02

 都立鹿山小学校。

 僕の卒業した学校。

 僕が初恋をした場所。

 彼女の名前は、春樹青葉(はるき あおば)。

 やんわりとした物腰に、いつもにこにこ微笑んで、名前の様に、春の暖かい雰囲気に包まれる、誰からも好かれる女子だった。

 勉強はもちろん、運動も出来て面倒見も良い。

 自分の事は多くは語らず、いつも周りの人間の話を聞いては、うんうん、と優しい笑顔で相槌を打っているような子だった。

 小学生とは思えない程、大人顔負けの聞き上手。

 ある日、体育の授業の短距離走で、僕は思いっきり転び、両膝を擦りむいた。

 今思えば、大した怪我でもないのに、小学生になったばかりで慣れない環境、皆の前で転んだ羞恥心、小石が広がるグラウンドは、想像以上に痛覚を刺激し、幼い僕は混乱で、この世の終わりかと言う位泣き叫んだ。

『一緒に保健室に行ってあげるから、もう泣かないで』

 と言って、僕の手を摑んでくれた瞬間に、春樹に対する恋心が弾けたんだ。

 それから卒業するまでずっと片想いしていたのだけれど、結局想いは告げられずに、中学入学を機に、学区域が違う僕達は、別々の学校へと進級した。

 僕と春樹の家は離れた場所にあり、都内とは言え……いや、都内だからか、田舎町溢れるここでも、お互い会うこともなければ、人づてに春樹の話を聞く事はない。

 だから、電話越しに苗字を名乗られても、全く気付けないでいた。

 「大丈夫かい?」

 鏑木が僕に聞いてくる。

 「城本川君、久しぶりね。元気そうで何よりだわ」

 町外れにある喫茶店。

 店内にはいくつかの観葉植物が置かれ、カウンター席が三席、その後ろにテーブル席が三席と、非常にコンパクトな造りの喫茶店だ。

 今僕と対面しているのは、紛れもなく春樹の母親。

 少し歳はとったけれど、相変わらず綺麗で、優しい雰囲気は健在の様だった。

 春樹を取り巻く雰囲気は、この母親譲りなのであろう。

 「恥ずかしい話なのだけれど、三年前に主人とは離婚してね。今は旧姓の十六夜(いざよい)に戻ったのよ」

 珍しいでしょ?と疲れ切った顔で微笑まれれば、僕は苦笑いを浮かべるしかない。

 確かに、鏑木の言うように僕が言うのも何なんだが、十六夜姓は滅多に耳にしない。

 それこそ、漫画やゲームの世界ではちらほらと聞いたりはするけれど。

 現実世界で、耳にするのは初めての事だ。

 「あの、は……いや、十六夜さん。用件と言うのは……?」

 恐る恐る口にする。

 けれど、聞く前から僕には分かってしまっていた。

 母親の疲れ切った顔と、鏑木が、僕と同い年の女の子。と言った時点で、どういう案件なのかは検討はつく。

 と言うか、もうそれしかないだろ。

 「城本川君の噂を聞いてね、あなたしかいないと思ったの。あなた、原因不明の問題を、すぐに解決してくれるのでしょ?」

 「まぁ、出来るだけご希望に添えるように、努力はしています」

 異能使いではない者には、畏れが見えない。

 だから、憑かれている最悪な状況を、原因不明の問題だと思うのだ。

 「お祓いもしたし、良いと言われる薬や方法、ありとあらゆる物を試してみたのだけれど、一向に良くならないの。あの子はどんどん衰弱してしまうし……このままでは、あの子は……あの子は死んでしまう!!」

 突然母親は泣き始めた。

 人目も憚らず。

 幸い、この喫茶店は町外れにある、こじんまりとしたお店だ。

 日曜日だと言うのに、僕達しか客はいない。

 高校生と、見るからにインチキな風貌の男二人組を前に、年上の女性が涙している姿は、なるべく見られたくはないものだ。

 皿を拭きながら、店主だけは、こちらを何事かと言う眼で見てはいるけれど……。

 「あの子というのは、もしかして……」

 「……青葉を助けて下さい」




 結局、鏑木は僕にこの先起こる出来事を話さなかった。

 鏑木自身、未来を見たかどうかも定かではない。

 恐らく見たのだろう。

 見た上で、僕に何も言わないのだ。

 先程から、尋常じゃない汗をかいている。

 この時期だからではない。

 心なしか、十六夜邸までの足取りも遅く感じる。

 と、言うか遅い。

 だいたい僕から三歩下がった辺りを歩いている。

 「お前は大和撫子か」

 「城本君、それは今時の子には、あまり理解されないギャグじゃあないかな」

 うるさい。

 「だいたい、君から三歩下がって僕が歩いているからと言って、今時の子は、大和撫子たるもの主から三歩下がって歩くべし。なんて発想ないでしょうに」

 ギャグをいちいち説明されなくてはならない恥ずかしさ。

 「あのね、ギャグと言うのは、シンプルなものが一番面白いんだよ。分かりにくかったり、考えさせられるのは駄目だね。こう、肩を楽にして、頭空っぽでも理解出来て、尚且つ笑えるのが至高のギャグと言うものでね」

