2.舞台に続く最初の一歩
ロビーにいたのは、びっくりするほど見目が整った少年だった。役者は男女共に見目麗しい者が揃っているけれど、この少年は彼らに勝るとも劣らない『魅力』を感じさせられる。
サイズが一つか二つほど大きいらしい服を、だぼっと着込む、その足元はかなり丈夫そうなゴツいブーツ。上半身はすっきりしていて、これという装飾は身に着けない趣味らしい。
だが、そんなもの、彼には必要ないだろう。
どんな宝飾品も、彼自身には敵わない。
癖のある金髪は艶やかで、赤い瞳は宝石のよう。
月並みだが、そんな言葉が思わずミュイルの頭の中に浮かんだ。
自分と――同じような色の髪や瞳。
でも彼のそれらは、何から何まで違って見えた。
「えと……あの、ありがとうございました」
何だかいたたまれなくなって、ミュイルはぺこぺこと頭を下げる。できるだけ、彼から離れてしまいたいと思った。あまりにも存在の光が違いすぎて、傍にいるだけで息が詰まる。
けれど彼は、なぜかミュイルをじっと見ていた。
物珍しそうに、ただ静かに。
「……あ、の?」
「あぁ、すまないね。どう見ても、ごく普通の子だったから、不思議に思って」
「不思議……?」
「そ。同業者を妬むというのは良くあるけど、無関係な一般人を狙うのは珍しい。けれどキミにそれがあるようには見えなくてさ。貴族令嬢とか、お金持ちってわけでもないんだろう?」
問いかけに、ミュイルは小さくうなづく。
狙う、という単語に、言いようのない不安が募った。
やっぱりあれは、自分を狙っていたのだと。あの時に彼が来なかったら、自分は最悪、殺されたりしていたのだろうと、改めて認識してしまったから。
けれど彼の話によると、ミュイルは狙われるはずのない存在、らしい。
「ややこしいから説明は適当に端折るけど、ともかくキミは狙われている」
「……はい」
「相手はたぶん、魔人か魔女。話には聞いたことがあるんじゃないかな。神が禁忌とする『叡智』に至り、その高嶺の花を手にしてヒトを辞めた、ヒトを超える力を持つ存在の話を」
少し迷って、ミュイルは縦に首を振る。
あくまでも噂や伝承程度だが、そういう存在がいるのは知っていた。
世界を作り出した神に勝るとも劣らぬ力を持ち、世界の技術発展の礎となった存在。三桁の年月を生きられ、場合によっては四桁以上の時間を過ごしてきた魔女もいるらしい。
その能力は願ったものや得意とするもので異なり、それぞれに得意分野を生かして生計を立てていたりするという。……そんな、御伽噺の登場人物のような、実在する『種族』の話。
このタイミングで彼らの名前が出てくるのはどうして、なんてバカなことは思わない。
ミュイルは思わずうつむき、服を握り締めた。
浮かぶのは、更なる疑問の山だった。
一言でその山を語るなら――どうして魔人や魔女が自分を狙うのか、という叫び。
「それはボクにも分からない。だけどあれは、間違いなくキミを狙っていたし、普通の人間が作り上げられるようなドールでもない。あれは、魔人か魔女が作り出したものだ。キミを狙うためだけに調整された、キミに害を与えるためだけの道具……だと、ボクは思う」
「そん、な……どうしてですか! どうして私が!」
「連中の中には依頼を受け、標的に害を与える生業のヤツもいるからね」
笑いながら告げられる話に、ミュイルは言葉も出ない。
そんなのに狙われたことより、そこまで恨まれたことの方が恐ろしかった。すべてにおいて善人だったとは思わないが、命を狙われるような言動を誰かに向けた記憶などない。
それとも、記憶に残らないほど些細なことで、こんな事態になったのだろうか。
「あぁ、例のヤツは叩き壊しておいたから、しばらくは安全だよ」
聞けば、ドールは決して安いものではないらしい。掃除する、といった単純な命令を聞くだけならかなり安価で、都に住む市民の多くが一つは所有しているほどだというが。
だが、ミュイルを狙ったものは、おそらくはオーダーメイド。ミュイルを捕まえて、おそらくは殺すためだけに作られた特別製品で、使い捨てられる値段ではないという。
「そんなわけで、しばらくは安全だと言い切れる。相手が、直接手を出してきたらどうなるかわからないけどね。でも、それができない立場だから、他者を使ったのだろうからさ」
「……」
「さて、乗りかかった船だし、どうかな」
にやり、と少年が笑う。
「ボクをボディガードとして、雇ってはみないかい? まぁ、断ったところで、ボクは勝手に関わっていくけどね。ただしその場合、キミの立場は『囮』というものに、なってしまうが」
