第4話

 鬱蒼と木々の茂る薄暗い森を、私達は慎重に進んでいく。

 モンスターにはまだ見つかってはいないけれど、気を抜く訳にはいかないわ。


「ねぇ、ピティ。本当にダンジョンがあるの?」


「間違いないわぁ。エリー、確かに波動を感じたのよぉ」


 エルフであるピティがそういうのならば間違いはないのでしょう。

 森の民であり、また彼女自身も優れたレンジャー。それがこうまで自信を持って断言するということは、確かにダンジョンがこの地、シュケルの森にあるということ。


 全く、勘弁してほしいわ。


 ダンジョンを見つけた事自体は嬉しいのだけれど、何もこんな王都から三日でこれるような距離に出来なくてもいいでしょうに。


「ランクとしてはどの程度かしら」


 出来て間もないのでしょうし、そう危険はないと思うけどね。

 精々が三、四に行くことはないでしょう。

 ただ、放っておいたら大変なことになることは確実なのだから。可能な限り早く制圧しないといけないわ。


「それが、分からないのよねぇ」


「分からないって、ピティ、冗談はいいから」


「冗談じゃないのよぉ。本当に、何も聞こえてこないんだからぁ」


 のんびりとした口調とは裏腹に、ピティの顔には焦りが見えた。

 この子がこんな表情を浮かべるなんて、いつぶりかしら。もしかして本当にヤバイのかも?


「聞こえないって、けれど感じたんでしょう?」


「えぇ、そうよぉ。急に森が知らせて来て、急に黙ったのぉ。こんなの始めてだわぁ、まるで森が誰かに従ってるみたいなぁ……」


「ちょっと、やめてよ」


 お伽話じゃあるまいし、そんなことあるわけ無いでしょう。

 私を怖がらせようとしても無駄よ。……そういうことよね? そうなのよね。


「残念だけどぉ、違うわぁ」


 しまったわね、それならもっとちゃんと準備をしておいた方が良かったかしら。

 ピティがそう言うのなら、ランク六は覚悟する必要はありそうだし。かと言って悠長に待っていても余計に悪化するから結局、行くしか選択肢はないのだけれどね。

 何もわからないより、ヤバそうってだけでも先にわかってるだけ良しとしましょうか。


「警戒していきましょう」


「えぇ、とりあえず近くにモンスターの気配がないのが救いねぇ」


 それは有難いわね。けど、それならやっぱり出来立てのダンジョンなのかしら?

 ダンジョンは放っておいたらすぐにモンスターが集まりだして、周辺にも闊歩するようになる。それなのに気配がないということは、まだ集まっていない? それとも既に誰かに取られた後なのかしら。

 ……考えても仕方ないわね、辿り着けば分かることでしょう。


「慎重にぃ……でも、急ぎましょう」


 ピティも同じ考えみたいね。手遅れになる前に見つけましょうか。

 全く、モンスターもいなければ獣の気配もない。木漏れ日も心地よい、ダンジョンなんてなければ絶好のピクニック日和なのに、ついてないわ。……って、あら?


「ピティ、あそこ、気づいた?」


「えぇ、ドラキュリーナ……あら、巻角?」


 少し先、開けたところで女の子の姿を見つけた。

 十歳、にも満たなそうね。八歳くらいかしら? 

 黒を基調とした、ワンピースドレスとも違うわね。この辺では見たことのない服だわ。その上から赤い外套を包まれるように纏っている。うん、どう見てもこの周辺、どころかこの地方のものではないみたいね。

 身長ほどもある大きなコウモリの翼は、確かにピティの言うようにドラキュリーナみたいだけれど、あの巻角はパンのようでもあるのよね。初めて見るタイプだわ。

 いずれにしてもこんな所で何をしてるのでしょうね、って。


「ちょっと、あれ、ダンジョンよね?」


 あの子の視線の先にあるのは、間違いなくダンジョンだわ。

 不自然に隆起した大地、そこから地下に続くであろう大穴が開いている。入ってみなければ実際の所はわからないけれど、あれほど大きいのは見たことがない。


「あらあら、あの子、入っちゃったわぁ」


「え!? ちょっと、そんなのんびり言ってる場合!?」


 キョロキョロと周囲を見回してから、女の子はダンジョンに飛び込んでいってしまった。

 親は何してるのよ!? あんな小さい子がダンジョンに入ったりして、例えモンスターがいないとしても迷って出てこれなくなっちゃうじゃない! 

 ああもう、姿が見えなくなっちゃう!


