3.ミュイルとミスティ

 劇場地下の、薄暗く、じめじめした倉庫。

 椅子に座らされたセドリックの前に、一人の少女が立っている。

 お久しぶりです、と彼女は言った。

 だから、久しぶりだねぇ、とセドリックも答えた。

 彼女は最後に見た時と、何一つかわっていはいなかった。

 見た目は見事、不変だった。


 ――ミュイル・シルスヴァーナ。

 かつてセドリックが出会った、永遠を望んだ少女。


 当時はまだ女優ではなかったものの、セドリックから見たミュイルはとても光り輝いて見えていた。いずれは必ず、長く名を語られる女優となるのは、素人目にも明らかなほどに。

 だから彼女が後にミスティ・ラディとしてもてはやされるのも、あれほど立派な劇場の舞台に立つことも、セドリックからすると不自然でも何でもない当然の結果だと思えるほどに。

 偶然目にしたミスティ・ラディの講演を知らせるポスター。あの頃と何一つとして変わっていないその姿を見て、彼は一瞬でミュイルという少女の存在を思い出した。

 彼女が何を望んでいたのかも、自分が何を言ったのかも。


「ミスティ・ラディ――ずいぶんとしゃれた名前だね。さすがのボクも、最初は誰のことだかわからなかったよ。調べてみて、キミだと知って、そりゃあずいぶんと驚いたものさ」

「褒め言葉ととっておきましょうか」

「それで、キミはミュイル・シルスヴァーナ? それともミスティ・ラディ?」

「わたくしは、ミスティ・ラディ。この劇場の花形女優です」

「なるほどね……あくまでも、キミはミスティか」


 じゃらり、じゃらり。

 セドリックが拍手をしようと腕を動かし、けれどそれは叶わない。椅子と彼を鎖が繋ぎとめているからだ。多少緩みはあるのだが、右手と左手が重なるほどではない。

 セドリックは肩を揺らせて、鎖を鳴らして、笑った。


「それにしても、こうも丁重なおもてなしをうけるとは思わなかったね」

「あなたは危険ですから」

「まぁ、魔人だからねぇ、これでも」


 くすくすと、まるで他人事のように笑うセドリック。

 対する少女は、無表情のままだ。

 まるで、ここにいるのが無意味だというかのように。

 無表情はカティで慣れているが、しかしこう複数の感情の無い目を向けられると、あまり気持ちのいいものではなかった。それがみな、複製したように同じ顔であれば、尚更思う。

 この部屋の壁沿いには、ずらりとミスティ・ラディが無表情のまま立っている。おおよそ十体から十五体。彼女らは一応服を着ているのだが、布が薄いために肌が透けて見えた。

 生まれながらに完璧と呼んで過言ではない美しさを持ち、それに永遠を添えることを願い続けた一人の魔女志願。その集大成が――要するに、自分を取り囲む『彼女たち』か。

 それを眺め、セドリックはまた笑う。


「異国で言う影武者というヤツかな、彼女らは」

「……いいえ、彼女たちはミスティーズ。いずれミスティ・ラディの名をもつ子です」

「いずれ女優に、ねぇ」

「彼女らはまだ雛鳥。これから音色を刻み込みますからご心配なく」

「あのクオリティで調律するには、この数だと相当な労力だね。しかも舞台ではハデにやっているらしいし。正直なところ、使い捨てにするには高いドールだと思うよ?」


 そのぶんは儲けているだろうけど、とセドリックは笑う。目の前の少女の行為が、おかしくてたまらない。もはや笑っているというより、嘲笑しているに等しいだろう。

 対する少女は、淡々と椅子に縛り付けられた魔人を見ている。

 そこに感情らしきものは見られない。

 ミスティーズよりはいくばくかマシだろうが、それでもヒトには程遠いといえる。

 笑い終わったセドリックは、わずかに真剣な目をして口を開く。

「ところで、ボクの大事なカティはどこに? まさか捕まえただけじゃないだろう?」

 その言葉に、もちろんです、と少女は淡々と答えた。

「ココロの音色を、紐解かせていただきます。ミスティーズのために」

 その言葉に、セドリックがわずかに目を細める。

 常に浮かんでいた笑みが消え、怒りによく似た感情が浮かんだ。


「要するに、ボクの――いや、彼女の成長を横取りか」

「ですがあなたには、痛くも痒くもないでしょう? 彼女は数多あるドールの一つ。ヒトが刻む音楽の解読と複製を望み、作り上げてきたドールの、現在の最高傑作というだけの話」

