第3話

 そこまで話し終えてから、わらわは改めて紅茶を啜る。

 長く話しすぎたのか、ぬるいを通り越して冷えたソレを一気に流し込んだ。行儀の良いことではないが、ちょっとくらいはいいじゃろう。


「わらわが一人であった理由は、これくらいでよいかの」


「ええ、他の疑問も生まれましたが、ソレについてはまたいずれお聴きさせて頂きますよ。今はそれより」


 ヨハネが身を乗り出し、黒一色のハンカチでわらわの頬を拭った。

 優しく撫でられる感覚に身動ぎしそうになる。じゃがいきなり何を、汚れでもついていたかの? それならば何故今になってなのじゃろうか。


「そんな淋しげに笑われては、こちらに罪悪感が出来てしまいます」


 拭われた頬を触れば、冷たい感触が残っている。

 なるほど、わらわは泣いていたのか。既に乗り越えたと思っていたのじゃが、恥ずかしいところを見られてしまったの。


「そちらも心配しているようですし、もう愛に飢えることはないでしょう」


 言われて指差された方を見れば、ルリエッタが不安そうにわらわを見上げておった。

 心配させてしまったか、わらわはダメな主じゃの。

 ヨハネの言う通り、もう孤独ではないのじゃから、そこまで心を動かす必要はあるまい。ルリエッタ、慰めてくれてありがとうの。


「美しい光景ですね、写真に収めれば好事家が喜びそうだ」


 身体を伸ばしたルリエッタを撫でておると、ヨハネが冗談めかして笑いかけて来た。少しばかり恥ずかしいの、ルリエッタも慌てて元の形に戻って行きおった。

 あれでかなりの照れ屋じゃしの。本当はもう少し触れ合っていたかったのじゃが、今はそれよりヨハネと話の続きをせねばならんかったな。


「コホン……。そ、それでヨハネに頼みたいことなのじゃがな、人間との取引を行って欲しいのじゃ」


「取引ですか? 得意分野ではありますが、またどうして」


 疑問符を浮かべるヨハネ。そう言えばまだ説明しておらんかったの。


「わらわは研究の末、闇女神様の真似事ができるようになった。そうして成功したのがルリエッタな訳じゃが……。それをするためには、幾つかの素材が必要となるのじゃ」


 わらわは魔族であるがゆえ、人と取引など出来る筈がない。あえなく捕まってしまうのがオチじゃろう。

 しかしヨハネであれば何の問題もない。

 異世界の者とはいえ同じ人間じゃ、かつての勇者の例もある。そうそう危険なことに巻き込まれることもあるまい。寧ろわらわの元にいるよりも安全かもしれないの。


「しかし、その素材は簡単には見つからぬ……。というより、今ではもうほぼ採り尽くされておるじゃろう。わらわも今まで探し続けて、ルリエッタとヨハネの分のみしか手に入らなかった。じゃから」


「私があるところを探し、ルル嬢の手に入るように手を回す、と」


「理解が早いの、その通りじゃ。勿論、その為に必要な物があれば、可能な限りはわらわが揃えよう」


 今まで霊石を探す過程で、色々と貯め込んで来たからの。

 そこまで大それたものは見つからなかったのじゃが、珍しい物はいくつかある。それらを纏めればそれなりの価値になる筈じゃ。

 無論、今の手持ちだけで足りぬようであったなら、今度は霊石だけではなく、価値のあるものを探すためにもダンジョンに潜ってゆくつもりじゃ。


「人はものを貨幣によって取引すると聞いておる。ヨハネにはその貨幣を集める手助けをして欲しい」


「要は金儲けですね。どうにも楽しくなってきたじゃありませんか」


「協力してもらえるじゃろうか?」


 前のめりになるほど興味を抱いては貰えたようじゃ。これで断れたらと不安じゃったのだが、好感触だったようじゃな。

 今度はわらわが身を乗り出す番じゃった。はしたないとは思うが、期待に胸が膨らんで落ち着いてはおられんのじゃ。

 