「行くわよピティ!」


「そうねぇ、ゆっくりしてる場合じゃないわねぇ」


 私は剣を、ピティは弓に矢を番えて構える。

 周囲にモンスターがいないとはいえ、中にもいないとは限らない。外なら森というステージだから、哨戒にはピティが頼りになるけれど、ダンジョン内部ではそうもいかない。

 中は魔力が充満してるせいで、探査の魔法も効きづらい。そのおかげで外からだと一切の様子がわからない。


 だから本来ならダンジョンの場所だけ見つけて、周辺の制圧を先に終わらせてしまう予定だったのに……。

 あの子を捕まえたら、今度から危ないことはしないようにしっかりお説教しなきゃだわ!


 周囲を警戒してモンスターの気配がないことを再確認してから、ピティと合わせて一気にダンジョンへと走り込む。

 今のところ入口側から挟み撃ちにされそうな気配がないのが救いだけれど、急がないとどうなるかは分からないわね。


 そうして私たちはダンジョンへと入ったのだけれど、思っていたよりずっと明るい。天井や壁を見ると、光苔が群生しているのが見て取れるわね。いい感じだわ。


「って、何あれ、扉?」


 ダンジョンに潜ってすぐ横に、見たことのない渦巻きと太陽と月を重ねたような不思議な模様の鉄扉を見つけた。

 ……明らかに人工物よねあれ。


「扉よねぇ?」


 ピティも首を傾げている。

 何でダンジョンの中に扉があるのかしら。薄壁の向こうに道があったりするとは聞いたこともあるけど、こんなしっかりとした作りの扉が出来るなんて見たことも聞いたこともないわ。


 あら、よく見れば僅かに開いているわね。

 ごく最近に出来たらしい、地面を削ったような跡もあるわ。


「あの子、ここに入ったのかしらぁ?」


 ピティは頬に手を当てて、首を傾げている。私も同じような気分だわ。

 跡からして、恐らくあの子はこの中に入ったと見て間違いないでしょうね。

 光苔のおかげでよく見えるから分かったのだけれど、ダンジョンの先、暫くは一本道が続くみたい。

 あの年頃の女の子がこの短時間で、見えなくなるほど遠くに行ったとは考えにくい。小さな横道があるだとか、壁際で隠れられているとかならお手上げだけれど、そんなことするくらいなら扉の向こうにいるって方が自然かしらね。


「扉があったからとりあえず入ってみた、だといいんだけれどね」


「最初から扉があることを知っていた、だと少し不安よねぇ」


 ピティと言葉が重なった。

 ただの好奇心でダンジョンに入って、その延長で目に入った扉を開けた。不自然ではないし、有り得る話だわ。

 けれどもし、ピティの言うことが正しかった場合。ちょっと嫌な想像をしてしまうわ。


「罠、じゃないとは思うけど」


「言い切れないのが怖いわねぇ」


 例えば、もし私達に幻覚を見せる類の食人植物モンスター。トリッププラントなら、人の幻を見せて獲物を引きこむこともあると聞くわ。

 外で見かけた時点でその可能性はないけれど、そう言った搦手をするモンスターがいることは事実。


 人の形をしたモンスターなんて、伝説にある魔族くらいしか思い浮かばないし、実際にそんなものがいる筈もないとは思う。

 けれど、人に擬態するような奴がいないとも言い切れないのが辛いところね。


「ピティ、どうする?」


「決めていることを聞くべきじゃないわよぉ」


 ご尤もね。

 色々とごちゃごちゃ考えるのは、やっぱり苦手だわ。こういうのは得意な人がやればいいのよ。


 もしあの子が私達の敵、モンスターだったのなら倒す。

 違うのなら、さっさと見つけて叱りつける。

 たったそれだけのこと、やっぱりこういうのはシンプルに考えないとダメね、私には向いてないわ。


「そうね、じゃあ行くわよ、何が出るかはお楽しみね」


「全く、急に元気になるんだからぁ。何も出ないのが一番よぉ」


 本当にその通りなのだけれど、どうもそうならない気がしてならないわ。こういう時の勘ってなぜか当たるのよね。

 けれど女は度胸、迷わず開けていきましょう。油断だけはしないけれどね。


「開けるわよ?」


 扉の横の壁に背を預け、剣を片手に構えたまま、裏手でドアノブを握る。

 扉の斜め前では、いつでも矢を放てるよう、ピティが弦を引き絞っている。これでどうにもならなければ、最初から私達の手に負えるようなものじゃなかったということ。

 さぁ、生命をかけた度胸試しと行きましょうか。


「……お洒落ねぇ」


「え、そうなの?」


 ここからじゃ見えないんだけど、ピティがオシャレと認めるなんて余っ程よ? 

