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「でもさ…」


そこで初めて聡は私のほうをしっかりと向いた。


ぴたりと視線が重なり合い、呼吸が止まる。


薄いけれど少し伸びた無精髭に、初めて聡を男として意識し、そう感じてしまった自分に気づき、恥ずかしさで視線をそらす。


膝の上に置いた手に目を落とすと、小指の爪先のマニキュアが剥げかかっていた。


「でもさ、今は不幸中の幸い。いや、むしろこうなったことに感謝すらしてるよ」


「え…それって」


どうゆう意味?


訪ねる前に、聡が言った。


「事故にあったから、こうして一戸さんが会いに来てくれた」


空気の濃度が増した気がした。


少しの沈黙の後、聡は照れくさそうに笑うと、また目をそらした。


足下から、少しづつじんわりと温かくなって、やがて、全身が包まれる。


「ありがとう」


私は心の底からそう言った。


「こちらこそ、ありがとう」


また、私たちの視線がぶつかる。でも今度は二人して照れ笑いをした。


まるで、春のひだまりの中にいるようや優しい気持ちになった。


そうだ。あのとき私は聡を、春のような人だと思ったんだ。

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