第2話 勇気の証明

 勇気というものにはいろいろある。間違いを指摘する勇気。初めてあった人に話しかける勇気。正しいことを正しく行う勇気。それぞれがぜんぜん違うことだけど、どれもとても価値があること。そしてそれは自分でするには難しい物ばかりだ。でも、それだと勇気ある人というのはいったいどんな人のことなのだろう。英雄になるために封印された伝説の剣をぬいた人?それとも宇宙人から世界を救うために自爆できるような人?人によって答えが変わってくるのは仕方がないことなのかもしれない。でも一つだけ確かなことがある。


僕のおじいちゃんは勇気ある人だった。


だった、というのはもう亡くなっているからだ。


「死と向き合うのには勇気がいる」


とおじいちゃんの口癖だった。僕が物心ついたころには言われていた気がするし、死ぬ寸前までうわごとのように繰り返していた。当時の僕には彼の言っていることの意味がよくわからなかった。しかし、今なら分かる。きっと怖かったのだ。自分に訪れるどうしようもない残酷な結末が恐ろしくて恐ろしくて仕方がなかった。それでも、何でもないかのようにふるまって生きるのはどれだけ大変なことだったのだろう。


 目の前には大鎌を構えた死神。その鎌にこれから首をはねられるのを想像するとぞっとする。こんな形で死と向き合うことになるとは思わなかった。目の前の死が怖くてたまらない。


どうやら僕には勇気はなかったらしい。


 僕は逃げ出した。恥も外聞もない。どれだけみっともなくても死ぬのよりはましだ。どうかまぬけな僕を笑ってほしい。女の子に夜の学校に呼び出されて浮かれていた。僕はとまらない。死んだ後に残るのは灰と骨だけなのだ。いや、死神に殺されたら灰と骨も残らないかもしれない。まだやりたいことがたくさんある。まだやりたいことがたくさんある。まだやりたいことがたくさんある。


「まだ、しにたくない」


自分に言い聞かせて恐怖で止まりそうになる足を必死に動かす。廊下とはこんなに長い物だっただろうか。正面玄関までたどり付ければ逃げ切れる。そんな気がした。根拠はない。それでも今はその直感を信じるしかない。一瞬でも止まれば死にとらわれ、二度と朝日は見れない。あと少しで長い廊下は終わる。しかし、校舎からでることは出来なかった。


「逃げられない」


目の前に“死”があった。

死神は宙に浮き、こちらをじっと見ている。足のつま先から凍えていく。体の震えがとまらない。その震えが恐怖からくるものか、寒気からくるものかはもうわからない。


“命乞いをしなきゃ”


体は緊張で固まっていたが、自然とその形になるように体が動いた。そう、土下座だ。僕の最後の勝負が始まる。この命乞いにすべてをかける。


「妹がいるんです」

僕、葛原 誠は一人っ子だ。


「父と母は生まれてすぐになくなり、僕が一人で面倒を見てきました」

この前、家族三人でハイキングにいった。父さん、母さん、僕、みんな健康そのものだ。


「今日も僕の帰りを待っているんです!」

両親には今日は遅くなるってしっかり送っていた。


「どうか、なにとぞ、なにとぞ」

ちょっと楽しくなってきた。


「せめてセックスだけでもさせてもらえないでしょうか」

ひんやりと冷たい廊下に頭をこすりつける。


「えっ、セックス?」

僕の口から急に飛び出たセックスという言葉に死神はたじろぐ。


「ってセックス!」

死神は青白い肌を朱色に染めてセックスと繰り返す。


「いもうとと?はぇっ。もしかしてわたしとですか⁉」

 あれ、効果がありそう。適当に思いついた言葉を口に出していただけだけど、なんとかあたりを引けたらしい。


(このまま丸めこむ!!)


「そうなんです。童貞のまま死にたくないんです。せめて、一度だけ、なぞるだけでもいいからあなたとやらせてください」


「え?なぞる?って何を?あれ?どういう事⁉」

死神ちゃんは混乱している。いや、桃花ちゃんは混乱している。そうだ。死神の威圧感に圧倒されたせいで、雰囲気にながされそうだったけど死神の正体は桃花ちゃん本人。死神には勝てなくても、クラスメートとしての桃花ちゃんになら……。


「大丈夫です!あなたはどう、・・・。未経験のまま死ぬことはありませんから」


 え!?


 それはこの場でやらせてあげるから今ここで死ね、ってことですか?しかし、僕がそう言うことは出来なかった。


 学校に爆音が響く。何かがさく裂したような音。それは体を引き裂かれそうになるほど自己主張の強い叫びであった。そこらの窓ガラスがいっきに割れる。


「ついに現れましたね」

死神が鎌を構える。


「じっとしていてくださいね。見失ったら守ってあげられませんから」

 

 守る?どういう事だ。僕はこいつに命を狙われていたんじゃないのか?何が何やらさっぱりわからない。


突然、黒い塊が僕らの間を走る。壁が壊れた。遅れて来た風圧で体が押される。


「なんだよ、あれ」

 大きな黒い塊だった。いや、本当にそうだったのか自信がない。速すぎるのだ。何かが見えた気がするというのが正しいのかもしれない。だって気付いたときにはもうどこかへ行ってしまっていたのだから。僕はバラバラに砕け散った壁を見る。もし、僕が立っていた位置がほんのすこしでも右にずれていたらいったいどうなっていたのだろうか。


咆哮は再度放たれる。


僕は本能的にその場に伏せた。自分の頭上の数センチ上を何かが通り過ぎていくのが分かる。おそるおそる目を開けると、やっぱり壁に穴がぽっかりと開いていた。


一度あることは二度ある。二度あることは三度ある。何が言いたいかって言うと偶然起こることなんてなくて、起こるべくして起こるってこと。つまり、


“僕、狙われてる⁉”