 私の部屋でさえ物置呼ばわりされてるっていうのに。


 こほん。それはともかく、危険はないみたいね。私もちょっと中を拝見。


「……お洒落ね」


 剥き出しの地面は全面を金のカーペットで覆われている。普通なら下品になりかねないけれど、これは金羊毛かしらね。随分と落ち着いた色だわ。

 奥の方に視線をやってみれば、あの特徴的な薄黒のテーブルセット、ウォールナット原木? 向こうのカバードやクローゼットも同じみたいね。いいセンスだわ。


「おや、お客さんですか?」


 …………っ!?

 

 私は左に、ピティは右へ、咄嗟に飛び退ってそれぞれの持つ武器の切っ先を声の主へと向けていた。

 中に目を奪われていたとはいえ、周囲の警戒を怠っていたつもりはない。ピティも私も、そんな初歩的なミスを犯すようなルーキーは卒業している。

 なのに、気付かなかった。声をかけられるまで、後ろに男がいたということに。


「ああ、申し訳ありません。驚かせてしまいましたか」


 思わず向けてしまった刃先と敵意を物ともしていない様子で、それだけでこの男が只者ではないということが分かる。

 自分で言うのも何だけれど、私もピティも、それなりの修羅場は超えている。そこいらの男であれば、気当てだけで怯ませることはできる。

 それなのに、黒髪のこの男は、どこか芝居じみた所作で両手を上げるだけ。

 怯むどころか、私達を警戒するような素振りもしていない。両手を上げているのは、敵意がないということのアピールかしらね。


「ここは、アナタのお家かしらぁ?」


 弦を限界まで引き絞ったまま、ピティが男に問い掛ける。私も剣を下ろすつもりはないわ。


 この男、どうにも胡散臭い。


 敵意も感じないし、危険そうでもない、寧ろ清潔感のあるキチッとした服装といい、穏やかな笑みといい、紳士といって差し支え無いでしょう。


 けれど、その全てがどうにも嘘くさいわ。


 一切の気配を悟らせなかった空恐ろしい隠形、こんなダンジョンに貴族のような居を構えているという不自然さ。

 そう言った先入観が無いとは言わないし、自分の行動が無礼に当たると分かっている。


 それでもなぜか、この男を信頼してはいけない。そんな気がヒシヒシとしている。


「いえいえ、流石にこのような所に本拠を構えられるほど気を狂わせてはいませんよ。別荘、いえ、受付所のようなものです」


 と言うより、この状態で平然としてられる時点でまともじゃないのよね。

 武器を向けられて気をぶつけられて、冷や汗の一つも流さないなんて。……あら、どこかでコイツみたいな人間を相手取った覚えがあるわね、どこだったかしら。


「受付、ねぇ?」


「準備するのは中々に大変でしたがね。来客があることは間違いありませんから、それなりのものを揃えさせて頂きました」


 ああ、そうそう。あの油ぎった豚みたいな商人がこんな感じだったわ。

 私が何を言ってもやっても柳に風、まるで応えた様子がなかった。見た目は正反対だけれど、この飄々とした感じは間違いないわね。


 ならこの男も商人なのかしら? どうも、そうは見えないけれど。それともあの豚が印象的すぎたから、そう思うだけかもしれないわね。


「胡散臭いわねぇ。随分ときな臭いわぁ」


「それは失礼。身嗜みには気を使っているつもりなのですが、そのように思われるというのは私の不徳が致すところ。しかしこの態度も雰囲気も生来のものでございまして、どうにかご寛恕頂けますよう謹んでお願い致します」


 うん、やっぱり商人だわコイツ。

 この口から先に生まれてきたと言わんばかりの感じ、間違いない。こんな所で何をしてるのかしら。


「そうねぇ……正直に、私達の質問に包み隠さず答えて貰えるなら、少しは許してあげてもいいわぁ」

 

「勿論ですとも。真摯であれ、素晴らしい言葉です。麗しき方がお相手であれば、恋愛の駆け引き以外に嘘を用いることがありましょうか」


 正直言ってウザいわ。あの豚もだけれど、こういうタイプは好きになれないわね。しかも有能な奴が多いから余計に腹立たしい。

 ニコニコ笑っているけれど、何を考えてるのかが分からない。

 つまらないことに拘る相手は面倒なだけだけど、腹の中で何を考えてるのか分からない奴の相手はシンドいのよ。


 出来れば相手せずにあの子を探しにいきたいのだけど、怪しすぎて放置する訳にはいかない。かと言って問答無用で切り捨てられる程に危険そうという訳でもない。だから相手をしない訳にもいかない。


 頑張ってピティ、応援してるわ!


