1:処刑する者、される者Ⅶ
少年は息さえも切らしていなかった。ますます落ち込みそうになる。いやそうじゃなくて。
「このビルは危ないよ。崩れるかもしれないし」
そう言いつつ、少年のそばへ近寄る。
「うん。知ってるよ? おまけに人気もないよね。ここなら多少のことなら気付かれにくいし」
「え……?どういう……」
意味? と言おうとしたところ、バンッ! と背後で大きな音があった。屋上のドアが勢い良くしまったのだ。風によるものではない。そんな強い風は今吹いてはいない。おまけに、少し壊れているのかあのドアを動かすのには苦労したはずだった。
「これで、逃げられないよ?」
少年が笑いながら言う。
「き、君は一体……?」
「僕が何かって?そんなことはどうでもいいよ。それよりさぁ。ショクジヲタノシモウヨ」
少年は人間ではなくなった。まるで……夢に見たヤツに似ている。しかしまったく同じではなかった。同じネコ科でも大きく違うのと同じようなものかもしれない。やはり体色は白く、腕と足も身長に似合わず長い。こいつは二メートル弱くらいで人間より少し大きいくらいだ。とは言っても、さっきまでの少年の身長を考えると、だいぶ大きくなった。
そして、夢に出てきたやつとの、何より大きな違いは、左手が異常に大きかったのだ。
「あ……、あ……」
昨日の夢での恐怖がフラッシュバックした。嘘。何で。襲われたのは夢じゃなかったのか。色んなことが頭の中を巡るが、今はとにかくこの場を逃げるしかない。私はすぐにきびすを返し、勝手に閉まった扉へと走り出す。
「シャアアアァァ!」
まだ遠かった立ち位置の距離を縮め、化け物は私の方へ向かってきた。
ガチャガチャ!―
「開いてよ、お願いだから! 開いて!?」
懸命にドアノブを回して扉を開けようと試みた。でも、どんなに力を入れても一向に扉は動かない。
「キャァッ!」
大きな左手が降り下ろされた。ドアから離れることで、何とか回避することが出来たようだ。ドアは衝撃でかなりひしゃげてしまっていた。もし避けられなかったらと思うと、ぞくっとした。
「ハァ……ハァ……」
いや今は、唯一の出口があいつに占拠された。生き延びるためには、少なくとも、もう一度かいくぐらなければいけない。
「キシャアアアァァ!」
一撃で殺り損ねたことに苛立ちを見せて、こちらを直視する。
「ハァ……この……」
足が笑っている。恐怖で体が縛られている。これでは、かいくぐるどころではなかった。何とか距離を取れた今のうちに、どうにか考えないと。
「え……!?」
大きかった左腕が、瞬時に伸びた。巨大化したようにも映る。あまりに唐突で、あまりに速くて、こんなの……避わせるはずがなかった。すぐ目の前に、一際大きく、気味の悪い左手が迫る。
「やあああぁぁぁぁ……!?」
やだ……。こんなとこで、こんなわけ分かんないことで、私は……死にたくない。
「やっと、出てきたか」
「え……?」
私が瞑ってしまった目を開けると、デジャヴでも見ているかのようだった。それとも、朝のは正夢だったのか。酷似した光景を、私は目にしていた。
黒髪の少年が、いつの間にか私の真ん前に立っている。黒のTシャツとジーンズを着てあまり飾り気のない格好だ。
白い左手に対抗して、右腕一本で勢いを殺していた。
「シャァ……。アアァ……」
奇っ怪な姿をした化け物がわずかに押されている。
「もうおしまいか。まぁ相手が俺じゃ、仕方ないよなぁ?」
黒髪の少年には余裕があった。見下ろすように、笑みを浮かべるくらいに。
「お前が……あの処刑人……」
姿こそは化け物ではあるが、発した声はキャップを被った少年の時と同じものだった。まだ変声期を迎えていない女の子ともとれる幼い声だ。
「正解だ。じゃあもう、殺していいな?」
紗希にとっては、目の前から消えたと感じただろう。多少逆立つ黒髪の少年は、凄まじいスピードを以て、化け物の真横から右足で、空中蹴りを喰らわしていた。
まともに喰らった化け物は軽く吹き飛んだ。横に勢い良く飛んだが、器用にも体勢を整え、そいつは何とか着地した。
蹴られた顔から、黒い血がボタボタと落ちる。
「ア゙ア゙ア゙アァァ! コロス、コロス、コロス!?」
「へぇ……殺る気なのか。この俺を」
「コロスッ!?」
「やってみな」
化け物は飛び上がった。軽く三メートルはある高さに達していた。
「シャアアアア……!!」
左の爪による、薙ぎ払う一撃。屋上の床に、えぐられたような、大層な穴が空いた。ボロボロとはいえ、コンクリートを容易に破壊した。威力に申し分はなかった。
だがこの派手な攻撃を、黒髪の少年は半身横にずらすだけで避わしていた。
「コロス!?」
今度は一直線に向かってきた。主に左腕、たまに右腕で連打に攻撃を繰り出す。
しかしこれも難無く少年はかわす。
「ま、こんなもんだろうな」
「コロス……コロス!!」
「うるせぇよ。そいつは聞き飽きた」
即座に後ろに回り込み、化け物の頭部を掴んだ。そしてそのまま床に叩き付ける。勢い余ってそのまま七階へと落ちていった。
下へと落ちたことは分かった紗希は、落ちないように気を付けながら、上から辛うじて様子を眺めていた。
ガラガラ…と音を立てて、コンクリートが崩れていく。
「アアアア゙ア゙ア゙……!?」
舞い起こった土埃が晴れたかと思った頃、化け物は左腕でなぎ払い、背後の少年を遠ざけた。
「おっ」
少年は咄嗟に後ろに避わしたものの、わずかに左頬にかすり、少々血が出る。少年が離れたと同時に前方に跳んで、化け物は少年との距離をとった。
「へぇ。昨日の奴よりはマシな動きだな」
黒髪の少年は、右手で頬の血を拭いなから、皮肉交じりに相手を誉める。
「キシャアアアア!!」
怪物は突如左腕を振り上げた。自分から距離を取ったのだ。当然届く距離ではない。また左腕を伸ばしての攻撃かと思われたが、今回は違った。
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