第10話

 よく考えれば、ヨハネはジャモジョヨクリスがあるとはいえ、よく意識のない私とピティを引きずり出せたものよね。


 二人共、ちゃんと避難しているかしら。

 これなら最初から一人残して、先に王都へ逃がしておくべきだったかもしれないわ。


「作戦を開始……いや、少し待て、様子がおかしい」


 そのような言葉を耳にして、私は目線の端を後方のスライムに向ける。

 前方へ集中しなければいけないとは分かっているのだけれど、ロバートの声には困惑の色があったから、つい注意を引かれてしまった。


「……え?」


 驚きの声は私ではなくティアナからだった。生真面目な彼女が見ているということは、私以外の全員がその現象を目撃したと言っていいかもしれないわね。

 突如としてスライムがその動きを止めたかと思えば、一体がガラス細工のように粉々に砕け散っていく光景を。


 凍ったスライムの破片がキラキラと、光苔の発する明かりを浴びて幻想的に舞う。その美しさに魅入ってしまった。

 間を置かずにもう一体、更にもう一体と繰り返し砕けて行き、残るのはダイアモンドダストのような氷晶の霧のみ。最初から何もいなかったかのように、瞬きするよりも短い間で、後方のスライム達は破片も残さず消え去った。


「一体何が……!?」


 その疑問の声に答えられるものはいない。

 代わりに姿を見せたのは、少女を伴った青年、ヨハネとルルちゃんの二人だった。


「どうにか間に合ったようですね」


 そう言ったヨハネは、この場に不釣り合いな、一見して誠実そうな普段通りの笑顔を浮かべていた。


 前方のスライム達に視線を戻せば、分体が粉微塵となったことに怯えたのか、ゆっくりと後退っていっている。こちらに攻撃を仕掛けてくる気配は、今のところ感じられない。

 今の光景を見れば、警戒するのは当然ということかしら。


「ヨハネ、あなた……」

 

 良く見てみると、彼の手には奇っ怪な、斧にも似た形の小さなハンマーが握られていた。

 あれでスライムを砕いたのかしら。もしそうなのだとしたら、そんな魔道具を隠し持っていたことに関して文句の一つも言ってやらなければ気が済まないわ。

 確かに何か持っていないか聞かなかったのは私だし、力を貸してとも言わなかったけれど、教えてくれたって良かったじゃないの!


「ああ、勘違いなさらないでください。砕いたのは私ですが、凍らせたのは私ではありませんよ。もしそんなものを持っていたのなら、事前に適正価格、オープンプライス、お求めやすいお値段でお譲りしております」


「……嘘じゃなさそうねぇ。魔力は感じるけれど、氷でも水でもないわぁ」


「確かに。この属性は……風、でしょうか?」


 逃げ道が出来たことで余裕ができたからでしょう、ピティとロバートがヨハネの持つハンマーを見定めていたわ。

 前方のスライムが何をしてきてもいいように注意を向けてはいるけれど、突然現れたヨハネにも同じように警戒しているようだわ。

 ロバートは初対面だからともかく、ピティは七日近く共同生活したのにそれなのね。私を嵌めた時は仲も良さそうだったのだけれど、よくわからないわ。

 

「ご名答でございます。こちらはウコンバサラ、"天蓋"の異名を持つ小槌。嵐を呼び雷を起こすとされていますが、今は手頃なものがありませんでしたので、強力なハンマーとしてご用意させて頂きました」


 なんて贅沢な使い方かしら。魔道具というだけで貴重なものだというのに。

 もしヨハネの言葉に嘘がなければ、このウコンバサラとかいうハンマーも、クリス兄様が言う所の王級の遺産というのに匹敵するのは間違いないでしょう。もし説明を盛っていたとしても、風と雷の二重属性というだけで充分に珍しい。

 それを、本当にただのハンマーとして使うなんて。クリス兄様がこの場に居たらブチ切れるんじゃないかしら。


「だったら、どうやって砕いたのかしらぁ?」


 悠然と歩を進めるヨハネに、その後ろをおっかなびっくり追いかけてくるルルちゃん。こんなこと考えている場合じゃないのはわかるけど、カルガモみたいで可愛いと思ってしまうのは仕方のない事なのよ。