「見え見えのお世辞は結構よぉ。単刀直入に聞くわ、ここで何をしているの」


 答えによっては矢を放つ。そう言わんばかりの態度ね、グッドよピティ。

 少しくらい手を滑らせちゃったら尚いいわ、腕くらいなら許されるんじゃないかしら。


「言葉を飾るのがお好きでないご様子ですので、こちらも簡単に答えましょう。商売ですよ」


「真摯という言葉には偽りがあったようねぇ、残念だわぁ」


「いえいえ、信じられないというお気持ちは私にも分かりますが、本当なのですよ。せめて理由を聞いて頂けないでしょうか?」


 焦ったような表情を浮かべているけれど、どこまで本当かしらね。

 額に汗の一つも浮かべていたのなら、まだ少しは信じられたでしょうに。 

 

「……そうねぇ、じゃあ聞くだけ聞いてあげるわぁ」


「ありがとうございます。まず弁解させて頂きますが、私のこの現状が一般的ではないということは理解しております」


 それはそうよね。ダンジョンに居住空間を作ってるのが一般的だとか言い出したら正気を疑うところよ。

 

「しかし、だからこそチャンスなのです。商売という卑しき性を知らぬ可憐なお嬢様方にはご理解頂けないかもしれませんが、冒険者に例えさせて頂くならば、それは未踏の地へ向かうが如く。危険も多い、無駄足となるかもしれない。それでも新たな可能性はそこにはある」


 へぇ、分かってるところもあるじゃない。

 そうね、確かにそう言われれば私達も頷けるわ。でも、私は知っている。それだけで動かないのが商売人だということをね。

 ピティも勿論私と同じ、もしそれだけで押し通そうっていうのなら甘すぎる。


「なるほど、理解できるわぁ。でもアナタのような商人は、石橋を自分で作り直さないと渡らないような人種だと思うのだけれどぉ?」


「おや、よくご存知のご様子。それならば話は早い、そう、私には儲けられるという自信がありました。そして今、それは確信へと変わったのです」


 今? どういうことなのかしら。


「大きく私の狙いは二つ。一つは当然ながらダンジョンでの採取です。ただ、それだけでは他の商人と差を付けることができません。そこで閃いたのです、ならばいっそ、私がダンジョンへ来る方々を相手にすればよいのだと!」


 言葉に熱が篭ってきている。身振りも少しだけど大きくなってるし、どうにもこの態度は素のものみたいね。

 これももし演技だというのなら、私にはもう見抜く自信はないわ。


「下調べしましたが、ダンジョンは広大です。採取した後、いちいち戻るにも近くには村もありません。ならばこちらを宿代わりとして頂ければ、ご利用の皆様には快適な一夜を、私には僅かばかりのお金が手に入る。また、昼間には私が集めておりました素材を格安でお譲りするカウンターとして利用すれば、お手間を省くこともできます。ダンジョンであれば確実に人はいらっしゃる。それもお求めのモノは確実にここにある。ならば需要がないということはありえない、後は私の誠意次第。実に健全な商売であると自負しております」


 一気に私達を畳み掛けて言いくるめるように、一息で言い切ってきたわね。

 何でこれで聞き取りやすいのかしら。何か変な魔法でも決めてるんじゃないでしょうね。そんな魔法があるなんて聞いたこともないけれど。


 けれど確かに、理には叶っているのかしら。

 同じ商人が聞けばどうなるのかはわからないけれど、私が聞く限りは真っ当だわ。大半は元手を惜しんで自分たちでダンジョンに入るでしょうけど、素材と値段によっては危険と手間を惜しむより確実に買おうとする人もいるかもしれない。


 胡散臭いけれど、真っ当な商人なのかもしれないわね。

 それか商人というのは怪しくないとできない職業なのかも、なんてね。


「……それだけじゃあ、ないでしょう?」


 あら、ピティはまだ納得してないのかしら。

 でも彼女は私より知恵が回るし、もしかしたら本当にまだ話していない何かがあるのかも。

 男の方をちらりと見てみれば、器用に両手を上げたままで肩を竦めていた。


「いえいえ、滅相もない。私程度の浅知恵ではこれが手一杯、他に何かあるのならご教授願いたい程ですよ」


「…………分かったわぁ、そういうことにしておいてあげるぅ」


 長い沈黙の後、根負けしたのはピティの方だった。

 矢を掴んだまま弦を離し、背負った矢筒へと仕舞う。てっきり私は射掛けると思ってたけれど、納得できたのかしら。


「いいの? 何か隠してるみたいだけど」


「そうねぇ」


「今の感じだと、聞けば答えさせられるんじゃない?」 


 私がこうやってピティに小声で相談してても、気にしている感じもないし。ちょっと押せばいいだけと思ったんだけど、ピティは違うのかしら?

