第8話

 隊列を組み、森の中を進んでいく。

 ここまで来るのに四日の時間を要してしまったわ。やっぱり纏まった数がいると、どうしても行軍速度は落ちるわね。


 ロバート達近衛隊のほぼ全員が、魔導刻印を刻んだ騎士甲冑のフル装備で来ているというのも理由の一つでしょう。フルフェイスの兜をしているかいないかの違いはあるけれど、前衛か後衛の違いというだけ。

 森の中ということで、部隊単位ではどうしても馬ではなく徒歩での行軍となってしまうのも大きな理由ね。


 スライム相手に武装を怠るなんて言う真似は出来ないし、地形の関係上、どうしてもこうなってしまうのは仕方がないわ。けれど焦りの気持ちが浮かぶのは止められない。


 私達という獲物を見つけたあのスライムが、いつまでも洞窟の奥にいるなんていう保証はない。もしかしたら既に出てきてしまっているかもしれない。一度そう思ってしまうと、ピティ達の安否が気になって、どうしても心が急いてしまう。


「エリー様」


「わかってるわ」


 近衛隊相手だから、態度をそのまま表に出せるのがせめてもの救いね。この上で他に気を使っている余裕はないわ。

 報告をしていた時は安堵が勝ってたけれど、いざ進む段階になると不安が鎌首をもたげてくる。ロバートもそれを心配して、何度も窘めてはくれるのだけれど……やっぱりダメね、落ち着かないw。


 でも、今の私は一人の冒険者ではない。勝手に先に行くことは許されない。

 

 逸る気持ちを抑えながら、部隊の先頭を慎重に進むこと一時間。

 ようやく記憶に新しい、シュケルの森の深部、開けた平地が姿を見せた。六日前に見た景色と寸分違わぬ光景に、思わず安堵の息が漏れてしまったわ。


 まだ確実とは言えないけれど、きっとスライムは表には出てきていない。そう、きっと大丈夫、私は間に合っている筈。


 そう言い聞かせながら更に進むと、ダンジョンが見えてきた。

 ロバート達、部隊の皆の雰囲気も自然と引き締まっていっているのを感じる。近衛隊もダンジョンに突入した経験もある筈だし、その恩恵も脅威も理解してくれている証ね。


「あれが件の……。なるほど、不思議と怖気を感じます」


 息を呑むロバート。私には分からなかったけれど、やはり分かる人には分かるのかしら。ピティも入る前から何か感じていた様子だった。いえ、あれはエルフとして、レンジャーとしての感覚からだったかしら。

 何にせよ、今の私にはそれも分かるわ。スライムがいるという先入観がそう見せているのかもしれないけれど、彼の言うような怖気を確かに感じているのだから。


「まずは私が行くわ。皆はここで待っていて」


 何人かは難色を浮かべた様子だったが、気にせず私は一人前に出る。これはそう、仕方のない事だから。

 ロバート達にも事前には説明してあるし、納得しきっていない数名も理解はしてくれているはず。

 心配してくれるのは嬉しいけれど、焦りがないとは言わないけれど、これは私の為すべき役目。一度入ったことのあるダンジョンだし、何より入り口の扉からヨハネ達の様子も確認しなければならない。

 その為に、斥候として一番先に入るのは顔見知りである私が一番適している。


 そう説明すれば、全員が理解はしてくれたわ。

 それにこの中では私が一番弱いのだから、戦力低下の可能性を考慮したとしても、こうするのが最善なのは事実というのが効いたわね。


「……よし、大丈夫そうね」


 表には誰もいなかったけれど、入り口の扉はそのままだ。

 壊された形跡も何も無いし、近くにスライムのものらしき水滴なども残っていない。


「……ヨハネ、いる?」


 扉を叩き、待つこと数秒。扉がゆっくりと開かれて、ヨハネが姿を見せた。


「……エリー様ですか。どうぞこちらへ」


 私の顔を見たヨハネは表情を沈痛なものにして、暗い声で中を示した。

 それの意味するところは……嘘でしょう?