 ヨハネに詰問していたピティも、警戒していたティアナも今は頬を緩めているし。

 私の視線に気付いてすぐに引き締めたけど、もう遅いわ。特にティアナ、今更すましてみてもダメよ。


「簡単です。ルル嬢が凍らせたのを、私が砕いただけのこと」


 ルルちゃんの頭を軽く撫でて、ヨハネはしれっと答えた。その内容に、私達全員が息を呑んだ。


 ロバート達は、ルルちゃんがそれ程の魔法を使うということに驚いて。

 私とピティは、ヨハネがルルちゃんの魔法を暴露したことに驚いて。


 あれだけルルちゃんのことを気遣っていた彼が、こんな所でそれを表に出すとは思ってもいなかったから。


「私はそもそも手伝うつもりはなかったのですよ。ただルル嬢が皆様方の安否を気遣い、覚悟を決めたから連れてきたに過ぎません。あくまでも主役は彼女、私はメインディッシュに添えられたローリエ程度のものです」


 私達の間を通り過ぎ、スライムから庇うようにして立つヨハネ。ルルちゃんは私達の近くを通ることに躊躇っているようだったけれど、意を決した様子で走り抜けていった。


 ルルちゃんの事情を知らない近衛隊の面々は、ヨハネの言葉に首を傾げている。

 けれど私とピティは、彼女が私達、人間たちに向けている恐怖を多少なりとも知っている。それを克服するのがどれだけ難しいか、分かっているとは言えないけれど……そう簡単ではないでしょう。

 特にルルちゃんのような小さな子にとっては、乗り越えるためにどれだけの覚悟を要するのか。想像を絶するわ。


 今の様子を見るに、怖くないというわけではない筈。

 それでも、自分のトラウマを押してでも、私達を助けようとしてくれるなんて。何度思ったか分からないけれど、なんていい子なのかしら。まるでお伽噺の聖女様みたいだわ。


「ですので、エリー様、ピティ様。ルル嬢が詠唱する間、僭越ながら私が前衛を勤めさせて頂きますので。暫くの間、お二人には護衛をお願い致します」


「それは、勿論構わないけれど……いいの?」


 ルルちゃんを私たちに任せるということも、ヨハネが前衛になるということも。


 ジャモジョヨクリスやウコンバサラがあると言っても、ヨハネは商人。

 戦うことが得意だとは到底思えない。どれだけ贔屓目に見ても、鍛えられているような感じはしない。


 それならばルルちゃんをヨハネが守って、私達全員で時間を稼いだ方がいいんじゃないかしら?

 

「ルル嬢に関してはご心配なく。お二方であれば信頼できると確信致しておりますし、彼女も納得の上です。なら今の内に、親しみ易い方から少しずつ慣れていって貰うという狙いもありますので」


 言いながらルルちゃんの背を押して、私達の所に連れてくる。その姿はあまりに無防備で、スライムに一切の注意を払っていないようにしか見えない。

 もし今攻撃を向けられでもしたら、とは考えないのかしら。


 ルルちゃんに関してはそれで納得できたとしても、今の様子を見る限りでは、ヨハネ一人に任せることに納得できそうもないわ。


「私が行くというのも、理由あってのことです。ルル嬢の魔法は強力ですからね、場合によっては前衛が巻き込まれる恐れがあります」


 それは、分かる。少なくともあの回復魔法を見た以上、ルルちゃんの魔力に関しては疑いようがない。

 その力がもしそのまま攻撃に転用されると仮定すれば、ヨハネの言葉は正しいのでしょう。


 回復と攻撃の両魔法を使いこなす例は、少ないけれどない訳ではない。

 砕けたスライムを見れば、ルルちゃんがその一握りに入っているということは今更疑う余地もないわ。


「ルル嬢はフレンドリィファイアを良しとできる性格ではございませんので、確実に離れられるよう最小限の方がいい。私にはアイテムもありますし、ルル嬢も発動のタイミングを見極めやすいという理由からなのです」


 だから、そのヨハネの説明は尤もなのでしょう。

 ルルちゃんを出されては、私たちには強く言えない。挟撃の危機から助けてもらっておいて、厚かましく言い出すことなんてできないわ。


「ただ先程も申し上げました通り私、氷属性の魔道具を生憎所有しておりません。ですので是非ともお貸し頂ければと」


「それは……」


「分かりました。お貸ししましょう」


 私が悩んでいると、後ろから手が伸ばされてきた。

 魔導器を嵌めた自身の剣を、ロバートがヨハネに差し出している。

 

