第3話 七不思議の怪(六月二十日)

(六月二十日)


 綾部麻美の遺体が見つかり、セリはホッとしていた。

 地下室にあったノコギリから出た指紋が用務室にあったものと一致し、置かれていたパソコンの中から綾部麻美の画像も発見されたことで、警察は用務員の桑原陽二郎を容疑者として捜索中である。

 これでセリへの疑惑的な視線もなくなって学校生活も穏やかになるだろう。

 土曜の午後、昼食を終えて人心地ついた頃に携帯がメールの着信を告げる。

 確認してみれば翔真からだった。

 自宅の紫陽花が綺麗に咲いたというメールで綺麗な真っ白い紫陽花の画像が添付されていた。すごく綺麗だね、と返事をすれば、もし良ければ見に来ないかと誘われる。

 セリは紫陽花が好きだ。それも白い色のものが特に好きである。

 大喜びで行く旨を伝えるとリビングのソファーから立ち上がる。

 余所行きのちょっとオシャレな洋服に着替えて小雨の中、傘を差して家を出た。待ち合わせは駅の近くにあるコンビニで、到着すると既に翔真が待っていた。

「ごめん、お待たせ」

「いや、僕も今来たところだから」

 こっちだよ、と言われてついて行く。

 今は丁度紫陽花の時期で、歩いている途中でも住宅街の庭先で見かけるくらいだ。赤や青、紫色の紫陽花はどこでもよく見かけるけれど、白い紫陽花は滅多にないのでセリは上機嫌である。

「わたし白い紫陽花が好きなんだ」

 思わず漏らした言葉に翔真が笑う。

「知ってるよ」

「え?」

「前に教えてもらったから」

 セリは驚いて一度立ち止まった。

 それを翔真も数歩先で振り返る。

「それっていつ?」

 セリの中では翔真はつい最近知り合った友人だった。

 入学してから、どこかでもしかしたら話したことがあるかもしれないけれど、そんな個人の趣向を口にするほど親しければ顔を覚えているだろう。

「やっぱりセリさんは忘れちゃってたか」

 歩き出した翔真にセリはついて行く。

「中学二年の時、僕がイジメられてたら助けてくれたんだけど覚えてない?」

「……全然わかんない」

 苦笑を零しつつ翔真はその時のことをセリに話してくれた。

 中学二年の頃は男子の中でも小柄だった上に引っ込み思案の性格も災いし、当時は同じ学年の男子生徒数人に暴力を振るわれていたらしい。今と違ってまだイジメ問題が深刻でなかったので教師もまったく取り合ってくれなかったそうだ。

 いつも通り校舎裏で殴る蹴るの暴行を受けていた翔真だったけれど、その日は違っていた。暴力を振るわれている途中、突然頭上からカメラを撮る音がした。驚いて顔を上げた数人の男子生徒へ更にシャッターが切られる音がする。

「うわあ、男子のイジメって過激~」

 かざした携帯片手にそう言って見下ろしてきたのは自分と同じ歳くらいの少女である。

「バラされたくなかったらやめなよ」

 それとも先生呼ぼうか、なんて言い出すものだから男子生徒たちは慌てて尻尾を巻いて逃げ、翔真と少女だけになる。翔真は呆然と座り込んでいた。

「大丈夫? 保健室行ったら?」

 かけられた言葉に我へ返った翔真が立ち上がる。

「あの、ありがとう……」

「いいよ、別に。ついでだもん」

「……ついで?」

 相変わらず携帯を構えたまま、少女がその画面を見て、また写真を撮る。

 その目線は翔真から少しズレた位置にあることに気付いて振り返った。そこには大きな紫陽花が真っ白く色鮮やかに咲き誇っていた。

「白い紫陽花っていいよね、わたし好きだなあ」

 ベランダの縁に寄りかかって写真を撮る少女に思わず頷く。

「……うん、僕も好きかも」

「本当? やっぱ綺麗な花は誰が見ても綺麗って思うんだね」

 満足いく写真が撮れたのか少女がベランダから身を起こす。

 去ってしまうのだと気付いて慌てて声をかける。

「あ、君、名前は?」

 今まさに室内に戻ろうとしていた少女が初めて笑った。

「矢島セリ」

 それからイジメはピタリと止み、その後、身長も伸びて人と接する機会の増えた翔真は引っ込み思案な性格も直って今に至る。

「でも同じ大学で見つけた時は驚いたなあ」

 朗らかに笑う翔真にセリは恥ずかしくて手で顔を覆ってしまう。

 ……あった。あったよ、そんなこと。

 中学二年の今頃、図書室のベランダに出たらイジメを目撃してつい携帯で写真を撮って撃退したことがあった。その時に見かけた白い紫陽花があんまりにも綺麗だったから好きになった訳で、忘れるはずのない出来事でもある。その後、司書の先生に学校へ携帯を持ち込んだことで注意もされたっけ。