やばい、やばい、やばい。どうすんの?さっきまでとは違ったやばさだ。おまけに今度のやつは会話とか通じそうにない。いったいどうすれば生き延びられるんだ。あの速さじゃ走っても無駄だ。絶対に逃げきれない。

 そこでふと気付いた。さっきまでとは状況が違うということに死神だった桃花ちゃんは僕を守るといっていたじゃないか。なら、彼女に守ってもらえば生き残れる。さっきまで怖くてしょうがなかった存在が今はこんなに頼もしく、…。


「すいません、妹さんに会わせてあげられそうにないです」

桃花ちゃんは顔から汗をだらだら垂らしていた。


「すでにあきらめてる!?」


 桃花ちゃんは泣きそうな顔をしながら、速すぎます、とか、思っていたのと違うとかつぶやいている。死神のくせにさっきまでの威圧感がまるで消えていた。


 僕は使い物にならない死神を引き連れて、校舎の二階に上がる。風とおしの良くなった一階にいるよりはましなはずだ。もっとも壁があったところでたやすくぶち抜かれてしまうだろうけど。


 走りながら桃花ちゃんに訊く。


「あれはなんだ?なんで僕は狙われている?」

すくなくとも桃花ちゃんは僕よりあれについて知っているはず。生き延びるためにすこしでもヒントを見つけないと。


「私も詳しく知りませんが、おそらく七不思議(ワンダーセブン)のひとりです。私を殺そうとしているはずです」


 いま、学校で流れている七不思議の噂は本当だったらしい。


“七つの不思議を制覇したものにはあらゆるものが与えられるだろう”


まさか、本当に不思議の所有者を殺すことが条件だったなんて。そうするとあの黒い塊も人間なのか。いや、もっと言えばうちの学校の生徒だってことだ。くそっ、あんな黒い生徒みたことない。そもそも、僕は七不思議なんて何も関係ないじゃないか。たまたま居合わせただけの一般人だ。僕を殺しても何も起こらない。僕だけなら逃げられるんじゃ…、いやダメだ。さっきのは下手すれば僕に当たっていた。向こうからすれば、僕ら二人とも殺せればいいってことだろ。桃花ちゃんに協力してあの黒い塊を倒す方法をみつけるしかない。


「あれも桃花ちゃんがさっきやっていた死神に変身する能力と同じようなものなのか?」


「どんな力を持っているかはわかりません。ただ何かしらの能力は使っているはずです」

それだ!やつが使っているのがどんな能力かわかれば、きっと倒せるはず。


「うひゃあ」

 桃花ちゃんが鎌に足を引っかけて転ぶ。当然手をつないでいた僕もバランスを崩してよろけた。


どがあああああああん。


半歩先の床に大穴が開く。再びあの黒い塊が僕らの目の前を通り抜けていった。

「ぎゃあああああああああああああ」

僕が叫ぶ。

「ひょえええええええええ」

桃花ちゃんも叫ぶ。


 どうやらあの黒い塊は上下運動もできるらしい。本当に危ないところだった。もし、桃花ちゃんが間抜けじゃなかったら今頃僕はしんでいた。


(相手の弱点を見つける前に僕が死にそう)


あんな怪物にいったいどうやって勝てって言うんだ。


「あの、痛いです」

いつの間にか彼女の手を握る力が強くなっていたらしい。


「ごめん」

僕が手を離そうとすると、手をきつく握られた。


「いや、つないだままで……お願いします」

 僕は桃花ちゃんと見つめあう。僕は彼女を抱き寄せた。そして彼女を抱えて思いっきり横に飛び、近くの教室に飛び込んだ。


「えっ⁉えええええええええええええええ」

桃花ちゃんが叫んでるがそんなことを気にしている場合ではない。


さっきまで僕たちがいた場所が轟音と共にえぐられる。


「危ないところだった」

 だってそうだろ。上にいったら今度は降りてくるに決まっている。まさかあのデカブツが階段を使うはずがないんだ。もう一度床をぶち破るに決まっている。今度は下から上にではなく。上から下に向かって。


「あ、ありがとうございます」

彼女の言葉に何か返す余裕はない。僕は彼女を抱えたまま、座り込んだ。体力も限界が近いし、何より怖くてたまらない。いつあれが自分のところに突っ込んでくるのか分からないんだから。


「あれにあたったら絶対いたいよな」

夜の高速道路に置き去りにされたらきっとこんな気持ちになるんだろう。


 また体が震えてきた。死にたくない、な。腕の中の桃花ちゃんが心配そうに僕をのぞき込んでいる。なんでこいつは人の心配をしている余裕があるんだ。こんな状況で!自分には戦う力があるからか!僕を巻き込んで楽しかったか!そう口に出そうだった。僕は歯を食いしばる。今は文句を言っている場合じゃない。どうにかしてやつを倒さないと。そもそも桃花ちゃんは僕の味方なのか?成り行きで助けたけれど、いまいちはっきりしない。どうすれば僕は助かる?


「はははは」


 自然と乾いた笑いが漏れる。誰が敵で誰が味方かなんてどうでもいいじゃないか。僕には戦う力はない。だから利用できるものすべてを利用して生き残る。今までは死から逃げ回るばかりだった。だが、今度は死に立ち向かう。自分の力で生き残るんだ。

 

 どうやって生き残る?


 あるじゃないか。


 とっておきの武器がこの腕の中に。


 そうだ。彼女を使おう。彼女が敵か味方かなんて関係ない。どちらであったとしても僕が利用してやる。そして死神を使えば、僕の方が強い。ただ突っ込んでくるだけの脳筋に僕が負けるはずがない。


“まってろよ、黒いの、お前は僕が必ず倒す”

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