「ピティは……」


「私の口からは……ご自身の目でご覧になられるべきかと」


 きっと今、私の顔は蒼白に染め上げられていることでしょうね。

 そうなるかもしれないとは思っていたけれど、心の何処かでそうなる筈はないと考えていたのかもしれないわ。

 ピティは私より強い冒険者で、経験も豊富で、尊敬する相手で、口には出さないけれど姉様の一人のように考えていた。

 そんなエルフが死ぬ筈はない、根拠もなくそう思っていたみたい。


 私の覚悟なんて決まっていなかった。ただ勝手に信じていたから平気だと勘違いしていただけだった。そう、だから今、こんなに私は震えているのね。


「私もルル嬢も、最善は尽くさせて頂きました」


 ヨハネが何か言っているようだけれど、耳に入ってこない。

 私の意識は全て、ベッドの上に向いている。


 そこには、胸の上で手を組まされたピティが横たわっている。

 微動だにせず、顔に白い布をかけられた様子を見て、私は膝から崩れ落ちた。


「冗談、よね……」


 ベッドに這い寄り、震える手で布を捲くる。その下には、私の良く知るピティの顔があった。

 長く尖った耳、雪のような肌、紫水晶のような瞳、薔薇のような唇、金糸のような髪。見惚れるほどの美貌は少しも損なわれておらず、静かに眠っているようにしか見えない。


「ねぇ、ピティ……?」


「声をかけて差し上げてください。きっと、ピティ様もそれを望んでおられます」


 後ろからヨハネにかけられた言葉は、とても暖かな色をしていた。

 でも、本当にそうかしら。ピティからしてみれば、覚悟を盾に逃げたようなものなのに。……いえ、それも言い訳ね。

 彼女がそんなエルフではないというのは、私がよく知っているわ。


「そうね……。ピティ、私、ずっと貴女に憧れてたのよ」


 ピティの手を両手で包み込むように握る。その手にポタリと水滴が落ちて、ベッドに流れ落ちていく。ああ、そうか……。私は泣いているのね。


「綺麗だし、強いし、頭も良いし、何よりも優しいし……って、え?」


 握ったピティの手は温かい。死人には思えない、まるで生きているようだわ。

 ねぇ、ピティ。どうして小刻みに震えてるのかしら……? さっきまでは寝顔のように穏やかな表情だったくせに、今は口の端がピクついてるわよ……!


「ヨハネ、騙したわね!?」


 振り返り、にこやかな笑みを浮かべているヨハネを睨みつける。

 心外だと言わんばかりに肩を竦めているけれど、どういうことか説明してもらいましょうか!


「騙したとは心外ですね。私の口から言うよりも、直接ご覧になった方が喜ばれると思っただけですよ。最善を尽くしましたので、エリー様がお出になられた翌日にはピティ様も目を覚まされましたし」


 うわ、ムカつく……! 

 助けてもらって上がった好感度が今、ハンマーで粉々に砕けたわ。

 確かに言葉に嘘はなかったかもしれないけれど、それならあの表情は何なのかしらね。どう見ても私を誘導しようとしてたじゃない……!


 それに、ピティもピティよ、こんな性質の悪いイタズラに加わるなんて、本当に信じられない。二人してなんて性格の悪さ……!


「……わらわはやめよと言ったのに……」


 奥から姿を見せたルルちゃんが、呆れた様子で溜息をついている。それから私を同情するように見てくれていた。性格が良いのはこの子だけね……。

 やっぱりまだ怖がられてるのかしら、近寄っては来ないのだけど。


 けど最初よりは慣れてくれたのか、随分と落ち着いてるみたいだわ。

 ピティもすぐ起きたみたいだし、その関係もあるかしら。

 一緒に暮らしていれば、ピティがアジールの連中とは違うっていうことはすぐに分かる筈だしね。


「ふふ、ゴメンねぇ? でも、ただ待ってるよう指示したエリーも悪いと思わないかしらぁ?」


 待ってるようにって、それは……あ。

 そう言えば、書いたわね。私より長くスライムに呑まれていたから、きっと動くのは辛いと思ったからそう書いたのだけど、多分ピティもルルちゃんに治してもらったのでしょうね。