「え、あの、でも」
「気にすることはないから、おとなしく守られたまえよ。ボクからすると愛用のコートをダメにされて、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ気分と機嫌も悪いから、報復したいだけだし」
どうせヒマを持て余しているし、と彼は笑う。
少し迷い、ミュイルは彼に守ってもらうことにした。
実際、自分はあれに対して逃げ出すことしかできなかったわけだし、彼がせっかく守ってくれるといっているのだから、今はそれに身を委ねるべきだろう。
それにしても、ダメにされたコートとは、よっぽど気に入っていた品だったらしい。
「さぁて、こうなったら徹底的に叩き潰さないとねぇ」
と、笑っている彼の表情は、あまり視界に入れたくない程度には恐ろしかった。これは相当に怒っているようで、心強いと思えばいいのか、関わってよかったのかと後悔すべきなのか。
しばらくすると気が落ち着いたのか、少年は幼さが残る笑みをミュイルに向けた。
「そうだ。名前をまだ言ってなかったっけ。お互いに」
「えっと……私はミュイル。ミュイル・シルスヴァーナといいます」
「ボクはセドリック・フラーチェ。ちょっとした……そうだな、旅人ってところかな」
よろしくね、とセドリックは赤い瞳を細め、微笑んだ。
どうやら彼は、町の宿に滞在しているらしい。そこから毎日、ミュイルをわざわざ寮まで迎えに来て、仕事の間はずっと劇場にいて、そして帰る時には送ってくれるという。
何もそこまで、と普段なら思うところだったが、ああも怖い思いをした今、彼がドールと呼んだあれを撃退――いや、破壊したというその力は魅力的だった。
実際問題、ミュイルはおびえて逃げることしかできない。
それでもやっぱり、申し訳ない気持ちになる。ただの旅人である彼に、本人が望んでいるとはいえ要らぬ苦労をさせてしまうのだから。自分は、それにお礼をすることもできないのだ。
「あんまりそう気に病まなくていいよ。これは、ボクが勝手にしていることだから」
「でも、与えられっぱなしというのはさすがに……」
「それに、ある程度の『打算』もあるんだよ、ボクの『善意』にはね。こう言ったらキミの気分は悪くなるだろうけれど、やっぱり傍にいるのが一番なんだよ、敵の尻尾を掴んで振り回すには。こっちがどういう風に動こうとも、キミを狙う限り近づかなければいけないんだから」
つまりはミュイルの傍にいることで、敵との接点を増やそう、ということのようだ。
それは確かに『打算』だし、純粋な『行為』とは言いがたいと思う。
「何から何まで、ありがとうございます、セドリックさん」
けれど、ミュイルは静かに頭を下げ、感謝を口にする。
危険から守られることに、代わりはないのだ。それに似合う代償を支払えないのだし、それくらいのことでガタガタいうような、バカなことはしない。
ミュイルの中には、彼への感謝がしっかりと根付いている。何より、ミュイルだって純粋な善意を誰かに向けられているか、いざ考えると自信がほとんどなかった。
誰だって、ある程度の見返り目当ての一面がある。
そこを否定していい子ぶるような、そんな白々しいことはしたくない。
「キミって変わってるな」
セドリックは苦笑する。
彼は組んでいた足を入れ替えながら、続けた。
「あぁ、それから別に敬語は要らないよ」
「でも」
「ボクは、そういうのあんまり好きじゃないんだよね。普通にセドリック、と呼び捨てにしていいよ。その方が一緒にいても、あんまり不自然じゃないから。敬語って余所余所しいし」
でしょ、といわれ、ミュイルはしばし無言になる。
確かに見た目は同年代だし、敬語というのは不自然に見えるかもしれない。
「じゃあ……改めて、よろしくね、セドリック」
「あぁ、よろしく」
自然と握手を交わす二人。傍目には実に穏やかな光景だ。まさか、片方が片方を守るという関係にあるなど、おそらく事情を知らなければ想像すらしないことだろう。
ましてや、ただの一般市民でしかないミュイルが、もしかすると命を狙われているなど。
彼がヒトならざるものを、たやすく倒してみせる力があるなど。
「あぁ、ミュイル、ここにいたんだね」
と、一人の男性が二人の方へと走ってくる。薄汚れてよろよろの、決していいとは言いがたい格好の彼は、劇場に所属する脚本家の一人だ。ミュイルとは顔見知りで、時々試作の脚本を読ませてもらったりもする。何でも、素人からはどう同見えるのか、というのも重要らしい。
