エピローグ

 電車に揺すられながらセリは二年も前のことを思い出していた。

 後日、桑原洋二郎は自由の身となった。彼いわく、あの地下室で在学中の頃に先輩たちによって手酷くイジメられた経験があったという。その場所を封印する意味もあって用務員として見張っていたのに、ある日その地下室へ続く階段が開かれていた。それを目にした桑原は昔の記憶を思い出し、恐ろしさから逃げ出したそうだ。

それは丁度翔真が綾部の死体を確認しに来た時と重なってしまったらしい。運悪くその日はN氏がたまたま忍び込んだ日でもあり、誰かが来たことに気付いた翔真が防火扉を使って怪談に見立てて降りて来させないようにしたため起こった出来事だった。

 あれから翔真は逮捕され、未成年であるにも関わらずあまりにも身勝手な犯行動機で五人もの命を殺めた上に、裁判中も一貫して被害者へ対する謝意や罪悪感が見られないことから更生の余地なしとして死刑を言い渡された。

 翔真は悲しむことも絶望することもなく、笑みすら浮かべてそれを受け入れた。

 セリは事件に関する裁判の全てに必ず出席し、時には証人として、時には翔真に話をさせるために、一年という期間を費やした。

 罪を犯した翔真は親類たちから絶縁され、判決後は面会に来ることすらなかった。

 恐らく会いに来ていたのはセリと友浦、堤辺りくらいだろう。友浦たちの面会もセリがいなければ拒否するという徹底振りであったが、思えばあれは翔真なりの不器用な愛情表現だったのかもしれない。それに気付いた頃には全てが遅過ぎた。

 被害者という立場でありながら三年間、セリは月に一度必ず会いに行った。

 手土産らしきものもないのに翔真は顔を会わせるだけで大いに喜んだ。

 その姿を見る度に、何故あんなことをしてしまったのかと悲しくもなった。

 たった一センチそこらの対面窓越しの逢瀬。話せるし相手も見えるのに、決して触れ合うことは出来ない明確な壁と短い時間に阻まれていても、セリは翔真が好きだった。殺人犯と知ってショックは受けたが、どうしても嫌いにはなれなかった。

 その後、何人か告白されたこともあったけれど、セリはその度に断り、決して誰かと付き合うことはなかった。そのことを翔真に話したことはなかったけれど、セリの足が遠退かないことで何となくその辺りも察していたかもしれない。

 翔真はセリと面会する度に「好きだよ」「愛してる」と囁いた。

 まるで少しずつ呪いをかけるように、それは今も尚セリの心に響いている。

手にしていた紫陽花の写真をバッグに仕舞い、花束を持つ。

 電車を下り、改札を通ると閑散とした町を歩く。

 誰とも擦れ違わないまま目的地の寺に着いてしまう。

「すみません、無縁仏はどちらでしょう?」

 杓子で水を撒いていた住職らしい人へ問うと少し驚いた顔をされたが、すぐに「道なりに行った奥の方にあります」と告げられて会釈をする。

 そうして持っていた花束を抱え直すと歩き出した。

 しばらく石畳を歩き、行き止まりにある大きな石の墓標の前に一つの人影を見つけた。

「こんにちは、友浦さん」

「おう、久しぶりだな」

 かけた声に振り返った厳つい顔に小さく会釈をして歩み寄る。

 先に済ませたのだろうか、線香の何とも言えない香りが漂っていた。

「紫陽花?」

 セリの持っていた花束を覗き込む友浦に頷く。

「わたしと金江君の出会いの花です」

 それを墓標の左右にある花立てに差し、持ってきた線香に火をつけ、手で軽く振って消したあとに線香皿へと供えて手を合わせる。友浦は黙って煙草を吸っていた。

 顔を上げたセリはしばらく墓標を眺めてから振り返った。

「今までありがとうございました」

 深々と頭を下げられて友浦が嫌そうに手を振る。

「よせよせ、堅苦しいのは苦手なんだ」

「相変わらずですね」

「人間そう二、三年で変わる訳ねえだろ」

 フウ、と風に流れていく紫煙を見ながらセリは思う。

 翔真は最後まで自分を想ってくれていただろうか。

 自分は彼に少しでも報いてやれたのだろうか。

「今思い出してみたらよ、アイツが犯人だって思うところが他にもいくつかあったんだ」

 吸い終えた煙草を携帯灰皿で揉み消しながら友浦は思い出した様子で目を瞑る。

「三件目でアイツに連絡入れた時だって、お嬢ちゃんが大変だとは言ったけどよ、湯川愛香のことは言ってなかったんだ。それなのにアイツはお嬢ちゃんたちが一緒にいるって知った上でやって来た」

 全然気付かなかったけどな、と自嘲気味に笑う。

 使い古してボロボロになった灰皿をポケットに仕舞い、友浦が頭を掻いた。

「リストも、アイツの名前がないことは気付いていたのに俺も除外してたんだよなあ。宮坂の件で引っかかりは感じていたのに。もっと早く気付いていたら安岡は死なずに済んだかもしれねえって思うとやりきれなくてよ……」

 どうやら友浦も今回の件で二年前のことを色々と考えていたらしい。

 セリたちだけでなく、色々な人々に深い傷を残した事件だった。

「それを言ったら、わたしなんか全然気付かなかった大間抜けですよ」

 お互いに顔を見合わせて苦く笑う。

 この話を蒸し返したところで過去は変えられない。

 そのことは他の誰でもないセリと友浦がよく分かっている。

「お嬢ちゃんはどうするんだ?」

 それはこの後の話か、これからの未来の話か。

 どこか含みのある言葉に空を見上げる。

「さあ、分かりません」

 それでもこの張り裂けそうな悲しみと共に生きていくつもりだった。

 いつか、彼の遺した雁字搦(がんじがら)めの恋情が消えるまで。

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Pの恋情 早瀬黒絵 @wheniwasagirl

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