 ああやって私を治してくれたのに、ピティだけそのままってこともないでしょうから。


 つまり、ピティは起きてすぐ回復させてもらったのに、私の書き置きのせいで戻る訳にもいかなかったと。

 そりゃそうよね、私が書いたという証明のため、信じてもらうために正式に王女としてのサインまで記したのだもの。いくらピティでも、そう簡単に無視できるものではなかったでしょう。


「あー、えっと、ごめんなさい」


 謝るしかないわね、これ。私の勘違いで拘束してしまったようなものだし、文句を言われても仕方がないわ。

 それにしては仕返しのやり口が陰険じゃないかとは思うけれど……。私は本当にピティが死んだと思って、心から悲しんだというのに。


「いいわよぉ。ちょっとした休暇として受け取っておいたからぁ」


 ベッドから飛び起きる様子は元気そのもの。

 こうして改めて見れば血色もずっといいし、きめ細やかな肌ツヤも生気に溢れている。

 なんで私は気づかなかったのかしら……。焦りって怖いわね。


「それでぇ? 戻ってきたということは、準備はできたってことよねぇ?」


「ええ、勿論よ」


 そうだわ、その事を伝えに来たんだった。

 ヨハネとピティのせいで少し時間を食ってしまったわ。あまり待たせるとロバート達が不審に思うでしょうから、さっさと用件を伝えて戻らなきゃ。

 無いとは思うけど、私の身に何かあったと見て突撃でもされたら困る。ヨハネはともかくルルちゃんに迷惑をかけてしまうのは良くないもの。


「ヨハネ。このダンジョンに潜むスライムを国家級災害種と判断し、外に討伐隊を控えさせています。ぜひ、協力をお願い致しますわ」


 エリエスファルナ王家、討伐隊の一員として、ヨハネとルルちゃんに頼み込む。

 基本的にダンジョンは開放された場所であり、個人の権利は認められていない。だから本当なら、これは不要な行為。

 多分、ヨハネも何も言わずにダンジョンへ討伐隊を送り込んだとしても何も言わないでしょう。

 だからこれは、ただの私の我儘。

 助けてくれた恩人に無理は言いたくないというだけのエゴね。


 もし仮にヨハネが拒否したとしたら、次はお願いが国からの要請になるだけ。

 そうなると拒否権はないから、結局は同じこと。ただ少し、私の気分が楽になるかならないかというだけの話でしかない。


 これじゃあ、ヨハネ達に性格が悪いなんていう権利はないわね。

 断らないと知っていて、断れないと分かっていて、お願いだなんて見当違いな言い方をしてるのだから。


「勿論ですとも。我々の生活を支えてくださる方々の頼みとあらば、どうして断るなどということができましょうか」


 相も変わらず大袈裟な動作だけれど、今はそれが嬉しくさえ感じる。ふざけるだけの余裕がヨハネにはあるということだから。

 その内心がどうなのかまでは分かりはしないけれど、少し心が楽になったわ。


「ただ、一つだけお願いがございます」


 不意に表情を引き締めて、ヨハネが正面から私を射る。


「何かしら」


 私で解決できる問題なら、おおよそは叶える覚悟はある。もし金貨を望むというのなら、あまり多くはないけれど、私の財産の幾らかを譲ってもいいと思える程に。

 ただ、ヨハネがそんなことを願うとは思えないのよね。だからこそ身構えてしまう。

 それが私の杞憂だったということは、続く言葉ですぐに分かった。

 