 あからさまな隠し事をしてるのに、武器を下ろしたのもピティっぽくないわ。

 もしかして何かされたとかじゃないでしょうね。


「いいのよぉ。大体のことは分かったわぁ、信じてもいいと思うわよぉ」


「良かった、やはり美しい方に疑われるというのは、覚悟の上でも辛いものがありますからね。ご理解頂けて幸いです」


「あらぁ、誤解しないでねぇ。信じはするけどもぉ、私はアナタのこと大嫌いだって確信したからぁ」


「それは残念です。私は貴女のような方は実に好ましく思っているのですが」


 二人して笑い合ってるけど、どう見ても火花散らしてるわよねコレ。

 頭がいいっぽい奴等のやり取りって本当に怖いわぁ。


 けれどピティが大丈夫って言ったのなら本当に大丈夫なんでしょう。


「ねぇ、アナタ。知り合いに小さな子はいないかしら?」


 ならさっさと聞いてしまいましょう。

 見たところ年の頃は私と同じくらい、成人して間もなくといったところでしょう。

 彼は人間みたいだから、あの子が娘や妹ということもないとは思うけど。無関係ってこともないでしょうから。


「女の子が一人でダンジョンに入って行ったのを見たのよ。アナタの保護下にあるなら、この部屋を見る限り安心できそうなのだけど」


「知らない、と言えばお嬢様方はどうされるのです?」


「決まってるじゃない。心配だわ、奥に探しに行く。その時はアナタにも手伝ってもらうわよ」


 何でそんな当たり前のことを聞くのかしら。

 私達だって自己責任の世界に生きてるんだから、余計なことに首を突っ込むほど善人ではないわ。けれど、あんな小さな女の子を見捨てるのはまた別よ。


「いえ、心配、ですか?」


 不思議そうね。商人らしきこの男なら利益にならないとして見捨ててもおかしくないと考えているのでしょう。

 けど、自分の考えと同じように、私達もそうだと思われるのは些か気に入らないわ。

 

「……おかしいわねぇ? ねぇ、私はアナタが嫌いだけど、すっごく嫌いだけれどぉ、信じられるくらいには評価もしているのよぉ?」


 ピティも怒って……あら、違うわね。

 何かしら、呆れというか困惑というか、戸惑っているみたい。何でかしら?


「エリー? 考えても見てぇ、この男が、商人もどきが一番得意なことは何かしらぁ?」


 ピティから耳打ちされたのだけど、得意なこと? 言い方からして彼の、というより私の知る商人が、ってことよね。

 口がうまい、いえ、違うか。そうじゃないわ、気に入らないけどあの豚を思い出してみましょうか。

 あれの得意なこと、つまり一番気に入らない点。つまり、あの見透かしたような目、そういうことね?


「そうよぉ。私の目には、あの男が、自分を基準にするようなタイプには見えないわぁ」


 確かに、ピティの言う通りに妙だわ。

 そう言われてみれば、胡散臭いこの男が、自分が見捨てるから私達もそうだろう、なんて安直な考えをするってのはおかしい気がする。

 どころかあの態度、寧ろ一般的に心配しない方が普通だと思っている、のかしら? 

 幾らなんでもそれはないでしょう。恥ずかしいことに聖王国にもクズはいる、それは変えようのない現実。けれどソイツらが大手を振って歩けるような政はしていない筈よ。


「……捕らえたりはしないのですか? 奴隷にしたりとか」


「私達をバカにしているの?」


 ピティの目が鋭く細まって、浮かべていた薄い笑みさえ消えている。

 私もきっとそうなのでしょうね、魂まで冷えきらされたような感じだわ。怒りの熱を通り越したらこんな具合なのかしら。


 幾らなんでも、この侮辱は聞き逃せない。


「私達をアジール帝国の蛮人扱いをするつもり? それともエリエスファルナ聖王国を侮辱する気?」


 アジールの連中は未だに奴隷制度なんて悪しき風習を引きずっているけれど、聖王国は違う。亜人も人間も平等であり、法のもとに正しく暮らしているわ。

 自分たちだけが優れていると驕って亜人を、いえ、時には同じ人間さえ見下してモノのように使う野蛮人共の国とは違う。 


「それとも、その子が捕らえられて犯罪奴隷にされる程の罪人だとでも言うつもりかしら」

 