「その手に持っているのは何だよ」

 鏑木の個人的な主観のギャグ談を、永延と聞かなければならないのかと思うとうんざりするので、僕はここぞとばかりに露骨に話題を変えてやった。

 喫茶店を出る際に、鏑木が店の従業員に声を掛けていたのだ。

 従業員は少し困惑した顔で、何かを探しにバックヤードへ行くと、戻って来た時に手にしていたのは、綺麗に広げられ、数枚一緒に纏められた、使用済みの段ボール箱の束だった。

 「何で、そんなもの、店からわざわざもらったんだ?」

 熱く語っている最中、半ば強引に会話を中断された事に、鏑木は案の定不服そうな顔をしたけれど、すぐに何かを思い出した様で、真面目な口調で話し始めた。

 「いやね……やっぱり、段ボール箱が必要かなと思って」

 「それは、防御に必要だと言うことか?」

 以前、僕は鏑木の防御能力によって強固な盾となった段ボール箱に、救われている。

 鏑木は応えない。

 「だとしたら、その日傘は何だったんだ。身を守るのに丁度良いとかなんとか言っていたのに。僕への嫌がらせか?」

 「いや、これももちろん使うよ。心配しないで」

 「何の心配もしていない」

 むしろ、使わないでいてくれたのなら、ここに置いていけと言えたのに。

 「そこの角を曲がった所です」

 僕達のどうしようもない会話の最中に、春樹の母親が、自宅の場所を知らせた。

久しぶりの春樹との再会。

凡そ三年振り。

中学入学とほぼ同時期に、両親は離婚したらしい。

春樹は、一ヶ月程前から、起き上がる事もままならず、食事もほとんど取れないそうだ。

 ある日突然、寝込む様になってしまって、毎日魘されている。と母親は言った。

 前触れは、特になかったそうなのだけれど。

 感動の再会ーーにはならないだろうな。

 どういう顔をすれば良いのだろう。 

 話を聞く限りでは、畏れに憑かれているのは間違いない。

 では、憑かれてしまった原因は?

 やはり、両親の離婚……なんだろうか。

 「城本君」

 僕の背後にいた鏑木が、いつの間にか僕の正面に立っていた。

 「大丈夫かい?」

 「何がだ?」

 そう言えば、こいつは先程からやたらと僕を心配してくる。

 「今僕の気配に気付かない程、考え込んでいたでしょう。君らしくもない。今さっきまで、ギャグについて熱く語っていたのに」

 いや、それはお前だろう。

 しかし、言われてみれば……。

 曲がりなりにも、僕は剣術家だ。

 気配には敏感なのだ。

 それこそ、人間の気配ともなれば、意識しなくとも感じ取る事が出来る。

 「僕達は異能使いだ。だけどね城本君、畏れと対峙するには、何よりも五感を研ぎ澄まさなければならない。君の視覚は問題ないかもしれないけれど、僕の気配に気付かないって事は、聴覚や触覚、嗅覚が疎かになっている証拠だ。まぁ味覚はさておきだよ、僕は先程から君に大丈夫かい?と聞いているのだけれど」

 「そんな事は言われなくてもわかってるよ。今のはちょっと……たまたまだ。仕事をする時はもっと気を付ける。心配ない」

 鏑木に論破されるのが悔しくて、つい子供染みた事を言ってしまった。

 やはり、今の僕は冷静ではないのだろうか。

 「はぁ、君が高校生の子供でなければ、今の失言に僕は怒っている所だけれど、まぁ良いさ」

 子供染みた。ではなく、子供扱いされた。

 「城本君、はっきり言っておく。これは忠告だよ?これから、何が起きても、何を見ても、君は絶対に動揺してはいけない。今、この場にいる人間の中で、畏れを祓えるのは君だけなんだ。そんな君が、事もあろうかヘマをしよう物なら、今回は僕でもどこまで守り切れるか分からない。もちろん、最善を尽くすし、僕は君に友人を救ってもらった恩がある。だから、何があっても君を守るけれど、その為には、君がしっかりしていてくれないと困るんだよ」

 「……お前、一体何を見た」

 「詳しくは言えない。言ってしまうと、間違いなく君はそれに囚われてしまうからね。ただ、一つ言えるのは、今回は今までの案件よりも、難易度が高いって事さ」

 鏑木と知り合う前は一人で、知り合ってからは、何だかんだ言いながらも二人で様々な依頼をこなしてきた。

 僕がヘマをしたのだって、『あの時』の一度だけ。

 僕がそんなに信用ないと言うことか?