「ピティ様のおかげで大分マシにはなりましたが、まだ大人数、それも兵士の皆様方であればルル嬢の負担が大きいと言わざるを得ません」


 確かに、それはヨハネの言う通りね。

 人間が怖いのに、五〇人もの兵士たちに囲まれでもしたら、ルルちゃんにとっては獣の檻に放り込まれるに等しいでしょう。


 ただでさえ兵士は強面揃いで、街の子供達を泣かしてしまったとか言う報告がチラホラ聞こえるのだから余計だわ。


「まこと恐縮ではございますが、ルル嬢は奥部屋で待機させて頂きたく思います。ご許可頂けますでしょうか」


 ヨハネは本当にルルちゃんが大切なのね。

 全体的に性格が悪いけれど、あの子に向ける気遣いは素晴らしいと思うわ。微笑ましくて何よりよ。


「協力と言っても、手を貸して欲しいというわけではないからね。それで構わないわ」


 手伝って貰えるというのならば、本音を言えばとても嬉しい。ルルちゃんの回復魔法は喉から手が出る程欲しいし、ヨハネもそれなりには腕が立つでしょうから、数にはなってくれるでしょうから。


 ただ、今この段階でそれを願うことはできない。したくないが、というのが正しいわね。


 あくまでもこのスライム討伐は、エリエスファルナとしての行動。民に危険が及ぶ前に、芽を摘み取る為の討伐。

 それなのに守るべき民を徴兵するというのは、国として恥ずべきことだわ。

 ヨハネとルルちゃんが正式にエリエスファルナの国民といえるかは微妙なところだけれど、いずれにせよ権力で無理に従わせるような場面ではない。

 もしこれで私達が負ければそうも言ってられなくなるでしょうけど。今はそうならないことを祈るばかりね。


「ありがとうございます、エリー様の慈悲に無上の感謝を。ルル嬢、奥部屋で待っていてください」


「う、む……ヨハネ、本当にそれで良いのか?」


 私とヨハネを見比べて、腑に落ちないと言った様子ね。自分も何かしなければならないって、そう思ってくれているのかしら。

 その気持は素直に嬉しいわ。でも、ちょっと悔しいという気持ちもある。


「大丈夫よぉ。これはエリー達のお仕事だからねぇ」

 

「その通りです、ルル嬢。ここで彼女たちに任せない方が失礼というものです」


 ピティとヨハネが私の気持ちを代弁してくれた。

 そうなのよね。こういう時は、ただ私達を信じて応援してくれたほうが嬉しいものなのよ。


「う、む……しかし、いや、そうじゃな。ヨハネがそう言うのであれば……」


「ええ、私に万事お任せください」


 ルルちゃんもヨハネのことは信頼しているのか、その言葉で安心したように頷いていた。まるで本当の家族みたいね。


 この二人の関係も良く分からないけれど、何なんでしょうね。

 恋人と言うにはヨハネが特殊嗜好になり過ぎるし、そもヨハネがどうしてルルちゃんを助けたのかというのも不思議だわ。その内に教えて貰えるのかしら。


「あの、その、気をつけての」


 そう言って頭を下げ、ルルちゃんは奥部屋へと戻っていった。

 さて、いつか教えて貰うためにも、私もしっかりやらないとだわ。ルルちゃんにも心配されちゃったことだし、無様を晒さないようにしましょう。


「ピティ、また手伝って貰えるかしら?」


「当然よぉ。この期に及んでまだ待たせるつもりぃ?」


 苦笑するピティ。それもそうね、私がピティの立場なら嫌と言ってもついていくわ。

 確かに何もできなかったけれど、少なくとも私たちは遭遇したという経験がある。それにピティの実力は近衛隊に比べても遜色はない、手伝ってくれるなら百人力ね。


「ヨハネ、アナタは」


「分かっております。皆様方が突入次第、外で待機させて頂きましょう」


 みなまで言うなとばかりに微笑み、私の答えを先回りされた。

 ヨハネには全て承知の上だった、ということかしら。


 ヨハネへ頼んだ協力とは、ただ兵士たちを突入させるということに関してではない。

 もしスライムの討伐が難しかった場合。或いは、私達の敗色が濃厚になった場合、ダンジョンの討滅へ作戦を切り替える。

 その場合、ダンジョンは当然ながら消え去る。勿論、入り口に作られているこの部屋も共に消えることでしょう。そして恐らくは、そうなる可能性が非常に高い。


 非常に勝手だとは思うけれど。ヨハネに求めた協力とはつまり、彼の財産の徴収に等しい。私達が中に入っている内に外に出せるものはあるとは思うけれど、最低でもこの部屋という財産は失われることが決まっているようなものなのだから。


