第3話 七不思議の怪(六月十九日)

(六月十九日)


 六月十九日の昼休み、セリたちはミステリー研究会の部屋にいた。

 これから時間の会う日は昼休みと放課後に集まるということで、特にミステリーが好きな安岡と寺井は目を輝かせんばかりに諸手を挙げて喜んだ。

「でもミステリーというよりオカルトですよね、これ」

 ‘学校の七不思議’と書かれた古い漫画を読みながらセリが問う。

「確かにね。でも一口にミステリーと言っても様々な種類があって、オカルト系も最近は結構流行っているんだよ」

「へえ」

 寺井に言われて、本を閉じて元あった場所にも戻す。

 五人の前には前日に使ったままのホワイトボードが置かれていた。

「オカルトと言っても現実に起こっている以上、全て理論的に説明出来るはずだ」

「今日はその意見を出し合うってことでいいかな?」

 安岡と寺井の言葉にセリたちは頷いた。

 改めて図を見る。第二旧校舎一階東奥にある職員用トイレから階段を上がり、四階の真ん中付近にある実験まで行く順路を頭の中で思い出した。

「その忍び込んだNって人は明かりを持っていたんですか?」

 愛香の問いに寺井が首を振る。

「見つからないよう持って行かなかったみたい。携帯の明かりで足元を照らしてたって」

「じゃあ暗くて下りる階数を数え間違えたとか?」

 暗闇で目を凝らしながら歩いていたとしたら可能性はあり得る。

「いや、それはないと思うよ。一階には校長室や職員室もあるから、降りてそれらがあればすぐに気付いたと思う」

「そうだね、今のなしで」

 翔真の指摘に愛香はすぐに前言撤回した。

 それでも意見として安岡が否定の理由も交えてホワイトボードに書く。

「それで行くと下りる階段を間違えた線も消えるね。西側にも階段はあるけれど、そちらは事務室の前に出るから使わないだろうし、時々泊まりで用務員さんもいるし」

 立ち上がった翔真が‘西側階段の使用はなし’と文字と矢印を描く。

 それには全員が異論なく肯定する。

「うーん、やっぱり壁の謎を解かないとダメかあ」

 溜め息を零して机に伏した寺井に安岡が頷いた。

「そうだな、N氏が一体何を壁と勘違いしたのかが今回の重要ポイントだろう」

「……確か壁を発見した跡、足音がして上の階へ逃げたんですよね?」

「ああ」

 セリは腕を組んでしばし考えた。

 足音がしたということは幽霊といった超常現象でなく、実際に誰かがいて、忍び込んだNを追いかけた人間がいたはずだ。

「もしかしてその足音の人物に‘勘違いさせられた’んじゃないですか?」

「どういうこと?」

 寺井が不可解そうな顔で首を傾げ、目を瞬かせる。

 妙な言葉の言い回しに安岡も眉を潜めた。

「実際は壁ではない何かがあって、それがあたかも壁のように見えたかもしれないってことです。廊下の向こう側とかって遠目には行き止まりに見えますけど、実際は脇に階段や渡り廊下があってきちんと通れますよね? そういう風に何かしら相手を勘違いさせる方法、ありませんか?」

 セリも入学したての頃は渡り廊下の位置が分からなくて校内で迷ったことがある。

 辺りが暗ければ多少変な部分も誤魔化せるだろうし、夜の校舎という怖さと警備員がいつ飛んでくるか分からない不安と緊張の中なら正常な判断や考えが出来ない場合というのもありえそうだ。

 なるほど、とその場の全員が考え込む。

「あ、布はどうだ? 壁と同色の白いやつとかで廊下に面してる場所を覆うのは?」

 セリはちょっと考えた。

「でもそうなるとかなり大きな布が最低三枚は必要になりますよ? 今回はそのNさんが途中で引き返したから良いものの、そうでなければ一階から三階までの階段正面に張らなくてはいけませんから、それだけでも重労働です」

