3:黒猫ⅩⅡ
走った。必死に走った。裸足ではあるが、そんなことに構っている場合ではなかった。
「ハッ、ハッ……」
「サキ!」
「何……?」
胸元に収まるように抱えこんだ黒猫、リリアが私を呼んだ。逃げながらであるので、あっさりした対応になってしまう。
「右に避けて!」
言われた途端、すぐに従う。急な方向転換に転びそうになるが、急いで態勢を立て直した。
「ちっ、外したか」
軽い地響きが起こる。地盤を破壊する相手なんて、私にどうにか出来るとは思えない。振り返る暇などなく、少しでも遠くへ逃げるしかなかった。
背後で舌打ちが聞こえたくらいだ。すぐ後ろに迫っていたはずだ。それが、途中でガロンの気配が忽然と消えてしまう。振り切ったのかと思い、後ろを確認すれば確かにいない。足を止める頃には、いつの間にか、公園まで逃げてきていた。
ほぼ止まりそうになると、リリアから指摘される。
「まだ追ってきてる。走って!」
言われるがままに走った。追って来ているなら、足を止めるわけにはいかなかった。
この公園はとにかく広い。中央に小さな池があり、緑が多い。遊具が設けられている場所もあった。至る所にはベンチがあり、時間が時間ならお年寄りもよく見掛ける。ペットの最適な散歩コースでもあった。
こんな夜中なら人はいないだろう。そう確信し、何とか此処に滑り込んだところだ。
「いい加減諦めな」
「サキ、止まって!」
人気のないところに来れたわけだが、走る私の目の前に突如姿を見せた。暗い闇の向こうから這い出るように、音もなく現れる。いつの間にか追い詰められたようだ。正直どうしようもない。裸足のまま走ったので、足の裏に酷く痛みを感じる。これ以上は限界だった。
ギルに頼ることも出来ず、ここまでなのかという諦めが頭を過った。
その時、抱きかかえていたリリアが地に降り立つ。
「……分かった。これは返す……」
リリアがそんなことを言い出した。もう駄目だと思ったのは私だけじゃなかったみたいだ。
「その代わり、私達を……せめてサキだけでも見逃してあげて」
「ああ、いいだろう」
いや、正確にはそうじゃなかった。この子は……私を助けようとしている。何を盗んだのかは分からないけど、それを返すことによって、ガロンの追跡を止めようとしていた。
「リリア、でも……」
「ごめんね。サキ」
リリアが赤紫色に光りだす。少しずつ、少しずつ光は小さくなり、やがて光はリリアの体から離れた。その光は丸い宝石のようなものだった。
宙に浮き続けるそれを、ガロンは奪い取るようにして手中に収めた。
「ガハハハァ! ついに手に入れた。これで俺はアニキにも劣らない!」
大きな口をより一層開く。歓喜に満ち溢れた調子で叫んでいた。
「さてと、あとは二匹分始末しておくか」
「……!?」
「なっ、約束が違うじゃない!」
「気は変わるんもんだ。それに、今気付いたが、サキというこの人間は、魔界で騒がれている奴じゃないか」
私を指差し、今だ歓喜に溢れた調子だった。
「……だから?」
リリアが応対する。
「この人間を殺すだけで俺は名を上げられるじゃねぇか。もう馬鹿にされることも、下手に殺されそうになることもなくなる。てめぇはそうしたいとは思わないのか」
「そんなもの、興味ない」
「そうか。残念だな」
刀が降り下ろされる。今度はリリアではなく、私に向かってだ。一直線に、大きな大刀が刃を向けた。
「キャァ!」
動けずにいた私は吹き飛ばされた。斬られたわけでも、斬撃の風圧でもない。寸前で、何かに押されたのだ。
「リリア!」
はっとなる。すぐにそれがリリアのおかげだと分かった。
「大丈夫」
ズザザッと舞いおこる土煙の中から飛び出てきた。
真新しい怪我は増えておらず、ほっと息をつく。けれど、そんな暇もありはしない。
「さすがに速いな」
ガロンも姿を現す。ただその姿はどういうわけか、ギルに負わされた傷や疲れが無くなっていた。
「何で……」
「さっきの魔術石を使ったから。あの石には、私達の能力を向上させる性質がある。あいつはどうやら、体内に取り込んだみたい」
私の疑問を全て把握したリリアが、簡潔に答えてくれる。
「だが、お前は速いだけだな。リリア・アークス」
皮肉を込めたつもりか、今更ながらにリリアのことをフルネームで呼んだ。どういう理屈なのか。ガロンの手には、大きい刀が二本とも健在していた。
「そう。なら本当にそうなのか試してやる」
再びリリアが光りだす。でも今度は金色だ。あまりに眩しくて直視が出来ない程に輝く。猫を型どった光はやがて、人の形を型どっていく。
光は消えていき、リリアの姿が把握出来始めた。光が完全に止んだ時、現れたのは少女の姿だった。肩までかかる金色の髪をなびかせ、黒色の衣服を身に付けている。ひらりと黒のスカートが少し舞った。
「サキは私が守ってあげる。そのために、貴方を殺す」
「上等だ」
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