 あり得ないでしょうけどね。

 例外的に犯罪者は奴隷としての苦役はあるわ。けれどそれは罪科に応じた罰であり、余程の大罪を犯さないかぎりはそうならない。

 そしてここ10年、そこまでの騒ぎも起きていないのだから、その可能性はゼロ。


「……なるほど。私の認識に間違いがあったようです」


 そう言うとおもむろに男は地面に座り込んだ。両膝を揃えて膝を畳み、踵の上に腰を乗せる、こちらでは見ない座り方ね。

 それで何をするのかと思えば、身体を前に倒して頭を床に擦り付けた。え、なにコレ。


「私の不見識にてご不快なお思いをさせてしまいましたこと、大変失礼致しました。この通りでございます」


 初めて見る作法だけれど、する方から見ればとても屈辱的だということはよく分かるわ。こんなもの、しろと言われても絶対にしたくない。

 ピティ、何か言って止めて……え、物凄い綺麗に微笑んでるのだけれど。

 もしかしてそういう趣味なの? 正直、知りたくなかったわよ……。


「……はぁ、良いわよ。頭を上げてちょうだい」


 何か一気に怒りが萎えたわ。


「その代わり、理由はしっかり教えてもらうわよ。納得できるものじゃないなら許さない……私はピティほど甘くないからね」


 顔を上げた男に、そう警告することを忘れない。こう言っておけばさっきみたいに隠し事をしようとはしないでしょう。

 本当なら同じようにピティに任せたかったのに、何か残念そうな顔をして溜息をついている姿を見るとね。何か、変なことをしそうで任せる気にならないわ……。


「畏まりました。それではまず、ルル嬢。こちらへ」


 立ち上がった男が扉の前に立ち、中へ呼び掛けると、あの子が奥からおっかなびっくりと言った感じで出てきた。

 一瞬、この男が不埒なことをして無理やり従えているのではないかと怒りが湧いたけれど、彼を見て安心した様子の彼女の顔を見る限り、そうでもなさそうね。


「ヨ、ヨハネ、何か、あったの、か、の……?」


 寧ろ、あれ、私達が怖がられてるわよね?

 私達の顔を見た途端、急に顔色を真っ青にしたようだし。……私達ってそんな怖いかしら、ちょっとショックだわ。もっと装備を可愛くした方がいいのかもしれない。

 私だけでなくピティも落ち込んでるわね。

 あの子、あれで子供好きだから。そうでなくとも初対面の子にあれほど怯えられたら凹むわよね、分かるわ。


「私共は帝国の方から参りました。後はルル嬢の様子と姿からお察し頂ければと思います」


 ルルと呼ばれたあの子は、私達の視線から隠れるように、ヨハネと呼んだあの男の足にしがみついている。

 涙目で身体を丸めて小さくなろうとしているのは私達を怖がってるからだと思うと、悲しいものがあるわね。私も泣いちゃいそうだわ、割と本気で。


 けれど、理由は大凡分かったわ。私達も見たことのないような、パンとドラキュリーナ双方の特徴を併せ持っている。ルルちゃん自身も見とれてしまうほど可憐だわ。

 年齢相応で身体は育ってないけれど、ああいうのが好きだという変態は悲しいけれど存在するのよね。

 あんな子がアジールにいたというのなら、奴隷として囚われていたとしても不思議はない。それで私達、つまり人間を見るだけであれほどに怯えてるということは……想像したくもないわ、吐き気がする。


「聖王国の内情も知らず無礼を申し上げたこと、心より謝罪致します」


「いえ、そういった理由があるなら仕方がないわ」


「そうね、ちょっとだけ見なおしてあげるわぁ」


 きっと彼はアジールの商人だったのね。

 あそこは内に締め付けが厳しい、貴族位でもなければ外の情報は遮断される。

 他の国よりマシだっておぞましい洗脳をしているって話を亡命者から聞いたことがある、なら聖王国にも奴隷制度があると考えていたこともしょうがないといえばしょうがない、か。


 二人の関係とかも気になるといえば気になるけど、流石にそこまで聞くのは淑女にあるまじき行為だしね。

 彼がルルちゃんを慮って詳細をぼかしたのは間違いないでしょうし、あえてそこを突くのは可哀想だわ。


 アイツ一人ならどんなに気を害されようともどうでもいいんだけど、ルルちゃんの潤んだ目に見られたら、ねぇ。


 まぁピティじゃないけれど見なおしたわ。

 態度といい物腰といい、かなりの教養が見え隠れしている。どちらかと言えばアジールでも不自由ない立場だったでしょうに、こうやって懐かれるほどのことをしたんだから、友人として付き合ったら良い奴なのかもしれないわね。


「暖かなお言葉、ありがとうございます。この上、私達に糧を恵んでくださるとは」


「買うとは言ってないわ」


「これは手厳しい」


 ルルちゃんの為にも取引に応じるのは吝かじゃないけれど、ヨハネの方に言われると反発したくなるわね。何故かしら。

 そもそもこんなことがあるとは思ってなかったので、まとまったお金を準備してないから、買いたくても買えないのだけどね。余程安くしてくれるか、細かく売ってもらわないと足りないでしょう。


 それよりあの子、ルルちゃんが無事で問題ないと分かったことだし、私達本来の目的を果たしにいかないとだわ。

 そうだ、折角だしヨハネにも聞くとしましょうか。


「ねぇ、このダンジョンの下調べはしたって言ったわよね? 何があったか教えてくれないかしら」


「そうですね、色々ありましたね」


 ニコニコと笑って、って、それだけ? もっと他にも色々とあるでしょう。


「例えば、何があったの?」


「そうですね、色々ありましたから何を言えば宜しいのか」


 だからそうじゃなくて、何、ピティ、引っ張らないでよ。

 あっちを見ろってこと? 手元? 別にヨハネがなにか持ってるって訳でもないでしょう、違うの?