 「間違いないで欲しい。僕は、君を信じているからこそ、こんな事を言うんだ。僕が見た未来の君の様には、なって欲しくないからね」

 「そこまで言われたら、どうなるのか、気になって仕方がないのだけれど」

 「じゃあ、もう一つだけ難易度が高い理由を教えてあげる」

 やけに、勿体ぶった言い方だった。

 「畏れに憑かれている、その子自身が異能使いなのさ。それも……残酷なね」

 「は、春樹……が?」

 その先に家があるという角を曲がった瞬間、異様な気配に圧倒された。

 閑静な住宅街の一角に、春樹の家はあった。

 建売で建築されたのだろう。

 連なっている周りの家と、差ほど代わり映えのしない外観だが、そこが一目で十六夜邸である事が分かる。

 その家の周りだけ空気が黒く淀み、まるで異世界にワープ出来る門が開きそうな、空気が禍々しいく、酷く歪んでいた。

 「な、何だこれ……」

 黒く淀んだ空気が、人が叫んでいるような顔にも見える。

 ムンクの叫びの様な。

 それも、一体、二体ではなく、家を取り巻く空気全体がそうである様に。

 こんなの見たことがない。

 「城本君、良いかい?もう一度言うよ。絶対に動揺してはいけないよ。これはまだ、序の口だ」

 「……分かった」

 鏑木が先程から、僕ばかりを心配している理由が少し、分かった気がした。

 鏑木からしてみれば、所詮、僕は子供なんだ。

 いくら僕が異能使いで、祓い専門の攻撃特化タイプとは言え、この空気に耐えきれるかどうか……。

 鏑木は、そこを心配していたのだ。

 序の口と言うことは、まだ想像を絶する事が起きると言うこと。

 「……大丈夫だ」

 拳をきつく握りしめ、自分自身に気合いを入れる。

 僕なら、大丈夫だ。

 「こちらです」

 母親が玄関を開け、中へどうぞと誘導する。

 「……お邪魔します」

 やはり室内は暗い。

 外はまだ明るいし、玄関口の明かりも付けてくれている。

 にも関わらず、これだけどんよりとした暗さを感じるのは、やはり畏れのせいだろう。

 玄関を上がった正面に、二階へと続く階段が伸びている。

 春樹の部屋はその階段を上がってすぐの、右手にある扉の中らしい。

 「十六夜さん、後は僕達に任せて下さい。終わりましたら、呼びに行きますので」

 「そう?では……お願いします」

 そう言って、ここまで案内してくれた母親には、別室で待って貰うことにした。

 母親には、畏れの姿が見えない。

 僕達の能力もまた然りだ。

 いきなり、娘の同級生の男子が、持っている竹刀をぶんぶん振り回す姿を見たら、驚愕して、腰を抜かすに違いない。

 余計な誤解を生みたくはないし、仕事に支障が出ても困る。

 ここは、別室で待っていてもらった方が良いと言う、僕の判断だ。

 部屋のドアノブに手を掛ける。

 正直、開けるのが怖い。

 畏れが怖いのではなく、春樹が一体、どんな姿になっているのか、この眼で確かめるのが怖い。

 家の外と、中のこの空気を見れば、その惨状は目に浮かぶ。

 故に、急がなければならない。

 微かに、ドアノブを持つ手が震える。

 「城本君、ここは僕が開けた方が良さそうだ」

 「だ、大丈夫だ」

 「君が本当はビビりだったんだと言うことは、今この瞬間にイラっとする位、思い知ったけれど、そういう事ではなくて、君を守るために、僕が盾として先に入った方が良さそうなんだ」

 「今、さらっと気分悪い事言ったな」

 「そうかい?僕は事実を述べたまでだけれど?」

 いちいち勘に障る奴だ。

 「なぁ、どう言う事だ?」

 「ん?君にイラついた瞬間の事かい?」

 「違う!そっちじゃない!」

 「あぁ、僕はてっきり前者かと思ったよ。なぁに、開けた瞬間、畏れが君を敵と見做して、襲い掛かってくる可能性がある。君がまだ攻撃を仕掛けていなくてもね。だからさ」

 と言うことは、鏑木が見た未来がそうだったのだろうか。

 今は、こいつと押し問答をしている場合ではない。

 僕のことを散々言った事は、後で咎めるとして。

 「……分かった。頼む」

 「あと、この段ボールは、城本君が持っていてくれないかな」

 「なんでだよ」

 「僕、傘も持っているから、段ボール持ったままでは、ドアが開けられないでしょ?」

 じゃあ、とりあえず下に置いておけよ。と言うのも面倒なので、僕は仕方なく段ボールを持ってやった。

 僕の手に変わって、今度は鏑木の手がドアノブを掴む。

 こいつは未来を見ているはずなのに、僕とは違い、ドアノブを持つその手は震えてはいない。

 「じゃあ、行くよ」

 ガチャリ。

 と、鈍い音が響く。

 神経を研ぎ澄ませながら、ゆっくりと扉を開ける。

 半分近くまで開いた瞬間、肌に纏わり付く生温い強力な風圧を感じた。

 咄嗟に鏑木が、ドアノブを掴んでいる手とは反対の手に持っていた日傘を素早く前に開き、その風圧から僕を守ってくれた。

 ……日傘バンザイ。

 しかし、扉が全て開き終わっても尚、鏑木はその傘を閉じようとはしい。

 「ふぅ、傘がワンタッチ式で助かった。さて城本君、傘の脇から部屋の中を見て」

 いつもより、低い声が僕を促す。

 恐る恐る中を覗くと、そこには可愛いらしい部屋が広がっていた。

 女の子らしい、ピンクを基調とした家具や絨毯。

 白いパイプで出来ている、猫脚のベッドが部屋の左側の壁に沿って置かれており、反対側には机と椅子が置かれ、整理整頓それたその部屋は、かつての春樹を彷彿とさせるものがあった。

 それだけなら。

 その部屋には似つかわしくない、おびただしい数の畏れが蠢き、ベッドの上に横たわっている人物は、間違いなく春樹なのだけれど、かなり痩せ細り、顔色も酷い。

 そして、譫言の様にずっと何かを言っていた。

 その春樹を取り巻く様に、それまで部屋の中を自由自在に蠢いていた無数の畏れが、春樹の周りに集まり始めている。

 「……」

 言葉が出ないとは、まさにこのことだ。

 鏑木の格好もなかなかのものだが、それとは比べ物にならない程の地獄絵図。

 このインチキささえ、まともに見えてしまう。

 「城本君、あの子にまず話しかけるんだ」

 「は、春樹に!?」

 横たわっている春樹の胸は、小さく浅く上下に動いている。

 あんなに苦しそうに息をして、譫言を言っているのに、話しかけるのは酷なのでは?