「ロバート、いいの?」


「構いません。それが条件で、スライムを倒す手助けをしてもらえるというのなら。例え職を辞すこととなろうと、皆の生命に比べれば安いものでしょう」


 そう、ロバートもそれだけの覚悟をしているということ。ならば私が口を出すのはやめましょう。無粋というものだわ。


「……隊長、格好いいこと言ってますが、そもそも貸与禁止なんてルール、誰も守っちゃないでしょう」


 ――え?


「エリー様、恥ずかしながら白状いたしますと、近衛、軍関わらず、貸与禁止というのは新人の紛失を注意する為という意味が強いのです。ですので、その……」


「信頼できる相手で、目の届く範囲だって言うのなら、魔導器を貸してる奴なんて多々いるんですよ。……陛下含めて」


 お父様!? 規則を作った側が規則を破ってどうするのですか!?

 

「正直、何でエリー様はピティさんに渡さないのかと思っていたのですが……規則を守ろうとするお心からだったのですね。ご立派です」


 ティアナ、そう言っていることはアナタも気にしていなかったのね? 

 近衛で尤も真面目な彼女もこうなのだったら、本当に有名無実化しているということ……?


 思わず目眩がしてきたわ。つまり完全に私の空回りだったのね。何てことかしら。


「中々に愉快なご様子ですが、お借りしても宜しいのでしょうか?」


「……いいわよ、役立てて頂戴」


 何やらどっと疲れたわ。思わず膝から崩れ落ちたくなるくらいには。

 ルルちゃんの護衛を任されたからにはそうも言ってられないけどね。


 ヨハネも自分から言い出すからには本当に勝算があるのでしょうし、ちょっと情けないけれど、任せてもいいのかしら。


「ありがとうございます。それでは皆様方、吉報をごゆるりとお待ちくださいませ。――"身体強化”」


 身を翻すと同時に呟いた言葉で、ヨハネの身体が暖かな光に包まれた。

 それが何を意味するのか私には分からなかった。ピティやロバート達が目を丸くしていたから、魔法による何かなのだということがかろうじて判別できた程度。


「まさか、ノタリコン!?」


「詠唱破棄……アレ、商人だって絶対に嘘よねぇ?」


 二人が驚愕の言葉を向けている。その言葉が事実であれば、驚くのも当然だわ。……本当、改めて思うけれど何者なのかしらこの二人。

 二人共ピティが驚く程の魔法使いで、古代の遺産を二つも持っている。そう考えると本当に物語の勇者様達みたいね。

 ヨハネはどちらかというと敵側、魔族の方が似合ってそうだけれど。ルルちゃんとヨハネの見た目が入れ替わったら完璧ね。


「いえいえ、私はしがない商人ですよ。ただ幸いにして、魔法にも適性があったというだけでございます。――さて、これ以上待たせるのも限界ですね。ルル嬢、任せましたよ」


「う、うむ……。"ヴェル、ゲル、ブリミル。フグ、フス、フルグ。凍れる川の源、深遠の深淵、暗き底、燃える大蛇を抱け"」


 頷き、ルルちゃんが詠唱を始める。

 ピティ達には悪いけれど、それだけで彼女の魔力が隔絶した場所にあるというのがよく分かる。無色透明の魔力が渦巻き、ルルちゃんの外套を僅かにはためかせている。

 ピティやロバートが使ったような奔流ではないけれど、その静かさが不気味な迫力をヒシヒシと感じさせるわ。


「では、私も少し壁の花と踊って参りましょう」


 ちょっと遊びに行くような気楽さで、ヨハネはスライムに立ち向かっていく。

 剣にも強化をかけたのか、魔導器は私やロバートが使っていた時よりも遥かに強く稼働している。刀身に霜が張り付いて、周囲の空気さえ凍っているようだわ。


 もしかしてあの二人、お父様やギルド長クラスなんじゃないかしら……?


