第9話
たかだか六日でダンジョンの中が大きく変わる訳もなく、討伐部隊は何の問題もなく奥へ奥へと進んでいく。
ただ、やはりと言うか時間の感覚が狂ってくるのはどうにもならないわね。
それなりに長く歩いているとは思うのだけれど、広さも岩質も変わらない中を進んでいたら、どうしても実際より長く歩いた気持ちになってしまう。
前回はそれで気が滅入って、少し休憩を取ったところを襲われた。これだけの人数がいれば、不意打ちされたとしても対応はできるけれど、皆の様子はどうかしら。
「ロバート、何か変わった様子はない?」
「問題ありません。エリー様はいかがですか?」
「こちらも特には。あえて言うなら景色に飽きてきたってところかしらね」
まだロバートには余裕がありそうだったので、冗談を交えて返す。
ティアナ達他の九人も、まだそこまで疲弊したという様子はないみたいね。
「そうですね。最初の頃こそ物珍しいと思いましたが、こうも続くと食傷気味にもなるというものです。途中、腰を落ち着けた方がいいかもしれませんね」
「そうね。先は長いわ、じっくり行きましょう」
体力が切れることは無いでしょうけど、集中まではどうしようもないからね。
進んでいると、どうしても皆の精神は削られる。終わりの見えず延々と続く不毛な光景に、いつ襲われるかわからないという事実がじわじわと集中を奪っていく。
休憩しても安全ではない以上、大きな差はないかもしれないけれど、身体と息を落ち着けることは大事だわ。
それに移動中なら全員の気が休まることはないけれど、休憩中ならば数人の見張りでカバーすることもできる。私達の時と違って、居るということは知っているから心から休むことはできないでしょうけれど、多少のリラックスにはなるでしょう。
全くと言っていいほど情報がなかった私達の時とは違う。
例え休憩していても移動中でも、不意打ちに一切対応できないということはないわ。
ならば不意打ちに備えるよりも、その後に万全の対応を取れるよう備えることを優先すべき。コンディションを落とさないよう、こまめに休憩を取る方が良いかもしれないわね。
「それでは、もう少し進んで何もなければ小休止と致します。宜しいでしょうか」
「指揮権はロバートにあるわ、貴方が必要と思う時にやってくれれば問題ない」
あまり休憩を摂り過ぎて、緊張の糸が切れてしまっては本末転倒でしょうけど。ロバートがそのような愚を犯すはずもない、安心して任せられるというものよ。
「畏まりました。今のところは気配も感じられません、休むにはちょうどいいタイミングでしょう」
「そうね、水音がまだしていないもの」
楽観はできないけれど、まだ近くにはいないと見ていいでしょう。
「けれど、気配に頼るのはやめた方が良いわ」
実力もそうだけど、エルフの方が人より五感が鋭い。ロバートと比べてみても、気配察知の一点であれば同等と言ったところ。
そのピティがギリギリまで気付けなかったのだから、あのスライムは高い気配消しの技能を持っているのでしょう。感じれないからといって、いないと考えるのは早計だわ。
「なるほど、確かに。他の兵にも目視や音を重視するように伝えます」
「……二人共、それでもまだ足りないと思うわぁ」
横からピティが、真剣な面持ちで口を挟んできた。
まだ足りない、というのはどういうことかしら。
「確かに私とエリーは水音を聞いて、それに襲われたけれどぉ。あのスライムの移動方法が、それだけだと決まったわけじゃないでしょぉ?」
言われ、ハッとした。ロバートもその事に思い至っていなかったのか、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
確かに、ピティの言う通りだわ。あのスライムの生態や能力が分かっていない中、情報を限定して考えるのは危険過ぎる。
「ロバートさんは仕方がないにしてもぉ……。エリー、帰ったら冒険者としての講義をもう一度させてもらうわねぇ」
「返す言葉も無いわ……」
ピティの指摘に思わず項垂れてしまった。
冒険者として、未知のものへの対処は徹底して叩きこまれたと思っていたのにこの体たらく。呆れられるのも仕方がないわ、これじゃ。
言う通り、戻ったら改めて勉強のし直しね。そう思って顔を上げて、
「……え?」
慌ててもう一度、視線を地面へ向ける。
一瞬だが、視界の端。地面の僅かに隆起した部分の影に、何か赤いものが過ぎっていたような気がした。勘違いならそれでいい、けれど、もし見間違いじゃなければ……っ!