「……申し訳ないわ」


「お気になさらないでください。ダンジョンに構えた以上、全ては覚悟の上ですよ。勿論、賠償なども求めるつもりはございません」


 本当、ヨハネは良い人なのかそうじゃないのかが分からないわね。

 こういう時は、商人であれ何であれ、ここぞとばかりに保証を求めても誰も文句は言わないと思うのだけど。


「私の予見不足という非の責を、他に求めるのはお門違いというものでしょう」


 恐らく、私に気を使ってくれているんでしょう。

 彼の言葉をそのまま信じるよりも、そう考えた方がずっとしっくり来る。

 

「ごめんなさ……いえ、ありがとう、ね」


「さて、私の勝手にやったこと。お礼を言われるものではありませんが、頂けるのなら貰っておきましょう。どういたしまして」


 その態度が答えのようなものね。

 本当に、ずっとこの調子でいてくれれば、私ももっと好意的に見れるのに。


「……ピティ、どうかしたの?」


 ふと横を見れば、ピティが楽しげに笑っていた。ニコニコ、というよりニヤニヤかしら。

 なんというか嫌らしい、姉様達が何か企んでいる時と似たような表情を浮かべていたわ。


「何もぉ? ただ、エリーは男に苦労しそうって思っただけよぉ?」


「はいはい、フザケたこと言ってないで。そろそろ行くわよ」


 全く、何を言い出すのかと思えば。そういうのとは全然違うわよ。

 確かに顔はそれなりに整ってるとは思うけど、性格がないわ。ずっと今みたいだったらどう転んだかわからないけど、基本的なヨハネの性格は私の好みとは正反対なんだから。 

 

「ご武運をお祈り致します」


 ヨハネに見送られ、私とピティは言い合いながら部隊へ戻る。

 予定通り許可を得られたことをロバートに報告してからおよそ十分。私達は最後の確認を行っていた。


 二人では広く感じたダンジョンの道だけれど、流石に五二名が通るには狭すぎる。

 だから突入の際は、部隊を十名ずつ、私とピティが入る最初のグループはそれぞれ十一名の、計五小隊に組み直す。

 数だけ多くとも、自由に動けなくなるのは問題外。かと言って少数過ぎては即座に各個撃破されるということで、この人数で纏まった。


 後続の部隊とそれぞれ一定の距離を保ち、五部隊が連なって探索を行う。

 他のダンジョンなら使えない手段ではあるけれど、幸いにして光苔が照らす、一本道のここであれば見失うことも距離感を失うこともないでしょう。


 ただ、一本道であるからこそ、スライムと遭遇した後、前線を後続部隊と交代する際にだけ注意が必要となるわ。主に私とピティが、だけど。

 ロバート達、近衛隊は正規兵と同様の訓練も積んでいるから連携はお手の物、彼らの行動には何の不安もないからね。


「他に何か注意すべきことはあるかしら?」


「問題はないかと。後は実際にそのスライムを観察してみないことには」


 そうなのよね。こういう時に一番重要なのは、敵の弱点をどう突くか、なんだけど。結局、私もピティもそれを探る前にやられたから、何も分かっていないのよね。

 最低二匹はいる、というくらいかしら、手に入れた情報は。


「せめて属性だけでも掴めれば良かったんだけどぉ……ごめんなさいねぇ」


 モンスターが持つ属性の多くは体色に現れる。赤なら炎、緑なら風、といった具合で、単純な指標にすることはできる。けれど、あくまで普通は、の話だから、例外なんか幾らでもあるのよね。


