとん拍子に、前進できるとは限らないから。
「わかったら、おとなしく我慢すること」
いいね、と言われてミュイルは何も言い返せなくなる。
安全に眠れるだけ、マシなのだろう。
彼女にできることはたった一つ。
こうなった原因が、早く取り除かれることだけだ。
■ □ ■
ことの起こりは、練習が始まってしばらくした頃。
他の役者に認められ、徐々に彼らと打ち解け始めた頃だった。
最初は、仮縫いまでやった衣装が消え、次に台本。
練習予定日はあらかじめ決まっているのだが、それが変更になった時にミュイルになぜか情報が入らないなど。セドリックに言わせればガキのようなイタズラが、集中的に起こった。
それくらいは、ミュイルもある程度覚悟はしていた。
むしろ、ある程度馴染んだところで来る、ということの方が堪えた。
キーラは気にする必要はない、と言ってくれたが、それでもどうしても気になるし、彼らの裏側を疑ってしまう。あの笑顔の向こうで、もしかすると……という風に。
そんな自分が嫌になってきたある日、更なる事件が起きた。
普段、ミュイルが待機している場所めがけて、セットの一部が崩れてきたのだ。
一見するとただの事故に見えるそれは、度重なる嫌がらせの延長戦にあるようにしかミュイルには思えない。タイミングがあまりにも悪く、そして恐ろしくなった。
あの場所に立つのはミュイルだけではない。
むしろ、ミュイル以外がいることの方が多い。
もしも自分を狙ったその行為が、誰かを傷つける結果を生んだら。
『気にすることはないさ。その時は、その分も上乗せして償わせればいい。とはいえ、命あってのというし、時には一歩下がるのも悪くないんじゃないかな、とボクは愚考するけど』
危ういところでミュイルを救ったセドリックは、そう言うけれど。
『今からでも、降板する? このままだと、本当に危ないわ』
『自分で誘っておいてなんだけど、ミュイルの安全が一番だからね……』
ティルやキーラにも、そんな風に心配をかけたけど。
――ミュイルは、舞台に立つことを選んだ。
逃げたくない、諦めたくない。嫌がらせという不法な手段に、屈するようなことだけはしたくはない。直接言ってこれないような卑怯者の臆病者に、何を遠慮する必要があるのか。
とはいえ、危険が迫っているのはわかっているから、できる範囲で用心している。一人や二人にならないように気を使い、できるだけ集団で移動するようにしたり。
そしてミュイルは、一番安全であろうセドリックの傍にいることになった。キーラは部外者を巻き込むなんて、と反対したけれど、結局はミュイルの意思に従うことにしたらしい。
何かあったら叫ぶのよ、と言われた時には苦笑が出てしまった。
仮に裸で彼の前に立っても、きっと彼は何もしないとミュイルは思っている。彼の目に、ミュイルはそういう欲を向ける相手とは、決して映らないのだと感じていた。
セドリックがその赤い瞳で見ているのは、もっともっと別の誰か。ミュイルが知らない、誰も知らない、もしかすると彼すら知らない誰か。その誰かだけを、彼は求めている。
それ以外がどんな格好で目の前に立とうと、妖艶に誘おうと、彼は指一本触れないどころか視線すら向けないだろう。たった一人以外、セドリックにとっては皆同じに違いない。
そして――その誰かこそが、彼が諦めた夢の中にいるのだろう、と。
だから諦めたといいながらも、捨てられず、ミュイルにおせっかいを焼いてしまう。本当は少しも諦め切れていなくて、でも叶わないかもしれないという恐怖の前に動けなくなって。
自分の演技で、彼にも何か影響を残せたらいい。
彼に、このまま夢を諦めて欲しくない。
客席を眺める真剣な横顔に、ミュイルはそんな誓いを立てた。
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