 気づかれないよう私の体で隠してピティが指差している先を見ると、ヨハネが右手の親指と人差し指をくっつけてマルの形を作っていた。


「ン、ンッ。いや、何から話すべきか実に迷いますね」


 ……あ、そういうことか! 


 抜け目がなんというか狡っ辛いというか、隙あらば金を払わせる気ねコイツ。あの豚でさえここまでしなかったわよ。

 ほら御覧なさい、ルルちゃんもあまりのことで引いてるわよ。……私の視線に気付いたらすぐに涙目になったけど。本当に泣いていいかしら私。


「ホント、ちゃっかりしてるわねぇ」


 ピティが鉄貨10枚、10ドラクマをヨハネに握らせると、ヨハネは今まで見たことのないような満面の笑みを浮かべた。ものすごく殴りたいいい笑顔だわ。と言うかこの金額でいいのかしら。子供のお小遣いレベルなのだけど。

 

「ああ、思い出しました。構成としてはほぼ一本道、ただ渦を巻いて伸びているらしく、距離はかなりありますね。警戒しながら進むのでは、そうですね、最低でも一晩を途中で過ごす必要があるかもしれません。勿論、私も最深部まで行ったわけではありませんから、もっと長い可能性もあります」


 かなり深いわね。

 棲息するモンスター次第だけど、半日も歩けば奥まで辿り着けるのが殆どだというのに、進むだけで一夜以上っていうのは珍しい。

 これは、もしかしたらランク六以上はあるかもしれない。野営の準備なんかしていないし、一度準備を整えに戻ることも考えないといけないかもしれないわね。


「素材では光苔や千夜草、ウォーロッキノコが多く群生していますね。後は少し岩盤を掘ればクロム鋼に当たることがありました。もしかしたら他の鉱石もあるかもしれませんが、今のところ私が手に入れたのはそのくらいです」


 素材に関してはよくわからないけど、クロム鋼があるのはいいわね。

 最近、鉱山が幾つか掘り尽くされたって話だし、もし量が取れるなら聖王国として纏めて買い取ることもあるかも。

 その辺りは詳細は他の、頭のいい人が考えることね。私は報告だけして、後は丸投げで気にすることはないでしょう。


「後は、そうですね。モンスターですが、ダンジョン内では未だお目にかかったことがありません」


「嘘ね」


 流石にそれは信じられない。扉といい中の部屋といい、一日二日で出来るようなものじゃない。例えもし一日で出来たとしても、ピティがこのダンジョンを感知してから三日も経っているのに、一匹も見たことがないなんてありえないわ。


 もしヨハネがダンジョンの誕生に出くわして、寄ってくる相手を全て退治しているというのならば納得はできる。けれどそんなもの、ロトリーに百回連続で当たる以上の奇跡よ、ゼロではないけれど信じられない。


「ああ、失礼。語弊がありましたね。いることはいると思いますが、私が出会っていないのです」


「どういうことぉ?」


「奥に何かいるような気配はあるのですが、出てくる様子がないのですよ。因みに申し上げておきますと、外からモンスターが来たことはまだありません」


 ヨハネの言葉を聞いて、飲み込み、背筋に冷たいものが走った。

 奥にいるであろうモンスター。それだけなら構わないでしょう。住処を定めればそこから動かないプラント系や岩石系のモンスターは数多い。こちらから向かわなければ害はないというだけで済む話。


 けれど、外からモンスターが来ない? 

 そんな筈はないわ、ダンジョンはモンスターにとっては高級住宅のようなもの。近くに見つければ絶対に寄ってくる。

 この近辺だとホーンラビットやブラッドベアーの生息が報告されているから、ソイツらが寄り付かないハズはない。


 けれど、ヨハネは来たことがないという。こんな入口近くに居を構えているのだから、入ってきたことに気付かなかったということも無いはず。

 一本道だと言うのだから、すれ違うということも考えにくい。


 なら、一番あり得る可能性は何か? 