「戦闘用意を!」
改めて目を凝らせば、そこだけではない。周囲一体、地面の隙間に溶けこむようにして赤い粘液が溢れ出している。
それに気づくと同時、意図するよりも先に叫びが上がった。
「エリー様? ……ッ、総員、戦闘配置につけ!」
『ハッ!』
一足遅れて、ロバート達も私が見たものに気付いたのでしょう。焦り混じりの指示を飛ばしていく。
けれどその時には既に、子猫ほどの大きさをしたのスライムがいくつも地面から湧き出していた。
それらは見た目に似合わない機敏な動作、というよりはまるで跳ねるボールのように勢い良く飛び、球体同士をぶつけあう。そうして瞬く間に、私が見たものより一回り小さい、しかし人一人を軽々飲み込めるほどの巨体をした赤いスライムが出来上がった。
その数は、まるで私達に対抗しているように五体。
「ピティ」
「何かしらぁ……?」
「帰ったら私に改めて、未知というものに対する危険を徹底的に叩き込みなおしてもらっていいかしら?」
武器を構えながら、気を紛らわせようとピティに軽口を叩く。
「必要ないと思うわよぉ? 今から徹底的に叩き込まれるだろうからぁ。物理的にもねぇ」
素気無く返された答えに、グウの音も出ない。
あの時、私は二体のスライムを見たから、最低でも二体。場合によってはそれ以上の数がいると思い込んでいた。
しかし、今の様子を見るとそれは勘違いだったということがよく分かる。あのスライムは最初から一体で、分裂、融合という特性を持っているだけだということが。
勿論、本当にこのスライム一体しかいないという保証はない。けれど、あの巨体だから完全に独立した存在だと思い込み、分裂して数を増やすという可能性を考えもしなかったのは間違いなく私のミス。
小型のスライムであればよく見られる特性であるにも関わらず、大型だから当て嵌まらないと勝手に判断してしまった。なんて初歩的な失敗をしてしまったのかしら……!
物理的にってのは遠慮したいけれど、ピティのいうことも尤もね。
こんな失態、二度と忘れることはないと断言できるわ。
「お二人共、お喋りはそこまでに……来ます!」
五体のスライムの内の一体が、巨体に見合わぬ跳躍を見せてのしかかって来た。
けれど、避けれない程ではないわね。不意打ちであるならともかく、正面から相対していれば見きれないほどのスピードではない。
私達は示し合わせたように散開することでスライムの攻撃をやり過ごすことで、包囲の形を取ることに成功した。部隊の入れ替えは難しくなってしまったけれど、こればかりは仕方がない。
それ以前に、分かれた残り四体のスライムが各部隊に一体ずつ襲いかかっている以上、どちらにせよ援護は期待できない。
どこか一部隊でも敗走してしまえば私達全体の負けがほぼ確定してしまうでしょう。逆にどこか一部隊でもスライムを撃退すれば、私達の勝利はぐっと近づくわ。
「各隊、魔導器を起こせ! 予定通り魔法を使えるものはそちらに集中せよ! 詠唱を妨害されぬよう各員、留意せよ」
『了解!』
ロバートの言葉に従い、各々の武器に開けられた窪みに白い宝珠を嵌めこむ。
魔導器。聖王国エルエスファルナが誇る魔道具。その効果は属性の付加という単純なものではあるけれど、量産が可能という点で歴史的な発明とされ、我が聖王国の主力兵器となっている。同じ効果を持つ魔道具よりも威力が劣るのが難点ではあるけれど、それでも兵の末端にまで用意できるというのが強みね。
その分、魔導器を備えるための武器にも手を入れる必要があるけれど、こちらは嵌めこむための穴と力を流す回路を作るだけなので、市販品を改造して対応することもできる。まさに軍隊向きの発明と言っていいでしょう。
小ぶりのポテトほどのサイズだから、何種類も携帯できるというのも利点の一つ。今回のように相手が分からない時は、臨機応変に対応することができる。