「"黄金の橋を超えてゆけ。死の川より先、死者の血を啜る蛇に乗れ。レン、レン、ド、レン。凍れ、凍れ、亀裂の底より落ちてゆけ"」


 可愛らしい鈴のような声とは正反対に、重苦しい力がその言葉に乗っている。

 それでも、魔力を暴れさせるようなことはない。変化といえば、ルルちゃんの足元に魔法陣が生まれていること、そこから光が天井を突き刺すように伸びていること。ルルちゃんの外套が、はためくのではなく静かに翻っていることくらいかしら。


 ヨハネの方に視線をやれば、スライムが体中から、数えるのも嫌になるほどの数の触手を彼に向けていた。

 それを回避する彼の様子は、お世辞にも美しいとはいえない。動きの一つ一つにぎこちなさがあり、私でさえ見ていて動きに無駄が多いと分かる。

 けれど、そんな事は関係ないほどにヨハネの動きは早く、鋭い。

 身体強化によってでしょうけれど、人間やエルフの限界を超越した速度、反応。それを力押しだと笑うことはできない、私達人間の多くはその力押しでモンスターにやられるのだから。


 それにヨハネも、決して戦い方が下手というわけではないみたいね。

 技術に関しては私でも見て取れる程に未熟だけれど、そこいらの冒険者や新兵と比べればずっと上だし。少なくとも、商人というよりは駆け出しの戦士と言った方がしっくり来る戦いぶりで、場馴れしているような感じさえするわ。


「"ヴィズ、ヴィズ、ヨルム、ヴィルズ! 虚像を結ぶ影、黒き刃、白き灰、這いずるものども、結び、結び、固結せよ。雫、毒、三夜の混沌より出る赤き水、渇きを満たす源流へ落ちよ”」


 ルルちゃんの方は、魔力の柱がまるで大樹のように広がっている。

 スライムも先程からそれに気付いてコチラに向かおうとしているが、それは全てヨハネによって阻まれていた。


 どういう力を使ったのかは分からないけれど、魔導器の発する効果が中位魔道具くらいまでに高められているんじゃないかしら、アレ。

 斬った箇所だけでなく、そこから冷気を浸透させるほどの力を前にしては、スライムも思うように進めないようね。


 これ、護衛と言ってもまず私達いらないんじゃないかしら? 

 多分、ヨハネはもしもの時を考えてだと思うし、きっとそうに違いないとは思うのだけれど……。こうも出番が無いと、もしかして私たちに手出しさせないために護衛なんて言い出したんじゃないかと邪推してしまうわ。


「"ガプ、ガガプ! リヴァ、ロヴァ! 古の霧の底、礎たる湖を抱く彼の地より来たりて我が脅威を取り除け! 汝らが王を生みし御方、万魔の母、偉大なる闇女神、愛子たる我らが望む!"」


 もたつくスライムを縛るように、新たな魔法陣が生じた。

 ピティ達の時と違うのは、法陣の複雑さと、その数。

 彼女たちの時は二人で二つだった。けれど今、ルルちゃんによって生み出された魔法陣の数は九つ。

 一枚目はスライムの足元に、九枚目はスライムの頭上に。残る九枚は円柱を描くようにその間で重なっている。


「私の役目はここまでですね」


 魔法陣に縛られたのを見て、ヨハネが迷わず下がった。

 隙間から伸びてきた触手を切り払いつつ、私達の元へ戻ってきて、怪訝な顔で私達を見た。何でこのタイミングでそんな顔をするのかしら。


「皆さん、この距離だといい感じに半冷凍されかねませんよ?」


「えっ?」


「生命に別状はないでしょうから、珍しい体験をしたいのならお止め致しませんけれどね」

 

 そういうことは早く言ってくれないかしら。

 逃げるつもりはないにしても、心の準備というものは必要なのよ。

 

「"ヴィー、イプト、ルブルルルブ、トゥフルク、ゲスヴォ、フィンブル!"」


 私達はルルちゃんの護衛を任された。結局、スライム討伐の殆どを二人に取られてしまったのだから、このくらいは果たさなきゃエリエスファルナの名が泣くわ。

 例えその名を負っていなかったとしても、私達の誰一人として我が身可愛さに逃げるようなことはないでしょうけどね。

 こんな小さな子にすべてを任せて逃げ出すような者がいるはずないのだもの。


 ヨハネだって、私たちに忠告しながら逃げないのはそういうことなんでしょう?