 あのスライムで言うなら赤だから炎。だけれど、スライムの特性は水の場合が殆ど。飲み込まれた時も溺れるような感覚だったから、恐らく水の属性は持っている。

 けれど、その上で炎も持っているかもしれない。下手をすれば身体が水というだけで、属性さえ持っていないことも考えられる。


 少しでも攻撃や防御行動をしてくれていたら判断材料が増えたのだけれど、私もピティも不意打ちで飲まれたから、どうしようも判断しようがなかった。


「いえ、そんなことはありませんよ。貴女のような美女が生きて帰ってきてくれた、それだけで充分だというのに。姫様を助け、スライムの情報を持ち帰らせてくださった、これ以上何を望むというのでしょう」


 ロバートの言う通り、と言いたいところではあるけれど。

 私にはそこまで丁寧に言ってくれなかった気がするわね。ヘルムの下の顔がどうなってるのか見てみたいわ。

 他の男の兵士たちも大体は同じようになっているのでしょうけれど。


 顔なのかしら。ピティはエルフの中でも特に綺麗だから仕方がないわ。

 ただ胸を見ている連中は後で父様に扱いてもらいましょうか。不埒者には罰を。


「……エリー様、隊長が使いものになってないのでお聞かせ願いたいのですが」


 数少ない女性の兵士は、ほぼ全員が私と同じように冷たい目をロバート達に向けている。

 そんな中、副長を任された女性兵士に声をかけられた。


「ティアナ、何か気になることがあった?」


「はい。エリー様はなぜ、ヨハネなるものからジャモジョヨクリスなる武器をお借りにならなかったのでしょうか?」


 ああ、そのことね。私も一度はそのことを考えたわ。

 そんな貴重なものを借りられるのかどうかはともかくとしても、頼むくらいならば、って。消耗品ではないのなら、壊さないように頼み込めば頷いてくれそうではあるわ。

 レンタル料は取られるかもしれないけれど。取られるでしょうけど。


「私達じゃ使えないらしいからよ。クリス兄様から聞いたの」


 ティアナと同じことを考えて、出立前にクリス兄様に話を聞きに行ったのよね。

 若干目が死んでいたけど、あれはきっと父様直々の特訓とか申し付けられたのかもしれないわ。ご愁傷様ね。

 クリス兄様がひどい目にあうのは半ば自業自得なので気にせず聞いたら、溜息の後に教えてくれた。殆どのことは知らないが、と前置いた後で。


『やめとけよ。王級の遺産ってのはどれも癖のあるもんばっかだからな。現代の魔道具とは違って、そもそも使うには契約が必要になってくる。実在が判明している奴はどれもそうだって話だ、ジャモジョヨクリスも年代と伝承を省みれば、間違いなくその一種。借りた所で使えねぇと思うぞ。やりたいならお前は嫌がるだろうが、本人ごと借りるしかねぇな』


『なら、私に契約をさせてもらえれば』


『無理無理、可能性はゼロじゃないが、ゼロじゃないってだけだろうぜ。現在のところで実在が判明している数は十、その中で今分かっている範疇で契約に成功してるのは三人、法国の教皇と、魔術師ギルドの代表。それと連合国の盟主だけ。ああ、ヨハネって奴を入れれば十一で、四人目になるのかね』


『けれど、使えるようになる可能性はあるのよね?』


『可能性のだけの話だよ。そもウチの代表がいうには、契約に半年を用いてやっと、他の奴等はそれにさえ至れなかったんだそうだ。だから仮にもしエリーが契約できたとしても、それが成立するには時間が足りねぇ可能性の方が高い。レベルで考えりゃ当然だが、一朝一夕に済ませられる契約じゃなかろうさ。しかも使うにもそれなりの誓約があるみたいだから、慣れずに使えば自滅させられることさえあり得るんだそうだ』