本当ならば私も冒険者として活動する際に常備したいほどなのだけれど、軍属でない限り支給されないのよね。外部流出を防ぐために徹底した管理をされているせいで、下にはまず回ってこないのが残念だわ。
今回は部隊として行動しているから一時的に私も持っているけれど、これをピティに貸すことは例え一時的であっても許されない。
だからそんな物珍しそうに見られても渡せないのよ、ごめんねピティ。でも貴女は魔法が使えるんだから、どちらにしても後衛で宜しくね。
「借りは返すわ……!」
魔導器で付与した属性は氷。魔導器を通じて剣に冷気が這い、刀身に霜が張り付いている。
スライムのような粘体に対しては武器の攻撃が効きづらいけれど、冷気で凍らせて砕くというのは効果的な手段の一つだ。
問題は、このスライムが冷気耐性を持っているかどうかね。
「タイミングを合わせて! 行くわよ!」
『応!』
私の声を合図にして、一斉に剣を振るう。ピティとロバートの援護に一人ずつ、弓を構えているのが二人。残る私を含めた六人が、四方から同時に斬りかかっていく。
槍のように体の一部を伸ばして牽制してくるのを、身体を捻ってやり過ごす。その巨体のせいで回避は苦手でしょう、大人しく斬られなさい!
「……効果は……!」
「よし、効いているぞ!」
隊員の一人が伸ばされた触手を切り上げて、喝采を上げた。
本来ならば水をきるように突き抜ける筈の一撃で、その触手の先を切り落としている。粘体を凍らせることでダメージを通すという手段は、このスライムにも通用するみたいね……!
「いや、待て、よく見ろ!」
驚愕した様子の声につられて目線を向ければ、切り落とされた触手の先端、凍っていない部分が蠢いた。
粘体を震わせていたそれは、裏返るようにして凍った部分を包み込み、瞬く間に氷を溶かしていく。数秒後には完全に自由を取り戻した小型のスライムとなり、再び合体して元に戻っていた
「チッ、面倒なことを……」
「だが効果があることは分かった。前線はそのまま敵目標を攻撃せよ!」
ロバートの言葉から狙いを察し、全員が頷く。
一撃の効果は薄い、あの様子からしてダメージを受けているのかさえ怪しいわ。凍った部分を溶かして元の状態に戻っているだけだから、無いに等しいと考えた方がいいでしょう。魔導器の性能では、斬った箇所を凍らせるのが精一杯のようだしね。
「ダメージを与えることより、行動を阻害することを優先して行動するんだ!」
けれど、それで十二分。元々から効果の有無を確認することが最大の目的だったのだから、気落ちするようなことではないわ。
あくまでも私達前衛の役目は、スライムを倒すことではなく、足止めすること。最初から、前衛だけで対応できるとは思っていない。
「魔力を練るまでの時間を稼げ! 決して通すな、いいな!』
『応ッ!』
本命は武器ではなく魔法。元から魔導器は威力不足なのだと分かっているのだから、威力のあるものをぶつければいいだけの話。
ロバート達、魔法の使い手の全力を叩き込むというのが、私達の狙い。
凍ることも分かった、砕けることも分かった。一部分だけでは意味が無いということも分かった。ならば、粘体を全て凍らせて砕いてしまえばいいだけの話!
「頼むわよ、ロバート、ピティ……!」
スライムがこちらの狙いを察知したのか、触手を何本もロバート達、術師に向けて飛ばしてくるのを切り落としていく。
こうなってしまえば包囲よりも壁としての役割が必要となるから、私達前衛六人は全員がスライムとロバート、ピティとの間に身体をいれて立ち塞がっている。
時折切り落とした触手が新たなスライムとなってロバート達に飛びかかっていくが、メロンより少し大きい程度であれば護衛一人でも防ぎきれている。数が多くなれば手が足りなくなるかもしれないけれど、この調子でなら魔法が完成する方が早い!