「"霜の巨人よ”!」


 ルルちゃんの魔法も完成したようだし。

 さて、私達は任務を人任せにした罰として、ちょっとだけ凍ってみましょうか。


「"汝らが世界を顕現せよ”!」


 詠唱の終了と同時に、スライムを縛っていた魔法陣が一際大きく輝いた。目を焼くような閃光が私達の視界を完全に覆い潰し、代わりに真冬の川に叩き落とされた以上の冷気が全身に伝わってくる。

 指先、足先から徐々に感覚が失われていき、眠気にも似た何かが襲い掛かってきている気がする。これが余波でしかないというのだから、私の予想は甘すぎたということでしょう。もしこれが長く続けば、それだけで意識を失ってしまいそうだもの。

 

「……ふぅ……」


 声音に似合わない疲れた雰囲気の溜息が、ルルちゃんの口から漏れた。ロバート達の時みたいに、大きな魔法を使ったから疲れたのかもしれないわ。

 そのタイミングに合わせて寒波も収まった。まだかじかんで感覚がないけれど、すぐに戻るでしょう。それよりもスライムは……!


『おぉ……』


 皆から感嘆の声が上がった。スライムは完全に凍っていたから。

 見ただけで表面が凍らされただけで、本体も凍っているというのが分かるわ。だって、その体よりも遥かに大きな氷塊に閉じ込められているんだもの。


「最後の仕上げですね」


 寒さを感じていない様子で平然と進み、スライムの元へ向かうヨハネ。

 身体強化したら寒さにも強くなるのかしら? あの冷気を浴びた後で、変わらない動きができるというのはちょっと信じられないわ。本当に人間なのかしら。


「……さてはアイツ、一人だけ防寒アイテムを持ってたわねぇ……」


 寒さに身体を震えさせているピティが恨みがましい視線を彼の背に向けている。

 言われてみればそうよね。ヨハネはルルちゃんが強力な氷魔法を使うって分かってたんだから、準備していたと考えるほうが普通だわ。

 そうだとしても私達全員分のそれを準備しろっていうのもおかしな話だし、ピティの視線はお門違いだと思うのだけど……。あの子だけ極端に薄着だから余計に被害が大きかったのかもしれないわね。ご愁傷様よ。

 私は鉄の軽鎧、近衛の皆は兜を被っているかいないかの違いはあれど、全員が甲冑姿。実際には冷気を通しやすいのだけど、私達は最初から氷魔法を主軸に考えていたから耐性もつけてたおかげで平気なだけだし。そう考えると何の防護もないピティは、私が感じた以上の寒波を浴びたということになるのね。うん、それは恨んでも仕方がないかもしれないわ。


「お疲れ様でした、ごゆっくりお休みください」


 氷塊の側に近づいたヨハネが、ウコンバサラという名のハンマーを軽く振り下ろした。

 力を入れたようには見えない軽い一撃だったけれど、見る見るうちにヒビが広がっていく。その上から二撃目を加えると、スライムだったものは後方の六体と同じく、氷結晶となってサラサラと舞い落ちていった。


「エリー様……」


「言わないでいいわよ」


 ロバートの言わんとすることは分かる。これ、私達いらなかったんじゃないかという気持ちはアリアリと伝わってきている。というか私も思っている。

 強大なスライムを倒して、民に被害が及ぶ前に結果を出せたというのだけれど、私含め全員が達成感より戸惑いを強く感じているのは間違いないでしょう。


 この光景を見てしまえば、そもそもスライムが出てこなかったのは入り口にこの二人がいたからじゃないかなんて邪推もしたくなるというものよ。

 それだけの規格外。二人の、特にルルちゃんの力は、我が目を疑うほどだわ。これだけの力を持っていて何故……とは言えないか。あの子はまだ子供なんだから、最初に悪意に晒されたら絡まって逃げられなくなったのかもしれないわね。


「いやはや、助かりました。この武器が無ければどうにもならなかったところです。皆様方には感謝を申し上げなければ」


 そんな私達の内心を知ってか知らずか……多分、完全に知ってでしょうね。嫌味さのない笑顔で嘯いて、ロバートに剣を返していた。その足元には、やっぱりルルちゃんが引っ付いている。