 「あの子に話しをしないと、畏れ達が僕達を始末しようと一斉に飛び掛かってくるよ?さっきのは威嚇で、能力を使わずに日傘だけで事は済んだけれど、さすがに僕一人でこの数は堪える。多勢に無勢だよ」

 「どう言う事なんだよ、それ?」

 「まぁ、話してみれば分かるよ。彼女がどんな残酷な能力を持っているのかもね」

 春樹も異能使い。

 鏑木は、その能力が何なのかを知っている。

 残酷とは、一体どういう意味なんだ?

 「……ダ、れ?」

 「え!?」

 聞き覚えのある、懐かしい声。

 けれど、その声は低く轟き、震えていた。

 まるで、いくつかの音と重なっているかの様に、春樹本来の声ではない。

 「城本君、こういう時は男がリードするものでしょ?普通」

 頼むから、そんな眼で僕を見てくれるなって。

 「は、春樹か?……久しぶり。分かるかな、僕の事」

 「はぁ」

 背中越しでも分かる位、鏑木は呆れたため息をつく。

 「……わ、かる。城もと、川くん……でしょ?」

 「あ、あぁ。そうだよ」

 「ナ、なに、しに……ここへ?」

 「何って……春樹のお母さんが、お前の様子を心配して、僕に見て欲しいって」

 「……だいじ、ョうブ。心配、ナ、い」

 「いや、心配ないって、お前どう見ても大丈夫じゃないだろ!?」

 僕の声が、少し大きくなった瞬間、畏れ達の雰囲気が変わった。

 紛れもなく、警戒をしているし、殺気を感じるの。

 「何だ、この畏れ達は!?今までとタイプが全然違う。間違いなく意思が存在してる」

 本来、畏れに知能の様な物はない。

 本能のまま、負のオーラに引き寄せられ、その者に取り憑き、その者に死を与える。

 一見すると、死神の様だが、そんな位の高い神様でもなければ、ただの悪霊だ。

 故に、知能も意思も存在しない。

 ただ、負をひたすら食い尽くすだけ。

 「それに……春樹の様子がおかしい。まるで、誰かに操られている様な話し方だ……」

 「城本君、彼女はもう駄目かもしれない」

 「はぁ!?」

 「やぁ、春樹ちゃん。初めまして、僕は鏑木楓。城本君のお友達でね、君を救済しに来たのだけれど、その必要はないのかな?」

 「……ひつ、要、ナイ」

 「そう。それは、春樹ちゃんの意思かな?それとも、春樹ちゃんに取り憑いている『君』の意思かな?」

 鏑木は、これだけ多くの畏れを前にしながら、『君達』ではなく『君』と言った。

 それが意味するものとは……。

 「うん、君は随分と変わった子だね。突然変異ってやつなのかな?僕も長年畏れを見てきたけれど、君みたいな子は初めてだよ。異能使いを食い尽くそうだなんて、普通ならやらないよ?あぁ、でも、それは春樹ちゃんの意思なのかな?」

 鏑木は先程から何を言っているのだろう。

 まるで独り言の様に、春樹の言葉を待たずに淡々と続ける。

 「ねぇ僕達、春樹ちゃんとお話がしたいんだ。せっかく昔馴染みがこうして顔を見せに来たんだから、少しくらい良いじゃない。ここまですごく遠かったし。城本君はまだ十代だから良いよ?でも、僕こう見えて、もう三十路を過ぎているんだ。中々のハードな運動の部類に入るよ。もうヘトヘトさ。そうそう、因みに、春樹ちゃんがどんな異能使いで、君がどんな畏れなのかも、僕には分かっているから、煙に巻こうってたって、そうは問屋が卸さないよ?僕には未来が見える、この眼があるからね。そろそろ観念しようよ。あ、でも、ここにいる城本君は、まだ何にも知らないんだ。だから春樹ちゃん、教えてあげてくれない?じゃないと、城本君は春樹ちゃんごと、その子を祓わなければならなくなるんだよ。僕の大切な友達に、人殺し紛いなことさせないでくれるかな?」

 「ちょっ、ちょっと待て!お前はさっきから何を言っているんだ!?僕が春樹ごと祓うって、どう言う事だよ!!」

 「だから!君は少し黙ってて」

 珍しく、鏑木が声を荒げた。

 良く見ると、振り向いた鏑木の額には汗が浮かんでいる。

 飄々と話している様で、実はそうではないのか?