 それはあの兇悪なモンスター達が、ダンジョンの魅力があってさえ近寄ろうとしないほどに強力な何かが潜んでいるということ。


「ダンジョンロード、かしら」


 ダンジョンロード。ダンジョンに稀に誕生すると言われるモンスターで、その脅威は野生のソレとは桁違いだと聞いているわ。

 それこそ、冒険者や傭兵ではなく軍隊を差し向けなければならないほどに。

 

「そうでしょうねぇ……。その言葉が本当なら、だけど」


 ピティがヨハネに視線を向ける。疑わしいと言わんばかりだけれど、嘘はついていないと思うのよね。

 この扉が壊されもせずに残っているのもそうだし、実際に今こうして話していても、モンスターが出てくることも入ってくることもない。

 運がいいだけと言えばそれまでだけど、わざわざそんな嘘をついても仕方がないでしょうから。


「……そうねぇ、モンスターが寄ってきていないのは本当なのよねぇ。ヨハネ、本当に嘘をついていないのぉ?」


「天地神明に誓いまして。私が今ご説明したことに嘘はございません」


 執事みたいに深々とお辞儀しながら答えているけど、そういう演技じみたやり方をするから嘘くさくなるって分かってやってるのかしら。

 分かってやっているんでしょうね、きっと。


 ただ万が一にヨハネの言葉が嘘だとしても、聞いてしまった以上は行かざるを得ないわ。元よりそのつもりだったのだから、予定通りといえば予定通りなのだしね。


 野営が必要な距離だというのは滅入るけれど、ここまで来た時に使ったやつがあるから一応の問題はない。本当に奥にしかモンスターがいないのであれば、外よりは過ごしやすいでしょうし。


「信じるわよ。じゃあピティ、行きましょうか」


 元々の私達の目的は、ダンジョンの調査。結局、入って自分の目で確認しないっていう選択肢はないのよね。


 ヨハネから聞いたことで事前情報が手に入った分、大分楽にはなったと思うけれど、その分だけ気が重くなったのは許してほしいわ。

 もし本当に奥にダンジョンロードがいるのなら、急いで報告しなければいけないし。そも見つかって刺激でもすれば、私とピティだけじゃなくルルちゃんにも被害が及ぶ。

 ヨハネは別にいいけど、ルルちゃんを危ない目に合わせたくはないわ。


 今のところは動いていないと言っても、一時的にじっとしているだけという可能性もあるし。万が一、外に出てくる可能性のあるようなら、それこそ一刻を争うことになりかねない。

 今が大丈夫だからと言ってこれからもそうという保証がない以上は、やっぱりこの目で確かめなければいけない。


「ええ、そうねぇ。誰かさんのせいでだいぶ時間を無駄にしちゃったし、急ぎましょう」

 

「ピティ、流石にその当て付けはどうかと思うわ」 


 ヨハネだから構わないとは思うけど、それでルルちゃんに嫌われても平気なのかしら? ほら、涙目で怯えたままだけどちょっと怒って睨んでるわよ。


 そんな私に助けを訴えられても、今のはアナタが悪いでしょう。どうしようもないわ、諦めなさい。

 そもそも彼にそんな事を言った所で意味が無いってのは、私よりピティの方がよく分かってた筈でしょうに。全然気にした様子ないわよ。


 ほら、そんな顔しないで、さっさと仕事を済ませに行くわよ。


「私如きにお二人のご決断を止める道理はございませんが、せめてご武運をお祈りさせて頂きます。お戻りの際には紅茶の一杯でもサービスさせて頂きますので、ゆめゆめご油断なされるよう」


「あ、あの、き、気をつけての……」


 奥へ向かう私たちに、ヨハネは恭しく頭を下げる。足元ではオドオドとしながらも、ルルちゃんが始めて声をかけてくれた。

 人間が怖くて仕方がないでしょうに、私達を心配してくれるなんて、いい子なのね。本当、こんないい子の心を傷つけるなんて、これだからアジールの蛮人達は嫌いなのよ。


 もっと色々とお話したかったのだけど、そんな余裕が無いのが残念だわ。

 ヨハネも、認めるのは少し癪だけど、あの豚ほどには嫌な奴ではないと思うし、アイツが頭を下げるのなら仲良くしてあげるのもやぶさかではないわ。って言ったら迷いなく頭を下げそうね、やっぱり黙っておきましょう。


 何にしても、ひとまずは無事に戻れるようにしなきゃね。


「楽しみにしてるわ、言っておくけど私の舌は厳しいからね。ちゃんと準備しておくように」


「その時はルルちゃん、ゆっくりお話しましょうねぇ」


 二人に見送られ、私とピティはダンジョンの奥へと足を踏み入れる。

 帰ってからの楽しみも増えたことだし、一つ頑張っていきましょう。

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