確か次の演目の脚本を担当することになったとかで、しばらくそちらの作業にかかりっきりだったはずなのだが、どうしてミュイルに用事があるのだろう。
「ティルさん、どうかなさったんですか?」
「どうしたもこうしたもないよっ。ずっと探してたのに、どこに行ってたんだ!」
「えっと、その」
「彼女はちょっと悪いヤツに追われていてね、ボクが助けてきたんですよ」
横からひょっこりと話題に入り、勝手に説明するセドリック。ミュイルとしては、心配をかけるようなことは知られたくなかったのだが。しかし、他にいい言い訳も、思いつかない。
「悪いヤツって……えっと、こちらは」
「セドリック・フラーチェです。彼女の友人で、しばらく護衛のようなものをする約束を、たった今交わしたところなんですよ。まだ犯人が捕まったわけではないので、念のために」
「そ、そう……大丈夫なのかい?」
「はい。彼のおかげで何とか」
それはよかった、とティルは安堵の表情を浮かべる。ミュイルはうれしさと、申し訳なさの狭間で複雑だったが、ふとみたセドリックの表情に心の底が冷たくなるのを感じた。
彼の視線はあくまでも穏やかそうだったけど、その奥は冷めている。
観察、しているのだ。
この男は敵なのかそれ以外なのか。
確かに守ってとは頼んだが、そんな風に知り合いを疑われると気分が悪い。
第一、ティルに自分を狙う理由などどこにもないのだ。ティルもまた優しすぎる、と言われるタイプの人間で、誰かにあんな風に害を与えようとするような人間ではない。
いくら優しすぎても、その程度を見抜けないほど、ミュイルは自分をバカとは思わない。
セドリックの探るような視線は数秒続き、ふっと冷たさが抜けていく。
どうやら、ティルは信用してもらえたらしい。
「えっと……それで私に何か?」
「あぁ、そうだった。えっとね、ミュイル」
「は、はい」
「君にどうか、僕の舞台に立ってほしい。主役で」
「……え?」
主役。
演劇の、主役。
言葉だけが頭の中でぐるぐると周り、その内部まで届かない。だって、そんなバカがつくほどできすぎた展開が、我が身に起こるなんてミュイルは想像も妄想もしなかった。
第一、ミュイルは役者じゃない。
まだ役者ではない。
そんな自分のところに端役ならともかく、主役だなんてありえない。
「何人か候補に会ったけど、どうにもしっくりこなくてね。一番イメージに合うのが、ミュイルだったんだ。この脚本は自信作だし、劇場も好きにしていいと言ってくれたし、どうかな」
「わ、私、でも……だけどっ」
「ミュイルだって役者になりたいって、いつも言ってたじゃないか。舞台女優になる、これはまたとないチャンスだと僕は思う。だからどうか、僕の舞台に立ってほしいんだ」
頭を下げるティルに、ミュイルは何もいえなくなった。
確かにこれは、二度とこないと言い切ってもいいくらいのチャンスだろう。
ためらい無く掴んでしまいたい。
だけど、自分のような素人でいいのだろうか。下っ端の役者ならともかく、今の自分は舞台に近寄りもしない劇場の従業員だ。確かに勉強だけならそれなりに詰んだ、だけど。
「ミュイル、あとで後悔するのは簡単だよ。ただ、あの時こうしていればよかったと、酒や色に溺れてしまえばいいだけだ。そして、その後悔はね、この上なく苦くて屈辱で、痛むよ」
セドリックはミュイルに、意味深な視線を向けながら言う。
痛くて、苦くて、屈辱的な後悔。
その言葉の意味がいまいち、ミュイルには掴みきれなかった。掴めるだけの、芳醇な人生を送ってはいないから。けれど一つだけはっきりとわかる、それを味わいながら後悔すると。
そうだ。
こんなチャンスは二度とない。もしもこれを掴んで、見事にこなせば両親は、娘の本気を知ってくれるかもしれない。自分自身がどこまで本気なのか、ミュイルも知ることができる。
「……私でよければ、がんばります」
ミュイルははっきりとした声で、舞台女優への一歩を踏み出した。
その時、セドリックはどこかにちらりと、視線を向けていた。先ほどティルに向けていた視線とは異なって、露骨なまでの警戒を孕んだ視線。彼の赤い瞳の先にいるのが誰なのか、ティルから受け取った台本しか見ていないミュイルは気づかない。
その人物が、さながら件のドールのような、無に近い表情で自分を見ているなど。
ミュイル・シルスヴァーナは、気づきもしなかった。
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