2.永遠を望んだ魔女志願
彼についてやってきたのは、町の中にあるそれなりに大きな劇場だった。周りが古い町並みなのに対して、この劇場は極端に真新しい。どうやら数年以内に立て替えたようだ。
その時に最新鋭の機材をつぎ込んだのだろう。そこだけが、まるで大国の首都の一角のように洗練されていて、非常に浮いて見えた。よほど気合を入れて建てたらしい。
しかし、それにもかかわらず観客らしき人はなかった。
どうやら今日は休演日らしく、この間にいろいろと模様替えするのか、作業員が忙しそうに機材やら何やらを、運び込んだり運び出したりしている。
「セドリックの知り合いとやらは、ここにいるのですか?」
「あぁ、ここにいるんだよ、彼女は」
彼がその唇に笑みをともしつつ、見上げているのは大きな看板。その時の目玉となる演目のポスターを飾る場所のようで、現在は足場を組んで張替え作業の真っ最中らしい。
「ミスティ・ラディ、か……ふふ」
同じ女性の、違うポスターを飾られていく看板を見て、彼が笑みを零す。
魅惑の舞台女優ミスティ・ラディ。彼女はまだ十台半ばの少女。その若さでありとあらゆる役を演じ、その完成度の高さから百年に一人の逸材と呼ばれてもてはやされている。
彼女の素性は不明。
どこで生まれたのか。
どういう幼少期を過ごしたのか。
すべてが謎に包まれたミスティ・ラディ。
その秘密を纏う美少女に、人々は骨の髄まで魅了されている。
「その結果が、これですか」
カティは劇場を見て呟いた。
中規模とはいえ田舎の町に似つかわしくない、巨大な劇場。これはすべて、この場所から動きたくないと言うミスティ・ラディのために作られた、彼女のための舞台なのだという。
どこかの民家にいくと思っていたカティは、まさかここに、という思いを込めて隣にいる主に視線を向けた。彼は肯定するように、その笑みをいっそう深くする。
彼女に会いたくて仕方が無い、という感じだ。
思わずカティは目をそらし、元から硬い表情をさらに硬くする。
胸の中に渦巻く痛みを、彼に知られたくは無い。
「ボクの知人っていうのは彼女さ」
笑う彼が指差す先には、真新しいポスターがある。
その中では、金髪の妖艶な美少女が、赤い瞳を細めて微笑んでいた。
「しかし……ずいぶんと、お若い方ですね」
「魔女志願だったから」
セドリックの声は、どこか弾んで聞こえる。
その理由を、カティは尋ねるまでも無く、直後に知った。
「ミュイル・シルスヴァーナ……永遠を望み魔女になったキミに会いに来たよ」
それをどう叶えたのか、叶えようとしているのか。
実に楽しみだと、セドリックは笑った。
■ □ ■
休みの日だというのに、劇場の中には自由に入れた。
明らかに作業員でもなければ関係者でもないのに、誰にとがめられることも無く、二人は入り口のロビーを抜けて廊下へと進む。途中、何人かとすれ違ったが、やはり何も言われない。
「なんかね、見学会があるらしいよ」
「見学、ですか」
「地元の子供に演技を教える……まぁ、交流会だね。未来のミスティ・ラディを探せってところじゃないのかな? 今のところ、彼女はこの辺の出身ということになっているから」
そういう彼の声に重なって、遠くからきゃあきゃあとはしゃぐ子供の声がする。参加できるのは一応子供だけなのだが、見学だけならば誰でも歓迎という感じらしい。
これも宣伝の一環だとセドリックは言う。
交流会に出てくる俳優や女優は、いろんな人に顔を知ってもらえる。お客の方は彼らに対して親近感を抱き、子供たちは将来の夢に『役者』という選択肢を喜んで追加する。
そして彼らはこの舞台に憧れるようになる。
役者に対し親近感を持つ親は、よほどのことが無い限りはそれを応援する。
むしろ親が、子供を舞台に上げようとするかもしれない。
よい役者を輩出する町となれば、スカウトがてらやってくる劇団が増えるだろう。彼らも先人に習って交流会をし、若い才能を探す。……実によくできた循環だ。