 「ねぇ、春樹ちゃん。聞こえているでしょ?無視は良くないなー。ましてや僕、君よりずっと年上なのに。傷付いちゃうよ」

 「……異、ノウ使いの、助け……など、必要、ない」

 「それは、春樹ちゃんの意思?」

 「……ソう」

 鏑木の背中越しに見える春樹は、相変わらず苦しいそうに息をしている。

 苦痛で顔を歪めてはいるものの、その口はしっかりと動いていた。

 「それは、君の能力故かい?それとも……君の償いかい?」

 「償い!?」

 「黙っていても、僕には全部見えてるって言ったでしょ?君の過去を知ることは出来なくても、僕の見た未来の、僕達のやり取りを見れば、自ずと分かってしまうんだよ」

 「わ、私……は」

 「春樹!?」

 先程までは違う、低く震えたものではなく、春樹そのものの声がした瞬間、僕は思わず鏑木の背中から身を乗り出していた。

 畏れはその一瞬を見逃さなかった。

 僕を目掛け、物凄い勢いで飛んでくる。

 いつもならば、それを交わすことは可能だっただろう。

 でも今は、春樹にばかり気がいってしまい、畏れの気配に気付くのが遅れてしまった。

 「しまった!」

 気付いた時には、もう目の前だった。

 そもそも、こんな狭い空間では、僕の元へ飛んで来る事は、難易ではない。

 手を伸ばせば、届きそうな距離にいた訳なのだから。

 肩から掛けている竹刀に手を伸ばすも、これは、さすがにまずいと思った瞬間。

 「シールド!」

 声と共に見た光景は、いつかのあの日に似ていた。

 バランスを崩して、尻餅をついた僕の目の前には、強固な盾となった開かれた段ボールがあり、その前で鏑木は日傘をも盾にして、自らを守っていた。

 「君に段ボールを持たせておいて、正解だったよ」

 そういう事か。

 こんな状況でも、律儀に渡された段ボールを片手に持っている自分に驚きだったけれど、その段ボールに、鏑木が触れている事によって、盾を作ってくれていた。 

 「全く……君ときたら、僕があれだけ忠告していたにも関わらず、その忠告を活かそうとしないとは、恐れ入るね。大丈夫かい?とあれ程聞いたのに」

 何も言えない。

 鏑木が危惧していたのは、僕が子供だからではない。

 こうならない為だったのだ。

 春樹にばかり気を取られて、畏れに対する感覚が疎かになる。

 ここに来る前に、鏑木に言われていたのに。

 これでは、あの時と全く一緒ではないか。

 「でも、良くやってくれたよ。おかげで春樹ちゃんに取り憑いているあの子を、引き離す事が出来た。これで心置きなく君に伝えられる」

 「え?」

 「君には悪いと思ったのだけれど、やはり敵を騙すには、まず味方からってね。僕が見た事を話して、君に筋書き通りに演じろ。なんて言っても、きっと君は、それに囚われてしまうって言っただろう?だから、その時が来るまでは、君には何も知らないでいてもらおうと思ったんだ」

 「どういう……事だ?」

 「君を信じているからこそ、出来た事さ」

 「いや、そういう意味ではなくて」

 鏑木が作った盾に驚いたのか、畏れは右往左往しながら僕達の様子を見ている。

 不思議な事に、数多くいる畏れはいるのに、僕達に攻撃を仕掛けてきたのは、この畏れだけだった。

 「彼女の能力。それは、神の化身とも言われている、珍しいタイプの能力なんだよ。聞いたことはないかい?」

 「いや……」

 前から気にはなっていた。

 鏑木は何故、異能使いについて、こんなにも詳しいのだろう。

 僕が、あまりにも無知なだけなのだろうか。

 「神の化身。一見すると、なんだかとてつもなくすごい能力なのでは?と思うけれど、とんでもない。実はとても残酷で、とても悲しい能力さ。特に、使い方を間違えると取り返しのつかない事になる。そうだろう?春樹ちゃん」

 春樹の周りには、相変わらず数多くの畏れが集まっている。

 しかし、その畏れ達は何をする訳でもなく、ただ春樹の周りを、円を描く様にぐるぐると回っている。

 春樹は先程とは比べ物にならない程、呼吸のリズムが安定し、既に苦痛に顔を歪めてはいなかった。

 変わりに、瞑ったままの瞳から次々と涙を流している。

 「……春樹?」

 何が何だか分からない僕を余所に、鏑木は続ける。

 「この、神の化身と言われる能力と言うのはね、自分の生命力を分け与えて、畏れを祓うんだ」

 「え!?」

 「けれど、人間は産まれた瞬間から、その人物の寿命は決まっている。百年寿命がある人がこの能力を授かったとしよう。まぁ、酷使しなければ、そこそこは生きられるさ。そうじゃないとしたら?元々の寿命が長く定められていない、もしくは、酷使してしまった場合。最悪、死んでしまうんだよ。異能使いの能力の中でも、群を抜いて稀少な能力さ。まさに異端と言う言葉がぴったりだね」

 自分の生命力を削って、畏れを祓う能力。

 そんなものが存在するなんて……。

 「まぁ、全てはその異能使いの匙加減なんだろうけれど、春樹ちゃんは死ぬつもりだったんでしょ?」

 春樹は一向に、鏑木の質問には答えようとしない。

 「はぁ、全く今時の子は。まぁいいさ。城本君、早くこの子を祓ってやって。いつまでも大人しくはしていないだろうし、この子を春樹ちゃんに祓わせては、この子の為にもならないから」