「そうですね、今は前向きに検討したいと思ってますよ。その為にもう少し質問を宜しいですか?」


「無論じゃ、何でも聞くが良い!」


 思わず叫んでしまった。淑女としてあるまじき行動に気恥ずかしさが湧き上がり、誤魔化すように紅茶を飲む。が、そうじゃ、先程に飲み干したのじゃったな……。

 うう、ヨハネが生暖かい笑みを浮かべておる。穴があったら入りたいとはこの事か。ココが既に穴じゃがな。


「ではまず、今の話を纏めると、ルル嬢にはそれなりの物品を集めるツテがあるように聞こえるのですが、それはどうやって?」


「うむ、ダンジョンに潜るつもりじゃぞ」


 人の手が入っていないダンジョンは少ないが、いくつか目星もついておるし、新しく出来そうな場所も幾つか見繕っておる。転移点をポイントしているところもあるし、それなりに実入りはあるじゃろう。


 そう答えたわらわに対し、ヨハネは首を傾げておった。

 一体どうしたというのじゃろうか。ダンジョンの探索など、そう珍しい事でもないと思うのじゃが。


「……失礼、私のいたところではダンジョンというのは聞き覚えがないものでして。それはどのようなものなのでしょうか?」


「なんと、そうじゃったのか」


 それならば不思議に思っても仕方があるまい。

 そうか、異世界にダンジョンはなかったのか。やはり色々と違いがあるものじゃの。


「ダンジョンじゃが、おおまかに分けて三つあるのじゃ。一つはかつて人や魔族が作ったものじゃの」


「ああ、遺跡ですね。しかしそれだと既に盗掘されている可能性が高いのでは?」


「うむ。未踏のものや未発見のものはまだ幾つもある筈じゃとは思うが、博打のようなものじゃの。当たれば大きいが、徒労に終わることも多いのが難点じゃ」


 一度誰かの手が入っておれば二度とはなく、そも何があるかもわからぬ。

 貴重な書物や研究があることもあるが、元の持ち主が持ち出していたりすることの方が多いから大半は外れじゃ。

 ヨハネの言う通り、過去に目ぼしい物を奪われていることも多々ある。

 誰かの手が入った形跡がないからといって、何かがあるとは限らない。その癖、貴重なものがあればそれを守る仕掛けがあったりもして、あまり期待はかけられぬ。

 その分、稀に目を疑うようなものが手に入ることもあるのじゃがな。

 魔族招来の秘術が書かれた書も、この類のダンジョンなのじゃから。


 こうして改めて考えてみれば、わらわの実家もダンジョンと呼んで差し支えないのじゃな。

 必要な物は全て持ち出してきたので、例え荒らされたとしても失うものは何も無いのじゃが……。なるほど。ダンジョンとなるものを手放したものの気持ちとはこのようなものじゃったか。


 いずれ余裕ができれば戻ろうとは思っていたのじゃが、はて、今ではどうなっていることじゃろうかの。誰にも見つかっていなければよいが。奪われるものが無いとはいえ、父母との思い出の残った地じゃからの。


「もう二つ、こちらはある意味で似たものじゃな。モンスターであるダンジョンコアが生み出す迷宮と、精霊であるラビリンス達が創りたもうた迷宮じゃ」


 目的の霊石が手に入らないために、今までは見つけてもあまり入らなかったのじゃが。今後はこれらを重点的に探すことになるじゃろう。


「失礼、もし気を悪くされるようであれば謝罪しますが、先に聞かせて頂きたい。魔族とモンスターとは違うのですか?」


「なんと、ヨハネのいた世界には魔族だけでなくモンスターもおらぬのか?」


 驚いて聞き返すと、ヨハネは首を縦に振った。


「そうじゃったか……。モンスターとは、そうじゃの。言うなれば闇女神様の愛を或いは拒んだ者達じゃ」


「それは……力がないという意味でしょうか?」


「いや、闇女神様は狭量ではない。例え自らを愛さぬものも愛す御方じゃと聞いておる。……そうじゃな、なんと説明すべきか……理性なき獣、それが近いかの?」


 改めて聞かれると答えに窮してしまうのじゃが、これが一番近いかの。


「大半のモンスターは獰猛であり、また強力じゃ。確かに人間のような光の種族よりは魔族寄りに位置してはおるが、モンスターにとっては光女神の愛子も闇女神様の愛子も変わらぬ。等しく獲物じゃ」


