第5話
ヨハネとルルちゃんに見送られ、ダンジョンに入ってからどれくらいの時間が経ったのかしら。まだ半日は経っていないと思うけれど、自信はないわ。
彼の言葉に偽りはなく、今のところは横穴もない一本道。
天井にびっしりと張り付いた光苔のおかげで視界は良好、見落としもない筈。
たまにピチャンピチャンと水滴の滴るような音がしてくる以外は、私達の足音くらいしか聞こえてはこないから、今のところ異常はないと見て良さそうね。
ただ行けども行けども同じような光景が続くのは、ちょっとばかり気が滅入るわ。
キノコが生えてたり生えてなかったり小さな違いはあれ、道が大きくなることも小さくなることもないまま。
代わり映えしない道を延々と歩いて行くのは、ちょっとばかり精神に来るものがあるわ。
「ピティ、一旦休みましょうか」
「そうねぇ。先も見えてこないし、一度落ち着いた方がいいかもねぇ」
壁に腰掛け、水筒に口をつける。冷たい水が喉を潤し、気分を落ち着かせてくれた。少し先からは、水滴が天井からポツポツと滴り落ちている。
此処までモンスターと遭遇することもなければ、それらしき痕跡も見つけられていない。ヨハネの言うことは正しかったということかしらね。
ただ、まだ彼の言う、おそらくダンジョンロードであろうモンスターの気配も感じることが出来ていないのが気になるわ。
まだ先は長いから、単純に活動範囲に入っていないだけなのかもしれないけれど、どうなのかしら。
「ピティはどう思う?」
「まだ先は長いってことだと思うわよぉ。あの男も言っていたでしょう、一晩は最低でもかかるってぇ」
「あら意外。ピティのことだから、ヨハネが嘘をついてるって疑っているとばかり」
あれだけ警戒していたから、てっきり全く信じていないのかと思っていたわ。
「嫌っているのと認めているのは別よぉ? 成立した取引に関しては、誠実であると信じているわぁ。それ以外は一切信頼するつもりはないけどねぇ」
なるほど、私があの豚に抱いてるのと同じような感じな訳ね。よく分かるわ。
人としての性格は気に喰わないけど、実に有能だから簡単に拒む訳にもいかない。油断したら根こそぎ毟っていくつもりな癖に、正しく使えばコチラに莫大な利益を持ってきてくれる。
……あの二人を合わせたらどうなるのかしら。
意気投合するのか、表面上はそう見せておいて裏で潰し合うのか。
多分後者ね、仲良く手を取り合って仕事をしている風景が想像できないわ。したくもないけれど。
それに万が一にもあの豚とヨハネが協力したりしたら、かなり面倒なことになる気がするわ。出会わないことを祈りましょう。
「じゃあダンジョンロードも、本当にいると思っているの?」
「それに関しては微妙ねぇ。何かがいるのは間違いないのでしょうけどぉ」
「ああ、確かにヨハネは何かいるとしか言ってなかったものね。けど他のモンスターが近寄らない時点で確定じゃない?」
「そうでもないわよぉ。シュールラフレンシアみたいな植物モンスターなら、外敵が嫌う匂いを発してるから寄り付かないしぃ、本当にただ運がいいだけっていうのもありえないわけじゃないわぁ」
「それは可能性がゼロじゃないってだけでしょう? けど確かに、そうね。寄り付かないんじゃなく、寄せ付けないって考えもあるか」
それも可能性としては低いでしょうけど、あり得る可能性ね。
シュールラフレンシアなら吐き気のするような異臭がするからないけれど、似たようなモンスターで、私たちには気付かないシグナルを出しているという可能性。
そんなものがいるとは聞いたこともないけれど、それを言うならダンジョンロードだって似たようなもの。
一番新しく記録に残っているのでさえ百五十年前、実際に見たというのもエルフの長老たちくらい。それまでも幾つか討伐記録がなされていたのだし、文献にもあったくらいだから実在するのは間違いないでしょう。
それでも大半の冒険者達からしてみれば、お伽噺の類でしか無い。私達だから実在すると知っているだけ。
そう考えてみると、全く新種のモンスターがいると考えるのも大差ないのかもしれないわ。
「ピティはどっちだと思うの?」
「新種、或いは未発見モンスターであってほしいわねぇ。エリーはぁ?」
「私もその方がいいわね」
未知のモンスターが楽というわけではないのだけれどね。
一切の情報がないのだから、本来ならば御免被りたい相手だわ。何をしてくるのか、どんな力を持っているのか分からない相手がどれほどの脅威なのかは、今更教えられるまでもないもの。
未知というのはいつだって最大の敵と成り得る。例えば新種のホーンラビットがいたとして、普段のように狩りに行くのは愚者の行動だわ。
その角に、もしかしたら触れるだけで死に至る毒があるかもしれない。何も考えずに殺してしまえば、死臭が他のモンスターを呼び寄せる撒き餌となるタイプかもしれない。
全く見覚えのないモンスターであれば、戦いながら、或いは逃げながら情報を集めなければならない。
毎回そんなものを相手取っていたら、幾ら未知に挑む冒険者であったとしても、生命がいくらあっても足りないというものだわ。
それでもダンジョンロードよりはマシでしょう。
もし伝わっている情報が真実だとしたら。いえ、例え大袈裟に表現されていたのだとしても、その存在は人類種の天敵足りうるものなのだから。
ダンジョンロードはいわば最強の個だと伝えられている。
人やエルフにしか使えないはずの魔法を使いこなす。
並のモンスター以上の身体能力を有している。
それに何よりも知性があるというその一点のみで充分すぎる脅威。
始めてその存在を教えられた時は、鳥肌が立ったわ。
人間よりも、エルフよりも強大な魔法を使うことがある。それはまだいいでしょう。
例えばドラゴン。モンスター最強種の一角である火竜のブレスは、老練な魔法使いが操る炎よりもずっと強力だわ。それに肉体も鋼より固く、鱗は砲弾ですら弾くほど。
けれど、人は竜殺しをなし得ることができる。英雄と呼ばれる存在にしかできないことではあるけれど、決して不可能な行いではないのだから。
けれどもし、火竜が人並みの知恵を持っていれば?