『そんな。それじゃあヨハネはどうして』


『本人に会ったことがねぇから、何ともだな。単に才能があったのか、相性が良かったのか、時間をかけて契約して、経験を重ねて理解したのか。或いは、その全てか。そも契約や誓約がどういった原理かもまだ解明されてねぇ、機構と術式が複雑過ぎるらしいからよ。魔力の波長が重要なのか、知識なのか、それとも血の関わりなのか、サンプルが少なすぎる。ウチの代表からだってどうにかこうにか聞き出せただけ、法国と連合国だって国家秘密レベルで隠してるおかげで、それがあるってことしか分からねぇ。クソっ、だから俺も実物をお目にかかろうとしたってのに兄様の野郎、邪魔しやがって。いや、言ってることは分かるんだけどよ』


『わかってるなら喧嘩しないの。それはともかく、ありがとうクリス兄様。参考になったわ』


『おう。出来りゃ帰ってくる時にヨハネとか言う野郎を連れて帰ってくれよ、凱旋の名目なら出来るだろ。色々と面白い話が聞けそうだしな』


「――という訳よ」


 最後は蛇足だったけれど。ただ改めて考えても、悪くない提案だわ。

 ルルちゃんにも聖王国の良さを直接知ってほしいものね。ヨハネも、まぁ、そうね。兄様がああ言っていることだし、お礼もしたいし、招待するに吝かではないでしょう。

 私達の責任で住処を奪うかもしれないのだから、暫くその世話もしなければ道義にもとるいうもの。兄様のお願いを叶えるためにもそうしましょうか。


 全ては終わった後の話だけれど、ね。

 失敗する気なんてないのだから、先のことを考えても誰も笑いはしないでしょう。


「なるほど、納得致しました。差し出がましいことを申し上げたこと、謝罪致します」


「気にしないでいいわ。と言うより、そんな堅苦しくしないでもいいのよ」


 大臣やら貴族やらの目がある王宮内なら別だけど、ここならもっと気楽に接してくれても構わないし、その方が私としてもやりやすいのだし。


「善処させて頂きます」


 つまり変えるつもりはないってことね。ティアナがそれでいいというのなら、私が無理強いすることでもないか。

 ちょうど向こうも話が一段落したようで、ピティがこちらに戻ってきた。

 その後ろにはロバート達、第一部隊の九名が控えている。後一人はティアナだから、これで全員ね。


「男に苦労するのはピティの方だったみたいね」


「そうねぇ、本当に困るわぁ」


 意趣返しのつもりで向けた言葉はあっさりと肯定された。狙い通りだったのに、負けた気分になるのは何故かしら。


 しかたがないので代わりにロバート達を睨みつけておく。自分たちが関係ない話をしていたという自覚はあるのか、目を逸らされた。

 うん、これで少し溜飲が下がった。ティアナから何か小言を言われているみたいだけど、いい気味だわ。


「さて、リラックスタイムはそろそろおしまいにしましょう」


 仕切り直しの言葉をかけると、ロバート達全員の気配が変わる。ピンと糸を張ったような緊張感が満ちて、一気に場が引き締まる。

 この辺りの切り替えも、さすがは我が聖王国の近衛兵、といったところかしら。


「ロバート、号令を」


「ハッ。同胞諸君、万全を尽くせ! 我らが背負うは民の安寧、聖王国の誇りと知れ!」


『ハッ! 我ら一同、エリエスファルナの矛となり盾とならんことを!』


「宜しい。ではこれより第一部隊から順次突入、十リーグの距離を保ち進軍せよ。直上、背後からの急襲もあり得る。第二から第四部隊であっても即座の戦闘となる可能性も十分に考えられる、ゆめゆめ油断はするな! 行くぞ!」


『オオッ!』


「よし。では第一部隊、出撃する! エリー様、ピティ、参りましょうか」


 ロバートに促され、私達はおよそ六日ぶりにダンジョンの中へ足を踏み入れた。

 待ってなさい、前回のような無様は見せないから。せいぜい油断して待っていてくれたら嬉しいのだけれどね。

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