 その為、魔族からも人たちからも危険視されておるものが多い。

 一部の書ではモンスターは混沌の落し子じゃとして、そも闇女神様とは無関係としておるものもおったが、どうなのじゃろうか。

 かつては魔物の中にも理性を持ち改心し、魔族となるものもいたという話を父様から聞いたことがある。ならばやはり、魔物とは闇女神様の愛を忘れた哀れな者達なのじゃろう。


「なるほど、私のイメージとそう変わらないようですね。それではダンジョンコアとは?」


「うむ。ダンジョンコアとは名の通り、ダンジョンの核。希少なモンスターであり、直接的な脅威を持たぬ稀有なものじゃ」


 ダンジョンコアは様々な所で生まれる。森林、洞窟、地中、海中、時には廃墟街にて産声をあげることもあると聞く。

 じゃが彼らは、モンスターであるが益獣に近い。と言うより本当にモンスターなのじゃろうか? 

 一応、学んだ書にはモンスターに分類されると書いてあったのじゃが、正直なところモンスターとは言いがたい気がするの。


 ともあれ、名の通りにダンジョンを形成する核である彼らは、その地に宝石や鉱石など、それぞれの特色に合った素材を生み続ける。

 それを食料とする他のモンスターを内で暮らさせ、その死骸を養分として食らうのじゃ。


 本体を害そうとさえしなければ、生あるものにとって無害なモンスターじゃよ。かくいうこの洞窟もその一つでの。彼らは死骸の他に魔力も食らう、わらわが魔力を流す代わりに暮らしやすい環境を作ってもらっている、共生関係というやつじゃ。

 宿主の機微はなんとなくで感じているようで、暮らしやすいようにダンジョンの形を変えてくれたりもする。知性はないようじゃから、どうやら本能でやっておるようじゃの。

 どちらかと言えば、わらわのような住人が寄生している側のような気もするが、まぁそれは良いじゃろう。


 かつては多くの魔族が、こうやって見つけたダンジョンコアと共に暮らしていたらしい。伝説には、魔族となり知性を得たダンジョンコアもあったらしいぞ。


 説明としてはこのようなところかの。

 中には希少な素材を多く生むコアもおる、闇雲に探すより効率がいいのじゃ。

 その為に見つかってしまえば人間たち、光の種族も多く来てしまうのが難点じゃがの。 


「食虫植物のようなものですね。なるほど、よく出来ている。実に使えそうだ」


 嬉しげじゃの。何か思うところがあったのじゃろうか?

 しかし、そう言われて悪い気はせぬ。同じ魔族でこそないが、こうして共に暮らしていると愛着も湧くというもの。ペットを褒められるような感じじゃろうか。

 いや、ペット扱いはコアに失礼じゃったの。しかし、そうじゃな。ルリエッタだけではない、わらわは自分で思う以上に、既に多くの家族を持っていたのかもしれぬの。


「ではその精霊、ラビリンス様というものは何か違うのでしょうか」


「こちらに関してはわらわも詳しくないが、よいかの?」


 ヨハネの頷きを見て、少しばかり思考を纏める。

 ふむ、まずは精霊に関して説明したほうが良いかの。今までの話の流れから見て、恐らくは知らぬであろうし。


「まず精霊じゃが、この世界に満ちる、なんというべきじゃろうな、力の源泉ともいうべきもの。双子女神と同じく、創造主より生み出されたものと言われておる」


「ふむ、ならば精霊も神なのですかね」


「いや、いと高きお方々は創造主と双子女神のみ。精霊は、そうじゃな、彼らの小間使いと呼ぶのが相応しいかの」


 それでもわらわ達のような存在より遥か上位におわす方々じゃ。

 いと高き神が敬愛すべき父母であるとすれば、精霊達は手を貸してくれる頼れる兄姉といったところじゃろう。


「精霊は世界に満ち、世界を回しておる。魔法の源泉たるマナは彼女らによって作られ、万物の礎は彼女らによって為る。また彼女らは双子女神の愛子たる我らに試練と豊穣を与えたもう方々でもあり、ラビリンス様はそれの最たるものじゃろう」