「……ッ! よし、いける! "リーノ、ヅァ、イグヴァ! 氷樹の主、偉大なる北方の女神に願い申し奉る!"」
「こちらも整ったわぁ……! "ファル、ファル、ザザ、ニュタン! 氷海の王、綺羅の結晶に潜むもの、零下より止まる時を司る者よ!"」
二人が詠唱を始めると、魔力が白い色を持って二人の周囲に渦巻いていく。それは瞬く間にブリザードの如く荒れ狂い、二人の姿を覆い隠していく。
幻想的な光景に目を奪われそうになるけれど、そうゆっくりとはしていられないのが残念だわ……!
「"イグヴァ、ヅァ、ヅァ! 請い願う、請い願う! 停滞する御世より流動し、白の奇跡を我らが前に!"」
「"パドゥラ、ニュタン! パディラ、ニュタン! 我が呼び声に応えて来たれ、我は汝が至宝の顕現を望む!"」
危険を察してか、スライムがその巨体ごとこちらに突進してきている。
それを避けるのは容易いけれど、集中している二人の元に行かせるわけにいかない。けれど私達が壁になった所で、あのスライムは私達ごと飲み込んで進んでいく筈。
だったらどうするか。答えは一つしか無いわよね。
「任せたわよ!」
「承知致しました」
「お任せください!」
護衛していた二人が、ピティとロバートを抱えて走る。正直、見栄えが宜しくないのは確かだけれど、詠唱を妨害されずに逃げるにはこれが一番手っ取り早い。
ピティの方はティアナが横抱きにしているからまだいいでしょう。ヘルムも被っていないから、巷に溢れる恋愛譚の一幕のようにも映っている。
問題はロバートの方よ。彼も間違いなく美形と断言できる顔立ちをしているけれど、中性的という訳ではない、彫りの深い美中年という形容がよく似合う容姿をしている。
それを全身鎧兜の、中身は同じ中年の近衛兵が横抱きにするってのは中々に忌まわしい図だわ。そんな場合ではないと分かっているけれど、思わず目を背けたくなるほどに。
ロバートは集中しているから気を回している様子はないけれど、運んでいる方は目に見えて落ち込んでいる。私が言えた義理ではないけれど余裕あるわよね、あれ。
尤も、私の方ではもうできることはないからこその感想でしょう。突進を避けた後は、スライムは私達の方には一切目もくれていないから、後は祈ることくらいかしら。
「"霜降る森より来り、我が前に散花を顕し給え!”」
「"凍れる飛沫の七宝華、祖が御力を我が前に示せ!"」
スライムとの距離が目と鼻の先になったと同時、二人の詠唱が完成した。
荒れ狂っていた白はピティとロバートの前に収束し、法陣を描き出す。それは瞬く間に広がっていき、スライムの身体を束縛するように重なった。
二人の放った魔法陣は見る見るうちにスライムの身体を凍り付かせていく。数秒もしない内に、スライムは巨大な氷の彫像と成り果てた。他の部隊の様子をざっと見渡せば、疲労の程度にこそ違いはあるが、いずれも誰一人脱落せずにスライムを凍らせていた。
「どうやら、私達の作戦勝ちみたいね」
皆から喝采の声が上がる。肩を組んだりハイタッチをしたりしている姿が目に入って、ようやく勝ったのだという実感が湧くわ。
「思ったよりも苦戦しませんでしたね」
ロバート、肩で息をしながら言っても説得力はないわよ。あれだけの威力の魔法を、詠唱短縮した上で発動したのだから、体力が減るのはしかたがないことだけれどね。
尤も、彼も本心でそう思っている訳ではないだろうけど。軽口は安堵の証ね。
今回は私達の運が良かっただけ。もしあのスライムが最初から、触手ではなく体当たりを選択していたら。私たちにはどうしようもなかったのだから。
とは言え、これでこのスライムがダンジョンロードではないということは確実ね。もしこのスライムに知性のある行動をされていたら、勝ち目などなかったのだし。
ただ、これだけの強力なモンスターが突然現れたというのは、それはそれで問題ね。一度、周辺調査を父様に進言した方がいいかもしれないわ。
「さて、それでは砕いてしまいましょうか」
「そうね、これで……っ?」
最後の仕上げとして武器を構えた時、異変に気付いた。
私だけではなく、他からもどよめきが起こっている。完全に凍り付いている筈のスライムが、身動ぎしたように見えたから。
「……気味が悪いな、さっさと砕いてしまおう」
「ああ、どうせ見間違いに違いない」
兵士たちが武器を振り上げる。けれど、それで本当にいいのかと、私の何かが問い掛けている。何か重要な事を見落としているような、喉の奥に骨が刺さったような不快感がチクチクと私を責め立てている。
一体、私は何を不安に思っているのだろうか。スライムは間違いなく凍り付いている。
全面に霜が張り付き、水晶のように煌めいている様子からも間違いない。何も心配など無い、スライムの細胞ごと凍った今、溶けた所で再生などできないはずよ。
それはどんな特性を持っていようと変わらない、モンスターという生命である以上は避けられない結果なのだから。例え分裂できようと、全て凍らせた今は、何の、問題も……!?