 改めて横に並んで翔真を眺めて見る。長身で優しそうな見た目に整った顔で、結構人気が高そうではあるが、記憶の中の陰鬱そうな男子生徒とは似ても似つかない。

「……本当ごめん」

「いや、僕も情けない頃の話だし、気にしないで」

「うん、だから紫陽花のこと知ってたんだ」

「僕の家でも育ててたから余計に忘れられなかったんだ」

 あそこ、と示された家の庭には白い紫陽花の株がいくつもあった。

 丁寧に手を入れてあるのか株はどれも丸い形に整えられ、大きな白い花が沢山咲いている。左右にちょっとだけ普通の紫陽花があるのが良いアクセントになっていた。

 促されるまま家へ上がらせてもらうとリビングに通された。

 窓から庭先の紫陽花がよく見えるようになっていて、綺麗だった。

「オレンジジュースでいいかな?」

「あ、うん」

 つい見惚れてしまっていたセリは慌てて返事を返す。

 オレンジジュースを二人分持ってきた翔真が窓際のローテーブルへそれを置く。勧められたソファーに座れば庭を見渡せる場所で、セリは携帯を取り出した。

「ごめん、写真撮っていい?」

「どうぞ」

 窓越しに携帯を構えて写真を撮る。真っ白な綺麗な花だ。

 思う存分撮って落ち着いたセリが振り返れば翔真が可笑しそうに笑っている。

「ちょっと待ってて」

 リビングを出て行く翔真を見送ってセリはソファーに体を預けた。

 さすがにちょっとはしゃぎ過ぎたかもしれない。

 五分ほどで戻ってきた翔真の手にはアルバムが握られていた。

「これ、庭の写真なんだ。気に入ったのがあれば持って行ってもいいよ」

 差し出されたそれを開けてみれば紫陽花の他にも色々な花の写真が写っている。リビングから撮ったものだろう、庭を一望出来る写真も数多い。これは何の花、あれはどんな花と話が弾んでセリと翔真は一緒に写真を眺めてお喋りを交わす。

 アルバムを見終える頃にはセリは緊張も解れて笑みを浮かべていた。

「四季折々で楽しそうな庭だね」

「母さんの趣味だけどね。どう? 欲しい写真はあった?」

「うーん……」

 セリは悩んだものの、やっぱり白い紫陽花の写真を一枚もらうことにした。

 よく晴れた日に撮られた写真には鮮やかな緑色の葉と青空、それに対比するように咲く真っ白な紫陽花たちが綺麗に写っている。

「ありがとう、大事にするよ」

 翔真はそれに嬉しそうに頷いた。

 ジュースのお代わりをしてしばらく庭先の本物の紫陽花を楽しんだ後、待ち合わせたコンビニまで送ってもらい、セリは翔真と別れて家に帰る。

 セリの部屋に、その日から白い紫陽花の写真が飾られることとなった。

 小さな写真立てに入れられたそれを眺めると自然と口元がにやけてしまう。

「って、何でにやけてるの、わたし」

 慌てて頬を押さえたけれど、口元は緩みっぱなしである。

 好きな花の写真をもらえたことはすごく嬉しい。

 けれども、それだけでこんなにも喜べるだろうか。

「恋でしょ」

 思わず電話をかけた先、愛香にズバリと言われる。

「そうかな」

「そうだよ、って言うか金江の家に行くとかセリってば大胆~」

 ヒュー、と電話越しに口笛を吹かれる。

「ちょっと、花を見に言っただけだってば!」

「はいはい、そういうことにしておいてあげる」

 少し間を置いて、どちらからともなく笑い出す。

 久しぶりの穏やかな日常にセリは胸を撫で下ろした。

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