「さぁてね、あんまり買いかぶるのもよくないよ」

「何をご冗談を。ドールのココロ、コアの作成と調律に関して、あなたの右に出る魔人も魔女も存在しない。あなたは、そのためだけに『叡智』を望み、得て、魔人と成ったのですから」


 わたくしが永遠を望んだように。

 少女の言葉に、セドリックはわずかに口元をゆがませる。

「わたくしの願いは、ミスティ・ラディの永遠。彼女が永遠に舞台に在れるよう、すべての道を整えていくのがわたくしの仕事。そのためには、ありとあらゆる音のパーツが要るのです」

「……コピーして、貼り付けて。それを彼女の芸の一つにする、か」

 セドリックの呟きに、少女は無言を返す。

 彼女は一歩、後ろへ下がり。

「それでは、しばらくそこでお待ちを。ボディには用がありませんので、そこについては信頼していただけると嬉しいですわ。わたくしはただ、あなたが作った音色がほしいだけ。その音色を得たミスティ・ラディが舞台に立つのを見たい、ただそれだけですわ」

 胸に手を当ててうっとりと笑みを零し、彼女は続ける。


「セドリック・フラーチェ。世界でも指折りの人形師たるあなたが、手塩にかけて作り上げたドールならば、確実に、ミスティーズを更なる高みへと成長させる栄養となるでしょう」


 ――そして彼女はさらに美しく羽ばたける。

 それが次の願い。新たな目的。


 深く深く一礼した少女は、セドリックを残して部屋を出た。

 それに続いて同じ顔をしたドールが、同じような動きで去っていく。

 がちゃん、という重い金属音。扉が硬く施錠された証だった。セドリックは椅子に鎖で縛り付けられているというのに、よほどその力を恐れているのか念入りに邪魔をしていく。


「手塩にかけて作った、か……」


 それは、ミスティ・ラディも同じこと。

 今ほどの女優になるまで、相当な苦労と時間をかけたのは尋ねずともよくわかる。

 ミスティ・ラディの演技は、確かにすばらしい。

 セドリックも、それだけは認めざるを得ない。

 いや、セドリックだからこそ認めなければならない。

 だがそれはすばらしい譜面を、そのまま刻み込んだが故の結果だ。言うならば、すでに完成されている絵画を、そのまま写したようなもの。それは、彼女自身の音色とはいえない。


 しかし、傍目にはその違いなどわかるはずもない。これまでミスティ・ラディに組み込まれた他者の譜面は、すでに彼女のものになっている。すべてが彼女の音色になっているのだ。

 譜面は実際にあったことを材料に作られ、彼女はそれを元に演技する。

 彼女の演技がすばらしいのは、実に当然のことだ。

 泣き方も笑い方も、すべて実際にあったことの複製なのだから。

 そこに感情は何も無い。ミスティ・ラディとしての意思さえ存在しない。用意された幾つかの反応を、その時々にあわせて使い分けているだけだ。

 それがミュイル・シルスヴァーナが、ミスティ・ラディが得た永遠。

 セドリックがかつて示した、永遠へ至る道の先にあった結果。

 だからこそ、セドリックは――それを否定しなければいけない。


「違うよ、ミュイル。ココロは愛さなければ育たない。愛を与えなければ、いくら美しい譜面を元に音を打ち込んだってさ、そこには何の価値もないんだよ」


 じゃらりと音を鳴らして腕を動かし、セドリックは苦笑を浮かべた。

 少女はカティのことを、セドリックの最高傑作といった。

 違う。

 彼女は最高傑作というモノじゃない。

 セドリックにとってのカティは、そんな安っぽいモノではない。


「愛して、いるんだよ……」


 閉ざされた扉に、鎖をきしませながら両腕を伸ばす。それを今度は引き戻し、耳たぶで光る青い宝石でできたピアスに触れた。片手ではずしたそれを、セドリックは握り締める。

「ボクは彼女を、誰よりも、愛している」

 彼女のためだったらどんなことだって、笑顔でこなしてみせよう。

 彼が不敵に笑った直後、手の中でピアスが大きく膨らむ。

 一つの形を作り出す。


 そして――室内に轟音が響いた。



   ■  □  ■



 ありもしない永遠を望み、舞台への思慕に焦がれていた少女。 

 ミュイル。

 ボクはね……キミがうらやましかった。

 まっすぐに夢を描き、それを求める君の在り方。

 そんなキミを、きっとボクは――好ましいと、思っていたんだよ。

 好ましく、そしてその生き方がうらやましいと、きっと。


 憧れていたんだ。

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