「待ちなさい!」
「ちょっと待ってぇ!」
私とピティが同時に叫ぶけれど、遅かった。それより僅かに早く、剣は振り下ろされてしまっていた。突然の叫びで怪訝な目線が集中するけれど、それを気にしている場合ではないわ。
恐らく、私とピティが辿り着いた結論は同じ。これが杞憂であればいいのだけれど……!
「エリー様、何か問題でもゴボボボ!?」
けれど、私達の甘い期待は儚くも裏切られてしまった。
氷を砕いた兵士の一人が私に振り返って訪ねてきたけれど、その言葉は最後まで発せられなかった。氷の内側から伸びてきた触手に、その顔を包み込まれてしまったから。
いや、彼だけではない。氷を砕いた兵士たちのほぼ大半が、氷の中からの奇襲に対応できずに溺れさせられている。
「……!? そんな!?」
「各員、隊列を組み直せ! 救出を第一とせよ!」
突然のことに動揺する兵士たちだったけれど、ロバートの言葉で即座に自分たちが取るべき行動に出た。
襲われた兵士の肩を引いて粘液から引きずり出し、追撃して伸びてこようとする触手を根本から切り落とす。幸いにして短時間のことであったからか、襲われた兵士たちも咳き込むだけで大事には至っていないようだった。
それ以上の追撃が行われなかったのも不幸中の幸いね。
「エリー様。ピティ様も。何かお気づきになられたのですか?」
未だ凍り付いたまま微動だにしないスライムに顔を向けたまま、声だけを私たちに飛ばすロバート。その警戒は大正解だと思うわよ。
「もしかしたら、って思った程度だったけど……この様子を見るに、当たっていたみたいね」
「ちょっとばかり、困ったことになったわよねぇ……」
私とピティの口から漏れたのは溜息だけではないでしょうね。恐れが混じっていたことを否定はしないわ。
「一体、どうなっているのです?」
「それは……っ、流暢に解説してる暇は無さそうね! 来るわよ!」
説明を後回しにしたことに文句をつける者はいない。当たり前よね、目の前の光景を見ればそんな場合じゃないって子供でも分かることだわ。
凍ったスライムを砕いた部分。そこから全体に亀裂が入っていく。ペキペキと軋むような音とともに、線はどんどんと広がっていく。音を立てて氷塊が落ちていく中、姿を見せたのは、一回り小さくなった、それでもまだ人よりも遥かに大きな巨体をしたスライム。
それは体中から触手を浮かび上がらせ、縄を投げるように打ち込んできた。そのスピードは、最初の時よりも数段早い。
小さくなったから速度が上がった、なんて冗談じゃないわ。今までよりもずっとこの方が厄介じゃない……!