 あと、足音の人物が複数か単数かにもよる。一人だったとしたら、それを一人で階段と廊下の間へ完璧に張るのはなかなかに厳しい話だ。

「それに先輩、布じゃ皺が寄ったり触ったりしたらバレますって」

「そうか、問題点が多いか」

 愛香の指摘に安岡はすぐに自分の案を取り消した。

 その方法と問題点がホワイトボードに書き込まれていく。

「……きちんと壁に見えて、それでいて持ち運びや設置に困らない方法か……」

 翔真の呟きにそんな方法あるのだろうかと誰もが頭を悩ませた。

 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。



* * * * *




 放課後の第二旧校舎でセリたち五人は集まっていた。

 昼休みに話し合って意見は出したものの、これだと思えるようなトリックはなく、それならば一度現場を見てみようということになったのだ。

 五人で一階まで下り、まずは本当に職員トイレの鍵が開くのか実験してみる。

「オッケー」

 場所が女子トイレなので男子陣は外から開ける役だ。

 セリ、愛香、寺井がガタガタと揺れ出した窓の鍵を凝視する。しばらくして鍵は音もなく外れ、窓を開けた翔真と安岡が顔を覗かせる。

「開いたね」

「うん、この高さなら何とかよじ登れそう」

 試すように翔真がひょいと両腕で窓の枠に上半身を乗せてみせた。

 何か台になるようなものがあれば小柄な女子でも簡単に入れそうである。

 五人は階段の前で落ち合うと、問題のそこを見上げた。普通の階段だ。踊り場に窓があって、手すりのついた何の変哲もないこの学校の階段が怖い話に繋がるとは到底思えない。

「とりあえず四階まで行ってみよう」

 安岡の言葉に頷き、全員で階段を上がっていく。

 時々寺井が壁や段差に顔を近付けて何か手がかりがないか探していたけれど、結局四階まで問題なく着いてしまう。

「何か気になることあった?」

 愛香の問いにセリと翔真が首を振る。

「何もなかったよ」

「うーん、何かを引っかけられそうな場所もなかったしね」

 せいぜい途中で鏡があったくらいのものだ。

 今度は来た道を辿って一階の職員用トイレへ向かう。

 ……壁。硬くて、大きくて、一目でそう分かるような持ち運びが楽な……?

 足元から顔を上げて二階の天井と壁の繋ぎ目を仰ぎ見た時にそれは閃いた。

「そうだ、防火扉だ!」

「なに?」

 一階へ下りかけていた安岡が振り返った。

 セリの横にいた愛香と翔真はいきなり大声を上げられてちょっと驚いている。

 戻ってくる安岡と寺井を手で制し、セリは階段脇の壁に埋め込まれるようにして存在する防火扉の取っ手に手をかけた。引っ張れば大きさのわりにアッサリ動き、二階の廊下へ通ずる階段とその境目を隔てるように扉がピッタリと閉まる。

「これ、壁に見えますよね?!」

 防火扉の向こうから張り上げているだろうセリの声が微かにする。

 言われた通り巨大な防火扉は他の壁と同色で一見すると一枚の壁になっていた。壁際に取っ手はあるが、足元を何とか照らせる程度の明かりしかない夜であったならば、気付けないような小ささだった。ちなみに防火扉は全ての階にある。

 やがて防火扉を開けて元の壁に戻したセリに興奮した様子で寺井が言う。

「すごい!これなら壁に見えるし身一つで出来るわ!」

「ただ開閉するだけなら時間も労力もかからなさそうだ」

 安岡もこれには納得したようでしきりに頷いている。

「防火扉なんて盲点だったよ」

 翔真が戻ってきたセリに言う。

「あたしも全然気付かなかった。やったね、セリ」

 愛香に肘でつつかれて少し気恥ずかしい気持ちになった。

 自分でも防火扉に気付いたのは偶然だった。

「でも綾部さんの行方は分からないままだね」

 思い出した様子で言った寺井の言葉に全員であ、と声が漏れる。

 そうだ、この謎解きは綾部を探すためのものだ。

 だとすれば、まだ解き切っていないということになる。

「ともかく実証途中だし下りてみるか」

「そうですね」

 防火扉の件は置いておくとして、一階まで下りた。

 一階の防火扉も開けて確かめてみればトイレへ行くことが出来なくなった。

 これで少なくとも突然現れた壁と帰り道が分からなくなるという状況は作り出せたけれど、まだ最大の難関である綾部の居場所については不明である。

「まさか校内を虱潰しに探すとか……?」

 愛香が嫌そうな顔をした。この広い大学内は歩き回るだけでも骨が折れる。

「……多分だけど、この階段に関係あると思うよ。犯人は今噂になってる‘学校の七不思議’を解けって言っている訳だし」

 腕を組んで考え込む翔真にそれもそうかと愛香とセリは思い直した。

 つまりこの第二旧校舎東階段のどこかに綾部の居場所を特定する何かがあるのかも。

「じゃあオレ達は上から調べてみる」

「何かあったら教えてね」

 上の階へ上がっていく安岡と寺井を見送ったセリたちは、さっそく手がかりになるようなものがないか辺りを調べることにした。手摺の裏側にあった落書きを読んでみたり、行き止まりの階段下を見てみたりして、ふとセリは違和感を覚えた。

