1:処刑する者、される者Ⅵ

 そして放課後。ついにこの時間が来てしまった。もちろん皆は帰り支度を始めていた。こんなにも、人を羨ましいという感情が生まれるなんて意外だった。


「じゃ紗希。頑張ってね」

「お先~」


 そう言って優子と加奈は教室を出ていった。

 こんなにも友人を薄情と思ってしまうものなのかと不思議になる。発端は自業自得だし、二人ともそれぞれ用事あるらしい。から仕方ないんだけど。


「ま、これに懲りたらもう遅刻しないことだな」


 庵藤が精神的に追い打ちをかけてきたのは腹が立った。そもそも見逃してくれたらこんなことしなくて済んだのに。今朝のことを思い出したら、さらにムカムカしてきた。

 庵藤が教室を出ようとした時に、怒りにまかせて消しゴムの欠片を投げてやった。意外にもコントロールがよく、距離があったにもかかわらず、このままいけば当たりそうであった。しかし、庵藤が最小限の動きで軽く避けた。

 まさか、偶然だろうと思う。

 しかし実際は違った。外れた欠片を拾ったあと、去る際に横目で私を見て、あろうことか鼻で笑っていったのだ。

 くっ、絶対いつか負かしてやる。


 みるみる人が一人、また一人と消え、私一人が教室にポツンと残る。このクラスで今日遅刻だったのは私だけだったのか。初めて知った。どうしようもなく、溜め息が漏れる。これでは昨日の二の舞であった。

 とりあえずさっさと終わらせて早く帰ろうと思う。やる気を出して原稿用紙八百字に挑み始めた。



 で、出来た。

 人間やれば出来るもので、何とか八百字書き終える。一応確認のため、自分で読み返してみた。

 ……うん、まぁ埋まったし大丈夫。内容を追及してはいけない。たとえ誤字があろうと、チグハグな文章だろうと、埋めればそれでいいのだ。


 ふと時計を見た。


「うわっ、もうこんな時間!?」


 時計の針は、七時前を指していた。外を見ればもう暗くなり始めている。かなり時間をかけてしまっていたようだ。


「早く帰らないと……」


 提出のため職員室へと向かう。暗い学校っていうのは、どうしてこうも気味悪いのだろうか。今にも何か出てきそうだった。


 職員室に入ると、担任の先生は、呑気な言葉を口にした。


「なんだ、神崎。まだいたのか」


 はう……。どうやら先生は全く知らなかったようだ。


「皆もう帰ったと思ってたんたが。まぁ早く帰れよ。物騒な事件もあるし。なんなら、あと一時間くらい待てるなら送ってやってもいいが……」


 時間を気にしてくれた提案ではあるが、さすがに一時間も待つ気にはなれなかった。お礼だけ言って、言われた通り、原稿用紙を提出して私はすぐ職員室を出た。

 靴を履いて外に出ると、風が肌を刺激した。春とはいえ、まだ寒さが残っている。風が冷たかった。

 私は家への帰り道として、丘を下った後には、商店街を通ることになる。


「場所? えーと……確か。ああ、あそこよ。杉並商店街の裏通り」


 アーケードが見えてきたところで加奈の言葉を思い出す。ブルッと身震いしてしまった。おそらくは寒いせいもあると思うけど……。

 商店街は一応オープンしているようだ。しかし電気がついているだけで活気付いてはいなかった。皆事件のせいで避けているのだろうと思う。私も、多少遠くなってしまうが、ここは回り道しようと心に決める。

 誰が好き好んで殺人現場のそばを通りたがるものか。くるっとまわってUターンである。

 たとえ此処の商店街を通らなかったとしても、急げば問題なく家に着く。そのはずが、実際はそうならなかった。

 帰り際、一人の子供を見かけたからだ。


 その子は、まだ小学校に上がったばかりと思われる、茶髪の少年だった。キャップを深く被り、顔はよく見えないが、縞模様の半袖に半ズボンと、元気いっぱいの格好だった。

 少年は一人で歩いていた。暗いが時間が遅いというわけじゃない。普通ならあまり気にしなかったと思う。ただこの時のように、廃ビルに向かうことがなければ。


 

「そこ、危ないよ」


 まだ廃ビルに入る直前、少しお姉さんぶって注意してみた。けど、少年は私を見て……笑った。

 キャップで目元は確認出来なかったが、口元が確かに笑みを見せていた。子供らしくないと感じる不敵な笑みを。

 その後、すぐに少年は廃ビルの中へと入って行ってしまった。


「あ、もぅ……」


 仕方なく続いて私も中へと入った。あの子を連れ戻すために。

 廃ビルの中はさらに暗く、人を探すにはかなりの悪条件だった。


 何処行ったんだろ。


 一階にはいない。部屋の仕切りはなくなっていて、見渡せるようにひらけていた。いないことを確認すると、階段を駆け上がる音が聞こえてきた。急いで後を追うが、二階に到着してみても、少年は変わらず見当たらなかった。


 カンカンカンカン―


「キャハハハはは…」


 さらに駆け上がる音と同時に、笑い声も聞こえてきた。

 遊んでもらっているつもりなのだろうか。

 少年の遊びに、いつまでも付き合っているわけにはいかない。私も本当は早く帰りたいのだ。

 急いで三階に登った。


 だが、いない。まだ少年は登っている。


 もっとスピードを出して今度は四階へ。しかし、またもやいなかった。


「キャハハはは…」


 全速力で五階へと登る。少年はあまりにも速かった。


「ハァ…ハァ…」


 私は息切れを起こしているというのに、少年は楽しそうだった。姿は見えないものの、私を呼ぶ声がビル内に響いた。


「こ~こまでお~いで~。オ~ニさんこ~ちら~」


「む、絶対捕まえてやるっ!」


 結局、七階ある廃ビルの屋上まで付き合わされてしまった。自分で思っていたより、運動不足なのかもしれないと思わされる。けっこう落ち込む事態だ。


「遅いよお姉ちゃん……。僕待ちくたびれちゃったよ」

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