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「スーツを」


セックスの後、聡は私の髪の毛を指ですきながら言った。


「新しいスーツを一着新調しようと思うんだ。ナオ、一緒に選らんでくれない?」


「いいけど…」


銀行員の聡は毎日スーツを着ている。でも、服装にこだわりのない聡は、貰い物やバーゲンセールですますことも多いから、こんなことを言うのは珍しかった。


「どうしたの急に?」


私は髪の毛をなでられる心地よさと、疲労感に目をつぶりまどろむ。


聡の体からは、清潔な石鹸の香りがする。


聡は香りの強い香水やボディーソープを好まないから、石鹸とトニックの香りしかしない。


「そのスーツを着て、ナオの家に挨拶へ行こうと思うんだ」


聡の言葉に、私はゆっくりと顔をあげた。


「それって、つまり…」


聡は何も言わず微笑むと、私を抱き締めた。


私も聡の細い腰に手を回す。



素敵なプロポーズに夢を見なかったわけじゃない。


ロマンチックなシチュエーションを妄想したこともある。


でも、いざとなると、そんなこと忘れていた。


だって、あまりにも聡らしいプロポーズのしかたで、私はすんなりと受け入れていたのだから。


聡らしい。


そして、きっと、これが私たちらしい。


この夜の幸福感を、私は一生忘れないだろう。


淡い、幸福に満ちた春の夜を。

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