 うん、怖いものね。魔法の集中が終わって、周囲には鎧兜の連中しかいなければそうなるわ。顔が見えないのもホラーだし、顔が見えてるのは見えてるので無頼漢顔だものね。

 

「いえ、私達の方こそ、こうして助けられる結果となりましたこと、いくらお礼を申し上げても足りないくらいです」


 ヨハネはああ言ったけれど、何だかんだで魔導器がなくても対処できたのではないかという気もするわね。

 ……うん、ネガティブはここまでにしましょう。こんな僻みみたいなことを考えてちゃダメだわ。

 私達は力が足りなかった。ルルちゃんとヨハネは、本当なら私たちに守られていい立場だというのに、私達を心配して助けてくれた。それだけのことで、感謝こそすれ妬むような筋合いはないのだから。


「エリー様も、危険を犯して私達を案じてくださいましたこと、感謝の念に堪えません。お借りしていたこちらをお返しするとともに御礼申し上げます」


「ありがとう。結局、助けられたのは私達の方になっちゃったけれどね」


 何にしても、犠牲者一人出さずに終わった。結果としてみれば万々歳、これ以上は望めないというくらい。被害が出る前に終わらせられたのだから、喜びましょう。


「ヨハネ、何か欲しいものはあるかしら? これだけ手を貸してもらっておいて、何のお礼もなしだと名が折れるというものだわ」


「確かに、その通りですな」


 私の提案にロバートが頷く。私個人もお礼したいと思っているのは確かだけれど、立場上、やらないという訳にもいかないというのもまた確かなのよね。

 

「私の勝手にやったことですから、とお答えすべきところですが。ここはお互いの為にも、喜んで受け取らせて頂きましょう」


 こちらから頼んだにしろ勝手に来たにしろ、成果を出されたのならば、上の立つものとしては報いなければならない。善意からではなく、そうやって事実を残しておかないと禍根を残すことがあるから。

 もしヨハネに何も渡さず、彼がそれを言い募れば、エリエスファルナは人をただで扱き使うなどという悪評が立つかもしれない。もしこの事が、王家を厭う貴族にでも知られたら、そこから僅かでも切り崩す隙を見つけ出してしまうかもしれない。

 例えゼロに近い可能性であろうと、国を背負う以上は不確定要素を消しておかなければならない。だから王女として動くのは嫌いなのよね、雁字搦めになってしまうから。

 でも、それを利用した以上は、責務を果たさなければならない。


「私の勝手にやったことですから、とお答えすべきところですが。ここはお互いの為にも、喜んで受け取らせて頂きましょう」


 いらないと言われようが無理矢理に渡すつもりだったけど、話が早くて助かるわ。慣れているようにも感じたけれど、やっぱりアジールでもいい立場にいたのかしら。

 あの扱っている魔道具を見れば、当然かもしれないわね。あれ程のものを持っているというのであれば、贔屓にする貴族など数多だったでしょう。あの部屋にあったものも須く品のいいものばかりだったわね、そういえば。


「そうですね。では、少しふっかけさせて頂きましょう」


 楽しげに笑うヨハネだけれど、彼にふっかけると宣言されると思わず身構えてしまうわね。ここぞとばかりにどんな要求をされることかしら。


「お手柔らかにお願いね」


 とは言え、それ程に心配はしていないけれどね。

 今までの彼の行動を見るに、唐突に無茶な要求はしてこないでしょう。応えられるギリギリは突かれるかもしれないけれど、それならそれで構わないわ。

 良くない感情を抱いたりもしたけれど、助けられた大きな恩義を感じているのもまた事実。私はともかく、ロバート達、近衛の全員が生きて帰れたのは間違いなく彼のおかげなのだから、それに見合うだけのものを返したい。それも私の正直な思いなのだから。


「さて、それはお応え致しかねますが……私が望むものは一つ。王都に、私達が快適に活動できる住処を準備して欲しい、というものです」


「……え? それはつまり、王都に家が欲しいということ?」


「はい。それが今、私たちに尤も必要なことでございます。難しいでしょうか?」

 