「ロバート、ピティ! まだ魔法は使える!?」
触手を捌きながら、二人に問い掛ける。まだ対応できないとう程の速度ではないけれど、このまま手数を増やされたら間に合わなくなるわね……。もしスピードがまだ上がるのならお手上げだわ。
「二……いえ、三回は! ですが……!」
「この調子だと、悠長に準備する暇はないわよぉ!」
ピティの叫びに、思わず舌打ちしてしまう。
魔法の効果がなかった、という訳ではない。小さくなった姿がその証拠よ。
恐らく、あのスライムは魔法を受ける瞬間、分裂をしたのでしょう。外皮部分のみを切り離し、囮とすることで凍結の影響を最小限に切り抜けた。だから凍った部分だけ削ぎ落ちて、あのサイズになったと考えるのが妥当ね。
小さくなった以上、例え同じような避け方をしたとしても、より凍気は通りやすくなった筈。だから後、減った体積から換算して、数回も当てれば完全に砕ける。
ロバートの言う三回という数ではギリギリ足りるかどうかだけれど、例え壊せずともそこまで小型化できれば脅威はグッと下がる筈。五体が再び合わさってしまうと仮定して、人より小さなサイズであれば、まだ魔導器だけでも渡り合える可能性はあるわ。
ただ、あのスライムのその事には気付いているのか。こちらに反撃の暇を与えないほど、その攻撃は苛烈になっていた。
ロバートの方は護衛の手が間に合わず、自身の剣に魔導器を嵌めて攻撃を凌いでいる。ピティの方はティアナがどうにか守ってくれているけれど、確かに魔法を詠唱するほど集中できる余裕なんか無さそうね。って!
「余所見する暇くらいくれてもいいでしょうに……!」
ほんの数秒にも満たない間、ピティの方に視線をやる猶予も与えてくれないなんて! どうにか回避が間に合ったけれど、顔の真横を触手が突き抜けていったのは流石にゾッとしたわ。慌てて切り落としたけれど、切り落としている内にまた次が来て休む暇もない。
「このまま切り続けたら、魔導器分削れはするかしらね……!」
「それはいい案ですね! 何日かかるかわからないという点に目を瞑れば、ですが!」
まだ声を出す余裕はあるけれど、それもいつまで続くかどうか。
このままの調子であれば、些か以上に不利だわ。今はまだ凌げているけれど、私達の体力は無尽蔵ではない。今は均等であるということは、一度崩れてしまえばなし崩し的に追いつめられていってしまう。
けれど、起死回生の一手は簡単には浮かばない。事前に決めていた作戦の多くは、スライムが氷に耐性があった場合の手段だった。いずれであってもロバート達の魔法に主力を置いたものだから、その魔法が使えなくなると何ら意味を成さない。
即ち、現状は私達が予定していた最悪の可能性へと向かっている。だからスライムの討伐ではなく、ダンジョンの討滅へ目標を推移させる必要があるのだけれど。どうやら、私たちにはそれすらも許されないらしいわ。
ピチャン、ピチャンとやけに響く水音。それが何を意味するかは、今更考えるまでもない。
「そんな、まさか!?」
「このタイミングって、そんなのありか!?」
誰かが叫んだ。それも、仕方のない事でしょう。私だって内心は同じ、いえ、ロバートもピティも、全員がそれを感じた筈。
前方と後方。逃げ道を塞ぐように、新たなスライムが姿を見せた。その大きさたるや、五体に別れる前のもの以上。最初に私が見たものと同じ、ダンジョンの通路を覆い隠すほどの巨体。前方から来たスライムは、私達が倒し損ねた一体と身体を重ねて、更にそのサイズを大きくしている。
脳裏に浮かぶのは、待伏、挟撃の文字。信じたくはないけれど、こうまでタイミングが揃えられると疑いようもない。
ただのモンスターであれば、ここまで複雑な行動はしない。自身を分裂させての回避ですらギリギリのライン。まだ、咄嗟の反応で行ったのかもしれないと言い聞かせることはできた。
けれど、この状況はアウトだ。ゴブリンやオーガが群れで突っ込んできて、結果的に遅れた数体が待伏の形になることや、偶然にも複数の群れに囲まれて挟撃の形ということは、まぁ、ありえない話ではない。
けれど今の状況は話が違う。おそらく元は一体のスライムが、確実に狙って行動している。奥から来た一体だけならまだしも、手前側からも現れた時点で間違いない。このスライムは私達が通る時に隠れていて、或いは私達の目を掻い潜って裏に回った。明らかに普通の行動ではないわ。
「ダンジョンロード……!」
最初の行動は、恐らく私達を低く見積もって油断したということなのかもしれないわ。人間を筆頭として、驕り高ぶるにはある程度の知恵が必要になるのだから。
それが獣程度の知恵に留まらず、絶対的な有利にあっても保険をかけているという慎重な行為を見せている。間違いなく、知能を持っている証……!