 「あ、あぁ」

 一体全体、未だに状況が良く分からない僕は、鏑木の言われるままに竹刀を手にする。

 分からない事もあるけれど、とにかく、春樹がこれ以上能力を使うとなると、命の危険にさらされるらしい。

 そんな事、見過ごす訳にもいかない。

 詳しい話しは後で聞けば良い。

 今は、春樹を助ける事が先決だ。

 「セイン」

 片手で竹刀を持ち、もう片方の手を、竹刀の上に翳す。

 僕の掛け声に反応する様に、翳している手から清き力が発生し、竹刀を上からなぞる様に動かすと、見る見るうちに刀剣に姿を変えた。

 明らかに畏れは反応している。

 声こそは聞こえないものの、先程まで右往左往しながら、いつ飛び掛かろうかとチャンスを伺っている気配だったのが、一転、自分が祓われる事に対しての恐怖を覚えたのか、狼狽えている気配に変わった。

 本当に……こんな畏れは初めだ。

 故にやりにくい。

 まるで、人間そのものと対峙している錯覚に陥る。

 一瞬だ。

 手元さえ狂わなければ、一瞬で終わる。

 人間の様に、感情の様なものがあっても、それは人間ではない。

 手元に集中し、全ての神経を研ぎ澄ませる。

 「行くぞ!」

 そう言って、刀剣を振り下ろそうとした瞬間。

 「やめて!!」

 と言う声が部屋に響いた。

 振り上げた僕の手は、硬直したように動かない。

 と言うより、そのまま振り下ろす事は不可能だ。

 そんな力、どこに残っていたのだろう。

 痩せ細った腕を目一杯伸ばし、立て膝をついたまま、やっとの事でベッドから飛び起きて、畏れを庇うようにして、目の前で涙している春樹の姿を見たら……振り翳下ろせるはずがない。

 「お願い、城本川君……この子を殺さないで」

 「春樹……?」

 弱々しい声は、やはり春樹そのものだったけれど、何故春樹がそこまでして、この畏れを庇うのか。

 「お願い……」

 「城本君、話しを聞いちゃ駄目だ」

 そう言うけれど、ここまでされては聞くなと言われても、ただ困惑してしまう。

 「君は何も考えずに祓えば良い」

 「いや、でも」

 「話しを聞いては駄目だ!聞けば……君はこの子を祓えない」

 「この子は何も悪くない!……悪くないのっ」 

 お願い、と春樹はそればかりを繰り返す。

 一体何なんだよ!!

 僕はどうすれぱ良い!?

 相手はただの畏れだろう?

 なのに、先程から二人とも……あれ?

 「なぁ、ちょっと良いかな」

 「駄目だ」

 「聞けよ」

 「聞けない」

 「聞けってば!」

 「聞けない!!」

 「祓うのは僕なんだぞ!?知る権利はあるだろう!!」

 「だから!聞いたら君は間違いなく祓えなくなるんだって!!」

 「そいつは一体誰なんだ!!お前達はさっきから畏れに対して、この子この子って、そんな呼び方は、まるで人に対しての呼び方だろう!!少なくとも、僕の記憶の中じゃ鏑木。お前は畏れに対して、この子なんて言った事は今まで一度もない!!」

 良く考えれば、鏑木は初めからそう呼んでいた。

 他にも多く畏れがいる中で、そいつに対してだけは『この子』とか『その子』とか。

 そう呼んでいたんだ。

 「……城本君、いくら言われても僕には言えない。何も知らないまま祓う事が、君のためだと、僕は思っているんだ 」

 「なんだよそれ!」

 「……何にも知らないまま祓っても、城本川君は辛い想いをするわ」

 「そんな事は、君に言われなくても分かっているよ!でも、知ってしまってから、優しい城本君がこの子を祓えると思えるかい?仮に祓えたとしても、彼は自責の念に耐えられない。僕は、そんな城本君は見たくはないんだよ」

 「だから、これは私にしか出来ない事」

 「そう言うのを何て言うか知ってるかい?自己満足って言うんだよ。その子を助ける振りなんてしちゃってさ、本当は自分が救われたいんでしょ?そうすれば、堂々と死ねる理由がつくものね。僕、そう言うのは反吐が出る程嫌いなんだ。皆、何かしら背負って生きている。地を這ってでも生きている人が大勢いるんだよ!少しばかり辛い想いをしたからと言って、そう安々と死に逃げるのはどうなんだい!?」

 「あなたに何が分かるのよ!!!」

 僕には全く分からない。

 二人が、何の話しをしているのか。

 「声が……声が聞こえるの。助けて、助けてって。私は、ずっと側にいたのに、この子の苦しみを分かってあげられなかった。分かっているつもりで、何にも分かっていなかったのよ……。だから、この子が死んだあの日に誓ったの。私の生命を失ってでも、この子を祓ってあげないと」