もしそうなれば、例え英雄であっても勝つことなどはできないでしょう。一体を倒すために、英雄の躯で屍山血河を積み上げることになるのは想像に難くないわ。
ダンジョンロードと呼ばれる存在はまさにそれ。
竜並みかそれ以上の力を持ちながら、人並みか、それよりも優れた知恵を持つとされるモンスター。
なぜかその殆どはダンジョンの奥から出ることはないらしかったけれど、交渉をすることもままならなかったとされているわ。
知恵があるならばと思って対話を持ちかけたけれど、やはり結局はモンスターということなのかしら。恐ろしいほどの憎悪で、対話を求めた人たちは鏖殺されたと記されていた。
そんなものを相手にするのに比べれば、新種のほうがどれだけ楽かなんて考えるまでもないわよ。
「さて、そろそろ進みましょうか」
だからこそ、私たちは引く訳にはいかないのだけどね。
未発見のモンスターであれば良し。様子を伺って、可能であれば討伐。それが無理であれば、情報を持って撤退。
もしもダンジョンロードであれば、即座に撤退の上、再優先で報告。
可及的速やかに聖王国軍を、場合によっては近隣諸国との連合部隊も視野に入るでしょう。
「そうねぇ……っ!? エリー、危ない!」
「え?」
立ち上がって伸びをしていたら、ピティに体当たりをされた。それも私が吹き飛ぶほどに勢い良く。
不意打ち気味なタックルを避けることもできず、私は地面に倒れこまされた。
でも、それに文句を言えるはずもない。
「逃げ……!」
私の目に入ってきたのは、ピティが紅い半透明の水球に飲み込まれる姿。
天井部分から降ってきていた水滴、それが突如、傘のように広がって彼女を包み込んでいた。
その様子を見た私は、ピティの言葉よりも早く。反転して逃げ出した。
その途中、肩越しに見えたのは、全身を紅に覆われて溺れているピティの姿。
最悪にも程がある、もしあれがダンジョンロードではなかったとしても最悪の展開だわ……!
あの蠢く水、ジェル状の姿は間違いなくスライム。
しかもピティを、大人をまるまる飲み込むほどのスライムだなんて聞いたこともない。ある意味ではドラゴン以上に厄介なモンスター、スライム。それが人間より遥かに大きなサイズになっているなんて……!
ピティを見捨てるという選択に胸が焼けるように痛むが、ここで判断を間違える訳にはいかない。
私がすべきは偶然に賭けて助けにむかうことではなく、伝えること。だその為に全力でこの場から離脱しようとした私の前に、絶望が姿を表した。
「……冗談でしょう?」
帰り道などはないのなど言わんばかりに、来た道が赤で閉ざされていた。
人間大どころじゃない、洞窟の道を紅い一体のスライムが埋め尽くしている。
物理的に道を閉ざされてしまったわ、もう笑いしか出ないわね。
それでも、私は諦めるつもりなどはない。
意を決し、剣を抜いて構える。
スライムは見た目通り、剣での攻撃など効果はない。水を貫くのと同じ、魔法でしか倒せない。尤もこのスライムに、何の魔法が効くかは分からないけれど。
どうせ私に魔法は使えないから関係ないかしらね。
後ろからは、ピチャピチャという水音が近づいてきている。
今になって思えば、異常がないと思っていた水滴こそが異常そのものだったのね。あれがこのスライムそのものだったのでしょう。
指先のセンサーのように水滴でダンジョン内を見回り、今みたいに急襲してくるタイプかしら。ふふ、我ながらいい推理だと思うわ。
さて、後はこのスライムに関する情報を持ち帰るだけなのだけど。見逃してはくれないものかしら、なんてね。
ピティ、後で会えたら置いていったことを謝るわ。貴女は気にしてないでしょうけど、私の締りが悪いからね。
「押し通るわよ、道を開けなさい!」
道具もないし策もない。考えるだけの猶予もない。
一か八か、スライムの身体を突き抜けられることを願って突撃し。生温い粘体に包まれた感触を最後に、私の意識は容易く落とされた。
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