「もしかすると、彼女もそうなのかもしれないね」
「そう、とは?」
「誰かに憧れたり、憧れた親に勧められたり。そうして女優になったってことさ。もちろん本人が成りたいと願ったから、今の地位を築きあげているんだろうけど」
まぁ、大体がそうだろうけどねぇ、とセドリックは笑った。
そうこうしているうちに、二人は目的の扉の前にたどり着く。扉の横には張り紙ではなくレリーフをはめ込む形で、そこがミスティ・ラディの控え室であることが示されていた。
どうやら見学者が彼女に会いにくるらしく、二人が扉を開こうとすると、中からきゃあきゃあとはしゃぐ小さな子供たちが、何かが書かれた色紙を大事そうに抱えて飛び出してきた。
彼らにぶつからないようよけて、セドリックは改めて扉を開く。
中はまるでホテルの一室かというほど、一流の家具で調えられた空間だった。薄いカーテンの向こう側には大きなベッドがあり、この様子だとシャワーの類も完備されているのだろう。
そして、扉の向かい側にある鏡台の前に、ミスティ・ラディはいた。
子供たちを見送っていたのか、ちょうど扉の方を向いている。
普段着と思われる白いシンプルなドレスを纏う彼女は、かわいらしい客が去った直後に現れた新たな客を笑顔で歓迎、しようとした。少なくとも、カティにはそう見えた。
だが、二人を見た瞬間に、その表情が無になる。
「……あなたは」
ミスティ・ラディが見ているのは、セドリックではなくカティだった。
目を見開いて、凝視していた。
思わずといった様子で立ち上がり、それどころか近寄ってさえ来た。まるで何かに操られているか、引き寄せられているかのような、実に不確かでおぼつかない足取りで。
身体の動きはそうなのに、その瞳にブレはない。
ただまっすぐ、カティだけを見ていた。
もはや舐め回すに近いその視線に、カティは一歩後ずさる。薄気味悪い、というのが正直な感想になるだろうか。できうる限り近寄りたくもないし、かかわりたくも無い視線だ。
「失礼」
カティのただならぬ様子を見て、二人の間にセドリックが割って入る。
「ミスティ、キミの本名はミュイル・シルスヴァーナだよね。キミはボクのことを覚えていているかな。セドリック・フラーチェ。キミに魔人と魔女と『叡智』の話をした……」
数歩近寄って、セドリックは笑顔を浮かべつつ話しかけた。
それに押されるようにミスティ・ラディの足が止まり、ほっとしたのもつかの間。
「――」
ミスティ・ラディがすぅっと目を細め、周囲の空気が変わる。
公表していない本名を知られているゆえの不信感か。それにしては、あまりにも冷たい視線だとカティは思う。魔人や魔女は記憶力が常人より強くなる、というより思い出す力が増す。
当時すでに忘れていたことも、成った後は好きなように引き出せるのだ。
ならば、名前をきけば――思い出せるはず。
仮に間違っていたとしたら、この反応は余計におかしい。
「……ミュイル?」
セドリックが一歩近づくと、ミスティ・ラディはさらに表情を険しくした。
直後、急に足元がかすかに暗くなる。
見上げれば――遥かに高い天井と、落ちてくる影が。
落ちてきた影はそのままの勢いで二人に迫り、セドリックが遠くへ吹き飛ばされていくのがカティには見えた。追いかけようとするカティに、新たな影が覆いかぶさってくる。
「セド――」
伸ばした手が空を切り、カティの意識は黒に塗りつぶされていく。襲い掛かってきたのがヒトの形をしているのが、かすむ意識の中でもわかった。それが、年頃の娘だということも。
かつん、と靴の音がした。
近くにミスティ・ラディが立っている。
「彼はあの部屋へ。彼女は――」
淡々としたミスティ・ラディの声と、何かを引きずっていく音。
それらを最後に、カティの意識は飛んだ。
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