「ねえ、愛香、翔真君。ちょっと来てくれる?」

 セリが声をかけると二人はすぐに近付いて来る。

「なに、どうかしたの?」

「なんかここ変じゃない?」

「どこが?ただの階段下じゃん」

 愛香は目の前にある何もない空間を眺めた。

 翔真もしばしジッと見つめていたが、不意に手を打った。

「ああ、倉庫と扉がない!」

 確かに階段下にあるはずの倉庫はなく、外へ通ずる扉もない。

 西側の階段は下に狭い倉庫があったし、渡り廊下の下へ出られる出入り口がある。片方にはあるのにもう片方にはないというのも変な話だ。

 それにこれだけ物が置けそうなスペースが広がっているにも関わらず何もない。三階の渡り廊下の上に続く扉の前なんかはバリケードみたいに古い机が山ほど置かれているというのに、ここにはそういった不要な物が全く置かれてないのだ。

 三人で顔を見合わせるとそっと階段下へ足を踏み入れる。

 途端に足元でギッと何かが軋むような音がした。

 慌てて足を引っ込め、一段下がっている床を屈んで見る。セリはその床に手を這わせて更に驚いた。廊下と同じツルツルした表面を手の平で押すと少し沈み込んだ。

「これ動くかもしれない」

 セリの言葉で三人はどこか動かせるような場所がないか調べる。

 すると、翔真が声を上げた。

「こっちに指が入れられそうな場所があるよ」

 寄ってみれば何とか両手を差し込めそうな狭い隙間が廊下と一段下がった床の間にあり、翔真がそこに手を入れて動かすと、階段下の床が少し動いた。セリと愛香も一緒になって隙間に手を突っ込み三人で声をかけ合って上へ持ち上げる。

 案の定、床は鈍い音を立てながら持ち上がった。

 予想より材質が軽かったのか勢いよく開いた床の下にはまだ階段が続いていた。

「……これヤバいよ」

 以前聞いたことのある言葉を愛香が言った。

 澱んだ空気と埃、湿気っぽさの中に何かの饐(す)える臭いがする。

 片手で口元を押さえながら一度階段を覗き込んだ翔真が振り向く。

「刑事さんに電話した方がいいかも」

「わかった」

 一旦床を戻して三人は階段下から離れる。

 安岡と寺井を呼ぶ戻すために連絡を取る翔真を横目に、セリも携帯を取り出した。




* * * * *




 連絡を受けて桐ヶ峰大学にやって来た友浦と堤はまず驚いた。

 見た目はまだ古いとは言い難い校舎の下が、まさか続いているとは夢にも思わなかった。

「お嬢ちゃんたちはここで待ってろ」

 床を開けてすぐ、友浦はそう言った。

 漂ってくる嫌な臭いに眉を潜めつつ、懐中電灯の明かりを点け、へっぴり腰の堤を伴って階段を下りていく。澱んで湿った空気と埃っぽさにくしゃみが出る。

 半階分下りると地下であるにも関わらず裏側に部屋が一つあった。教室と同じ造りだったがドアや窓がなく、まったく風が通らなさそうな場所だ。そこから嫌な臭いは漂っているらしい。

「おい、堤」

「な、何でしょう?」

「吐くなよ」

 まだ刑事になって大きな事件に当たったことのない部下に忠告する。

 それから大股で友浦はその部屋へ立ち入った。

 後を追ってきた堤は吐く代わりに情けない悲鳴を上げた。

「ひぃっ?!」

 部屋の真ん中に死体があった。色白で細身の首がない女の体に恐らくそれから切り取られただろう首が仲良く並び、その傍にはズタズタにされた女性物のバッグとサンダル、ノコギリらしきものが窺える。後ろに並んでいる蓋のついた複数のバケツは何だ?