 難しいということはない、どころか真逆よ。

 ヨハネからの要望は、私にとって渡りに船というべきもの。それでいいというのなら、諸手を挙げてでも歓迎したいくらいだわ。

 理由は幾つもある。単純に、ヨハネとルルちゃんという縁を繋いだ相手が、エリエスファルナに来るというのは個人的にも嬉しい。

 利己的な考えとしては、これ程の実力を持つ人間を他国に逃したくはないというのもあるし、商人が増えるのは国益にも繋がる。ヨハネのような人物なら尚更ね。

 元々、ダンジョンを討滅してしまった場合はこちらで当面の世話を負担するつもりだったのだから、それが願いというのなら叶えることは簡単だわ。


「いえ、それが願いというのなら、私の権限だけでも許可は出せるわ。けど……」


 チラリとルルちゃんの様子を伺う。ヨハネの足元に隠れている姿が、私に二の足を踏ませている。

 彼らがここを拠点としているのは、きっとルルちゃんに配慮しての部分が大きいはず。人が怖い彼女に、あまり人と接することのない場所として選んだのではないか。私はそう思っている。

 最初に理由を聞かされた時はそんなものかしらとも思ったけれど、今ならば分かるわ。彼の持っているジャモジョヨクリスにウコンバサラ。例えそれが売り物でないにしても、そんなものを手に入れている彼ならば、他にもっと賢いやり方があった筈。最初から街に店でも出していれば、すぐに財を成せるでしょう。

 それをしなかったのは、ルルちゃんがいたから。そうとしか考えられない。


「本当に、それでいいの?」


「ええ。ルル嬢も、そして私も。もう一度、人というものをしっかりと知るべきなのですよ」


 ヨハネの言いたいことは分かるわ。私もそうなってくれれば嬉しいと思う。

 人は、アジールの所の蛮人だけではない。曇り無き目を持つものだっている。ルルちゃんみたいな可愛い子なら、愛し慈しむ人間なんてそれこそ星の数はいるでしょう。

 いつまでも過去のトラウマに怯え、逃げ続けるというのは、きっとルルちゃんの為にならない。それを克服しなければ、ルルちゃんに本当の幸せは来ないでしょう。

 もしかしたら、彼女はヨハネといる今の状況が何より幸せだと思っているのかもしれない。事実、ルルちゃんにとってはそれが一番いいことなのかもしれない。でも、他の幸せの可能性を見もしないでそれを決めるのは、良くないことだと思うから。


「……ルルちゃんの気持ちはどうなの?」


 けれど、それが本当に一番いいのかと聞かれても、私には分からない。急に王都へ来て、更に傷口を広げてしまうようなことになったらと考えると、もう少しゆっくりと進めてもいいのではないか、とも思う。

 もしこれでルルちゃんが首を横に振るようなら、ヨハネの願いは断りましょう。


「う、む……。わ、わららも……がんばりたい、と、思うておる」


 でも、それはどうやら杞憂だったみたいね。

 詰まりながらも、しっかりと私の目を見て頷くルルちゃんの様子を見れば一目瞭然。踏み出そうとしているのに止めるなんて、優しさでも何でもない。甘さですらない、それは後に残る毒のようなものだわ。


「そっか。うん、そうね。分かったわ、ヨハネが驚くような家を用意しておいてあげる」


「お二方が聖王国の民となることは実に喜ばしい。その際はぜひ私たちにもお声をお掛けください、暇な連中に王都のオススメを案内させましょう」


「ええ、その時を楽しみにしております」


 甲冑越しで握手を交わす二人。

 ロバートも考えていることは私と同じでしょうね。彼は義に厚いのと同時、父様、ひいては聖王国を第一に考えているから。ヨハネが聖王国に来るというのは両方の意味で歓迎することで、その為なら少しぐらいの便宜を図っても構わない、そんな感じかしら。

 これなら父様の説得も楽ね。私とロバート、それに他の近衛兵からの証言もあれば、簡単に一等地を準備させることができそうだわ。


「今日明日に準備するのは難しいから、後日という形になるけれど、いいかしら? もし良ければ、それまで王城で歓待するわよ?」


 国賓待遇とまではできないけれど、賓客として扱うことならできるでしょう。

 生命の恩人のようなものなのだから、父様だって笑って受け入れてくれるわ。ヨハネがもう一つ、王級の遺産かもしれない魔道具を持っていたことを教えたらクリス兄様も全力でバックアップしてくれるでしょうし。クロイツ兄様たちも悪い顔はしない筈。

