商店がいっ!
「ごめんなさいね。怖がらせてしまいましたか?」
ぶんぶんとなんとか首を横に振る牙千代は虎太郎の後ろに隠れる。それはか弱い女の子にしか見えない。
だが、実際は牙千代は自分の理解の及ばない存在である黒坂を殺したくてしかたがなかった。虎太郎に力を止められている為、その反動は涙という形で現れたに過ぎないのである。
「そうだ。玉藻ちゃんのお見舞いに来てくださらないかしら? あの子お友達が少ないからお二人が来てくれると喜ぶと思うんです。あっ、もしお仕事に差し支えがなければというところなんですが」
もちろん二人の万屋に仕事なんて殆ど来ない。それにあの玉藻が怪我をしたというのであれば見舞いに行かない道理はない。何も言えないでいる牙千代の代わりに虎太郎が答える。
「はい、もちろん行きます」
黒坂は虎太郎を少し見つめると両手を合わせて喜んだ。
「ホントですか? ありがとうございます。では今晩お越しください。場所はこちらの病院です」
そこには聖カブヤ大学病院と書かれたカードが置かれた。
「夜に行くのは迷惑なので、今から」
虎太郎がそう言うと黒坂は慌ててそれを拒否した。
「玉藻ちゃんも女の子なんで、誰かが来る前には準備とか色々ありますのでゆっくりとお食事でも取ってから来てくださいね! 絶対ですよ! すぐ来なくていんですからね!」
そう言って逃げるようにそそくさと帰っていく黒坂に見送りもできずに虎太郎と牙千代はそこに取り残された。
「なんだったんでしょうねあの人?」
「玉藻ちゃんのお姉さんなんだろうか?」
なにわともあれホテルの一件を言及される事もなくひと段落着いた事に牙千代はハァと長いため息をついてだらしなく地面にペタンと座り込んだ。
「壊したホテルの請求されたらどうしようかと思いました」
弁償請求でないと分かると何か見舞の品を用意しなければならない。牙千代は経理や庶務もこなしながら御劔家の大蔵省でもある。大きな金魚の形をしたがま口を開けるとため息をつく。毎月ギリギリ以下の生活をしているので残るお金は雀の涙程。
「ど、ドーナッツの100円セールとかってしてましたっけ?」
「そんな高級品を口にする事がないから分からない」
というレベルである。
「地味にお花とか持って行けば?」
ペチーンと牙千代は虎太郎の頭をはたく。そして牙をこれみよがしに見せると言った。
「お花なんて超絶高級品なんですよ!」
「そうなの?」
話がまとまらない中、アパートに貴子がやってきた。身構える牙千代、手を振る虎太郎。
「いらっしゃい、貴子姉さん」
「おう、稼いでるかい?」
「や、家賃ならこの前」
牙千代の言葉に貴子はへっと嗤う。
「そんな金の亡者みたいに思われると傷つくわぁ、明後日カレーの日だからそれを伝えに来たのよ。どうせろくなもん食べてないんでしょ?」
一週間に一回貴子がカレーを喰わせてくれる日がある。最低限のカロリー保障らしいが、それを虎太郎も牙千代もあまり歓迎はしていなかった。
「そうですか、それはわざわざありがとうございます」
「私の手料理が食べられるなんて貴方達は幸せ者よねぇ、セピア色の想い出になわるわよ」
(カレー色の想い出にしかならないよ)
と虎太郎と牙千代は同時に思う。そして貴子はそんな2人を見て面白そうに嗤うと手に持っている物を思い出す。
「あぁ、これなんかいいところの稲荷寿司らしいけど私食べないから貴方達に恵んであげる」
そう言って牙千代の手の上に乗せる貴子は牙千代の頭を撫でる。
「ふっ、ふぇっ。な、なにを?」
「憐れね。角を封じられて人間に飼われる鬼は」
貴子の趣味、牙千代への虐待。
それはもう徹底的で肉体的、精神的に追い詰める。
牙千代はプライドが高いので肉体的にも精神的にももちろん傷つくが人間と違って壊れる事はないので恰好の玩具とされていた。
牙千代は見た目は美少女なので近所での評判は良い。それ故に可愛がってもらう事や商店ではおまけも沢山してもらえる。
故に牙千代が変わった事がある。
人間は好きだが、貴子は憎い。人間が憎いから随分変わったので虎太郎としても良かったのかなと思っている。
「じゃーねー虎太郎と角無し子鬼ちゃん、来月の家賃も待たないからね」
貴子がいなくなったのを確認すると牙千代はその稲荷寿司を玄関に投げつけようとして虎太郎がそれを慌てて止める。
「なっ、何するんですか! いつもは止めないじゃないですかぁ!」
「それ、玉藻ちゃんのお見舞いにしよう」
牙千代は呪いのアイテムのような貴子の土産を持って考えた。確かに今の自分達にこれ以上の物を用意する事はできない。