 友浦は怯えて部屋の外へ出てしまった堤へ怒鳴った。

「ビビってる暇があったら本部に連絡してこい!」

「は、はい!」

 慌てて階段を駆け上がっていく音がする。

 調べたいが、鑑識が来るまで手は出さない方がいい。

 目の前にある死体に友浦は無言で合掌し、鑑識が来るのを待つ。

 矢島セリに送られた画像と同じままの綾部麻美がそこにいた。

 応援は二十分ほどで到着し、すぐに鑑識による現場検証が行われ、綾部麻美の遺体は検死をするために警察へ送られた。首に扼痕があったのでやはり画像から推察した通り絞殺であるようだった。首は扼痕の上を沿うように切ってあった。

 それから並べてあったバケツの中身は血で赤黒くなった吸水マットとブルーシートで、恐らく首を切断する際に下に置いて受け皿にしたのだろうと推察された。

 埃っぽいにも関わらず階段から地下室までの床は綺麗だったことからして、犯人が足跡を消すために掃除したものと思われる。ご丁寧なことだ。ノコギリからは何者かの指紋が検出されたが、これほど用意周到なやつがそんな分かりやすい場所に証拠を残すだろうかという疑問はある。

 鑑識は暗い地下室に照明機材を持ち込んで証拠を探し回っている。

 犯人特定に重要な下足痕は一応あったが靴の種類を特定することは出来ないだろう様子に、もしかしたら犯人はそういうことも知っていて対策済みかもしれないとゾッとした。こちらの手を読まれている。

 地下から出てみればセリたちが少し離れた場所に座っていた。

「散々だったなあ」

 まさか本当に綾部麻美を見つけるとは本当に驚いた。

 しかも遺棄場所が大学内の地下だなんて灯台下暗しである。

「いえ、まあ……。でも見つかって良かったです」

 セリはいつぞやと反対に翔真に背を擦られている。

友人の愛香もあまり顔色は良くないけれど、相変わらず気の強そうな目で現場を出入りする者をジッと眺めていた。

 ミステリー研究部だという二人の生徒からも事情を聞いて、ついでに指紋も採取しておく。セリたちのものとほぼ同じ調書は意外と早く取り終わった。教師陣にあの地下室について問うと、この学校に最も長くいる教頭と用務員の二人だけが知っているようだった。

その用務員・桑原(くわはら)陽二郎(ようじろう)は一週間近く前から大学に来ていないという。

昨日、その話を校長から電話で受け、住所を尋ねてみたが誰もいなかった。



 十八日、友浦はその桑原陽二郎という男の住所を校長から聞き出すとそこへ向かった。

 その男が犯人の可能性もあるが、どうも腑に落ちない気分もあった。

 法定速度を越えない限界のスピードで車を走らせる。桑原の住む場所は桐ヶ峰大学の目と鼻の先にあり、その裏通りの古びたアパートの前に横付けすると、友浦は一階の一番角にある部屋のドアを叩いた。

「桑原さん。いらっしゃいませんか、桑原さん!」

 二度、三度強めにドアを叩いていると隣の部屋の扉が開く。

「桑原さんなら二、三日帰って来てないよ」

 困ったもんだと大家らしき老婆は嘆息し、ぎろりと友浦と堤を睨む。

 上から下まで品定めするような視線にさらされても、友浦は嫌な顔一つせず、むしろその厳つい顔に困った風な表情を浮かべて警察手帳を見せる。

「桑原さん、仕事先にも来ていなくて。居場所をご存知ないですかね?」

「なんだ、刑事さんかい」

 警察と分かった途端に大家は媚びるように態度を軟化させた。

「さあ、どこへ行ったか……。桑原さん、何かやったのかい?」

「いえ、もしかしたら事件に関係するか巻き込まれた可能性がありまして、断定は出来ません。もし見かけましたら、こちらへご連絡ください」

 取り出した名刺を大家は嬉しそうに頷きながら受け取った。

 しかし翌日になっても桑原陽二郎の行方は掴めないままだった。



 そこへセリ達から連絡を受けた次第である。

 桑原の所在が分からないのは困りものだが、綾部麻美の遺体が見つかったことで何か進展があるかもしれないと友浦は僅かに期待を寄せた。

「嬢ちゃん達はもう帰っていいぞ」

 友浦の言葉にセリ達は少し気が抜けた様子で頷いていた。

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