 もしかしたら父様に腕試しとか言われて模擬戦をやらされたり、クリス兄様の魔道具談義に付き合わされたりするかもしれないけれど。


「身に余る厚遇でございます。しかしルル嬢にも心の準備が必要でしょうし、移転にあたっての準備もありますので、ご厚意のみありがたく頂きたく思います」


「す、すまぬが、ヨハネの言うように、時間を貰えるとさ、幸いじゃ」


「私の方こそ無神経だったわ。ルルちゃん、ゴメンね?」


 少し急いでしまったかしら。余計な気を回してしまったみたいね。

 来てくれるというのだから、ゆっくり待っておいたほうが良さそうだわ。


「か、かまわぬ。そ、その時までにはわらわも心を決めておくゆえ」


「とのことでございますので。お手数をお掛け致しますが、改めてご連絡頂けたら幸いです」


「分かったわ。それじゃ、準備ができ次第に使いを送るわね。ええっと」


 少し考えて、回りを見渡す。この場所に来るのもそうだけれど、ルルちゃんの負担を減らすためにも見知った顔の方が良いわよね。

 ピティが一番だと思うけれど、彼女は冒険者という立場だから難しいわね。エリエスファルナ王女としてのお礼である以上、ピティにお願いするのは難しいかしら。

 ロバートはどうかしら。近衛隊長という地位にいる人間が向かうのなら、私達が重要視しているという示しにもなる。本人も、父様の許可があれば喜んで受けてくれるでしょう。ただ問題は顔ね。ルルちゃんが怖がりそうなので却下。


「この、ティアナに伝言を持たせるわ」


 ティアナを呼び、任せる。

 近衛隊だし女の子だし、真面目だから信用もできる。適任ね。


「ティアナと申します。ヨハネ様、ルル様、お礼とご挨拶が遅れ申し訳ございません。私共にご助力頂きましたこと、エリー様をお救い頂きましたこと、合わせてお礼申し上げます」


「これはご丁寧に、ティアナ様」


 ヨハネも一応は男なのだし、むさ苦しいオッサンよりは嬉しいわよね。ルルちゃんも男よりはティアナみたいな美人の方が少しは楽だと思うしね。

 本当なら私が行きたいのだけど、流石に許されないでしょう。


「あ、それと二人共、その時は一度、王城で父様……陛下と謁見する形になると思うけど、大丈夫かしら?」


「謁見ですか。無作法を晒してしまいそうで、不安ではありますね」


「う、うむ。大丈夫……じゃと、お、おもう」


 ヨハネはどの口が言ってるのかしらね。自信ないようなことを言ってるけど絶対に嘘でしょう。もし本当に無作法だったら本気で笑ってやるわ。

 ルルちゃんはいいのよ。普段通りにしてくれれば誰も文句は言わないからね。


「お願いね。準備もあるでしょうし、予定が決まった段階で一度ティアナを送るわ。それから当日に、迎えを送るという形になるかしらね」


「畏まりました。お手数をお掛け致しますが、よろしくお願い致します」


 こんなところかしら。後は戻って父様達にご報告、それから土地の選定ね。

 豚の商会との兼ね合いやら根回しやら手続きやらもあるでしょうけど、クリス兄様にお願いすれば大丈夫でしょう。向こうのお願いは叶うのだから、きっと喜んで手を貸してくれるわ。

 いずれにしても帰ってからね。休憩も充分にしたでしょうし、帰還と行きましょうか。胸を張って凱旋とは言い難い内容だったけれどね。


「それじゃあヨハネ、ルルちゃん。また今度ね」


「ルルちゃん、王都に来たら私の所に遊びに来てねぇ? あ、ヨハネは結構よぉ」


 軽い挨拶を別れの合図として、私達はダンジョンから出る。

 ヨハネとルルちゃんは折角なので素材を拾っていくということなので、その場で別れた。

 さて、これから少し忙しくなるわね。苦手な内容なのだけれど、ルルちゃんと、ついでにヨハネの為、頑張ってみましょうか。ちょっとの間、冒険者は休業かしらね。

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