「か、貸一ですからねっ!」
膨れっ面の牙千代、怒りの矛先も失い。虎太郎に慰められながらぐっと涙を抑える。稲荷寿司を大事に持つとアパートの玄関を出た。
病院へタクシーを使うお金はもちろんないので徒歩で向かう。その間に商店街を通ると商店街の人たちが牙千代の姿を確認するやいなや集まってくる。
「牙千代ちゃん、おでかけかい?」
「はい、友人のお見舞いにカブヤー病院へ」
「あら、あのイケメン院長のいる病院だね。でも何でまたお友達が?」
「よく事情は知らないんですけど、火傷と怪我をしたらしくて」
「そうなのかい?」
わいのわいのと牙千代に話すその様子に虎太郎は彼女の人望の厚さに驚いた。
(この人達にビラでも配れば仕事は事足りるんじゃないだろうか)
そんな事を考えていると虎太郎の背中をバンと叩かれる。見るとそこには肉屋のおかみさん。たまにコロッケを買って帰るので虎太郎も面識があった。
「まったくアンタ牙千代ちゃんの保護者でしょ? あんたがしっかりしないから牙千代ちゃんあんなに小さくて細っこくて、見てて不憫だよ。これ、あげるから食べさせてやんな」
「はぁ」
虎太郎の手には大量の紙袋に入ったコロッケ達。これを全部食べさせたとしても牙千代が太る事は永遠にないだろうなと思いながら虎太郎はお辞儀する。
牙千代を見ると牙千代はみたらし団子をもらったり、りんごを貰ったりと、中には拝みだす老人までいた。
(あのくらいの年齢の人からしたら仏様も鬼も変わらないのかな? あの世に片足突っ込んでるし)
なんて、失礼な事を考えるよりも牙千代を救わなければこの商店街から抜け出す事はできないだろうと人込みの中から牙千代を引っ張り出す。
「ふぅ、助かりました主様。ご近所付き合いというものは大変です」
「俺はどんなご近所付き合いをすれば神になれるのか知りたいよ。あぁそうこれ、牙千代にって肉屋のおばちゃんがコロッケくれた」
そう言ってコロッケを牙千代の口元に持っていくと魚のようにパクんと食べる。
「お肉屋の若奥様ですか? 今度お礼を言わないと」
「若奥様っておばちゃん六十近くなかったっけ?」
「私からすれば子供みたいな年齢ですよ」
千年以上は生きているであろう牙千代からすればそうだろうが、さすがにお世辞にしても逆に嫌味に聞こえはしないだろうかと思うが、座敷わらし的なマスコット感が敵に回さない所以なのかもしれないなと思う。
コロッケを美味しそうに頬張る少女がここいら一体を容易く地獄に変える事ができるとは商店街の人々は知るよしもないだろう。
「このコロッケおいしいですね」
もふもふと二個、三個と食べる牙千代、虎太郎の鼻にプーンと臭いがただよう。
「牙千代」
「はい?」
「口臭い」
「はいぃ?」
コロッケを平らげる牙千代からは周囲に漂う程のニンニク臭がした。牙千代は恐る恐る食べていたコロッケの臭いをかぐ。
「これ、これです! 私の口臭が酷いんじゃなくてニンニクの仕業です」
「うん、それ牙千代の口臭だから」
「いやぁああああああ」
少女もとい鬼娘の悲鳴が響く。そんな彼女にしてやれる事はエチケットガムを手渡す事くらいだった。
その虎太郎の厚意に涙が出そうなる牙千代。
「あ、主さまぁ」
「礼には及ばんよ」
虎太郎が想像していた言葉とは違う言葉が返ってきた。
「なんでそんな物持ってるんですか? ウチお金ないのに」
「嗜好品」
「また無駄遣いしてるじゃないですかぁ!」
プンプンと怒る牙千代に虎太郎は無言でマスクをつける。耳に触れられて感じる牙千代。
「あっ・・・・・・」
それは虎太郎からすれば耐えられない臭さだったのでマスクをしたのだが、牙千代は自分に対する優しさと今から人に会う為のエチケットとして渡してくれたのだろうと俯きながらも喜んでいた。
(やっべぇ、吐きそうなくらい臭かった)
(なんだかんだ言って私が大事なんですね)
という具合にこういう時の意思は疎通しない。
そんな二人は仲良く手を繋いで玉藻の入院する病院にやってきた。そこは異常に綺麗で裕福そうな老人が多い。受付も病院というか高級ホテルのロビーのようだった。
「何か落書きみたいな絵が並んでますよ主様」
「あれじゃない? 岡本太郎。どっかの万博で異界の最終兵器みたいなオブジェ作った人」
「へぇ、主様は物知りですねぇ」
「ピカソですね」
突然の第三者の介入、虎太郎と牙千代に感づかれずに背後に現れたその人は、このお見舞いをお願いに来た美女、黒坂。
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