 「そんなの、罪滅ぼしでもなんでもないよ。この子を助けて上げられなかった罪の意識から逃げたいだけ。ずっと側にいたのに、助けて上げられなかった事を反省する訳でもなく、君はこの子を理由に、死と言う安易な方法で逃げようとしてるだけ。自分が楽になりたいから、苦しみたくないから、死んで救われたいから。だから、この子がこんな風になってしまったんでしょうに。君を助けたくて、どうにかしてあげたくて、でも、自分の声は君にしか届かないから、どうして良いのか分からずに。ずっと、叫んでいたんじゃないのかな?」

 「助けて、助けてって叫んでる。今この瞬間も……」

 「君は間違った捉え方をしているよ」

 「え?」

 「僕や城本君には、畏れの声が聞こえないからね、何とも言えないけれど、気配で分かる事もある。君に聞こえる助けてっていう声は、本当に君に対してなのかな?」

 「鏑木……いい加減置いてけぼりは止めてくれないかな」 

 「城本君、もう少しだけ待って」

 口の前に、人差し指を立てて言う。

 もう充分に待っている気がするのだけれど……。 

 「……み、はるちゃん?」

 「え!?」

 今でも覚えている。

 春樹青葉。

 庄司美春(しょうじ みはる)。

 二人とも名前に『春』がつくからか、とても仲が良かった。

 小学生の時、二人は親友だったはずだ。

 まるで家族の様に、学校の中でも外でも、何をするにも二人は共に行動していた。

 「みはるって……まさか、庄司美春!?」

 「はぁ、結局こうなる訳ね」

 鏑木が、事情を知ってしまうと僕が祓えないと言った理由が分かった。

 確かに、いくら畏れだからとは言え、顔馴染みの同級生を祓える訳がない。

 「……やっぱり、助けてって言ってるよ」

 「彼女から逃げないで、良く聞いてごらんよ。本当の声を」

 部屋の中には、ただ春樹の啜り泣く声が響く。

 僕と鏑木には、それ以外一切聞こえない。

 けれど、ユラユラと力なく動き、春樹に寄り添う様にしている畏れは、どこか酷く悲しんでいる様にも見えた。

 『タスケテ……青チャン。タス、ケテ……。ア、アオ、チャン。ア、ア……オ。タ、スケテ……青、チャン……ヲ。誰カ、ダレか、アオ……チャン……ヲ。助ケテ。オネガイ……』

 「みはるちゃん!!」

 俯いたままの春樹が、勢い良く顔を上げる。

 「そんな……!?」

 「聞こえたかい?」

 「どうしよう、どうしよう私!美春ちゃんは、私に助けてと言っていたんではなく、私を助けてと言っていた……」

 「そう。なのに君は自分勝手な思いで、自分勝手に勘違いをして、自分勝手にこの子の浄化を遅らせていたんだよ。本来ならば、君の生命力を全て使う様な強力な畏れでもない。いや、そもそもこの子を畏れにしたのは、君だよ春樹ちゃん。君の思いにこの子が同化して、あの世に逝くに逝けずに、君の側を彷徨う畏れと化した。それでも、ほんの少し、君の生命力を分け与えるだけで良かったのに、君が自らの死を望むものだから、この子はなかなか浄化されないで、君を乗っ取り、一体化してしまう程、凶悪な畏れになってしまった。君の能力は、自分勝手な思いで使うと上手く作用しないんだ。無駄に生命力を削るだけ。神様は、人々の願いを聞き受けてはくれるけれど、それは自らの意思ではなく、望まれてする事だからね。そこに神様の私情はないんだよ。神の化身の能力。同じ浄化能力を持っていても、城本君との違いはそこだね」

 「……どう、しよう。ごめんね、ごめんね美春ちゃん!!どうしよう、私!!」

 いよいよ、その場に崩れ落ちる様にして、蹲ってしまった春樹。

 「美春ちゃんは、きっとこれ以上、春樹ちゃんには能力を使って欲しくないはずだよ。本当に君が死に兼ねないからね」

 「じゃあ、どうすれは!?どうすれば、美春ちゃんは浄化出来ますか!?」

 「お、やっと敬語を使ってくれたねぇ。少しは僕を認めてくれたのかな?」

 この一大事に、お前は何を嬉々としているんだ。

 「方法は二つある」

 「!?」

 「一つは、このまま美春ちゃんを放っておく」

 「お前!それはあまりにも!!」

 「分かってるよ。そうすれば美春ちゃんは永遠に浄化出来なくなる。それはあまりにも酷だし、生命の理を無視する事になるからね。僕としてもこの手段はお薦めしない」

 「じゃあ……」

 「もう一つは……」

 そう言って、鏑木は僕の手にしている刀剣に視線をやる。

 それにつられるように、春樹も僕の手元に視線を落とした。

 「君が春樹ちゃんの代わりに祓う」

 「いや、ちょっと待ってくれ。だってその畏れは……」

 姿形は人間のそれではない。

 言われなければ、それが同じ幼少期を過ごした同級生だなんて、分かりっこない。

 分かりっこないけれど、僕は知ってしまったんだ。

 この鋭い切っ先で、知らなかったとは言え、先程まで斬りかかろうとしていたと思うだけで、身震いがして仕方がないのに。

 「ふぅ、やっぱりそうなるよね」

 「城本川君……」

 「だから、君にはこの事を伏せておきたかったんだけれどもね」

 祓うのは自分だから、知る権利はある!なんて豪語してたくせに、情けない。

 とでも、思われているのだろうか。

 何だか、今日の僕はまるで使い物にならない役立たずだ。

 「僕は、君を責めたりはしないよ城本君。けれど、ここに来る前に言ったよね?ここにいる人間の中で、畏れを祓えるのは君だけだと。何を見ても、何が起きても、決して動揺してはいけないよと。僕は言ったよね?君は大丈夫だと言っていた。それは嘘なのかい?」