「ロバート」
これから私達が取るべき行動。それを告げようとして発した言葉は、自然と冷たく固いものとなった。
自分が残酷なことを言おうとしているのは分かっている、けれどエリエスファルナ王家に連なるものとして命令を出すのだから、そこに感情を挟むことはできない。末端、合ってないような立場ではあるけれど、私とて王女なのだから。
「ハッ。ご下命、お受け致します」
私の意図を察して、ロバートは恭しく答えてくれた。攻撃を捌いていなければ、膝を屈して忠信を現してくれたことでしょう。他の近衛兵達も皆同様。今からどうなるかを理解して尚、誰一人として恐れるものはいない。
正しく彼らはエリエスファルナが誇る近衛、誰よりも王家たる私達が信頼できる忠臣たる宝物。私はその宝を、放り捨てようとしているのに。
「道を切り開きなさい」
『我らが生命に変えましても!』
ここは死地。私達がどれだけ獅子奮迅の活躍をしようとも、全力以上の力を発揮しようとも分かる。このスライムに勝つことはできないと。
低く見ていたつもりはない。討伐できないという可能性は最初から頭に入れていた。けれど近衛の精鋭を五十名と各員の所有する魔導器。それを持ちだしていたのだから、討伐はできずとも出し抜けはできるだろうと頭の片隅で捉えていたのかもしれない。
その結果がこれだわ。本当、私はどれだけ自分の無様を思い知ればいいのかしら。
「数名は最奥へ向かいダンジョンコアの破壊を行え」
ロバートは一々名前を呼び上げたりはしない。こういう時に誰が進むべきか、自分たちで判断できない近衛隊はいないから。
頷きを見せた数名が、触手を切り落としながらジリジリと前へ向かってくる。それ以外の兵士たちも、剣を振るいながら後ろ足に、或いは間隙を縫って走り、私達のいる第一部隊の所まで集まってくる。
結果として前には二体、後ろには五体に挟まれるという状況に陥った。
前も後ろも閉ざされて、空気が重く湿ったような気もする。息をするのにも苦しくなるような圧迫感。壁が迫ってきて押し潰されるような重圧。
一重に恐怖と呼ぶには複雑な感覚に襲われながら、覚悟を決める。
いえ、そう一括りにするのは失礼かしらね。彼らは皆、近衛隊に入った時から死ぬ覚悟を決めているのだから。
「残る兵は足止めだ。抜かるなよ、しっかりと満足させて差し上げろ」
「腰が使いものにならなくなるくらい、丁重に御相手してやりますよ」
「馬鹿め、相手に振る腰はないぞ。せいぜい濡れすぎて溺れぬことだ」
「ハハハ、あれが美女なら喜んで溺れたいところです」
「エリー様、お耳汚し申し訳ありません。男どもはバカなのです、寛大な心でお許し頂ければと」
「気にしてないわよー。こんなの可愛いものじゃない」
「そうねぇ。流石にお上品だわぁ、うちの連中にも見習わせたいくらいよぉ」
冒険者ギルドの酒場とかだとゲスいものね。男も女も気にせずにやってるからでしょうけど、もっとあからさまだもの。それに慣れてるとこの程度、って感じしかしないのよね。姫として、というより女子としてどうかとは思うけれど……いえ、そんなこともないわね。城でも酒場でも女同士の会話の方がエグかったりするし。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
スライム達もこちらの様子を伺うように、じわりじわりと距離を詰めてきている。本体が動いている内は触手を動かせないのか、或いは私達の雰囲気に余裕があるから警戒しているという線もあるかしら。何にせよ良い休憩になったわ。
「コア征伐部隊の指揮はティアナ、貴女に任せます」
「お受け致します。――まずはルシオとリィナの二人が突撃、その隙に私達が抜ける。隊長、援護はお願いします」
「ああ、任された」
隙と言っても、スライムが道を埋め尽くしているせいで、体内を突っ切る形になるのだけどね。あの粘つく中を泳ぐのは中々に骨が折れるでしょうけど、やるしかないわ。
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