 未熟なわらわでは精霊の御声を聞くことも、御姿を見ることも出来ぬが、その存在だけは感じることが出来る。

 かつての賢者を筆頭とする魔法使いたちは、精霊の御姿を見るだけではなく、対話までできたと言われておる。そうして精霊と語り合えるようになって、ようやく魔法を使うものとしては一人前なのだとか。道は遠いの。

 

「ラビリンス様のお作りになる迷宮は、正しく試練。至らぬものが挑めば身の破滅、しかしてそれを越えた者には精霊の加護を受けた者を手に入れられるという。それを見つけることが出来るのも、また試練を受けるに相応しきものだけだと」


 当然ながら、わらわも見たことはない。

 恐らく、ラビリンス様の迷宮であればかの霊石もお与え頂けるじゃろうが、そのような卑しき心がある限りはきっと無理なのじゃろう。

 かつて尤も偉大と言われた魔王や勇者でさえ、一度見ただけというものなのじゃし。

 もし仮に見つけられることが出来れば、それだけで生涯の誉れとなろう。


「故に、わらわはダンジョンコアの迷宮を主にすることとなるじゃろう。それでも有用な素材もある、きっと足しには、なる、筈じゃ。恐らく」


 言葉尻が萎んでしまう。よく考えて見れば、それは皮算用かもしれぬと気付いて。

 わらわ如きが探れるダンジョンじゃ、人間たちが入るのなどそれこそ赤子でも達成できる程度のものに違いない。そこで取れる素材に、果たして価値はあるのじゃろうか? 既に飽和しているようなありふれたものでしかないのではないかという不安が襲い掛かってきおった。

 それでも、きっと数を集めれば。或いはもしかしたら珍しい物が混じっているかもしれぬ。

 そう自分に言い聞かせるが、浮かんだ不安は消えてくれぬ。


「ふむ。よく分かりました、いいでしょう。契約を結びましょう」


 そんなわらわの不安を吹き飛ばすように、ヨハネが満面の笑みで右腕を差し出した。

 じゃが、わらわはその手をすぐに掴むことが出来ない。先ほど浮かんだ不安、それで本当にヨハネに不自由と危険のないようにすることができるのだろうかという恐怖。

 

「ああ、お気になさらず。最初の頃に苦労するかもしれないことは折り込み済みですし、ある程度の危険も承知の上です。報酬や条件についてはこれから突き詰めるとして、仕事内容に文句はありません」

 

 わらわの葛藤を察してか、怯える子供を安心させるようにヨハネは言う。

 

「職務に関しては、交渉のみと言わず資金集めにも手を貸しましょう。後は、ルル嬢の家族となることですね。その内容に含まれると私が納得できるものであれば、例え生命を失うようなものだろうが構いません。そう言った覚悟を含めて、契約にサインしようと言うのですよ」


 なんと温かい言葉じゃろうか。わらわの身体の奥が熱を持ち、瞳からまた涙が溢れる。しかし、不快ではない。

 ルリエッタも祝福するようにその身をくねらせてくれておる。


 全く、わらわには勿体のない家族たちじゃ。

 瞼をこすって涙を拭い、差し出された右手を握り返す。


 ヨハネの笑みが深まるのに合わせ、わらわにも自然と笑みが浮かぶ。

 ああ、今日はなんという素晴らしい日じゃろうか。


「契約は成りました。今後とも宜しく、ルル嬢」


「うむ、ヨハネよ。わらわに力を貸してくれ」


 言葉と同時、わらわの中に異物が流れこむ感覚があった。

 不快ではないが、魔法を使われた時に似ておる。


 これは、ヨハネの力かの? そう言えば異世界から召喚された時、勇者は知らず異能を手に入れていたと聞く。その類じゃろうか。

 見上げた彼の表情には変わった様子もないし、その可能性が高そうじゃの。

 後で聞いてみた方が良さそうじゃ。覚えがあるならそれで良し、ないのなら宿ったのであろう力について検証もした方が良さそうじゃしな。


「さて、それではルル嬢。早速ですが草案があります」


「うむ、聞かせてくれ」


 人のことは人同士、ヨハネに案があるというのであればきっとわらわの考えより優れておろう。

 もし世界の違いで気になることがあるなら、その時はわらわが伝えれば良い。


 そう考えてヨハネの言う草案を最後まで聞き、そしてわらわは叫びを上げた。

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