 「……くっ」

 祓えるのは僕だけだというのは、そういう意味か……。

 同じ浄化能力を持っていても、春樹にさせる訳にはいかない。

 春樹にさせるのは、庄司の為にも良くないって、さっきも言ってたな。

 全く、この男はいちいち分かりにくいんだよ。

 もっと、ズバッ!と核心を突く言い方をしてくれれば良いものの。

 とは言え、僕に出来るのか?

 この震える手で、庄司をーー畏れを斬れるのか!?

 大丈夫だと言ったのは、決して嘘ではない。

 あの時は、確かにそう思っていた。

 けれど、僕の読みがどこまでも甘かったせいで、結果僕はただの役立たずに成り下がっている。

 鏑木は、あれだけ色々と忠告をしていてくれたのに。

 ……分かりにくいけど。

 「……城本川君」

 頼むから、そんな眼で僕を見るなって。

 分かってる!僕だって頭では分かっているんだ。

 生者と死者。

 どちらを優先にすべきかなんて、考えなくても分かってる!

 春樹の傍らで、いつも屈託なく笑ってた。

 春樹はどちらかと言うと、穏やかで物腰が柔らかいタイプだったのに比べ、庄司は活発で男気溢れるタイプだった。

 真逆のタイプの二人だったけれど、だからこそ合うものがあったのかもしれない。

 自分の死のせいで、大切な親友が傷つき、自らの命と引き替えに自分を祓おうとしている。

 それを、どんな想いで庄司は見てきたのだろう。

 春樹にしか届かない声で、助けてとずっと叫んでいた。

 けれど、その言葉の真意を取り違えた春樹は、ますます自分を犠牲にしようとする。

 ……辛いな。

 お互いがお互いを助けようする想いが、負の連鎖を招いていた。

 『アオチャン……ヲ、助けて、城モト川……クン』

 「え!?」

 「どうしたんだい?」

 「今、声が……」

 聞こえた気がした。

 弱々しく震えてはいたけれど、久しぶりに聞く、庄司の声が……聞こえた気がしたんだ。

 「城本川君……お願いします」

 「春樹……」

 座ったまま、頭を深々下げる春樹。

 恐らく、もう立つ力さえ残っていないのだろう。

 「女の子にここまでされちゃあ、断れないよね?」

 未だに手は震えている。

 けれど、僕にしか出来ないのであれば、初めから答えは出ているんだ。

 僕がやらなければ、庄司は永遠に浄化出来ずに、魂の転生をが出来なくなる。

 生命の理。

 「あぁもう!!分かった!分かったよ!!庄司!!聞こえるか!?久しぶりだな!!久しぶりの再会がこんなんで、僕は少し……いや、かなり悲しいぞ!」

 「城本君!?」

 「お前が死んだ理由を、僕は知らない。けれど、お前は畏れになってまで、春樹を心配して寄り添ってた。それだけで祓う価値はお前にはある!!お前には借りがあるから、ここで今それを返させてもらうぞ!ところで、あの時の秘密は春樹にはバラしてはいないよな!?」

 「……君は何を言っているんだい?城本君」

 今度は、鏑木が怪訝な顔をする番だった。

 僕がいつも、鏑木に向けている様な顔だ。

 「……城本川君、ありがとう。美春ちゃん、笑ってる。安心して、約束は守ってるから。だって」

 「そ、そうか。それは良かった……よし!庄司一瞬だ。痛みは感じさせないから、安心しろ。最期に何か言うことはあるか?」

 本当は、元気な姿で春樹の側にいたかったのだろう。

 こんな形ではなく、昔馴染みと、同窓会とかで会う日を心待ちにしていたのかもしれない。

 「……うん。私の方こそごめんね。うん、うん、分かったわ。私ちゃんとするから、美春ちゃんの分まで、ちゃんと生きる。その日が来るまで……。えっ!?!?!?!?!?」

 「春樹?」

 春樹の顔が急に赤くなる。

 「美春ちゃん!それどういう意味!?ちょっと!!」

 すっと、僕の元へと庄司は来た。

 「もう、良いのか?」

 畏れになってしまった庄司には、表情が分かるような顔もなければ、身体を駆使して自分の気持ちを伝える四肢もない。

 けれど、ふっと微笑み静に頷いた様に、僕には見えた。

 「じゃあ、いくぞ」

 後ろで何やら慌てふためく春樹が気になったけれど、ため息をつき頭を抱え、早くやれと言わんばかりに手を振ってくる鏑木を横目に、僕は意を決して手に力を込める。

 その手は、もう震えてはいなかった。

 ただ、意識を、感覚を集中させ、せめて庄司が安らかに逝けるように、それだけを願いながら、刀剣を振り下ろした。


 

 

 

 

 

 

 

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